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【序章】始まらずに終わった話、或いは終わりが始まる話
5. 和登伊恵理の憂鬱
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伊恵理は激怒した。必ず、かの邪智暴虐のおかんを除かなければならぬと決意した。
「へぇ、もう憂木クンがいなくても生きていけると?」
伊恵理は決意を翻した。やはり敢介は欠かしてはならない存在だ。文明の利器に慣れきってしまった現代人の、何と脆く弱いことか。
「いや、憂木クンは文明の利器でも何でもないし、これはただ単に和登に生活能力がないというだけだから」
友人の容赦ない指摘に、むぅ、と伊恵理は唇を尖らせながら、学食からテイクアウトしてきたクラブハウスサンドを囓った。これもこれで美味しいのだが、やはり敢介の料理が恋しい。
「それは憂木クンもきっと、おかん冥利に尽きることだろうね」
「……ルイちゃん、どうしてさっきから的確に私の心を読めるの?」
「和登の百面相を見てれば大体想像が付くよ」
昼休み。階段教室の一角に、昼食を摂る二人組の女子生徒たちの姿があった。
しししっ、と口の端を吊り上げて笑っているのは篠倉累。伊恵理と同じ風紀委員だ。軽くウェーブの掛かったセミロングの髪は実に柔らかそうなのだが、なかなか触らせてもらえない。
「ともあれ、今のパフォーマンスはちょっと面白かったから、おひねりにこの出汁巻き玉子をあげよう。ほら、あーんしな」
伊恵理本人は至って真剣だったのだが、もらえるものはもらっておいて損はない。素直に口を開けた。
生徒寮第16号棟〈立花館〉で販売されているらしい仕出し弁当は、敢介の作ったものほどではないが、なかなかの美味だった。
伊恵理が累と同じ部署に配置されたのは、昨年の十月――秋の人事異動――のことだったが、二人の付き合い自体は、中等部に入学した当初から始まっている。風紀委員会の新入委員研修で同じ班だったのだ。
尤も、仮にそこで接点が生まれてなくても、累とはいつかどこかで知り合いになっていたことだろう。
累の垢抜けた雰囲気には、伊恵理の可愛いおんにゃのこレーダーが今なおビンビン反応しているし、累の方とて、何の目的があってか部署の垣根を越えた人脈作りに余念がないからだ。
何かと気が多い累だが、用事がない時はこうして伊恵理と共に過ごしてくれる。彼女もまた伊恵理ちゃんハーレムの貴重な要員なのだ。
「……で、憂木クンとの間に何があったんだい? 時間にうるさいヤツにしては珍しく、一限目の授業には遅れてやって来たそうだからね」
その幅広い人脈に裏打ちされた地獄耳っぷりを披露されて、うっ、と伊恵理は呻いた。
危うくサンドイッチを喉に詰まらせるところだったが、すんでのところで呑み込んだ。
遅れて理解する。累が昼食の誘いを二つ返事でOKした理由はこれか。今日はたまたま、伊恵理の持っているだろう情報が累の〝用事〟になったわけだ。
累は優しい手つきで伊恵理の背中をさすりながらも、その目は好奇心に爛々と輝いている。
「……よく解んない。おかんにラブレターが届いたんだけど、そしたら急に今日は弁当抜きだって言われた」
隠すほどのことでもないので、伊恵理は正直かつ簡潔に今朝の出来事を口にした。はっきりと言葉にしてみても、やはり因果関係が繋がらない。
「うん。オイラにはもっと解らん」
「だよねぇ」
「……が、それはそれとして、別に興味の湧いたこともある」
「およ?」
ビシッ、と累は割り箸で伊恵理を指す。敢介がいたら「行儀が悪いぞ」と叱責の声が飛んでいた場面だ。
「和登、うかうかしてて大丈夫なのかな?」
「大丈夫って……何が?」
憂木クンさ、と累は意地悪そうに笑う。
「ラブレターをもらったということは、少なくとも相手の方はヤツを憎からず思っているというわけだ。そしてヤツの方も満更でなかった場合――」
「二人は、付き合うことになる……よね?」
伊恵理の声が伺うような調子になってしまったのは、累がじわじわと詰め寄ってきているからだ。何やら不吉なものが近づいてくるかのような気になってしまって、ぞわりと鳥肌が立つ。
「そう、憂木クンには晴れて彼女ができる。あ~んなことやこ~んなことをしちゃったりするハッピーな日々の幕開けだ。……いけねぇ、腹黒ウサギのそういうとこ、全然想像付かねえや」
後半はただの所感になっていたが、累の言っていることは伊恵理にも理解できる。
敢介とて年頃の男の子だ。女の子と仲良く遊びたいという願望くらいあるだろう。いや、もちろん伊恵理自身もかわゆいおんにゃのこたちとキャッキャウフフしたいが。
「事はそう単純じゃないんだよ、和登」
伊恵理を押し倒す勢いで迫っていた累が、一転さっと離れたので、伊恵理も改めて身を起こす。
累は、からかうようで、しかし僅かな真剣味を帯びた声で、言葉を紡ぐ。
「いいかい? 憂木クンに彼女ができるということは、憂木クンは他の誰よりその彼女のことを優先するようになる、ということだ。つまり――」
「つ、つまり……?」
ごくり、と伊恵理は唾を飲む。その先に続く言葉は大体想像がつき始めていた。
受け容れがたい事実を前にして、心臓の動悸が早まっていく。
にぃ、と累は唇を三日月の形に歪めた。
