ミズカガミ ノ シンエン

一花カナウ

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水鏡の深淵

昇太の結婚 2

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「僕はね、ずっと思っていたんだ。君たち、ちゃんと付き合うべきじゃないかい?」
「ん? 君たち?」
「なっ」

 私が首を傾げている横で、龍司が顔を真っ赤にしている。どういう状況だ?

「ほら、二人とも僕に遠慮しているじゃないか。僕が世帯を持つわけだし、もう僕のことを気にせず恋人になれると思うんだよねえ」
「兄貴よ、それは――」
「そろそろ交際を正式に始めるべきだと僕は思うんだよ。そうじゃないなら、お前は朝晩の逢引きは今後一切やめるべきじゃないかな。あれじゃ気になる異性ができたとしても近づけやしないよ」

 それはその通りなのだが、別に誰か意中の人がいるわけでもなければ、興味のない人間から好意を抱かれるのも迷惑千万なのでズルズルと今に至る。
 龍司に誰か好きな人ができれば自然と解消される関係だと考えていただけに、私は驚いた。

「だが」
「きちんと交際を申し込んで、恋人になればいい。……ああ、幸菜は龍司と付き合えないならはっきりと断ったほうがいい。いつまでも気を持たせるのはよくないよ。ケジメをつけるときだと思うんだ」
「兄貴の都合に巻き込まないでほしい。なあ、そう思うだろう、幸菜」

 二人のよく似た顔が私に向けられた。
 一卵性双生児というだけあってパーツはそっくりなのだけど、髪型や色が違うせいか雰囲気が違って感じられる。

「そ、それは……昇ちゃんの都合に巻き込まないでほしいとは思うよ。でも、龍ちゃんとの関係も、その、ちゃんとしたほうがいいかな、とは思っていたから、さ……」

 ちゃんとするにしても、付き合うのか付き合わないのか、今ここで決めないとまずい空気である。昇太のように気まぐれに付き合うことを決断したら後悔しそうな気はするし、だからといって断ったら最後、もう龍司と恋人になる未来は永遠に来ないような気がして、私は口篭った。

「ほら、幸菜が困ってるじゃないか。俺たちのことは俺たちでどうにかするから、余計なことはしないでくれ」

 龍司がむすっとしている。不満げな顔をするのは決まって龍司の方だ。
 昇太はとぼけた顔をしている。

「じゃあ、それはそれでいいよ」

 保留にしておいてもらえるようだ。
 私はほっとしてカフェオレを啜る。私好みの苦めのカフェオレ。一緒に食べに行くことなんてほとんどないくせに、私の好みを龍司はよく理解している。ほどよく温くなっていて飲みやすかった。

「龍司と幸菜がお付き合いしないなら、僕が幸菜を抱いても文句ないよね?」
「はいっ?」

 危うくカフェオレを吹き出すところだった。カップを置いて、私は昇太を指さした。

「浮気はよくない!」
「何考えてんだ、兄貴はっ」

 龍司と台詞が重なった。私たちが非難すれば、昇太は両耳を塞いでやり過ごそうとする。

「兄貴は結婚するんだろうが」
「いやいや、ちゃんと許可は取っているんだよ。妊娠中はできないよねってガッカリしていたら、昔関係を持った相手なら良いって」

 証拠だとばかりにチャットアプリのやり取りを表示したスマホを私たちに向けた。
 説明のとおり、そういうやり取りが確認できる。

「お店に通うようになるのは困るけど、本気にならない遊び相手なら問題ないんだって」
「あの女、何言ってんだ」
「避妊に失敗した詫びでもあるから産むまでは、って譲歩してくれたんだよ」

 龍司があからさまにイライラしている。龍司は昇太が結婚する相手を知っているようだ。
 まあ、結婚するって決めたわけだから、顔合わせの挨拶に来ているのかもしれないけど。

「だが、なんで幸菜にそんなことを言うんだ? ほかにも寝た相手はいるだろ。それに幸菜は――」

 そこまで早口で告げて、ある事実に思い至ったらしい。龍司は自身の口を掴むように手を置いて、青い顔をした。

「ん? 聡いお前なら、僕が幸菜の処女をもらったことに気づいていたと思っていたけど」
「…………」

 龍司は固まっている。
 昇太は首を傾げた。

「ありゃ……本当に知らなかったんだねえ」
「昇ちゃん、そういう話をあけすけに言うのは」
「……真実、なのか?」

 龍司が静かに立ち上がった。

「えっと……」

 どう伝えたらいいのだろう。潔癖な龍司のことだ、ありのままを伝えたら軽蔑するだろうか。

「兄貴が、昇太が襲ったのか?」
「ううん、幸菜が誘ってくれた」
「昇太は黙れよ。俺は幸菜に聞いているんだ」

 はっきりと突き放すように言われて、昇太はやれやれとばかりに肩をすくめた。

「幸菜、昇太が無理矢理襲ったのか?」
「ちがっ……違うよ。私が、声をかけた。抱いてほしいってお願いしたの」
「なんで」

 私に尋ねるその声は震えている。

「なんでって、龍ちゃんには関係ないじゃん。そもそも、私がずっと昇ちゃんに憧れていたこと、知ってたじゃない」
「それは恋愛じゃない」
「そうだよ、性欲で昇ちゃんを選んだの!」

