【本編完結】キミの記憶が戻るまで

こうらい ゆあ

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14.

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 逃げる暇なんてなかった。
 トンっと軽く背中を押されたような気がした。
 甘いシャンプーの香りが印象的で、細くしなやかな白い指が綺麗だと思った。
 こんな小柄なのに、結構力が強いんだ……って、能天気なことを考えてしまった。

 気持ち悪い笑みを浮かべた彼と目が合った気がした。
 狂気に満ちた目。
 心の底から嬉しそうな笑顔。
「ぁっ……」
 ぐらりと視界が揺れているのに気づいたとき、オレの身体はふわりと宙を浮いていた。
 手を伸ばして手摺りを掴もうとしたけど、空を掴むだけでどうすることもできなかった。
 
 階段の冷たいコンクリートが足元に迫り、心臓がバクバクと跳ねる。
「バイバイ。死んじゃえ」
 彼の淡い栗毛色の髪がふわりと揺れ、甘いシャンプーの匂いが遠ざかっていく。
 さっきよりも歪な笑みを浮かべた彼が、落ちていくオレを眺めている。
 ニヤリと笑いながら手を振ってくる彼に手を伸ばすも、全然届かない。
 階段の手すりが視界の端で揺れ、冷たい風が頬を刺す。
 手が空を切り、階段の段差が視界に迫ってくる。
 アイツの甲高い笑い声が耳に響き、ニンマリと三日月のように歪んだ口元と目がオレを見下している。
 
 あ……これ、落ちてるんだ……
 手すりを掴まなきゃって思うのに、手が届かない。
 周りの景色が、異様にゆっくり過ぎ去っていくように見えた。
 階段のコンクリートがどんどん近付いてきて、壁のひびがゆっくりと流れていく。
 どこかに捕まらなきゃヤバいって、頭ではわかってるのに、身体が追い付かない。
 焦っているはずなのに、妙に頭の中は冷静で、声も出てこない。
 それなのに、なんでだろ……
 さっきから琥太郎の顔ばかり思い出してしまう。
 困ったみたいに眉を下げて笑う笑顔とか、オレの頭に顔を埋める姿とか、疲れてるのに強がってる顔。
 オレのこと、好きでしかたないって思ってくれてるときの目。
 ソファーでくつろぎながら、オレに笑いかけてくれる琥太郎の声が耳に残っている。
 温かい手がオレを抱きしめてくれて、オレも抱きしめ返したかった。

 あぁ……コレ、走馬灯ってやつだ。
 オレ、死ぬのかな?
 死ぬ間際すら、琥太郎のことばっかりなんだ……
 本当は、嫌われてたのに……未練ばかっり。
 
 もう、いっか……
 琥太郎がいないなら、ひとりで生きていくくらいなら、それでも……
 
 足元の段差が近づき、身体が当たって跳ねる。
 全身に鈍い痛みを感じ、息もできない。
 何度かバウンドしたのか、視界がグルグル回る。
 最後に壁にぶつかり、床に身体が重く沈むのを感じる。

「ひよっ!」
 白く霞んでいく意識の中、遠くで琥太郎の声が聞こえたような気がした。
 なんだかすっごく懐かしい気がする。
 琥太郎は、オレとふたりっきりのときは、『ひよ』って呼んでくれた。
 琥太郎が甘えたいときに呼んでくれる言い方。
 オレ、結構アレ好きだったんだよね。

「ひよっ!ひよっ!朝陽!」
 琥太郎の焦ったような声と革靴で駆けてくる足音が響いている。
 懐かしい香水の匂いを感じ、浅い呼吸を繰り返す。
 なんだろ、身体……重たいなぁ……
 落ちたはずなのに、痛いってよりもなんか……苦しい。
 なんか生暖かいモノで髪が濡れて気持ち悪い。
 誰だろ……オレのこと、抱きしめてくれてるの……温かい。落ち着く……
 目の前がぼーっとしてしまって、誰が抱きしめてくれているのかわからない。
 錆びた鉄の臭いがして、視界が白く霞んで見えにくい。
 さっきから頭に鈍い痛みが走って、考えがまとまらない。
 
「朝陽!朝陽!目を開けろ!頼むから!」
 大好きな人がいつも付けていた香水の匂いが胸を満たしてくれる。
 琥太郎の声みたい……
 また、名前……呼んでくれるの嬉しいなぁ……
 薄っすら目を開けると、琥太郎と同じ黒い髪が視界の端に映る。
「……コタ?」
 掠れた声で名前を呼んでみる。
「……まぼろ、し……でも、や……と、あぇ、た……」
 霞んでいく意識の中、最後に会いたいって思っていた人の幻想を見るなんて、なんて未練がましいんだろう。
 諦めようって決めてたのに……
 諦めなきゃって、わかっていたのに……
 会いたくて、会いたくて……しかたなかった。

 オレの頬に誰かの暖かな手が触れて、ぬるっとヌルつく髪を撫でてくれる。
 最近の幻覚ってすごいんだな。
 本当に、琥太郎に抱きしめてもらえているような気がする。
 じゃあ、これだけは、伝えたいな……
 幻でも、オレの妄想でもいいから……琥太郎に伝えたいな……
「コ、タ……だぃ、すき……だよ……」
 精一杯の笑みを浮かべ、最後の力を振り絞って告白する。
 ちゃんと言葉にできたのかはわからない。
 本当は誰に言ってるのかもわからない。
 それでも、これだけは言いたかった。
 死んじゃうなら、最後に伝えたかった。

 ずっと、彼の幻を見ていたいのに、今は眠たくてしかたない。
 目を開けているのが辛くて、意識が霞んでいく。
 瞼が重くて、身体が闇に沈んでいく。

 すごいなぁ~。走馬灯って、こんなにリアルなんだ。
 今どきの幻って、好きだった人に触れてもらえるのってすごいね。
 もっと、もっと、抱きしめて欲しい。
 好きな人の熱を感じていたい。
 けど、ダメだ。
 もう、起きていられない。

『コタ、大好きだよ。オレのこと、本当はどうでもよかったのかもしれないけど、オレは今でもコタのこと大好きだよ。もっと、もっと……ちゃんと、好きって……伝えておけばよかった、な……』
 意識がゆっくりと闇に溶けていく。
 琥太郎の顔が、闇に飲み込まれていく。
 ヤダな……消えないで……
 オレから琥太郎のこと、奪わないで……
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