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2巻
2-2
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「ジークどうした? アリシエ嬢はクロエの客だ。たとえお前の婚約者だとしても、勝手は許されない」
「殿下、アリシエはこういう席が苦手なのです。今もきっと苦痛に思っている筈。私の顔に免じてどうか、帰宅させてやって下さい」
殿下に頭を下げるロイド卿。
アリシエ様は一瞬口を開くも、すぐに口を真一文字に結び、俯いてしまった。
「アリシエさん……貴女はどうしたいの? 私は貴女とのお喋り、とても楽しかったわ」
私がアリシエ様の顔を見て言うが、俯いてしまっているアリシエ様とは、目が合わない。
周りのご婦人方も、私に同調してくれた。
「私達もアリシエ様とのお喋り、とても楽しかったですわ」
その言葉に、パッとアリシエ様は顔を上げる。その目は潤んでいて、今にも涙が溢れ落ちそうだ。
「……ひ、妃殿下……無礼を承知で……申し上げます。わ、わたくし……あまり……話すのが……得意ではなく……少し、た、体調の方も悪くなって……しまったようです。……誠に申し訳あり……ませんが、今日は……退出させてい、頂いても、よろしいで……しょうか?」
アリシエ様は涙を堪えようと頑張っているが、一粒、二粒と頬を涙が滑り落ちる。
「妃殿下、私からも謝罪させて頂きます。アリシエもこう言っていますので、今日は下がらせてやって下さい」
ロイド卿は私に言うと、少し離れて控えていた殿下の護衛に大声で指示を飛ばした。
「おい! 私は少し此処を離れる。誰か殿下の側へ!」
この行動に私も殿下もびっくりだ。
殿下の護衛が、主である殿下の許可も取らずに側を離れる、と言ったのだ。解雇されても文句は言えない程の失態だが、ロイド卿はそれにすら気づいていないように、アリシエ様を此処から連れて帰る事だけに気が向いていた。
その行動にアリシエ様も、声を掛けられた護衛も顔を真っ青にした。
「ジーク様、私、一人で馬車回しまで行きます。ジーク様が持ち場を離れる必要はありません」
アリシエ様が必死にロイド卿がこの場に留まるように言葉をかけるも、ロイド卿はその声すら耳に届いていないようだ。
……ロイド卿の様子がおかしいとしか思えない。私と殿下は、思わず顔を見合わせる。
結局、ロイド卿はアリシエ様を馬車回りまで送って行ってしまった。
彼には後で何らかの処分は下さなければならないだろうが、今は他の招待客が最優先だ。
ロイド卿とアリシエ様が去ったお茶会には何とも微妙な空気が漂っていた。それを消し去るように殿下が口を開く。
「招待客の皆さんに、実は私が用意したお土産があるのだが……おい、持ってきてくれ」
それはこの前の旅行で買ってきていた『湯の花』だ。
「クロエと旅行でカイエン伯爵領に出向いた際に買った物だ。良かったら使ってみるといい」
綺麗な袋に小分けされた湯の花を側近が配る。
招待客の皆は、先程のロイド卿の奇行より、私と殿下が旅行したという事実の方に興味がある、あるいは興味があるように振る舞ってくれた。
「まぁ! 妃殿下。殿下とご旅行に?」
「カイエン伯爵領と言えば、最近は温泉で貴族の保養地として、とても栄えていると聞いております。温泉いかがでした?」
「うちも主人と、行ってみたいと話しておりましたの」
等々。すっかり興味は私と殿下の旅行話に移行していた。
話の方向転換をして下さった殿下に感謝して彼の顔を見ると、殿下もこちらを向いて小さく頷いてくれた。
私もそれに応えるように小さく頷くと、
「温泉、とても素晴らしかったですわ」
と、ご婦人達の問いに答えるように話し始めた。
殿下のおかげで、お茶会はあのなんとも言えない時間を除けば、満足するものとなったのだった。
その日の夜、マルコ様のマッサージを受けながら、アリシエ様の事を考えていた。
ロイド卿が来た途端に豹変したアリシエ様……ロイド卿の有無を言わせぬ態度と言動。これから導き出される答え。間違いない。アリシエ様は、ロイド卿から前世で言うところの『モラハラ』を受けている。
モラルハラスメント。あれが原因でアリシエ様は自分に自信が持てないのかもしれない。
モラハラという言葉自体は、この世界にはないかもしれないが、そういう言動を受けて悩んでいる人はきっとアリシエ様一人ではないはずだ。
私はつい、ため息をついた。それを見ていたマルコ様が私に尋ねる。
「……ジークの事ですか?」
「ええ。あんなロイド卿は初めて見たわ」
「私もです。しかし確かに、ジークは騎士団にロートル伯爵令嬢がお見えになる事もひどく嫌っていました。一度、ジークの忘れ物をロートル伯爵令嬢が持ってきた事もあったのですが、その時もすぐに追い返すようにして帰していたのを思い出しました。今思うと、なんだか変でしたね」
「そう……。ロイド卿が感情的になるのは、アリシエ様に関する事のみ……という事かしら」
「そうですね。騎士団でのあいつはいつも冷静沈着といったイメージです」
「でしょう? でも今日の事、処分は免れないわよね」
「当たり前ですよ。殿下の言葉もクロエ様の言葉も聞かず、勝手に持ち場を離れたのですから。クビになっても文句言えませんよ」
うーん……。あのロイド卿の言動がとても引っ掛かる。
叶うならアリシエ様と二人きりで話を、難しそうであればロイド卿と一度話をしたい……そう思っていた矢先、彼の処分が決まった。
「謹慎二ヶ月。その間、辺境への武者修行ですか……」
マルコ様の言葉に、私は頷いた。
「こういう時の処分の基準が私にはわからないけれど、殿下にとっても痛手だと思うわ。学園時代からの友人でもあるんですもの」
「そうですね……側近と呼ばれる者が二ヶ月不在なのは、殿下も不便でしょうが。しかし、この前のジークの行いを考えれば仕方ないでしょう」
……わざわざ辺境まで行ってロイド卿と話をする事は出来ないなぁと思っていたところに、アリシエ様からこの前のお茶会を途中で退席した事への詫び状が届いた。
これは丁度良いと、私はアリシエ様を呼び出して彼女から話を聞く事にした。
今回は私と二人。これならば、ゆっくり話せる筈だ。ロイド卿も辺境からは邪魔しに来れまい。
そんな私にマルコ様は、呆れ顔だ。
「……首を突っ込んではいけませんよ……と私は忠告しましたよね?」
わかってる、わかってるけど放っておけないんですもの。
「妃殿下、先日のお茶会では本当に失礼いたしました。この前の無礼を改めて謝罪いたします」
呼び出し当日、アリシエ様は顔を合わせて早々に頭を下げた。
今日は私専用のサロンにアリシエ様を招待した。
ここにいるのは、私とナラとマルコ様、それにアリシエ様とアリシエ様の侍女だ。
これなら、アリシエ様も本音を少しは話してくれるかもしれない。
「お気になさらないで。さ、座ってちょうだい。私、アリシエさんとゆっくりお話ししてみたかったの」
私が微笑むと、アリシエ様はホッとしたように微笑んだ。
今日のアリシエ様は、この前より少し華やかさがあった。派手ではないが、年齢相応の可愛らしさがある。
「今日はこの前とは少し雰囲気が違うみたいね。ドレスも、その若草色がアリシエ様にとても似合ってるわ」
私が褒めると、アリシエ様は嬉しそうだ。何故か後ろの侍女も嬉しそう。
最初は当たり障りのない会話から始めた。アリシエ様はこの前よりもよく笑っている。
……もしかしたら、ロイド卿が辺境に居るから?
