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112 頭痛

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「ん……、あれ?」
 すべすべの肌触り、ふわりと軽く、しっとりと馴染むこの感覚。ラビでもない、ジロウでもない、もちろんソラでもない。なんだろう?

 さわさわと弄り、無骨な指にたどり着いてふうと安心する。大丈夫、オレの大好きな人はここにいた。

 伸ばした向こうにザクリチクリとする感触を期待して……、まどろんだ思考をふいと現実に戻す仕草にあれ? と違和感を覚える。

 無い……。

 ハッとして身体を起こせば、天蓋からゆらめく薄いレース、艶々と光を反射するシーツが目に飛び込んできた。

「どこ?」
 キョロと視線を移すと命綱とも言える堅体がごおごおと鼻を鳴らして爆睡している。チクリと指先を攻撃する不精髭がなりを潜めてはいるものの、だがボサボサに絡まり乱れた茶の髪は、確かに目当ての人だと確認できた。

 まだ重い瞼をそのままに昨晩の記憶をゆっくり辿る。不意にごとっと飛んできた腕に引き込まれ、大好きな紅茶色の瞳と目が合った。

「あっ、おはよ……」
 ふはぁああっ!

 うわ、臭い! 堪らず飛び退くと天蓋の柔らかなレースにぐるんと巻き取られ、わたたと絡まりぶらんぶらん。

「まぁ、コウちゃん! 大丈夫?」
 身支度をしていたサーシャ様に救出されてことなきを得た。天蓋付きベッドは危ない、オレはしっかりと学習した。


「もう、ディック様、お酒飲み過ぎだよ」

 サンに服を着せてもらいながら地団駄を踏みつつ文句を言う。
 普段は一人で着替えられるが今日の服は何故かややこしい。ぶらぶらする紐を結び、このボタンはここ、あのボタンはここ。美しく波立つフリルを伸ばして形よくまとめるには技が必要だ。

 王宮の部屋は今まで泊まってきた貴族用の宿のように幾つもの部屋が繋がった続間となっている。たださすがと言うべきか、当然と言うべきか、シーツやクッション、置いてあるペン1本に至るまで豪奢であり上品だ。
 旅の間はオレが夜中に起きても安心できるようにと誰かが一緒に寝てくれるのだけれど、ピッカピカに貴族にされたディック様には混乱させられた。

 食事をしようとカチャと扉を開ける。きちんと櫛付けられた髪にぱりりと身につけた濃紺のスーツ、執事さんを見つけて飛びつく。
「わぁ、おはよう、執事さ……ん?」

 また違和感。そういえばエンデアベルトで留守番だったはずなのに。ググッと背伸びし見上げると、膝をすくと曲げて傅いて目線を合わせてくれた。

 やっぱり執事さんだ。いや、髪はいつも以上にぴっちりと、パリリとしたシャツはそのままに。だけど銀灰色の瞳には深く刻まれたしわが少ない。あれ? 気のせい? 若返ってる?!

「おはようございます。コウタ様でいらっしゃいますね。 私は初めましてでしょうか。 王都邸の執事を任されておりますタイトでございます。叔父上からの報告通り、利発でお可愛らしい!」

 お、叔父上……?
 ええっ? と言うことは……。

「ああ、タイト、おはよう。来てくれたんだ。助かるよ」
 ごく普通に、いや執事さんより砕けた口調で王子様になったクライス兄さんが食卓の席につく。オレは空いた口が塞がらない。

 タイトさんのお父さんは執事さんのお兄さん。
 男爵だったそうだ。(今は男爵の地位を引退している) タイトさんは三男で後を継げないからとエンデアベルト家に来てくれたんだって。執事さんとよく似た風貌なのに若いのはそのせいなんだね。

 オレをササと抱いて席に着かせれば、真っ白のエプロンを出して首元にキュッと結びつける。コポポポとホットミルクを注ぐと、小さなグラスに鮮やかな蜜漬けベリーを添えた。
「たくさん召し上がったらご褒美にミルクに入れましょう」

 わあと目を見開いて、頑張って食べるぞとナイフとフォークを手に取るオレを見届けると、まだ寝入っているディック様の寝室に入る。

バタン、ガシャ、ウィーン。
ドタン、バキュン、ダダダ、ゴゴゴゴ!

