展望台公園の尾根さん

一花カナウ

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本編

記憶

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 生きているって証明して。ここに存在するって教えて。この器は脆すぎて、いつ失われてしまうか分からないから。実感があるうちに、ねぇ……。

 * * *

 尾根さんと出会ったのは去年の春。小学校を卒業し、中学校への入学をひかえていた頃だった。自分の卒業祝いに買った銀色の丸いピアス。この大きさなら髪に紛れて見えないだろうから、きっとバレやしない。アタシはそう考えてシンプルなこのピアスを選んだ。
 そしてその帰り、家に着く前にもう一度見たくなって寄り道した公園で、その片方を無くしてしまった。このときばかりは飾りのついたもう少し大きなものにしておけば良かったなんて思ったけど、それはもう忘れていい。その日のうちに見つけ出せなくって、翌日探しに行った公園で、面白いものを見つけた。
 グラウンドの中央にそびえる一本の木の下のベンチがある。これはアタシが物心ついた頃からあるものだから何らおかしなところはない。異変はそのベンチの上に紙が一枚置かれていることだった。
 アタシが思わずそれを拾うと、なにやら文字が書いてあるのが目に入った。
「オ……リフタ……エノ オリ……フタエノ 我は汝にコう……? 故に我が前に……汝の姿を 現したまえ……? 何これ?」
 呪文? よく分からない言葉の列に首を傾げる。
「あっ……!?」
 不意に風が吹き、その紙は大空に吸い込まれて視界から消えてしまう。
「トキノヤ アインちゃんだね」
 ぼんやりと謎の紙の行方を視線で追いかけていたアタシは突然自分の名を呼ばれて振り返る。
 そこには白のポロシャツの上に黒のトレーナーを着て、黒のジーンズをはいた長身の青年が立っていた。アタシが向けた視線と青年の視線が重なると、彼はやんわりと微笑んだ。
「昨日、ピアスを落としていったでしょう? 拾ったんだ。返すよ」
 彼の右手の人差し指と親指の間で銀色の光を反射させているそれは、まさにアタシが昨日買ったピアスに間違いなかった。
「あの……あなたは?」
 アタシは彼が差し出したピアスよりも彼自身が気になった。
「ボク? ボクは尾根篤弘。自称明るい引きこもりをやっています。初めまして」
「初めまして……って、どうしてアタシの名前を?」
 引きこもりって外に出ないから引きこもりと言うんじゃないか? と少々の引っかかりを覚えながらも、不思議な空気をまとったこの青年に興味を持ったのは言うまでもない。なんの前触れもなくこの青年は現れたのだ。太陽を背にして立っていたアタシの後ろから。
「なんでも分かるよ、ボクは。それよりピアスはいいの?」
 尾根さんはアタシの前にそれを向けたけど、首を横に振って拒否した。
「いいんです。尾根さんにあげます」
 自分よりも、この目の前の青年に持っていて欲しいと思った。
「少ない小遣いを貯めて買ったんだろう? いいのかい? 大事なものじゃないの?」
 アタシの言動が意外だったのか、彼は目を丸くしている。
「大事なものだからこそ、です」
 言ってにっこりと笑うと、彼は渋々手を引っ込めた。
「後悔しない?」
「そのときはここでなくしてしまったって思い込むことにして忘れようと思います。それよりさっき、なんでも分かるって言いましたよね?」
 アタシはベンチに腰を下ろし、青年を見上げた。少したれ目の顔が、優しげな兄のような雰囲気を醸し出している。
「まぁ、言ったケド?」
 何を聞いてくるのだろうかと身構えている風に見える。アタシの考えは読めないみたいだ。
「この世界って何でできているんですか? どうして単なる原子の繋がりが、心というものを持って、何かを考えたりできるんですか?」
「……小六のくせに、難しいことを考えるね……」
 尾根さんは苦笑して隣に座る。
「あと一週間もすれば中学生ですよ! バカにしないでください!!」
 ぷぅっとふくれると、尾根さんはハハハハと声を立てて笑った。
「バカにしてる……」
 アタシのぼやきに、彼は手を横に振った。
「うーん、そうだねぇ」
 彼は少し考える素振りを見せたあと、はっと何かを思いついたかのようにこっちを向いた。
「その回答は難しいから、もう少し待ってくれるかな」
「どうしてですか? アタシがガキだから!?」
 アタシが立ち上がって尾根さんにくってかかろうとすると、彼は落ち着いてと片手で示した。
「その答えは難しいだけでなく、君にわかりやすい言葉でなくてはならない。ボクの頭はそんなに賢くできてないんでね。もう少し時間をかけなくっちゃ」
 今思えば、この台詞はこれから先も逢うための言い訳だったのかもしれない。答えを聞いてしまったら、自分で導き出してしまったら、そのあとはもう二度と逢うことができなくなってしまうのだから。
 答えを先延ばしにされたアタシは、いつでもここに来れば尾根さんに会えるようになった。