ある程度、打ち解けてきたかなと感じられた頃に、私は思いきって核心を突く事にした。
「アリシエさん……答えたくなければ、答えなくていいのだけれど……貴女、もしかしたらロイド卿……ジーク・ロイドの事が怖い?」
アリシエ様は私のその質問に、固まった。少し待ったが、返答はない。
彼女をほっとけないとは思っているが本人から何も聞けないことには動けない。どうするべきか。
すると、後ろの侍女が動いた。
「妃殿下……発言を許可して頂けますでしょうか?」
訴えるような侍女の目。その顔は青ざめている。
主を飛び越えて私に話しかけるのが不敬である事は、重々承知しているのだろう。
アリシエ様も、自分の侍女を叱る。
「アンナ! 身の程を弁えなさい!」
その二人を軽く見比べた後、私はアンナと呼ばれた侍女をまっすぐに見て言った。
「アンナ……といったわね? 発言を許可します。話したい事があるのでしょう? 今日のアリシエさんのドレスや化粧が違う事にも関係しているのではない?」
「あ、ありがとうございます! 」
アンナは勢いよく頭を下げる。
「アンナ! ダメよ。余計な事は言わないで!」
「お嬢様! アンナはもう耐えられません! お嬢様がお可哀想で……」
アンナの目には涙が浮かんでいる。王子妃のサロンに同行を許されるような侍女が不敬を覚悟してまで発言の許可を訴え、主人の立場に涙を浮かべる……これは相当ね。
「アリシエさん。大丈夫。ここでの話は貴女が望まない限り、誰にも言わないわ。でも……私に出来る事があるなら、手を貸すつもりよ」
出来る限り優しく声をかけた。アリシエ様は私のその言葉に少しためらった後、意を決したのか、「自分で言うわ」とアンナに声をかけ、私に向き直った。
「……私は、ジーク様に嫌われているのです……」
そう、涙ながらに話し始めたのである。
「私の家はロイド侯爵の遠縁にあたります。ジーク様の婚約者に私が決まったのは、私が長女であること、我がロートル伯爵家が、侯爵家次男の婿入り先として、合格点であった事が大きいと思っております」
私はアリシエ様の話を黙って聞いた。
「ジーク様と私が婚約したのは、私達が十二歳の頃です。ジーク様はその顔合わせの時から、私の事を嫌っておいででした。私の顔を見るなり、『その洋服はお前に似合わない。顔が地味なのだから華美な物を着るな』と言われました。その日、私は少しでも可愛く見られたくて、目一杯のお洒落をしたつもりで。その日の夜は……たくさん泣きました。年齢が上がるにつれ、ジーク様の私への苦言は多くなっていきました。『化粧はするな』『夜会のような場所には相応しくないから行くな』『笑顔が醜いから笑うな』『気の利いた事も喋れないのだから口を開くな』『外を出歩かず屋敷にいろ』『自分で決めるな。全て俺に従え』と。学園も『婚約者もいて、社交も必要最低限でいいのだから、学園に通う必要はない』と言われ……二年生の途中で退学させられました。……ジーク様はいつも『お前なんか』と。心の底から私の事を嫌っておいでなのです」
……完全なモラハラ男ね。最低だわ。
この世界は前世に比べれば男尊女卑がまかりとおる傾向があるけど、それを差し引いてもひどい。
「この前のような事は今までも?」
「ジーク様は私が出歩く事を嫌がるのです。私が何か粗相をする事を心配していらっしゃるのだと思います。お茶会でも、夜会でも、ジーク様が許可したもののみ参加しています。夜会はジーク様がエスコート出来るものか、王家主催の物で父がエスコート出来るものに限られておりまして……今回のお茶会は妃殿下の主催でしたので、てっきり大丈夫だと思っていたのです」
「当たり前だわ。王太子妃である私からの招待を断る方が問題でしょう?」
「私もそう考えておりました。きっと私がジーク様に何の相談もなく勝手に決めてしまった事が良くなかったのだと思います」
「馬鹿馬鹿しい。貴女は貴女。ロイド卿の所有物ではないわ」
「父もロイド侯爵には頭が上がらず、ジーク様の言う通りにするようにと言われていますので、私もジーク様との婚約が決まってからは彼が望むよう振る舞ってきたつもりですが……」
「こんな事を言うのは申し訳ないけれど……だから貴女は化粧も最低限。ドレスも華美な物を避けてきたのね?」
「はい……。どうせ似合わないので……」
「どうせなんて言うのはやめなさい。今日の貴女はこの前よりずっと魅力的だわ。……そこにいる侍女だって、本当なら貴女を着飾らせたい筈よ?」
私が後ろの侍女に目をやると、泣きながら力一杯頷いていた。
「でも……私は……地味で可愛げがないので」
「貴女はとても美しいし、話が下手な訳でもマナーが足りない訳でもありません。貴女に唯一足りないもの。それは『自信』です。俯かず顔を上げなさい」
「自信……」
そうアリシエ様は呟くと、目に涙を一杯に溜めながらも必死に顔をあげた。
彼女の顔を見て、私はこの場で『あのこと』を言おうか言うまいか……悩んでいた。
アリシエ様の後ろの侍女は、この前カイエン領でアリシエ様から少し離れて歩いていた女性で間違いない。きっとあの時も、主から付かず離れず見守っていたのだろう。
つまり、この部屋にはあの時あの場にいた者ばかりだ。言っても問題になる事はない。
……また、マルコ様から『お節介』って言われちゃうかしらね。
でも、仕方ないじゃない。助けてあげたい、って思っちゃったんだもの。
「アリシエさん。貴女に自信をくれる人が……いるのではなくて?」
アリシエ様は私の言っている意味が一瞬わからないようだったが、やがて顔を青ざめさせた。唇も微かに震えているようだ。後ろの侍女の顔色も悪い。
「心配しないで。それを誰かに言うつもりはないの。私達は……偶々、カイエン領で見かけたのよ。そういえば、お茶会でその話をしたのは貴女が帰った後だから、知らなくても仕方ないわよね。私と殿下は少し前にカイエン伯爵領へ旅行に行ったの」
アリシエ様は、私の言葉でますます青ざめる。
きっとロイド卿もカイエン領に行っていた可能性に思い当たったのだろう。
「見たのはここにいる三人だけだし、口外はしていないわ。それに、私はその事を咎める為に言った訳でもないの。事実を確認したかっただけよ」
アリシエ様は少しだけホッとしたようだ。顔色が悪い事は変わりないが、事実を話してくれた。
