崖っぷちOL、定食屋に居候する

小倉みち

文字の大きさ
3 / 46
第1章

事件

しおりを挟む
 本当、踏んだり蹴ったりである。
  

 会社で騒いだのは全て私の責任だ。


 確かにそれはそうだ。

 きちんと反省している。


 しかし、上司にやんわりと叱られただけだと言うのが松井さんの気に食わなかったらしく、個別で松井さんのサポートをお願いされた。
  

 くそ、ヒステリックババアめ。

 後で覚えてろ。

 それに会社も。

 
 わざとゆっくり仕事をしてお前からがっぽり残業代取ってやるからな。
  

 神話によると、この国のどこかに「ホワイト企業」というものがあるらしく、そこは、こんな苦行など一切存在しない理想郷であるらしい。


 ぜひ就職してみたいものだ。

 いや、就職したかった。
  

 か弱い女性一人、冷たいオフィスの中でカタカタとパソコンのキーボードを叩く。

 
 腹いせに大きな音を立てても、誰も文句を言わない。


 虚しい。

 泣きそうだ。
 

  寂しくて同じ部署の同僚、イケメンA君がここにいることを妄想してみる。

「高木さん、疲れてない?俺、高木さんのこと心配なんだ」  

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう、優しいのね」

「……優しくするのは高木さんだけだよ」


 なーんてね。

 キャー!


 でもそう言えば、A君は確か最近婚約したんだっけな。


 超可愛い受付嬢と。

 ……あー、虚しい。


 結局、妄想に拍車がかかって手元が疎かになり、当初予定していた帰る時間を大幅に超えてしまった。


 いつもなら、とっくの昔に眠ってしまっている時間に会社を出ねばならぬと、半分自分のせいなのにいらいらしてタイムカードを入力させる。

 私のために最後まで残ってくださった警備の方に挨拶して、冬特有の冷気に飛び込んだ。

「さっむーい」


 結構なボリュームで独り言を言っても、誰も変な目で見ないというか誰もいないという事実に慄くが、ともかく明日は休みである。


 よし、いっぱい寝て久しぶりに料理でもするかと、後で酷く後悔するような催し物を考え込んでいると、いつの間に自分の家付近に着いていたらしい。


 だが、そこに家はなかった。


 そう、家がなかった。


 鳴り止まぬサイレンの音と、数本の水柱、明るいオレンジ色の世界、悲鳴、炎の欠片が飛沫のようにあちこちに飛び散っている。


 焦げ臭さが鼻孔に入り、思い切り咳込んだ。

「大丈夫かしら」


 なんぞ口々に仰っている近所のおばさま方と、にやにや笑いながら個人の家を撮影している野次馬共。


 私は目をこすって、もう一度目の前を見つめる。


 これは、誰の家だ?

 なんか私の家に形が似ているんだけれど。

 ものすごく。


 どう考えても今燃えているのが実家にしか見えず、それを信じられない私は自分の頬にビンタを食らわす。

 だが目の前の風景は一切変わらない。

 夢ではなかった。

 現実だ。


 そうしている間にも、ひたすら燃え上がる自分の家。


 怒りとか悲しみとか、そんな感情はついぞ湧いてこなかった。


 ああそう言えば家に家に置きっぱなしだったな、通帳。

 カードは持ってるから、お金は下ろせるんだろうけど。


「お姉さん、大丈夫ですか!?」


 しっかりしてくださいと揺さぶられ、口々に質問してくるごわごわしたオレンジ色の人たちに向かって、あろうことか、

「……これ、保険おりますよね?」

 なんて聞いてしまった私は馬鹿なのだろうか。


 私は実家暮らしである。

 だが、一人で住んでいる。


 いや、今では「いた」、か。

 ハハ。

 全部燃えちゃったしね。



 実家に元々住んでいた連中、すなわち私の家族は、たった一人の娘を置いて田舎の祖父母の元で農業を次ぐと一念発起し、今は遠い場所で大型機械を動かしている。


 そういうわけで私は、せっかく地元で就職したのに結局一人暮らしになってしまったわけだが。


 その住んでいた家が、全焼してしまった。

 もうまるっきり。


 理由はガス漏れらしい。


 うちの家の古くなったガスコンロからやつが漏れ出し、乾燥した空気と化学反応を起こして火災発生。


 幸か不幸か、近くに誰もいなかったせいで家は燃えに燃え、気づいたときには大炎上だったらしい。


 一切私のせいではないが、もちろんご近所さんのせいではない。

 誰かのせいにするのが不可能である。
  

 だがあの野郎ども、私が、

「火災保険入ってる?」


 と聞くと、

「うーん、どうだっけなー? 多分、入ってない、かな? いや、入ってる? ――ねぇお父さん、どっちだったっけ!?」

 などと、曖昧なことを抜かしやがる。


 はっきりしやがれ。

 こちとら何もかも全部燃えてんのよ。


 消防署で事情を聞かれ、警察署で事情を聞かれ、気が付くと夜明けである。

 眠いし、怠い。


 早く眠りたい。

 あっ、家燃えたんだった。


 早朝、唯一頼れそうな友人に連絡する。


「んー、もう、なによぉ。一体何時だと思ってんのぉ」


 面倒くさそうな声で電話に出てくれた友人に、

「雛子ぉ。家、なくなっちゃったぁ……」


 と、私は涙の交じった声ですがりついた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...