「まだ手術は終わらないようだな」
 病院に辿り着き、ミツルとミツキは手術室の前に立った。大きなドアの上の方では手術中の文字が赤く点灯している。
「そういえば、トキノヤの両親は? 普通こういう場面には来るよな?」
 見渡してみるが、今のところ二人しかいない。
「アインのお父さんは出張中で、お母さんは夜勤中だそうよ。もうすぐお母さんの方は来ると思うけど……」
 ミツキが不安げに答える。ミツルはいらいらする気持ちを落ち着けるために近くのソファに腰を下ろした。
「トキノヤのやつ、なんで事故になんか……。あの公園から自宅まですぐじゃねーか」
 足でとんとんと音を立てながらミツキに話を振る。あんなに元気そうにしていたのに、と昼間に一緒にいたことを思い出す。
「車が悪いのよ。居眠り運転が原因らしいから。その運転手も手術中だからなんともって感じだけど」
 落ちつきなくミツキは右へ左へとうろうろしながら答える。来たのは良いが、何をすべきかさっぱり分からなかった。ただここで待つことしかできないというのがひどくもどかしかった。
「……尾根さん、ここに来れると思うか?」
 不意にミツルが問いかける。ミツキは立ち止まってミツルの方を見た。
「……どうだろうね。来て欲しい人だけど」
「ところで、なんでオレを呼びに来たのさ? カワハラがここに来るのは分かるんだけど」
 ふとしたミツルの疑問に、ミツキは少し得意げに答えた。
「ヤノ君がアインに気があるって見抜いたからよ。かなり否定してたけど、それが逆に怪しいって思ったの。知らせて欲しかったでしょ?」
「……まぁな」
 告白する前に死ぬなよ、とミツルは神に祈った。
 手術中を示すランプはなおも明々とついたまま。ミツルはぎゅうと握りしめた一対のピアスの感触を確かめながら、あのとき尾根さんが言いかけた台詞を口ずさむ。
「……それは彼女の大切な……何なのだろう……?」
 あのとき尾根さんは何を言おうとしていたのだろう?
 ミツルの脳裏にそのときの様子がはっきりと思い浮かんだとき、この部屋の空気が変わったことに気が付いた。
 息を切らして入ってきた青年。どちらかというと全身黒ずくめの謎の男。しかしここにいる二人には面識があった。
「二人とも、また逢えて良かった。どうやら間に合ったようだね」
『尾根さん!?』
 自然と声が重なる。病院に尾根篤弘が現れた。
「ここは病院だよ。静かに、ね」
 人差し指を立てて口元にあてる。二人は驚きの表情のまま口をパクパクさせている。一度しか会えないと聞いていた男が、しかもあの公園にしか現れないと噂された男が、こんなところにやってこれるなんて。
「……な、なんで幽霊にでも逢ったかのような顔をするかなぁ……。人間に決まってるだろ? 変な期待をしていたみたいだけど」
「だ、だって噂じゃ……」
 呆れ顔の尾根篤弘に言葉を返したのはミツルの方だった。
「あぁ、あの公園で見る方は君たちの心に造った像だよ。一度掛けた人間にこの催眠術は通用しない、だから一度しか見れないのさ」
 尾根は少しだけ早口にさらりと言った。
「でも……」
「そんなことより、だ」
 二人はまだ納得がいかない様子だったが、尾根はそれ以上答えようとはせず、話を切る。
「アインが事故に遭ったってのは本当のようだね」
 手術中のランプに目を向ける。赤い色が眩しい。
「そうなんです。今、手術中で」
 うつむいてミツキが答える。ひどい怪我らしいと言う話は聞かされている。早く元気な姿を見たいと彼女は思った。
「そっか……。ミツル君、例のピアス、二つとも貸してくれないかな?」
 話を振られて少しびくっとさせたミツルは、言われるままに握りしめていたピアスを差し出す。
「はい。でも何に使うんです?」
 首を傾げるミツルに、尾根はピアスを受け取りながら軽くウインクする。
「強制的に起こしてくる。すぐに戻るからちょっと躰のほう見ててね」
 言うと青年は電源が落ちたロボットのようにソファにもたれ掛かった。
「えっ?あの!?」
 残された二人はしばらくおろおろしていたが、落ち着きを取り戻すと彼を信じて待つことにした。
 あと彼等ができることは、ただ手術の成功を祈って待つより他はなかった。