「彼はあの日……カイエン領に湯治に。私は母の湯治に付き合ってあの領へ行っていました。母も少し体が悪いので。最初に彼とカイエン領で会ったのは偶然です。それからは……母の湯治で私がカイエン領に赴く日と彼の湯治日を合わせて、その時に会うようになりました」
「そうだったの……。ところで、貴女とロイド卿の結婚はいつを予定しているの?」
「ジーク様が二十歳になってからなので……おおよそ一年半後を予定しています」
「それは……ロイド侯爵が?」
「はい。ロイド侯爵家からそのように言われておりまして」
「例の彼はまだ結婚していないのよね?」
「はい。婚約もまだ……」
「そう……。でも……辛いわね」
「仕方ありません。彼と結ばれない事は最初からわかっていましたから。でも妃殿下がおっしゃったように、彼といる時だけは私は顔を上げられる、こんな自分でも良いのだと思えるのです」
そう言うとアリシエ様は力なく微笑んだ。
……あぁ、お節介の血が騒ぐのよね……
私はここでの話は口外しない事を約束して、アリシエ様との二人のお茶会をお開きにした。
「何を考えているんです? また、余計な事をする気ですよね?」
その夜、マッサージを受けている私に、マルコ様が呆れたように言った。
「余計な事って……。確かに、そう言われれば反論は出来ないけど……。でも、どう思った? あれ」
「まぁ……酷いですよね。あれじゃあ籠の鳥だ。他の男性に目が向くのも自然な事だと思います」
「そうよね。この国では、女性の地位があまり認められていないから、アリシエ様のような女性は少なからずいるとは思うの。でも、他の……男女平等を謳っている国では、ああして女性を押さえ込む事は許されていないのよ。もちろん、女性が男性を押さえ込む事もね」
「そんな国があるんですね……やっぱりクロエ様は物知りでいらっしゃる」
前世で暮らしていた国の事だからね。
「もちろん、我が国とは状況も抱えている問題も違うのだから、その国で出来る事がどの国でも出来る訳ではないのだけれど。でもあの二人は、お互いがお互いを嫌っているのよ? たとえ親の決めた政略結婚であっても、そんなの不幸になることが目に見えているじゃない? それを見過ごすっていうのも……ねぇ……」
「確かにそうですけど。……流石にクロエ様が口を出せる問題じゃありませんよ」
「そこよねぇ。私がそんな事にまで介入するのは……問題だもの」
「なら、今回は大人しくされていてはいかがですか?」
「頭では理解しているのよ? でもねぇ……心がついて来なくて。ねぇ……ギルバート様はアリシエ様との事、どう考えているのかしら? アリシエ様が結婚するまでの遊び? それとも……」
「私もギルバート殿について、あまりお会いした事がないので何とも言えませんが、夜会などで見かけても、いつもお一人でいらっしゃる印象ですね。女性をエスコートしている記憶はありません。それに彼の気持ちまでは……。それは、流石に本人にしかわからないでしょうしね」
「お身体が弱かったとのお話だし、婚約者が決まっていないのも、そういう事情かしら……」
思い悩んでいると、マルコ様がひとつ溜息をついて苦笑した。
「……クロエ様。クロエ様が何か私にして欲しい事があれば何なりとお申し付け下さい。知ってる人は少ない方がいいでしょうから」
声音は呆れたままだが、それが彼の優しさだと私は十分に理解していた。
「そうね。じゃあ早速頼まれてくれる?」
「何なりと」
「クロエ様、頼まれていた物です」
仕事の合間、私はマルコ様に頼んでいた書類を手にする。
「……結構な量ね」
「そうですね。まぁ……全員と体の関係があった訳ではないようですが、そこまでは流石に調べられませんでした。二人で会っていた、あるいは恋人として振る舞っていたと言われる女性達です」
「短期間でこれだけ調べるのは大変だったでしょう。ありがとう」
「まぁ……。で、これをどうするおつもりですか? まさかこれをアリシエ嬢に?」
「いいえ。これをアリシエ様に渡したとしても、彼女は何も出来ないわ。ただ悲しい思いをするだけよ。自分は籠の鳥なのに、相手は大空を自由に羽ばたいているのだとね」
「まぁ……ジークの女好きは有名でしたから、アリシエ嬢の耳にも多かれ少なかれ届いているとは思いますがね」
書類に目を通しながら会話をしていてふと、気づいた事があった。
「ねぇ……皆、短期間しかお付き合いしてないのね」
「そうですね。あまり同じ相手と長く付き合う事はなかったようです。ある意味遊びと割り切っているからでしょうかね」
「まぁ、未亡人の方が多いし……そうなんでしょうけど」
「言葉は悪いですけど、取っ替え引っ替えって事ですね」
「ぶっちゃけると……そうなるわね」
内容を全て確認して、これから何をするかを告げる。
「私はこれをギルバート様に送るつもりよ、匿名で」
「ギルバート殿に?」
「そう。ギルバート様が本気でアリシエ様を愛しているなら、今が動くその時よ。その勇気がないなら……アリシエ様から手を引くべきだわ。でも、それを決めるのは私じゃない。頑張るのも私じゃないでしょう? アリシエ様にその力は残念ながら無いけれど、ギルバート様には出来る事がある。それをするのか、しないのかはギルバート様次第よ。私が出来るのはここまでだわ」
「クロエ様は、ギルバート殿がどうされると思っているのですか?」
「そうねぇ……希望としてはアリシエ様を救い出してあげて欲しいと思っているわ……少しロマンチストかもしれないけれど」
その答えに、マルコ様がまっすぐに私を見た。
「……じゃあ……クロエ様の事は誰が救い出すのですか?」
突然の質問に、動揺する。
「私、マルコから見て、救い出さなければならない程辛そうに見えてる?」
「……望まない結婚を強いられたのは、なにもアリシエ嬢だけではないでしょう?」
いつになく、真剣な顔のマルコ様にドキドキする。でも……
「そうね。それは殿下にも言える事だから、そう考えると、ロイド卿やアリシエ様とはあまり変わらないって事になるわね。でも、私はそれを利用しているの」
「利用……ですか?」
「そう。私はこの結婚で『あるもの』を得たの。それは私にとって掛け替えのないものなの」
「掛け替えのないもの……それが何なのか、聞いてもよろしいですか?」
それは貴方よ……とは言えない。
「ごめんなさい、それは秘密なの。だから私はこの結婚を受け入れているわ。それに私はアリシエ様みたいに殿下を嫌ってもいないし、怖がってもいないしね」
