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第29話 こんなところで
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小春日和といった気候で、陽射しが心地良い。こんな日は外でのんびり過ごしたいところだが、史華にはやることがあった。
今は昼食どき。ここに着いた時よりもスーツや制服姿の人が多く目に付く。史華はリクルートスーツに身を包み、オフィス街を歩いていた。背筋を伸ばし、いつかこの辺りをビジネススーツを着て歩けたら良いのにと思いながら。
だが、今日の面接も手応えはなかった。
思うようにならないものね……。
学生の頃の就職活動がいかに順調に終えられたのかが今になってわかる。前に内定をもらったところを訪ねるわけにもいかないし、落ちたところを訪ねてチャンスをもらうこともできないだろう。史華が望む専門職を募集している企業は想像以上に少なく、ほとんどの大手からは不採用通知をもらっていた。
専門職を諦めて、一般職に狙いを切り替えるか。
史華はため息をつく。学生時代にコンクールで賞を取れていれば、せめて論文発表で記録があれば、などと思ってしまう。
しかし現実では、チャンスはすべて他の人に回り、手柄は他人に奪われた。
自分の視野が狭いだけ……だと良いんだけどな。
「あれ? 多田さん?」
信号待ちをしていると、横から声を掛けられた。聞き覚えのある男性の声。
今日は十一月でも暖かな陽気の日だというのに、史華は寒気を覚えた。
「あ、やっぱり。相変わらず色気ねぇなぁ」
下卑た笑いに、砕けた口調。この人は出会った頃から変わらない。
信号が青になる。無視してやり過ごそうと思ったが、彼に手を掴まれた。
「なんだよ、シカトかよ? お前、営業やっているわけじゃねぇんだろ?」
男の手のひらは自分のよりもずっと大きい。ましてや、彼は上背もあって男性の中でも大きい方だ。当然のように大きな手のひらで掴まれると、なかなか外せない。
「放してください!」
意地でも手を振り解こうとする。だが、彼――因幡玲司の力は想像以上に強くて、やり合っているうちにバッグが落ち、中の資料が飛び出した。企業紹介のパンフレット。さっきまで面接を行ってくれた会社のものだ。
因幡は目敏くバッグの中身に目を向けると、いやらしく口角を上げた。
「へぇ。お前、就活中か。あ。そういえば、アレが原因で卒業が遅れたんだっけ」
アレが何を指しているのかがすぐにわかって、身体が竦んだ。気分が悪い。
因幡は落ちたバッグと資料を手早く集める。だが、それらを史華に渡そうとはしなかった。
「ウチ、受けたの?」
彼の視線がパンフレットに向いている。つまり、その企業に因幡が勤めているということだろう。
「ええ。そうみたいですね。でも、もう縁がないと思いますよ」
なかなか返してくれそうにないので、史華は力を振り絞って自分のバッグとパンフレットを奪い返した。
「オレが口をきいてやろうか?」
「結構です。ってか、入社一年目の社員にそんな権限はないでしょう?」
荷物を整えて、さっさとこの場を去ろうとする。そんな史華の意志を無視して、因幡はしつこく史華の腕を掴んで逃がすまいとしてきた。
「オレ、先輩たちに可愛がられているから、紹介くらいならできるさ。お前がいかに優秀な研究員だったのか、説明できるのもオレくらいだろう?」
その台詞を聞いて、史華は彼の意図がわかった。また、あの研究室でしてきたようなことをするつもりなのだ、と。
恐怖で喉が渇く。血の気が引いた。
「あたしに関わらないでください」
声が掠れている。逃げ出したいのに、動けない。あの日みたいに逃げ出したいのに。自分の身を守るために、全て捨てて走ったあの日みたいに。
息が苦しい。誰か、助けて。
「今後の話でもしようぜ。昼飯くらい奢ってやるからさ」
強引に引っ張られる。引き摺られるようにして。徐々に史華が目指していた駅から遠ざかる方に進んでいく。行き交う人たちは史華たちを見て顔を顰めたり訝しそうにしたりしているが、誰一人として声は掛けてこない。
やだ。嫌だ。動いてよ、あたしの足。言うこと聞いてよ、あたしの身体!