 何の音だろうか、大丈夫だろうか?

 首を傾げるたった僅かの間に、昨晩同様貴族然としたディック様が登場し、ドンと椅子に座らされ、むぎゅっと肉塊を口に押し込まれた。
 ついさっきまでボサボサで絡まりあったライオンヘッドが美しく艶めいて、耳元には編み込みまで施されている。

 で、できる!

「では、皆様お揃いのところで本日の予定をお伝えします」
 タイトさんを視界に入れず高級そうな肉塊をフォークにブッ刺し口に運んでいるディック様。片眉だけをグッと上げた。

「食後すぐ、間をおかず、早急に、緊急に可及的速やかに王と謁見いただきます」

 間髪を入れずディック様が吐き捨てる。
「無理だ。嫌だ。んなことに付き合ってられっか! 俺は頭が痛いんだ」
 そんな食欲で言ったって説得力がない。そう思ったのはオレだけではないはず。

「謁見後、引き続き事情聴取……」

「無理だ、できん。 熱がある」
「先ほど平熱を確認しました」
「じゃあやっぱり頭痛だ。 頭が割れるように痛い」

「昼食は庭園にて。王妃様主催です。我慢していただけばお屋敷にご帰宅いただけます。頑張りましょう」

 ピシリと正した姿勢を微動だに崩さず予定を告げるタイトさん、その予定を全て突き返すディック様。ばちばちと見えない火花の音がする。


 これは朝食のはず。
 普段の昼食くらいだろうか? 出された肉ばかり、がっつり平らげ紅茶を手にしたディック様が、いつものしたり顔をしてクックと笑った。

「お前ぇ、仕込んだだろう? そのだぜ? 俺は頭が痛ぇんだよ」

「あれくらいの毒、既に解毒済みでは?」

 ええ? 毒?! 物騒なセリフにガチャンとナイフを落とした。

「痛ぇなぁ、ああ痛ぇ。なあ、コウタ。 毒を喰らったんだ、可哀想だろう?」
 滴る脂をパンに付けてお皿をピカピカにした人の、この言葉を信じていいのだろうか?
 
 サッと手渡された新しいナイフに力が入らない。サーシャ様とクライス兄さんの顔を見渡して、そういうことかと一つ頷いた。

 取り分けられたベリーを手に取り、タイトさんに確認する。 良かった合格だ、安心してミルクに入れた。くるくるかき混ぜピンクの渦巻きを作る。蜜とミルクがふわふわ溶け合い、喉がなる。
 コクン、コクン。ちょっとずつカップを傾けてゆっくり飲み干す。そうそう、できたお髭は自分で拭いて、タッと椅子から飛び降りた。


「ああ、頭が痛ぇ。 俺のせいじゃねえぞ」
 大袈裟に痛がりつつもデザートの果物を頬張るディック様。

「大丈夫、オレに任せて! すぐ治すよ」
「わっ、馬鹿、来るんじゃねぇ! 止めろって」

 オレの頭を押さえつけて遠ざける。

 うん、この触れ方でも大丈夫。ディック様に押さえられて、ちょっと頭が痛いけど。

 金の粒子をしっかり飛ばして集中だ。身体の何処かが触れていないと悪いところが探せない。

 ああ、あった、嫌な黒紫色のモヤモヤ。きっとこれが毒かな? ついでにお酒の成分もジュワジュワジュワって取り去ろう。

「うおッ、お、お前~、やるなっつてんだろう~」
 恨みがましく見つめた瞳。でも、ほら元気になったでしょう?
 間髪入れずにタイトさんが一際大きな声で叫んだ、

「では、皆様、よろしいですね」

 この一言を待っていたのか、時間だったのか? 甲冑を着た衛兵達がドカドカドカッと入ってきて、ガシとディック様の身体を掴んだ。

「頭痛が治ったからと言って暴れてはいけません。コウタ様がご覧になっています。難しいようでしたらコレも改めて使いますが……」

 そう言って胸ポケットから取り出したのは小さな小瓶。

 謁見なのか連行なのか?

 オレはつけられたエプロンすら取らないうちに、食後すぐ、間をおかず、早急に、緊急に、可及的すみやかに王様との謁見に向かうのだった。

 
 

 

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