むしろ最近は弟みたいに見えて来た。なんなら妹と不仲なので、本当に弟だったら良かったのに、とすら思う。まぁ他に好きな人がいるのは、アリシエ様と同じだけどね。
「秘密……ですか。なら仕方ありません。でもクロエ様、覚えていて下さいね。クロエ様が『助けて』と救いを求める事がもしあるならば……その時には私を一番に頼って下さい。約束ですよ?」
マルコ様は私に小指を差し出した。少し驚いたけど、躊躇っていると思われないようすぐに、その小指に自分の小指を絡める。
「約束するわ」
……私、今死んでも悔いはないと思う。
匿名でギルバート様に送ったロイド卿の女性遍歴の調査書には、手紙も添えておいた。とはいっても大したことは書いていない。どうするかは本当に彼次第だ。
ちなみに、ロイド卿はロッテン様が処女でなくなった際のお相手候補筆頭なのだけれど、あの調査書にはロッテン様の名前はなかった。彼ではないか、ロッテン様との事はロイド卿にとってもトップシークレットだから巧妙に隠し通しているか……どちらにせよ今はこれ以上深堀出来ない。あとはギルバート様があれをどう使うのか……だ。
彼らの父親であるロイド侯爵は、噂ではなかなか高潔な人物と聞く。自分の息子の女癖の悪さをどう思っているのだろう……知らない訳ではあるまい。ギルバート様と違って、彼は近衛騎士団長として、この王宮にいるのだから。
高潔な人物と噂される彼が息子の下半身事情に無視を決め込んでいるのも気になるところではあるが、モラハラ男によるモヤモヤは一旦置いておいて、私は今日も殿下にお伽噺を語って聞かせる。
「継母とやらは、その家を継ぐ資格はないだろう? その虐められている娘だけが、その家の正当な後継者だ。その娘が訴えればその意地悪な継母も、二人の義姉も追い出す事が可能だろうに。届け出をきちんとしていなかった父親に一番の責任があるな」
「殿下のおっしゃる事はもっともなのですが、この物語は主人公が虐められなければ、始まりませんの」
「それにガラスの靴かぁ……耐久性が気になるところだ。それで舞踏会で踊る事は可能だろうか?」
「殿下……。ガラスの靴の前に、カボチャの馬車とかネズミの御者とか、色々と突っ込むところが満載なのだと思うのですが、それもこれも全て、魔法のおかげです。魔法さえあればオールオッケーなのですから」
相変わらず殿下はファンタジーに妙にリアルを挟み込もうとするが、その疑問も何だか面白く思えるようになり、つい私は笑ってしまった。
「ん? 何かおかしかったか?」
「いえ……殿下が私のお伽噺を喜んで下さっているようなので、嬉しくなっただけですわ」
「あぁ。クロエが聞かせてくれる話は奇想天外で面白い。魔法の鏡に、打出の小槌や、ガラスの靴。思い付くクロエが凄いよ」
……殿下はこの昔話を私のオリジナルだと思っているようだが、これは完全にパクリだ。何だか騙しているようで申し訳ないし、この物語全ての原作者に謝りたい。
「私もどこかで聞いた事のある話をなんとなくミックスして話をしているだけですわ」
「そうなのか? でも凄いよ。私には無理だ。……本当にクロエは面白い。一緒にいるといつも驚かされる」
「フフフッ。殿下、女性に『面白い』はあまり褒め言葉ではございませんよ? でも、一緒にいて退屈だと言われるより、よっぽどいいですわ」
「そうだな、クロエと一緒にいると、楽しいし安心する。……もし、クロエがセドリックと婚約していなければ、私の婚約者になる可能性はあったのだろうか?」
突然の殿下からの質問の意味が分からず、一瞬言葉に詰まる。
「どうでしょうか? 元々私は殿下の婚約者候補には入っておりませんでしたし……」
「確かにそうだが……結局、候補ではなかったエリザベート嬢が婚約者になったのだから」
「そうですわね。でも、それならば尚更、私にはそのお役目は回ってこなかったように思います」
「……そうだな、どうやってもエリザベート嬢になっていただろうな」
「……どうしました? 突然」
「いや。もし私の婚約者がクロエだったら……私は他所の女性に目移りするような暇はなかったのだろうと思って……な」
「それは、どうでしょうか? それでも殿下はロッテン様を好きになったのではないかと」
「どうして? もしも最初からクロエが私の側にいてくれたら……私は!」
殿下とエリザベート様はあまり相性が良くなかった。彼女との日々に比べれば私と殿下は、恋愛感情こそないが良い関係を築けていると言えるだろう。それに、ロッテン様との関係について、正面から叱り飛ばしたのは私だけだった。
だから、殿下がもしも、と思うのは分かる。けれどあくまで『もしも』なのだ。
「私と殿下は、今の出会い方をしたから上手くいっているのかもしれませんよ? 今、このタイミングだからこそなのかも。人生はいつも選択の連続です。どちらを選んでも、結局は後悔するようになっているのです。だって、選ばなかった方の未来は誰にもわからないのですから」
私にも、セドリックを言いくるめて王子妃の打診を断る未来はなくもなかった。マルコ様がいなかったら、やっぱりセドリックと結婚したほうが良かった、と思ったかもしれない。
「だから、今をなるべく悔いのないように生きる事が大事なのではないですか? 今、私が王太子妃として殿下の側に居る事、それが事実なのは、間違いない。過去に色んな選択をした末の今なのですから……って少し説教くさくなってしまいましたわ。申し訳ありません」
「そうか……いや、クロエの言う通りだな。私の側に今いるのはクロエだ。それは過去にある幾多の選択の末なのだな」
「はい。もし、私が最初から殿下の婚約者であったなら、やはりエリザベート様と同じように、殿下から離れていたかもしれないという事ですわ」
そう言うと殿下はそうだなと頷いた。納得してくれたようで何よりだ。
「殿下、アリシエはこういう席が苦手なのです。今もきっと苦痛に思っている筈。私の顔に免じてどうか、帰宅させてやって下さい」
殿下に頭を下げるロイド卿。
アリシエ様は一瞬口を開くも、すぐに口を真一文字に結び、俯いてしまった。
「アリシエさん……貴女はどうしたいの? 私は貴女とのお喋り、とても楽しかったわ」
私がアリシエ様の顔を見て言うが、俯いてしまっているアリシエ様とは、目が合わない。
周りのご婦人方も、私に同調してくれた。
「私達もアリシエ様とのお喋り、とても楽しかったですわ」
その言葉に、パッとアリシエ様は顔を上げる。その目は潤んでいて、今にも涙が溢れ落ちそうだ。
