崖っぷちOL、定食屋に居候する

小倉みち

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第3章

昼休憩

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 断ることなど、当然不可能だ。
 

 松井さんは先輩で、しかも私を直接指導する側の人間。

 そんな人の誘いを断れば、どれだけ恐ろしいことが起こるか。


 考えるだけで身震いする。
 
 それにしても、なぜこの人は私と一緒にご飯を食べるという暴挙に出たのか。
 

 気づかれないように、松井さんを細目で見つめた。
 
 どの会社でもそうなのかは知らないが、お昼時になると、異常に社員食堂が混む。


 それが嫌で、かつての私はよく他の同僚と一緒にランチしていた。

 仕事終わりに飲みに行ったりなんてのも普通だったから、あの頃の生活は無駄遣いレベルMAXだった。

 今は、冬馬さんがいるおかげで財布に優しい生活を送っているのだけど。
 

 話を戻そう。

 社員食堂からあぶれた連中は、昼ご飯を持ってどこに行くかというと、大抵は他に設置されている食事スペースに移動するわけだ。

 だがそこは外のベンチであったり、階段の下のデッドスペースに無理やり作った薄暗い空間であったりする。


 過ごしやすい季節ならまだしも、夏や冬は地獄だ。

 だからと言って、普段仕事をするオフィスで食事をするのも気持ち的に乗らない。

 そんな私たち社員にとって、昼休みはある種の戦いだった。


 しかし聞いたところによると、この会社には「穴場」があるらしい。


 外でなく、室内。

 寒くもなく暑くもなく、常にちょうどいい温度で人がいない。


 この会社にそんな素晴らしい場所があるらしいと、昼食難民である社員たちの間で噂になっているのだが。

 未だに、実際のその姿を拝んだ者はいないとされていた。
  

 しかしまさか、その穴場の発見者が松井さんだったとは。

 なるほど、だから誰も知らないわけだな。
  

 松井さんの思ってもみない一面に対して目を見張ると同時に、この場所がいかに危険かということをひしひしと肌で感じた。


「……ま、松井さん、いつもここで食事を?」

「ええ。何かおかしいかしら?」
  

 ええ、おかしいですよ。

 あんたの考えが。
  

 心の中で叫ぶ。
  

 こんな場所で食事して良いわけないでしょうが!


 何度か入ったことのあるこの部屋は、社長室などを除けば恐らく一番まともで豪華な場所だろう。

 普段は取引先をもてなす空間である。


 つまり、応接間。


 たしかに都合の良い場所だ。


 昼は誰もやって来ないし、それなのに暖房設備は完璧。

 快適に昼食を取ることの出来る唯一の場所である。


「大丈夫よ。昼休みには誰も来ないわ。しっかりシフト確認してきたし」
  
 私の心を読んだのか、松井さんはそう言った。

「あ、ああ……。そうなんですか」


 一応は頷く。


 でも、私はあくまで小市民。

 いくら大丈夫だと言われようが、ルール違反は怖い。


 どう言われようが、恐怖心に関してはどうしようもなかった。

「それに、別に見つかっても取って食われるようなことはないわ」

「は、はい……」

「さあ、座って。昼休みは有限じゃないしね」


 松井さんはそう言って私を高級ソファに座らせる。


 私は恐る恐るそこに腰かけ、その柔らかさに驚いた。


 これは確かに良い。

 ここでずっと過ごしていたいという気持ち、確かにわかるわ。


「でも、三十分後に掃除の方がいらっしゃるから、早く食べてちょうだい」

「わ、わかりました」
  

 せっかく味わって食べようと思ったのに。
  
 貴重なご飯なのに。


 文句を言葉にしないまでも、態度に示そうと頑張って顔をしかめてみる。


 だが。

 冬馬さんの料理を前にして、そんな負の感情のままいられるはずもなく。


 一口食べた途端、私の苛立ちは四散した。
  

 まずは焼き鮭。

 口に入れた途端、思わず声を上げる。
  

 何この柔らかさ。
  

 正直、お弁当に入っている焼き鮭は固くてあまり好きではない。

 なんだかパサパサしているし、喉に突っかかるから。

 しかし、この鮭は一体なんなのだろう。

 今までは必死で噛んで食べていた鮭が、歯を差し込むだけで崩れ、口の中でほどけていく。

 塩辛く、だが魚の味を消すことがない。

 麦飯に乗せて食べると、ちょうど良い塩梅で塩が分散される。


 美味しい。
  

 お次はちくわきゅうり。

 これも安定の美味しさ。

 ちくわのしっとりと、きゅうりのシャキシャキが、見事な組み合わせとして提供されている。
  

 だし巻き卵。

 見た目に違わずふわっふわだ。

 シルクのように滑らかな口どけ。

 きめ細やかな卵に包まれた私の舌は、極上の幸せに溺れてしまう。

 薄すぎず、濃すぎない出汁。

 甘いのは、雛子ファミリー代々引き継いできた伝統の味か。

 うちの家は塩派だったが、やはり甘いものも最高である。
  

 たこさんウィンナー。

 こんなもん誰が作っても一緒だろと思うだろうが、全然違う。

 絶妙な焼き加減。

 足は綺麗に反り返っていて、胡麻で出来た瞳は、きらきらと正露丸のように輝いている。


 私は一匹を口の中へ放り込んだ。

 噛み締めるほどに、肉汁が溢れ出てくる。


 冷たくても美味しくいただける、そんな逸品だ。
  

 トマトも素晴らしい出来だった。

 新鮮な野菜を生でいただくのは、究極の贅沢だと思う。

 銀紙で包まれていた粗塩をつけても、彼がトマト本来の味を引き立ててくれる。
  

 最後に苺。

 食べやすいように切られたこの子たちに、冬馬さんの愛情を感じる。

 口の中で、豊潤さの塊がつるっと喉の中に消えていくような感じ。

 甘さが鼻から外へと飛び出す。

 気分はもう恋する乙女だ。


 何が言いたいかと言うと、全部めちゃくちゃ美味しい。
  
 今回のお弁当も文句なしです。

 最高です冬馬さん。


「ンフッ」
  
 私の前でコンビニ弁当を貪っていた松井さんが、突然吹き出した。


「え、どうかされましたか?」

「い、いえ。なんでもないわ」
  

 そわそわとゴミを片付け始める松井さん。
  
 そうか、もうそんな時間なのか。
  
 慌てて曲げわっぱを風呂敷で包み、立ち上がった。


「……高木さんって、食べるの好きなのね」
  
 松井さんは独り言のようにそう呟く。

「そうなんです。どうしてわかったんですか?」

 私が尋ねると、

「ものすっごい笑顔で……。あっ、いえ、なんでもないわ」
  
 松井さんは言葉を濁し、その場を颯爽と立ち去った。
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