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089 とんでもねぇ奴

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 しゃくり、しゃくり。白い瑞々しい果実を乱暴に口に運びながら、俺はその時を待った。今ここで、巨大な生物に飲み込まれるだろうその時に冷静でいられる奴はいねえ。早くしやがれ! 待たせるなっつーの。
 とぽとぽと酒を注ぎ、ぐびぐびと飲み干せば、さすが神獣のもたらす酒の上等なこと。死に際のこんな時でさえ心地よい酔いが回る。まだか? まだか? 早くしろ!

 力任せにダンと円卓にカップを置くと、しわがれた手がそっと添えられる。やっとか?
ふうと息をつき、顔を挙げれば金の瞳が穏やかな笑みを湛えた。

「ほほほほほ。面白い奴じゃ。ディノスにそっくりじゃ。血は争えん」
 老人は愉快に肩を震わせながら、やはり懐から一振りの大剣を取り出した。

「赤子じゃったのじゃろう? 知らんで当たり前じゃが、お前の祖父のもんじゃ。受け取れ。あやつも対価だなんだ色々言いおったが、神獣が人を喰らうはずがない。神獣は何も喰わんよ。いや、栄養として必要ないっということじゃ」
「な……? 祖父じじいのか? おう、確かにエンデアベルトの刻印があるが……」

「あやつは直球馬鹿でのぅ。呪いを解けだのなんだかんだと騒ぎおった。あんまりにもしつこいし、被害者自らの訴えじゃから、呪いを解いてやったんじゃ。すると今度は喰えと我を脅したのじゃ。面倒な奴じゃった。帰れと言ったらプライドがあるから帰れんと抜かしおってな。仕方がないから知り合いのおらん遠くの山に運んでやったんじゃ。お主もそうするか?」
 どこぞで聞いた意味ありげなセリフを織り交ぜられて目をしばたかせる。

「こいつも持って行けと言ったのじゃが、短剣一つありゃ生きていけると意気込んで無理やり置いてったのじゃ。こんなもん、わしは要らん。持ち帰ってくれ」
「……いやそれは。……な、なら対価は?」

 白髪の老人は面倒くさそうにワインを飲むと、首を横に振った。
「いいか? お前さんが喰ったんは時告げの実じゃ。わしの命が尽きるのを神獣達に知らせる実じゃ。美味かろう? わしの冥土の土産になるはずじゃったのに……」

「こ、これは時告げの実か?! そんなもん食って大丈夫か? いや、まぁ、命を差し出そうってときにあれなんだが……。俺は神獣になるのか?」

「ふぉっふぉっふぉ。面白い奴じゃ。時告げの実はな、神獣の最後に女神が与えてくれる褒美のようなものじゃ。誰が喰っても構わんが、美味いじゃろう? ちゃんと熟せばもっと美味いぞ。この芳香がどこからか流れてくるとな、わしらは神獣が代替わりをしたと知るんじゃよ。何百年に一回のことじゃが、神獣同士、滅多に会うことはないんじゃが……。」
 遠くを見た元神獣は、懐かしそうな瞳を見せたかと思うと、おもむろにしわくちゃな腕をググッと曲げてちからコブを見せた。

「見よ。とうに寿命を終えるはずの爺いのちからコブじゃ。先ほど、とんでもない奴が来おってのぅ。わしの中に蔓延る穢れをきれいさっぱり取り除いてしまいおった。おかげであと数十年は死ねん。どっからどう見ても健康オタクの爺いにされてしまったわい。どうしてくれよう? それに見合う対価とはなんぞい? ふぉっふぉっふぉ!」
 憤慨しながら俺から酒樽を取り上げた爺いは、ガチリと蓋を拳で叩き割り、ぐびぐびとワインを飲み干してしまった。

 開いた口が塞がらないとは正にこのこと。呆気に取られていると、奴は大きな酒瓶を押し付けてきた。

「こうなってはもう時告げの実も熟すことなく消滅するだろうて。だから、な? 美味いもんは共に喰らおうぞ。共犯じゃ! ふぉっふぉっふぉ!」

 豪快に笑う男に、俺も呆れた視線を渡しながら共に笑った。俺は奴のカップに神酒を注ぐ。ガチとカップを合わせて、競うように酒と果実を口にする。

「わしからの対価は……、もう神獣としての力なぞ皆無だからのぅ。まぁ、生きとる限りお主の村へ加護を与えるってことで許せ。清き水は絶やさぬようにしよう。そこそこの魔物も防いでやる。そんな程度じゃが……、エンデアベルトの守る領地としては十分ではないか? まぁ、わしが出来ることはこれくらいしかないんじゃが……。ふぉっふぉっふぉ」

「とんでもない奴か?」
 俺の深い溜息を茶化すように奴が笑った。
「とんでもない奴じゃ。そもそも神獣に魔法を使う奴などおらん。龍とわかって懐に抱かれる奴など、おるはずがない。」
 俺たちは静かに笑い合った。
「……、じゃが、すまんかった。わしも本当に死ぬ間際じゃったからのぅ。あやつの魔法に気付かず、無理をさせてしもうた。あんなちっこい奴じゃ……。大事に至らねばよいが……」
 憂えた金の瞳を見て、俺の胸がググッと膨らむ。俺は立ち上がって酒瓶を飲み干した。

「悪いが、俺につまらんプライドは無い。とんでもねえ奴がいるからな。アイツには俺が必要だ。遠慮なく帰らせてもらうぞ」

 老人は俺に大剣と金に輝く時告げの実の半分を渡すと退路を白く発光させた。確かな足取りで一歩歩めば、その光が一層強くなる。
 眩しい光が迸り、轟々と強い風が辺りに吹き荒ぶ。ほんの一瞬目を瞑り、そっと開いた俺の前に広がったのは、朝日に照らされて黄金に輝いた……、そう、コウタの金の魔力を纏ったように輝いた湖だった。俺はぎゅっと祖父の大剣を握り、館に向かってゆっくりと歩き始めた。
 
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