「……ひ、妃殿下……無礼を承知で……申し上げます。わ、わたくし……あまり……話すのが……得意ではなく……少し、た、体調の方も悪くなって……しまったようです。……誠に申し訳あり……ませんが、今日は……退出させてい、頂いても、よろしいで……しょうか?」
アリシエ様は涙を堪えようと頑張っているが、一粒、二粒と頬を涙が滑り落ちる。
「妃殿下、私からも謝罪させて頂きます。アリシエもこう言っていますので、今日は下がらせてやって下さい」
ロイド卿は私に言うと、少し離れて控えていた殿下の護衛に大声で指示を飛ばした。
「おい! 私は少し此処を離れる。誰か殿下の側へ!」
この行動に私も殿下もびっくりだ。
殿下の護衛が、主である殿下の許可も取らずに側を離れる、と言ったのだ。解雇されても文句は言えない程の失態だが、ロイド卿はそれにすら気づいていないように、アリシエ様を此処から連れて帰る事だけに気が向いていた。
その行動にアリシエ様も、声を掛けられた護衛も顔を真っ青にした。
「ジーク様、私、一人で馬車回しまで行きます。ジーク様が持ち場を離れる必要はありません」
アリシエ様が必死にロイド卿がこの場に留まるように言葉をかけるも、ロイド卿はその声すら耳に届いていないようだ。
……ロイド卿の様子がおかしいとしか思えない。私と殿下は、思わず顔を見合わせる。
結局、ロイド卿はアリシエ様を馬車回りまで送って行ってしまった。
彼には後で何らかの処分は下さなければならないだろうが、今は他の招待客が最優先だ。
ロイド卿とアリシエ様が去ったお茶会には何とも微妙な空気が漂っていた。それを消し去るように殿下が口を開く。
「招待客の皆さんに、実は私が用意したお土産があるのだが……おい、持ってきてくれ」
それはこの前の旅行で買ってきていた『湯の花』だ。
「クロエと旅行でカイエン伯爵領に出向いた際に買った物だ。良かったら使ってみるといい」
綺麗な袋に小分けされた湯の花を側近が配る。
招待客の皆は、先程のロイド卿の奇行より、私と殿下が旅行したという事実の方に興味がある、あるいは興味があるように振る舞ってくれた。
「まぁ! 妃殿下。殿下とご旅行に?」
「カイエン伯爵領と言えば、最近は温泉で貴族の保養地として、とても栄えていると聞いております。温泉いかがでした?」
「うちも主人と、行ってみたいと話しておりましたの」
等々。すっかり興味は私と殿下の旅行話に移行していた。
話の方向転換をして下さった殿下に感謝して彼の顔を見ると、殿下もこちらを向いて小さく頷いてくれた。
私もそれに応えるように小さく頷くと、
「温泉、とても素晴らしかったですわ」
と、ご婦人達の問いに答えるように話し始めた。
殿下のおかげで、お茶会はあのなんとも言えない時間を除けば、満足するものとなったのだった。
その日の夜、マルコ様のマッサージを受けながら、アリシエ様の事を考えていた。
ロイド卿が来た途端に豹変したアリシエ様……ロイド卿の有無を言わせぬ態度と言動。これから導き出される答え。間違いない。アリシエ様は、ロイド卿から前世で言うところの『モラハラ』を受けている。
モラルハラスメント。あれが原因でアリシエ様は自分に自信が持てないのかもしれない。
モラハラという言葉自体は、この世界にはないかもしれないが、そういう言動を受けて悩んでいる人はきっとアリシエ様一人ではないはずだ。
私はつい、ため息をついた。それを見ていたマルコ様が私に尋ねる。
「……ジークの事ですか?」
「ええ。あんなロイド卿は初めて見たわ」
「私もです。しかし確かに、ジークは騎士団にロートル伯爵令嬢がお見えになる事もひどく嫌っていました。一度、ジークの忘れ物をロートル伯爵令嬢が持ってきた事もあったのですが、その時もすぐに追い返すようにして帰していたのを思い出しました。今思うと、なんだか変でしたね」
「そう……。ロイド卿が感情的になるのは、アリシエ様に関する事のみ……という事かしら」
「そうですね。騎士団でのあいつはいつも冷静沈着といったイメージです」
「でしょう? でも今日の事、処分は免れないわよね」
「当たり前ですよ。殿下の言葉もクロエ様の言葉も聞かず、勝手に持ち場を離れたのですから。クビになっても文句言えませんよ」
うーん……。あのロイド卿の言動がとても引っ掛かる。
叶うならアリシエ様と二人きりで話を、難しそうであればロイド卿と一度話をしたい……そう思っていた矢先、彼の処分が決まった。
「謹慎二ヶ月。その間、辺境への武者修行ですか……」
マルコ様の言葉に、私は頷いた。
「こういう時の処分の基準が私にはわからないけれど、殿下にとっても痛手だと思うわ。学園時代からの友人でもあるんですもの」
「そうですね……側近と呼ばれる者が二ヶ月不在なのは、殿下も不便でしょうが。しかし、この前のジークの行いを考えれば仕方ないでしょう」
……わざわざ辺境まで行ってロイド卿と話をする事は出来ないなぁと思っていたところに、アリシエ様からこの前のお茶会を途中で退席した事への詫び状が届いた。
これは丁度良いと、私はアリシエ様を呼び出して彼女から話を聞く事にした。
今回は私と二人。これならば、ゆっくり話せる筈だ。ロイド卿も辺境からは邪魔しに来れまい。
そんな私にマルコ様は、呆れ顔だ。
「……首を突っ込んではいけませんよ……と私は忠告しましたよね?」
わかってる、わかってるけど放っておけないんですもの。
「妃殿下、先日のお茶会では本当に失礼いたしました。この前の無礼を改めて謝罪いたします」
呼び出し当日、アリシエ様は顔を合わせて早々に頭を下げた。
今日は私専用のサロンにアリシエ様を招待した。
ここにいるのは、私とナラとマルコ様、それにアリシエ様とアリシエ様の侍女だ。
これなら、アリシエ様も本音を少しは話してくれるかもしれない。
「お気になさらないで。さ、座ってちょうだい。私、アリシエさんとゆっくりお話ししてみたかったの」
私が微笑むと、アリシエ様はホッとしたように微笑んだ。
今日のアリシエ様は、この前より少し華やかさがあった。派手ではないが、年齢相応の可愛らしさがある。
「今日はこの前とは少し雰囲気が違うみたいね。ドレスも、その若草色がアリシエ様にとても似合ってるわ」
私が褒めると、アリシエ様は嬉しそうだ。何故か後ろの侍女も嬉しそう。
最初は当たり障りのない会話から始めた。アリシエ様はこの前よりもよく笑っている。
……もしかしたら、ロイド卿が辺境に居るから?