「……イン……アイン……」
 誰かがアタシを呼んでいる。誰? アタシの名を呼ぶのは……。
 光が躰を突き抜ける。慌てて閉じていた瞳をゆっくりと開ける。
「尾根……さん……?」
 眩しくってよく見えない。かすかに見分けられる輪郭は見知った姿。
「アイン、君はちゃんと存在しているよ。ボクみたいな大多数の一人なんかじゃない。
みんな君を認め、常に必要としている。その人たちを裏切るようなことをしちゃいけない!」
 尾根さんはアタシのためにここに現れてくれたらしかった。いや、そうじゃなくて、アタシが一番会いたかったから、だからこんな幻影を……。
「君のいるべき世界はここにある。戻ってきなさい!」
「それは違います! あなたこそあなたのいるべき世界を認めて下さい! アタシなんかどうだっていい! 自分で否定しているくせに、あなたはアタシに説教をしようって言うんですか? そんなの説得力がありません! あなたが先に裏切ったんじゃないですか! 自分という存在を認めず、代理人に話をさせることに満足してしまう、そんなのおかしいじゃないですか! 外の世界に出てきて下さい! そしてアタシの声をちゃんと聴いて下さい!」
 カチンときた尾根さんの台詞に、心が感じるままの言葉が紡がれる。涙混じりの叫び声、それがアタシの本音。あなたの傍でずっと感じてきたこと。悔しい、アタシはたぶん死んじゃうんだ。
「聴くよ! 君が望むから! 君の気が済むまで聴くから! 今、手術室の外にいるよ。君のそばにいるよ。ミツキちゃんも、ミツル君も来ている。二人がボクの存在を証明してくれる。……逃げたりはしないよ。逃げ切れないと、分かっているから」
「――約束……忘れた振りをしていただけだったんですね……」
 アタシは彼の手を握れなかった。最期くらい、笑顔でいたかしら? 格好悪すぎるなぁ……。


 彼女の世界から強制的に追い出されてしまった。尾根は果たしてこれでよかったのかどうか悩んだ。自分の差し出した手にはなんの感触もなかったから不安にさえなった。また救えなかったのではないかという気持ちになる。
 他人を信じることに臆病になっていた。だからできるだけ人と関わりのない生活を願った。それでも完全に関係を絶つことなどできなかった。四角い箱からあふれ出す情報の中に、すべてを投げることなどできなかった。もう少し信じてあげたい。人とかかわることで、何かを見つけ出せれば。自分の内にある醜い部分をしっかりと見て、傷もすべて受け入れて、確かにあるものをつかまなくては。
 彼女に必要な人間はボクではなかった。でもボクが必要としていたのはきっと……。


「……ゴメン、アイン……」
 尾根の目から涙がこぼれたのを見て、二人はぎょっとした。
「どうか……したんですか?」
 目を覚ました尾根におそるおそるミツルが尋ねる。
「まさか……」
 ミツキが何か言いかけて首を軽く横に振った。
「……もうすぐ手術が終わるよ」
 尾根は二人を見ず、視線をランプに向けて呟いた。彼はそれだけしか言わなかった。やがてまもなく手術中を示すランプは消えた。


「……ったく」
 小さな溜息とともに声が漏れる。
「怒らないで下さいよ、尾根さん」
 妙に嬉しそうな声でアタシはなだめる。全治三週間でアタシは只今入院中。両親の都合により、尾根さんがアタシの面倒を見てくれている。
「ボクの仕事はどうしたらいいわけ? 営業妨害も甚だしいところなんだけど」
「そう思うなら来なきゃ良いじゃないですか。アタシ、一人でもたくましくやっていけますよ!」
 柿の皮をむいている尾根さんに向かってアタシはきっぱりと言う。
「君の両親に正式に頼まれちゃった以上、どうしようもないだろ? ボクはそこまで無責任な男じゃないんでね」
「だったら文句つけないでくださいよ。仕事って言ってもネット上でしょ? いつだってできるじゃないですか」
「お子様にはこの苦労が分からないのさ。一回り近く年違うしね」
 むき終わった柿にフォークを刺して渡す。尾根さんは手先が器用らしい、綺麗にむかれた柿を見てそう思った。
「またガキ扱い……」
「そだ、君の質問に応えよう。この世界が何から創られているか」
「え?」
「この世界はね……」
 響く救急車のサイレンに声はかき消されて上手く聞き取れない。断片的に聞こえる尾根さんの声と口の動きに注目する。
「……で、できているんだよ」
 尾根さんは言ったあと、けらけらと笑った。それで、わざと狙って言ったのだと分かる。
「尾根さんのばかっ! もう一回! もう一回言ってよ!」
「質問に対する回答はお一人様一回限りとなっております」
「ケチっ! 尾根さんひどい! アタシにはどうして適当な答えしかくれないのよ!」
「それは……」
 それはまた別のお話、彼はそう言い残して席を立った。
 アタシは慌てて彼を追ったけど、部屋のドアを抜けたときにはもう既にいなくなっていた。残ったのは彼が丁寧にむいてくれた柿だけ。彼は確かに、存在したのだ、この部屋に。


 そんな入院生活が終わってしまうと、公園で彼を見かけることもなくなっていった。
 やがて、この街から尾根さんの噂は消えていった……。
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