強く祈ったその時だった。
今は昼食どき。ここに着いた時よりもスーツや制服姿の人が多く目に付く。史華はリクルートスーツに身を包み、オフィス街を歩いていた。背筋を伸ばし、いつかこの辺りをビジネススーツを着て歩けたら良いのにと思いながら。
だが、今日の面接も手応えはなかった。
思うようにならないものね……。
学生の頃の就職活動がいかに順調に終えられたのかが今になってわかる。前に内定をもらったところを訪ねるわけにもいかないし、落ちたところを訪ねてチャンスをもらうこともできないだろう。史華が望む専門職を募集している企業は想像以上に少なく、ほとんどの大手からは不採用通知をもらっていた。
専門職を諦めて、一般職に狙いを切り替えるか。
史華はため息をつく。学生時代にコンクールで賞を取れていれば、せめて論文発表で記録があれば、などと思ってしまう。
しかし現実では、チャンスはすべて他の人に回り、手柄は他人に奪われた。
自分の視野が狭いだけ……だと良いんだけどな。
「あれ? 多田さん?」
信号待ちをしていると、横から声を掛けられた。聞き覚えのある男性の声。
今日は十一月でも暖かな陽気の日だというのに、史華は寒気を覚えた。
「あ、やっぱり。相変わらず色気ねぇなぁ」
下卑た笑いに、砕けた口調。この人は出会った頃から変わらない。
信号が青になる。無視してやり過ごそうと思ったが、彼に手を掴まれた。
「なんだよ、シカトかよ? お前、営業やっているわけじゃねぇんだろ?」
男の手のひらは自分のよりもずっと大きい。ましてや、彼は上背もあって男性の中でも大きい方だ。当然のように大きな手のひらで掴まれると、なかなか外せない。
「放してください!」
意地でも手を振り解こうとする。だが、彼――因幡玲司の力は想像以上に強くて、やり合っているうちにバッグが落ち、中の資料が飛び出した。企業紹介のパンフレット。さっきまで面接を行ってくれた会社のものだ。
因幡は目敏くバッグの中身に目を向けると、いやらしく口角を上げた。
「へぇ。お前、就活中か。あ。そういえば、アレが原因で卒業が遅れたんだっけ」
アレが何を指しているのかがすぐにわかって、身体が竦んだ。気分が悪い。
因幡は落ちたバッグと資料を手早く集める。だが、それらを史華に渡そうとはしなかった。
「ウチ、受けたの?」
彼の視線がパンフレットに向いている。つまり、その企業に因幡が勤めているということだろう。
「ええ。そうみたいですね。でも、もう縁がないと思いますよ」
なかなか返してくれそうにないので、史華は力を振り絞って自分のバッグとパンフレットを奪い返した。
「オレが口をきいてやろうか?」
「結構です。ってか、入社一年目の社員にそんな権限はないでしょう?」
荷物を整えて、さっさとこの場を去ろうとする。そんな史華の意志を無視して、因幡はしつこく史華の腕を掴んで逃がすまいとしてきた。
「オレ、先輩たちに可愛がられているから、紹介くらいならできるさ。お前がいかに優秀な研究員だったのか、説明できるのもオレくらいだろう?」
その台詞を聞いて、史華は彼の意図がわかった。また、あの研究室でしてきたようなことをするつもりなのだ、と。
恐怖で喉が渇く。血の気が引いた。
「あたしに関わらないでください」
声が掠れている。逃げ出したいのに、動けない。あの日みたいに逃げ出したいのに。自分の身を守るために、全て捨てて走ったあの日みたいに。
息が苦しい。誰か、助けて。
「今後の話でもしようぜ。昼飯くらい奢ってやるからさ」
強引に引っ張られる。引き摺られるようにして。徐々に史華が目指していた駅から遠ざかる方に進んでいく。行き交う人たちは史華たちを見て顔を顰めたり訝しそうにしたりしているが、誰一人として声は掛けてこない。
やだ。嫌だ。動いてよ、あたしの足。言うこと聞いてよ、あたしの身体!
強く祈ったその時だった。
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