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募る想いとうらはらに
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しおりを挟む目が覚めたとき、窓の外はすっかり暗くなっていた。
(……やだ、あたし、あのまま寝て……)
むくっと上体を起こし、唇に触れる。嫌な感触がまだ残っている。
(酷い人……)
手の甲でごしごしと拭うが、なかなか忘れられない。キースの驚愕した顔が脳裏に焼きついている。
(キースさんはどうしたかしら。もう、寝てしまったかな……)
開けたままになっていた紗幕を閉め、サンドラは角灯を持たずに部屋を出た。
廊下には窓がない。暗くてよく見えないが、ずっと暗い中にいたおかげかなんとなく様子は窺える。半月も生活した家だ。さすがに勝手もわかってきているらしい。
(えっと……キースさんは部屋かしら)
そう思って、サンドラは歩みを止める。
(待て。夜更けに部屋を訪ねてどうしようというのよ、あたし)
行動が不審であることに気付き、自分の部屋に戻るか台所で何か食べ物を持ってこようかと足をもたつかせていると、不意に近くの扉が開いた。サンドラは身体をびくりと震わせる。
「おや……こんな夜更けに珍しい」
部屋の角灯が廊下を淡い光で包む。立っていたのは眠そうな顔をしたキースだった。薄手の寝巻き姿であり、声はどこかぼんやりとしている。
「あ、あら、キースさん。ごめんなさい。起こしてしまったようで」
「いえ……ずっと起きていましたから」
身体をキースに向けると、彼はサンドラに近付いてくる。
「え? 起きて……って」
むせそうになるほどの酒のきつい匂い。サンドラは改めてキースを見る。顔が真っ赤だ。
「お酒、飲んでいらしたのですか?」
サンドラはふらつくキースを支える。
「飲まずにいられるかよ……」
ぼそりと呟かれた台詞。思わずこぼれたような囁き。キースの重みがサンドラの細い肩に乗る。
「もう横になってください。こんなにお酒が入った状態じゃ危ないですよ」
キースが出てきたのは彼の自室。どうもそこで一人で飲んでいたらしい。部屋から漏れる明かりが酒瓶を通してゆらゆら揺れる。
(キースさんがお酒を飲んでいるところなんて、一度も見たことがなかったけど……こんなに酔っ払うなんて――)
サンドラが導くと、おとなしくキースも合わせてくれる。そのとき初めて、サンドラはキースの寝室に入った。
(お酒の香りがきついけど、でも、キースさんの匂いがする……)
染料の匂いと香を焚いたような匂い。キースの部屋には机と寝台、本棚と箪笥が置かれ、机の上には数本の酒瓶が空いた状態で転がっていた。よくみると、床にもいくつか転がっている。
(一体何本空けたのかしら……)
足元に注意しながら寝台に運び、横に寝かせる。ぐったりとしたキースはされるがままに転がった。
「お水、お持ちしますね。少し酔いを醒ましたほうがいいですから」
キースの状態をみて、サンドラは寝台から離れようと立ち上がる。
そこで手首を掴まれた。そのままぐいっと強く引っ張られ、抱き締められる。
「あ、あの、キースさんっ!?」
慌てて離れようと身体をよじるが、力の込められた腕から逃れることはできない。
「また、あなたを傷つけてしまった……」
「……?」
言っている意味がわからない。
(また、って……?)