 私が言い放つと、龍司は私をキッとにらんだ。でも私は怯まない。

「龍ちゃんが私に世話を焼いてくれたことには感謝してるけど、龍ちゃんのそれは恋人になりたいのとは違うじゃん。キスしたり抱きしめあったりしたいのとは違うじゃん。だから私は龍ちゃんを選ばなかった。私から言えるのはそれだけだよ!」

 口上を聞いていた昇太は目をまんまるにしている。
 龍司は狼狽えた顔をして頭を抱えるとしゃがみ込んだ。

「うっ……」
「で、幸菜? 今からシない?」
「いや、この流れでそれはないと思うよ」

 即答すれば、昇太はだよねえというように笑った。

「……幸菜」

 押し殺したような声は龍司のものだ。

「何?」
「どうして昇太と付き合わなかったんだ?」

 龍司の問いは淡々としている。

「昇ちゃんは憧れだからだよ。関係は持ったけど、私にはそれで充分だったの」
「下手だったのか」

 なんでそういうことを言うんだと返してやりたいところをグッと堪えて私は言葉を選ぶ。

「比べる相手がいないからわからないけど、下手じゃないと思うよ。いい思い出になったなって、今でも思ってる」
「だから、恋人を作ろうと思わなかったのか?」

 矢継ぎ早に質問をしないでほしい。だが、黙ってしまったら龍司に勘違いされそうで私は返答することに決める。

「そういうわけじゃないよ。龍ちゃんがそばにいたから、声掛けられることもなかったし。昇ちゃんも龍ちゃんも格好いいから、目が肥えちゃってるんだよね。いいなって思う人が見つからなかっただけ。誰でもいいわけじゃないんだよ」
「そうか……」

 龍司がどういうつもりで私のそばにいたのかわからない。この状況でも正直よくわからない。
 龍司は私を恋人の候補として見ていたのだろうか。幼馴染であって、それ以外の関係は成立し得ないんじゃないのか。

「――ねえ、龍司?」
「昇太は黙っていてくれ」
「黙っていられないよ。お前は拗らせすぎなんだよ。出会ったときに一目惚れしてずっと幸菜一筋だったんだから、気持ちを伝えるべきだったんじゃないかな?」
「うるさい」

 一目惚れ? 一筋?
 思い返せば、龍司は昇太と一卵性双生児なので、そっくりなイケメンである。気難しい表情が多いから昇太よりも人を寄せつけ難い空気を放っているが、女子たちの人気は高かった。
 私が龍司と一緒にいることが多いからちょっとした嫌がらせを受けたことがあったことが記憶から蘇る。私が受けた嫌がらせに対して、昇太と龍司が報復していたのも知っている。あれは確か龍司が振った女生徒の仕業だった。

「僕が寝取ったから怒ってる?」
「気持ちの整理をしているんだ。昇太は黙っていてくれ」
「ふむ」

 昇太が立ち上がって、私に手を差し出した。

「ちょっと席を外そう?」
「この流れで部屋に連れ込まれるのは、ちょっと」

 私は頬を掻きながら拒んだ。どう考えても二人きりになるのは危険だ。
 私の考えが合っていることを示すように、昇太は口の端を非対称に上げた。

「その気にさせたら、抱かせてよ」
「なんでヤル気に満ちてるの」

 昇太の手を取るまいと私はソファにめり込み気味に引いた。
 逃げようとする私に構わず、昇太は迫ってくる。

「性欲が強めなんだよ。デイトレのストレスかなあ」
「昇ちゃんならもっと別の方法でお金を稼げるよ。ストレスがかかるなら辞めたらどうなの?」

 昇太は賢い人間だと私は評価している。デイトレード以外でもうまく稼ぐ仕事を見つけるのは容易なんじゃなかろうか。
 私が気を削ぐために提案すると、昇太は両手をポンと叩いた。

「あ。じゃあ、お金を払えばいい?」
「私を買わないでください」

 そうじゃない。なかよしの幼馴染でいさせてほしい。

「遠慮しなくていいのに。幸菜のイイトコロ、ちゃんと覚えてるよ」
「もう関係ないことです。忘れて」

 うっかり思い出してしまったではないか。
 顔をそむければ、向けた側に昇太は移動した。目が合う。

「あれからテクも覚えたから、試してみない? もっと気持ちよくしてあげられると思うんだ」
「誘わないで。もう昇ちゃんとはそういうことはしないって決めたから」

 あれだけで充分だ。私は昇太のカノジョになることを選ばなかったし、それゆえに関係は続けないと決めたのだ。
 昇太は結婚する。相手は妊娠している。私の出番はない。

「勝手に決めないでよ」
「昇ちゃんは結婚するんだから、そういうところはしっかりしないとダメだよ」
「だから、許可は取ったって言ったよ。こっそりじゃない。公認だよ」
「公認だからいいってことにはならないよ!」

 帰ろう。
 私は家に帰ることに決めた。ここにいるのはよくない。昇太は誘ってくるし、龍司は処理落ちしているし、本題は片付いたのだから急いで逃げるべきだ。
 私がすっと立ち上がると、一歩踏み出す前に両方から抱きしめられた。
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