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第17話 忘れ物、嘘吐き
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住所を入力すれば、簡単に自宅までのルートを表示してくれる。あとは音声案内に従って運転するだけ。ナビに従っていれば、そう間違った場所に向かうことはない。
「――ありがとうございました」
史華が住んでいる安いアパートの傍に現れるには不釣り合いな高級車が細い路地に停められた。史華は恐縮気味に運転手である悠に礼を告げる。
服は乾燥機のおかげで、陽が暮れる頃には着られる程度に乾いた。コーヒーによる染みも目立たない。悠がすぐに対処してくれたお蔭だろう。
「史華ちゃん、忘れ物だよ」
「はい?」
シートベルトを外し、車から降りようとしたところで呼び止められる。振り向くと彼の手が伸びてきていて、頬を捉えると自然な流れで額に口付けをした。
「…………」
「……あれ、唇を期待していたのかな?」
彼の指先が史華の唇をそっとなぞる。惚けていた史華は慌てて払い除けた。
「って、いきなりなにするんですか⁉︎ 全然忘れ物じゃないし‼︎」
史華が向きになって抗議すると、悠は不思議そうな顔をした。
「キスが紳士淑女の挨拶だからだよ。別れる時は口付けをするのが俺のルール」
「…………」
呆れて、何も言い返せなかった。
「キス、し足りなかったかい? 望むならその先も教えるけど――」
「いえ、結構です」
反射的に断る台詞が出て、史華はその勢いのまま車を降りる。秋から冬へと変わるのがわかるほどに空気が冷たい。火照りを感じる肌を冷ますにはちょうど良さそうだ。
「史華ちゃん」
「何ですか」
車の窓が開いて、悠が顔を覗かせている。史華の声に不機嫌さがたっぷりと乗せられているのを聞いたからか、彼は微苦笑を浮かべた。
「土曜日もここに停めるから」
一瞬、何のことだっただろうかと思ったが、悠に食事を誘われたのを史華は思い出す。今日はいろいろなことがありすぎて、どこからどこまでが現実にあったことなのかぼんやりと霞んでしまっている。
「あぁ、そんな約束していましたね。承知しました」
「頑張ってめかし込んできてくれると嬉しいな」
「それなりに頑張らせていただきますよ」
華やかな雰囲気を纏っている彼と並んで出掛けるのだ。今日のような適当な格好では周りの視線が怖い。
「楽しみにしてる」
「……はい」
彼が幸せそうに笑うので、毒気を抜かれてしまった。自己中心的と言うほどではないが、少なくともマイペースな人間であるのは確かなようだと史華は考えることにする。
「またね」
手をひらひらと振る彼に頭を下げると、史華は早足で自分の家へと向かったのだった。
部屋の電気を点ければ、ごちゃごちゃと物の多い部屋の混沌とした様が目に入る。つい一時間ほど前にいた部屋とは雲泥の差だ。
はぁ、やっぱりこの感じが馴染むわ……。
あれはあれで洗練されたものだと思うが、これはこれで生活感が溢れていて寛げるのだった。
史華はミニリュックを決まった場所に置くと、着替えを取り出す。それらを持って風呂場へと向かった。いつものように上半身が映る鏡の前で着替える。シャツを脱いで洗濯機の上に置いた時、首の辺りが赤くなっていることに気が付いた。
「あれ?」
鏡をまじまじと見る。コーヒーが飛んだのだろうか――そう考えた瞬間、閃くものがあった。
「やっ……⁉︎」
擦った程度では落ちない赤い痣は内出血の痕。その正体については今朝読んだ官能小説の中にあった。
つまり、キスマークだ。
「何もしてないみたいな態度しておいてっ! 嘘吐き!」
さっき別れて来た悠の姿が脳裏を過る。このまま永遠の別れになってしまえば良いのに、と呪う。だが、今の仕事を続けている間はすれ違うことがあるだろう。
「待てよ」
落ちないキスマークに触るのは早々にやめて部屋着に着替え終えた史華は考える。
「さっさと仕事を見つけて、辞めれば良いんじゃん」
元々、清掃員のお仕事は望む仕事に就くために始めたことだった。そのまま活動をしていれば、彼と顔を合わせることを意識する必要はなくなる。