思考に集中して動けなくなったサンドラを、キースは身体をひねって下に敷く。両手を押さえつけて自由を奪い、さらに馬乗りになって胴の動きも封じる。そして彼は困ったような色をにじませたまま微笑んだ。
「あなたはうかつですね。こんな夜更けに男の部屋に入ってくるものじゃありませんよ」
「そう……ですね……」
こうなっては身動きが取れない。しかし、不思議とそこまで嫌な感じはしなかった。
(こういうとき、あたしはどんな顔をすればいいのだろう……)
妙に冷静な気分だった。アルベルトに強引に触れられたときには恐怖と嫌悪感ばかりだったのに、今はそれらとはまた違う。
「……そんな顔で見つめないでください。本能を抑えられなくなる……」
「でも、この力の差では抵抗できませんよ」
「誘わないでください」
「あたしは事実を述べただけ、ですけど……」
どうしろと言うのだろうか。もっと嫌な顔をして、恐怖して、必死に逃げようともがけと言うのか。
(あたしは……拒めないよ? あなたにそんな顔をされてしまったら、なおさら)
サンドラは微かに笑む。
「……いいんですよ? あなたがあたしを欲しいというのなら差し上げます。あたしにはこの身体しかないのですから」
「だから、誘わないでと言っているじゃないですか」
腕を掴んでいる手のひらに汗がにじんでいる。それがなんだか愛おしい。
「あたしが傷つくのを恐れているのですか?」
「そうです。僕はあなたを傷つけたくない。もう、これ以上、あなたを壊したくない……っ!」
堪えるように、キースは口を結ぶ。自身の唇を噛み、必死に何かを抑えている。
「構いませんよ。亡くなったサンドラさんの代わりだとしても、あたしはあなたに触れていただけるなら構わない」
サンドラの呼びかけに、キースは目を大きく開いた。
「やはり、あなた、知って……」
ごくりと何かを飲み込むと、キースは目を伏せてサンドラの上から退く。彼女のいない空いた場所に身体を転がす。
「……いつから、気付いていました?」
仰向けに転がり、キースは目の上に腕を乗せた状態で問う。
「確信したのは昨晩です。あの……手紙を見つけてしまったものですから」
「手紙……?」
すぐに思い出せないらしい。キースは繰り返すように問う。
「サンドラさんに宛てたお手紙です。悪いとは思ったのですが……勝手に読んでしまってごめんなさい」
サンドラは上体を起こしてキースに身体の向きを変え、頭を下げる。
「どこからそんな手紙が……」
腕を動かし、わずかな隙間からキースはサンドラの顔を見る。
「本の間からです。『プシュケの意匠に込められた想い』って題名の本から出てきたんですよ」
「……どうしてそんな本の間から……?」
心当たりがない振りをしているのか、酔いが回って頭が回っていないのか。キースは視線を天井に向けて、不思議そうに唸る。
「……あの、サンドラさんって、どうして亡くなられたのですか?」
二人が愛し合っていたこと、それは手紙の内容から容易に想像できた。その手紙は生前のサンドラ宛であったが、途中で書き損じたがために出さずにいたものらしい。結婚の約束をほのめかす文面の途中で、文章は途切れていた。
「――あなたは知らない方がいい」
低く、凄みさえ感じさせる声。普段とは違う声色に、サンドラは姿勢を正す。
「彼女を死なせてしまった責は僕にもある。だから、お願いだ。もうしばらく忘れさせてくれ」
言って、サンドラはまた引き寄せられた。キースの胸に耳が当たる。優しい心音は不安な気持ちをやわらげてくれる。
「……わかりました。問いません」
大きな手が頭を撫でる感触。見れば指の間を柔らかな髪がするすると抜けていく。
「あの……あたしはいつまでこうしていればよろしいでしょうか?」
なかなか放そうとしないのを不思議に感じて訊ねるサンドラ。キースの手が腰をしっかりと押さえていて、どうにもくすぐったい。
「付き合ってくださるなら、是非とも朝まで」
「それはあたしに寝るなと言っているのと同じだと思うのですが?」
頭を撫でる感触が心地よくてたまらない。うっかりするとそのまま眠りに落ちてしまいそうだ。
「これ以上のことはしませんよ。酔った勢いで、とは思われたくない」
「酔った人間の戯れ言を信じる趣味はないですが――あなたのおっしゃることなので信じます。あなたの腕の中なら、安心してよく眠れそうですから」
胸に顔を埋める。太陽と香の匂いがした。
「それはよかった」
「あたし、お酒の匂いだけで酔っ払ってしまったのかしら……」
「そうかもしれませんね、サンドラさん」
「だったら嫌だわ」
「いい夢を見て、嫌なことは忘れてしまえばいい……」
どこか祈るように告げるキースの声を聞きながら、サンドラは夢の世界に落ちていった。
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