ある程度、打ち解けてきたかなと感じられた頃に、私は思いきって核心を突く事にした。
「アリシエさん……答えたくなければ、答えなくていいのだけれど……貴女、もしかしたらロイド卿……ジーク・ロイドの事が怖い?」
アリシエ様は私のその質問に、固まった。少し待ったが、返答はない。
彼女をほっとけないとは思っているが本人から何も聞けないことには動けない。どうするべきか。
すると、後ろの侍女が動いた。
「妃殿下……発言を許可して頂けますでしょうか?」
訴えるような侍女の目。その顔は青ざめている。
主を飛び越えて私に話しかけるのが不敬である事は、重々承知しているのだろう。
アリシエ様も、自分の侍女を叱る。
「アンナ! 身の程を弁えなさい!」
その二人を軽く見比べた後、私はアンナと呼ばれた侍女をまっすぐに見て言った。
「アンナ……といったわね? 発言を許可します。話したい事があるのでしょう? 今日のアリシエさんのドレスや化粧が違う事にも関係しているのではない?」
「あ、ありがとうございます! 」
アンナは勢いよく頭を下げる。
「アンナ! ダメよ。余計な事は言わないで!」
「お嬢様! アンナはもう耐えられません! お嬢様がお可哀想で……」
アンナの目には涙が浮かんでいる。王子妃のサロンに同行を許されるような侍女が不敬を覚悟してまで発言の許可を訴え、主人の立場に涙を浮かべる……これは相当ね。
「アリシエさん。大丈夫。ここでの話は貴女が望まない限り、誰にも言わないわ。でも……私に出来る事があるなら、手を貸すつもりよ」
出来る限り優しく声をかけた。アリシエ様は私のその言葉に少しためらった後、意を決したのか、「自分で言うわ」とアンナに声をかけ、私に向き直った。
「……私は、ジーク様に嫌われているのです……」
そう、涙ながらに話し始めたのである。
「私の家はロイド侯爵の遠縁にあたります。ジーク様の婚約者に私が決まったのは、私が長女であること、我がロートル伯爵家が、侯爵家次男の婿入り先として、合格点であった事が大きいと思っております」
私はアリシエ様の話を黙って聞いた。
「ジーク様と私が婚約したのは、私達が十二歳の頃です。ジーク様はその顔合わせの時から、私の事を嫌っておいででした。私の顔を見るなり、『その洋服はお前に似合わない。顔が地味なのだから華美な物を着るな』と言われました。その日、私は少しでも可愛く見られたくて、目一杯のお洒落をしたつもりで。その日の夜は……たくさん泣きました。年齢が上がるにつれ、ジーク様の私への苦言は多くなっていきました。『化粧はするな』『夜会のような場所には相応しくないから行くな』『笑顔が醜いから笑うな』『気の利いた事も喋れないのだから口を開くな』『外を出歩かず屋敷にいろ』『自分で決めるな。全て俺に従え』と。学園も『婚約者もいて、社交も必要最低限でいいのだから、学園に通う必要はない』と言われ……二年生の途中で退学させられました。……ジーク様はいつも『お前なんか』と。心の底から私の事を嫌っておいでなのです」
……完全なモラハラ男ね。最低だわ。
この世界は前世に比べれば男尊女卑がまかりとおる傾向があるけど、それを差し引いてもひどい。
「この前のような事は今までも?」
「ジーク様は私が出歩く事を嫌がるのです。私が何か粗相をする事を心配していらっしゃるのだと思います。お茶会でも、夜会でも、ジーク様が許可したもののみ参加しています。夜会はジーク様がエスコート出来るものか、王家主催の物で父がエスコート出来るものに限られておりまして……今回のお茶会は妃殿下の主催でしたので、てっきり大丈夫だと思っていたのです」
「当たり前だわ。王太子妃である私からの招待を断る方が問題でしょう?」
「私もそう考えておりました。きっと私がジーク様に何の相談もなく勝手に決めてしまった事が良くなかったのだと思います」
「馬鹿馬鹿しい。貴女は貴女。ロイド卿の所有物ではないわ」
「父もロイド侯爵には頭が上がらず、ジーク様の言う通りにするようにと言われていますので、私もジーク様との婚約が決まってからは彼が望むよう振る舞ってきたつもりですが……」
「こんな事を言うのは申し訳ないけれど……だから貴女は化粧も最低限。ドレスも華美な物を避けてきたのね?」
「はい……。どうせ似合わないので……」
「どうせなんて言うのはやめなさい。今日の貴女はこの前よりずっと魅力的だわ。……そこにいる侍女だって、本当なら貴女を着飾らせたい筈よ?」
私が後ろの侍女に目をやると、泣きながら力一杯頷いていた。
「でも……私は……地味で可愛げがないので」
「貴女はとても美しいし、話が下手な訳でもマナーが足りない訳でもありません。貴女に唯一足りないもの。それは『自信』です。俯かず顔を上げなさい」
「自信……」
そうアリシエ様は呟くと、目に涙を一杯に溜めながらも必死に顔をあげた。
彼女の顔を見て、私はこの場で『あのこと』を言おうか言うまいか……悩んでいた。
アリシエ様の後ろの侍女は、この前カイエン領でアリシエ様から少し離れて歩いていた女性で間違いない。きっとあの時も、主から付かず離れず見守っていたのだろう。
つまり、この部屋にはあの時あの場にいた者ばかりだ。言っても問題になる事はない。
……また、マルコ様から『お節介』って言われちゃうかしらね。
でも、仕方ないじゃない。助けてあげたい、って思っちゃったんだもの。
「アリシエさん。貴女に自信をくれる人が……いるのではなくて?」
アリシエ様は私の言っている意味が一瞬わからないようだったが、やがて顔を青ざめさせた。唇も微かに震えているようだ。後ろの侍女の顔色も悪い。
「心配しないで。それを誰かに言うつもりはないの。私達は……偶々、カイエン領で見かけたのよ。そういえば、お茶会でその話をしたのは貴女が帰った後だから、知らなくても仕方ないわよね。私と殿下は少し前にカイエン伯爵領へ旅行に行ったの」
アリシエ様は、私の言葉でますます青ざめる。
きっとロイド卿もカイエン領に行っていた可能性に思い当たったのだろう。
「見たのはここにいる三人だけだし、口外はしていないわ。それに、私はその事を咎める為に言った訳でもないの。事実を確認したかっただけよ」
