東京は、君の温度を知らない

nishi

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第二章:氷壁に触れる体温、芽生える「毒」

第二章の結び

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季節は、結城と小春が初めて出会った春から、日差しが肌を刺すような夏へと移り変わっていた。鳩屋フーズとの共同プロジェクトは、山あり谷ありながらも、着実にゴールへと向かって進んでいた。それに伴い、二人が共有する時間も、その密度も、確実に増え続けていた。そして、彼らの関係性は、当初、誰も(おそらく本人たちでさえも)予想しなかった方向へと、静かに、しかし後戻りできない形で、変化を遂げようとしていた。
(結城 視点) 結城は、もはや自分が佐伯小春という存在を、単なる仕事相手として、あるいは興味深い観察対象として見ることができなくなっていることを、認めざるを得なかった。彼女の存在は、彼の、完璧にコントロールされているはずだった世界に、予測不能なエラーと、制御不能な感情の波をもたらし続けている。あの深夜に見せた、彼の鎧の下のわずかな隙間。それを、彼女がただ静かに受け止めた瞬間から、彼の内に築かれていた氷の壁は、確実に、そして急速に、溶解を始めていた。そして、その雪解け水と共に、これまで彼が必死で封じ込めてきた、生々しい「欲」——彼女に触れたい、彼女を独占したい、彼女の純粋さを自分だけのものにしたい——が、彼の理性を蝕み、彼の行動原理をも変え始めていた。それは、彼にとって、未知であり、極めて危険な領域への侵入だった。この感情が、この抗いがたい引力が、自分をどこへ連れて行こうとしているのか。彼は、その行く末に対する、漠然とした、しかし確かな恐怖を感じずにはいられなかった。同時に、この、心をかき乱されるような、しかしどこか生の実感を与えるような、奇妙な高揚感から、目が離せなくなっている自分にも気づいていた。
(小春 視点) 小春もまた、結城に対する感情が、当初の「怖い」「近寄りがたい」「すごい人」という単純なものから、もっとずっと複雑で、そして一言では言い表せないものへと変化しているのを感じていた。トラブル対応や、日々の仕事を通して垣間見える、彼の圧倒的な能力とリーダーシップへの尊敬の念は、ますます強くなっていた。しかし、それだけではない。あの深夜に見せた、彼の、ふとした瞬間の弱さや、隠された孤独の影。そして、時折、自分にだけ向けられるような気がする、ほんのわずかな、不器用な優しさや配慮。それらが、彼女の心の中に、少しずつ、しかし確実に、彼の「人間」としての側面を刻み込んでいた。彼は、ただ冷たくて、厳しいだけの人ではないのかもしれない。あの、人を寄せ付けないような仮面の下には、もしかしたら、とても傷つきやすくて、不器用な素顔が隠されているのかもしれない。そう思うと、以前感じていたような恐怖心は薄らぎ、代わりに、もっと彼を知りたい、彼の力になりたい、という、これまでにはなかった感情が、自分の中に芽生えているのを感じていた。それは、まだ恋と呼ぶにはあまりにもおこがましく、そしてあまりにも漠然としたものだったが、彼のことを考えると、胸が少しだけ温かくなったり、あるいは、きゅっと締め付けられたりする。彼の持つ、危ういほどの魅力と、その裏にある「毒気」のようなものにも、気づき始めていた。そして、その危うさが、なぜか彼女の心を、少しだけ、惹きつけてやまないのだった。
結城と小春。二人の間の空気は、確実に変わり始めていた。以前のような、ただただ気まずい沈黙や、一方的な緊張感だけではない。そこには、互いへの、まだ言葉にならない、複雑な感情が交差し、見えない火花が散っているかのような、独特の、そして濃密なテンションが漂い始めていた。互いの視線が偶然に絡むと、どちらともなく、慌てて逸らしてしまう。些細な言葉のやり取りに、以前にはなかったような、妙な間が生まれたり、あるいは、予期せぬ動揺が走ったりする。
彼らの関係は、今、どこへ向かおうとしているのだろうか。結城の中で育ち始めた、純粋な愛情とは言い難い、しかし強烈な「欲」と「毒気」は、これからどのように表出し、二人の関係に、そして彼ら自身に、どのような影響を与えていくのだろうか。そして、小春は、結城のその複雑な内面と、彼を取り巻く世界の「毒」に触れた時、果たして、彼女自身の純粋さを保ち続けることができるのだろうか。それとも……。
このまま、二人の関係が進んでいったら、どうなってしまうのだろうか。そんな、甘いだけではない、スリリングで、少しだけ危険な香りのする、ドキドキするような期待感と、そして、ほんの少しの、破滅への予感にも似た不安感を、読者の胸に強く刻みつけて、第二章の幕は下りる。二人の運命の歯車は、もう、誰にも止められない速度で、回り始めていた。
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