「憂木クン――もといおかんは、もう和登の面倒を見てくれなくなるかもしれない」
がつん、と。
頭を殴られたような衝撃が、伊恵理の心中を襲った。
「へぇ、もう憂木クンがいなくても生きていけると?」
伊恵理は決意を翻した。やはり敢介は欠かしてはならない存在だ。文明の利器に慣れきってしまった現代人の、何と脆く弱いことか。
「いや、憂木クンは文明の利器でも何でもないし、これはただ単に和登に生活能力がないというだけだから」
友人の容赦ない指摘に、むぅ、と伊恵理は唇を尖らせながら、学食からテイクアウトしてきたクラブハウスサンドを囓った。これもこれで美味しいのだが、やはり敢介の料理が恋しい。
「それは憂木クンもきっと、おかん冥利に尽きることだろうね」
「……ルイちゃん、どうしてさっきから的確に私の心を読めるの?」
「和登の百面相を見てれば大体想像が付くよ」
昼休み。階段教室の一角に、昼食を摂る二人組の女子生徒たちの姿があった。
しししっ、と口の端を吊り上げて笑っているのは篠倉累。伊恵理と同じ風紀委員だ。軽くウェーブの掛かったセミロングの髪は実に柔らかそうなのだが、なかなか触らせてもらえない。
「ともあれ、今のパフォーマンスはちょっと面白かったから、おひねりにこの出汁巻き玉子をあげよう。ほら、あーんしな」
伊恵理本人は至って真剣だったのだが、もらえるものはもらっておいて損はない。素直に口を開けた。
生徒寮第16号棟〈立花館〉で販売されているらしい仕出し弁当は、敢介の作ったものほどではないが、なかなかの美味だった。
伊恵理が累と同じ部署に配置されたのは、昨年の十月――秋の人事異動――のことだったが、二人の付き合い自体は、中等部に入学した当初から始まっている。風紀委員会の新入委員研修で同じ班だったのだ。
尤も、仮にそこで接点が生まれてなくても、累とはいつかどこかで知り合いになっていたことだろう。
累の垢抜けた雰囲気には、伊恵理の可愛いおんにゃのこレーダーが今なおビンビン反応しているし、累の方とて、何の目的があってか部署の垣根を越えた人脈作りに余念がないからだ。
何かと気が多い累だが、用事がない時はこうして伊恵理と共に過ごしてくれる。彼女もまた伊恵理ちゃんハーレムの貴重な要員なのだ。
「……で、憂木クンとの間に何があったんだい? 時間にうるさいヤツにしては珍しく、一限目の授業には遅れてやって来たそうだからね」
その幅広い人脈に裏打ちされた地獄耳っぷりを披露されて、うっ、と伊恵理は呻いた。
危うくサンドイッチを喉に詰まらせるところだったが、すんでのところで呑み込んだ。
遅れて理解する。累が昼食の誘いを二つ返事でOKした理由はこれか。今日はたまたま、伊恵理の持っているだろう情報が累の〝用事〟になったわけだ。
累は優しい手つきで伊恵理の背中をさすりながらも、その目は好奇心に爛々と輝いている。
「……よく解んない。おかんにラブレターが届いたんだけど、そしたら急に今日は弁当抜きだって言われた」
隠すほどのことでもないので、伊恵理は正直かつ簡潔に今朝の出来事を口にした。はっきりと言葉にしてみても、やはり因果関係が繋がらない。
「うん。オイラにはもっと解らん」
「だよねぇ」
「……が、それはそれとして、別に興味の湧いたこともある」
「およ?」
ビシッ、と累は割り箸で伊恵理を指す。敢介がいたら「行儀が悪いぞ」と叱責の声が飛んでいた場面だ。
「和登、うかうかしてて大丈夫なのかな?」
「大丈夫って……何が?」
憂木クンさ、と累は意地悪そうに笑う。
「ラブレターをもらったということは、少なくとも相手の方はヤツを憎からず思っているというわけだ。そしてヤツの方も満更でなかった場合――」
「二人は、付き合うことになる……よね?」
伊恵理の声が伺うような調子になってしまったのは、累がじわじわと詰め寄ってきているからだ。何やら不吉なものが近づいてくるかのような気になってしまって、ぞわりと鳥肌が立つ。
「そう、憂木クンには晴れて彼女ができる。あ~んなことやこ~んなことをしちゃったりするハッピーな日々の幕開けだ。……いけねぇ、腹黒ウサギのそういうとこ、全然想像付かねえや」
後半はただの所感になっていたが、累の言っていることは伊恵理にも理解できる。
敢介とて年頃の男の子だ。女の子と仲良く遊びたいという願望くらいあるだろう。いや、もちろん伊恵理自身もかわゆいおんにゃのこたちとキャッキャウフフしたいが。
「事はそう単純じゃないんだよ、和登」
伊恵理を押し倒す勢いで迫っていた累が、一転さっと離れたので、伊恵理も改めて身を起こす。
累は、からかうようで、しかし僅かな真剣味を帯びた声で、言葉を紡ぐ。
「いいかい? 憂木クンに彼女ができるということは、憂木クンは他の誰よりその彼女のことを優先するようになる、ということだ。つまり――」
「つ、つまり……?」
ごくり、と伊恵理は唾を飲む。その先に続く言葉は大体想像がつき始めていた。
受け容れがたい事実を前にして、心臓の動悸が早まっていく。
にぃ、と累は唇を三日月の形に歪めた。
「憂木クン――もといおかんは、もう和登の面倒を見てくれなくなるかもしれない」
がつん、と。
頭を殴られたような衝撃が、伊恵理の心中を襲った。
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