アリシエ様は少しだけホッとしたようだ。顔色が悪い事は変わりないが、事実を話してくれた。
「彼はあの日……カイエン領に湯治に。私は母の湯治に付き合ってあの領へ行っていました。母も少し体が悪いので。最初に彼とカイエン領で会ったのは偶然です。それからは……母の湯治で私がカイエン領に赴く日と彼の湯治日を合わせて、その時に会うようになりました」
「そうだったの……。ところで、貴女とロイド卿の結婚はいつを予定しているの?」
「ジーク様が二十歳になってからなので……おおよそ一年半後を予定しています」
「それは……ロイド侯爵が?」
「はい。ロイド侯爵家からそのように言われておりまして」
「例の彼はまだ結婚していないのよね?」
「はい。婚約もまだ……」
「そう……。でも……辛いわね」
「仕方ありません。彼と結ばれない事は最初からわかっていましたから。でも妃殿下がおっしゃったように、彼といる時だけは私は顔を上げられる、こんな自分でも良いのだと思えるのです」
そう言うとアリシエ様は力なく微笑んだ。
……あぁ、お節介の血が騒ぐのよね……
私はここでの話は口外しない事を約束して、アリシエ様との二人のお茶会をお開きにした。
「何を考えているんです? また、余計な事をする気ですよね?」
その夜、マッサージを受けている私に、マルコ様が呆れたように言った。
「余計な事って……。確かに、そう言われれば反論は出来ないけど……。でも、どう思った? あれ」
「まぁ……酷いですよね。あれじゃあ籠の鳥だ。他の男性に目が向くのも自然な事だと思います」
「そうよね。この国では、女性の地位があまり認められていないから、アリシエ様のような女性は少なからずいるとは思うの。でも、他の……男女平等を謳っている国では、ああして女性を押さえ込む事は許されていないのよ。もちろん、女性が男性を押さえ込む事もね」
「そんな国があるんですね……やっぱりクロエ様は物知りでいらっしゃる」
前世で暮らしていた国の事だからね。
「もちろん、我が国とは状況も抱えている問題も違うのだから、その国で出来る事がどの国でも出来る訳ではないのだけれど。でもあの二人は、お互いがお互いを嫌っているのよ? たとえ親の決めた政略結婚であっても、そんなの不幸になることが目に見えているじゃない? それを見過ごすっていうのも……ねぇ……」
「確かにそうですけど。……流石にクロエ様が口を出せる問題じゃありませんよ」
「そこよねぇ。私がそんな事にまで介入するのは……問題だもの」
「なら、今回は大人しくされていてはいかがですか?」
「頭では理解しているのよ? でもねぇ……心がついて来なくて。ねぇ……ギルバート様はアリシエ様との事、どう考えているのかしら? アリシエ様が結婚するまでの遊び? それとも……」
「私もギルバート殿について、あまりお会いした事がないので何とも言えませんが、夜会などで見かけても、いつもお一人でいらっしゃる印象ですね。女性をエスコートしている記憶はありません。それに彼の気持ちまでは……。それは、流石に本人にしかわからないでしょうしね」
「お身体が弱かったとのお話だし、婚約者が決まっていないのも、そういう事情かしら……」
思い悩んでいると、マルコ様がひとつ溜息をついて苦笑した。
「……クロエ様。クロエ様が何か私にして欲しい事があれば何なりとお申し付け下さい。知ってる人は少ない方がいいでしょうから」
声音は呆れたままだが、それが彼の優しさだと私は十分に理解していた。
「そうね。じゃあ早速頼まれてくれる?」
「何なりと」
「クロエ様、頼まれていた物です」
仕事の合間、私はマルコ様に頼んでいた書類を手にする。
「……結構な量ね」
「そうですね。まぁ……全員と体の関係があった訳ではないようですが、そこまでは流石に調べられませんでした。二人で会っていた、あるいは恋人として振る舞っていたと言われる女性達です」
「短期間でこれだけ調べるのは大変だったでしょう。ありがとう」
「まぁ……。で、これをどうするおつもりですか? まさかこれをアリシエ嬢に?」
「いいえ。これをアリシエ様に渡したとしても、彼女は何も出来ないわ。ただ悲しい思いをするだけよ。自分は籠の鳥なのに、相手は大空を自由に羽ばたいているのだとね」
「まぁ……ジークの女好きは有名でしたから、アリシエ嬢の耳にも多かれ少なかれ届いているとは思いますがね」
書類に目を通しながら会話をしていてふと、気づいた事があった。
「ねぇ……皆、短期間しかお付き合いしてないのね」
「そうですね。あまり同じ相手と長く付き合う事はなかったようです。ある意味遊びと割り切っているからでしょうかね」
「まぁ、未亡人の方が多いし……そうなんでしょうけど」
「言葉は悪いですけど、取っ替え引っ替えって事ですね」
「ぶっちゃけると……そうなるわね」
内容を全て確認して、これから何をするかを告げる。
「私はこれをギルバート様に送るつもりよ、匿名で」
「ギルバート殿に?」
「そう。ギルバート様が本気でアリシエ様を愛しているなら、今が動くその時よ。その勇気がないなら……アリシエ様から手を引くべきだわ。でも、それを決めるのは私じゃない。頑張るのも私じゃないでしょう? アリシエ様にその力は残念ながら無いけれど、ギルバート様には出来る事がある。それをするのか、しないのかはギルバート様次第よ。私が出来るのはここまでだわ」
「クロエ様は、ギルバート殿がどうされると思っているのですか?」
「そうねぇ……希望としてはアリシエ様を救い出してあげて欲しいと思っているわ……少しロマンチストかもしれないけれど」
その答えに、マルコ様がまっすぐに私を見た。
「……じゃあ……クロエ様の事は誰が救い出すのですか?」
突然の質問に、動揺する。
「私、マルコから見て、救い出さなければならない程辛そうに見えてる?」
「……望まない結婚を強いられたのは、なにもアリシエ嬢だけではないでしょう?」
いつになく、真剣な顔のマルコ様にドキドキする。でも……
「そうね。それは殿下にも言える事だから、そう考えると、ロイド卿やアリシエ様とはあまり変わらないって事になるわね。でも、私はそれを利用しているの」
「利用……ですか?」