「よし、気合い入れるぞ!」
史華は新たな目標を得て、仕事探しへの意欲を増加させたのだった。
「――ありがとうございました」
史華が住んでいる安いアパートの傍に現れるには不釣り合いな高級車が細い路地に停められた。史華は恐縮気味に運転手である悠に礼を告げる。
服は乾燥機のおかげで、陽が暮れる頃には着られる程度に乾いた。コーヒーによる染みも目立たない。悠がすぐに対処してくれたお蔭だろう。
「史華ちゃん、忘れ物だよ」
「はい?」
シートベルトを外し、車から降りようとしたところで呼び止められる。振り向くと彼の手が伸びてきていて、頬を捉えると自然な流れで額に口付けをした。
「…………」
「……あれ、唇を期待していたのかな?」
彼の指先が史華の唇をそっとなぞる。惚けていた史華は慌てて払い除けた。
「って、いきなりなにするんですか⁉︎ 全然忘れ物じゃないし‼︎」
史華が向きになって抗議すると、悠は不思議そうな顔をした。
「キスが紳士淑女の挨拶だからだよ。別れる時は口付けをするのが俺のルール」
「…………」
呆れて、何も言い返せなかった。
「キス、し足りなかったかい? 望むならその先も教えるけど――」
「いえ、結構です」
反射的に断る台詞が出て、史華はその勢いのまま車を降りる。秋から冬へと変わるのがわかるほどに空気が冷たい。火照りを感じる肌を冷ますにはちょうど良さそうだ。
「史華ちゃん」
「何ですか」
車の窓が開いて、悠が顔を覗かせている。史華の声に不機嫌さがたっぷりと乗せられているのを聞いたからか、彼は微苦笑を浮かべた。
「土曜日もここに停めるから」
一瞬、何のことだっただろうかと思ったが、悠に食事を誘われたのを史華は思い出す。今日はいろいろなことがありすぎて、どこからどこまでが現実にあったことなのかぼんやりと霞んでしまっている。
「あぁ、そんな約束していましたね。承知しました」
「頑張ってめかし込んできてくれると嬉しいな」
「それなりに頑張らせていただきますよ」
華やかな雰囲気を纏っている彼と並んで出掛けるのだ。今日のような適当な格好では周りの視線が怖い。
「楽しみにしてる」
「……はい」
彼が幸せそうに笑うので、毒気を抜かれてしまった。自己中心的と言うほどではないが、少なくともマイペースな人間であるのは確かなようだと史華は考えることにする。
「またね」
手をひらひらと振る彼に頭を下げると、史華は早足で自分の家へと向かったのだった。
部屋の電気を点ければ、ごちゃごちゃと物の多い部屋の混沌とした様が目に入る。つい一時間ほど前にいた部屋とは雲泥の差だ。
はぁ、やっぱりこの感じが馴染むわ……。
あれはあれで洗練されたものだと思うが、これはこれで生活感が溢れていて寛げるのだった。
史華はミニリュックを決まった場所に置くと、着替えを取り出す。それらを持って風呂場へと向かった。いつものように上半身が映る鏡の前で着替える。シャツを脱いで洗濯機の上に置いた時、首の辺りが赤くなっていることに気が付いた。
「あれ?」
鏡をまじまじと見る。コーヒーが飛んだのだろうか――そう考えた瞬間、閃くものがあった。
「やっ……⁉︎」
擦った程度では落ちない赤い痣は内出血の痕。その正体については今朝読んだ官能小説の中にあった。
つまり、キスマークだ。
「何もしてないみたいな態度しておいてっ! 嘘吐き!」
さっき別れて来た悠の姿が脳裏を過る。このまま永遠の別れになってしまえば良いのに、と呪う。だが、今の仕事を続けている間はすれ違うことがあるだろう。
「待てよ」
落ちないキスマークに触るのは早々にやめて部屋着に着替え終えた史華は考える。
「さっさと仕事を見つけて、辞めれば良いんじゃん」
元々、清掃員のお仕事は望む仕事に就くために始めたことだった。そのまま活動をしていれば、彼と顔を合わせることを意識する必要はなくなる。
「よし、気合い入れるぞ!」
史華は新たな目標を得て、仕事探しへの意欲を増加させたのだった。
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