「そう。私はこの結婚で『あるもの』を得たの。それは私にとって掛け替えのないものなの」
「掛け替えのないもの……それが何なのか、聞いてもよろしいですか?」
それは貴方よ……とは言えない。
「ごめんなさい、それは秘密なの。だから私はこの結婚を受け入れているわ。それに私はアリシエ様みたいに殿下を嫌ってもいないし、怖がってもいないしね」
むしろ最近は弟みたいに見えて来た。なんなら妹と不仲なので、本当に弟だったら良かったのに、とすら思う。まぁ他に好きな人がいるのは、アリシエ様と同じだけどね。
「秘密……ですか。なら仕方ありません。でもクロエ様、覚えていて下さいね。クロエ様が『助けて』と救いを求める事がもしあるならば……その時には私を一番に頼って下さい。約束ですよ?」
マルコ様は私に小指を差し出した。少し驚いたけど、躊躇っていると思われないようすぐに、その小指に自分の小指を絡める。
「約束するわ」
……私、今死んでも悔いはないと思う。
匿名でギルバート様に送ったロイド卿の女性遍歴の調査書には、手紙も添えておいた。とはいっても大したことは書いていない。どうするかは本当に彼次第だ。
ちなみに、ロイド卿はロッテン様が処女でなくなった際のお相手候補筆頭なのだけれど、あの調査書にはロッテン様の名前はなかった。彼ではないか、ロッテン様との事はロイド卿にとってもトップシークレットだから巧妙に隠し通しているか……どちらにせよ今はこれ以上深堀出来ない。あとはギルバート様があれをどう使うのか……だ。
彼らの父親であるロイド侯爵は、噂ではなかなか高潔な人物と聞く。自分の息子の女癖の悪さをどう思っているのだろう……知らない訳ではあるまい。ギルバート様と違って、彼は近衛騎士団長として、この王宮にいるのだから。
高潔な人物と噂される彼が息子の下半身事情に無視を決め込んでいるのも気になるところではあるが、モラハラ男によるモヤモヤは一旦置いておいて、私は今日も殿下にお伽噺を語って聞かせる。
「継母とやらは、その家を継ぐ資格はないだろう? その虐められている娘だけが、その家の正当な後継者だ。その娘が訴えればその意地悪な継母も、二人の義姉も追い出す事が可能だろうに。届け出をきちんとしていなかった父親に一番の責任があるな」
「殿下のおっしゃる事はもっともなのですが、この物語は主人公が虐められなければ、始まりませんの」
「それにガラスの靴かぁ……耐久性が気になるところだ。それで舞踏会で踊る事は可能だろうか?」
「殿下……。ガラスの靴の前に、カボチャの馬車とかネズミの御者とか、色々と突っ込むところが満載なのだと思うのですが、それもこれも全て、魔法のおかげです。魔法さえあればオールオッケーなのですから」
相変わらず殿下はファンタジーに妙にリアルを挟み込もうとするが、その疑問も何だか面白く思えるようになり、つい私は笑ってしまった。
「ん? 何かおかしかったか?」
「いえ……殿下が私のお伽噺を喜んで下さっているようなので、嬉しくなっただけですわ」
「あぁ。クロエが聞かせてくれる話は奇想天外で面白い。魔法の鏡に、打出の小槌や、ガラスの靴。思い付くクロエが凄いよ」
……殿下はこの昔話を私のオリジナルだと思っているようだが、これは完全にパクリだ。何だか騙しているようで申し訳ないし、この物語全ての原作者に謝りたい。
「私もどこかで聞いた事のある話をなんとなくミックスして話をしているだけですわ」
「そうなのか? でも凄いよ。私には無理だ。……本当にクロエは面白い。一緒にいるといつも驚かされる」
「フフフッ。殿下、女性に『面白い』はあまり褒め言葉ではございませんよ? でも、一緒にいて退屈だと言われるより、よっぽどいいですわ」
「そうだな、クロエと一緒にいると、楽しいし安心する。……もし、クロエがセドリックと婚約していなければ、私の婚約者になる可能性はあったのだろうか?」
突然の殿下からの質問の意味が分からず、一瞬言葉に詰まる。
「どうでしょうか? 元々私は殿下の婚約者候補には入っておりませんでしたし……」
「確かにそうだが……結局、候補ではなかったエリザベート嬢が婚約者になったのだから」
「そうですわね。でも、それならば尚更、私にはそのお役目は回ってこなかったように思います」
「……そうだな、どうやってもエリザベート嬢になっていただろうな」
「……どうしました? 突然」
「いや。もし私の婚約者がクロエだったら……私は他所の女性に目移りするような暇はなかったのだろうと思って……な」
「それは、どうでしょうか? それでも殿下はロッテン様を好きになったのではないかと」
「どうして? もしも最初からクロエが私の側にいてくれたら……私は!」
殿下とエリザベート様はあまり相性が良くなかった。彼女との日々に比べれば私と殿下は、恋愛感情こそないが良い関係を築けていると言えるだろう。それに、ロッテン様との関係について、正面から叱り飛ばしたのは私だけだった。
だから、殿下がもしも、と思うのは分かる。けれどあくまで『もしも』なのだ。
「私と殿下は、今の出会い方をしたから上手くいっているのかもしれませんよ? 今、このタイミングだからこそなのかも。人生はいつも選択の連続です。どちらを選んでも、結局は後悔するようになっているのです。だって、選ばなかった方の未来は誰にもわからないのですから」
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「だから、今をなるべく悔いのないように生きる事が大事なのではないですか? 今、私が王太子妃として殿下の側に居る事、それが事実なのは、間違いない。過去に色んな選択をした末の今なのですから……って少し説教くさくなってしまいましたわ。申し訳ありません」
「そうか……いや、クロエの言う通りだな。私の側に今いるのはクロエだ。それは過去にある幾多の選択の末なのだな」
「はい。もし、私が最初から殿下の婚約者であったなら、やはりエリザベート様と同じように、殿下から離れていたかもしれないという事ですわ」
そう言うと殿下はそうだなと頷いた。納得してくれたようで何よりだ。
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