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入院している間に溜ってしまった仕事をひとつひとつ片付けていく。
同じ営業課の仲間が肩代わりをしてくれていたが、積み上がった仕事の量を考えるとため息が自然と出てしまう。
迷惑をかけてしまった分、やらなければいけないことが山積みになっているのはしかたないことだと諦めている。
だが、今はそんなことよりも、アイツのことが気がかりだった。
アイツが何を考えているのかわからないが、朝陽が福岡にいる間はどうやっても手出しすることはできないだろう。
ピコン
会社のパソコンにメールの着信を知らせる音が響く。
連絡してきた相手を確認すると、俺の一番嫌いな相手からだった。
『櫻井さん、お疲れ様です。司馬です。竹内が昨日福岡から戻ってきているようです。それと、やっぱり竹内、色々と悩んでるみたいなんで、今日、人事に相談したいことがあるという連絡が来たらしい。多分そろそろそっちに行ってると思うので、櫻井さんは竹内を確保しといてください。俺ももうすぐそちらに向かいます』
一方的な内容に内心苛立ちが募る。
なんでアイツが朝陽の予定を知っているんだ?
それに、あとでアイツも来るから朝陽を確保していろって、何様のつもりだ?
俺が朝陽に会うのは当たり前だ。
だが、司馬が朝陽に会いに来るのは納得できない。
この時間、お前は店の方が忙しいだろ。そっちの仕事をしっかりやれよ。
というか、そもそもどこからその情報を得ているんだ!
色々と言いたいことがあるものの、同僚のいるオフィスで文句を口に出すことができない。
「……朝陽」
オレの愛おしい恋人の名前を口にし、落ち着くためにゆっくりと息を吐き出す。
朝陽が、こっちに帰って来た。
わかっていたことだ。
ずっと福岡にいるわけじゃない。
だが、今朝も守を見つけることはできなかった。
守がどこにいるのかも、何を計画しているのかもわからない。
オフィスの蛍光灯が頭上でチカチカと点滅し、心臓がバクバクと跳ねる。
ただ、さっきから嫌な予感がする。
背筋から冷たいものが流れ落ちるような嫌な感じ。
大切なものが手のひらから溢れ落ちてしまうような恐怖が、胸を締め付ける。
「少し、休憩に行ってくる」
同僚に声を掛け、パソコンをスリープモードにして席を立つ。
1階で待ち構えた方が良いのか?
それとも……
エレベーターが到着した音が廊下に響く。
昼休憩を終えた人たちが続々と降りてくるのを見て、なぜか焦りが募っていく。
「朝陽……」
下の階に向かうエレベーターに乗り込み、1階の玄関ホールで朝陽の姿を探す。
多くの人が行き交うホール内に、彼の姿は見付からない。
さっきから何度電話をしているが、電源を切っているのか、虚しい電子音が流れるだけだった。
『ちょっと待っててね。すぐにアレを消してあげる♡』
歪な笑みを浮かべ、猫撫で声で囁くアイツの声を思い出し、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
早く。早く。早く……
朝陽を探さなければ……
すれ違いを避けるため、人事部のある6階で待ち伏せしようとエレベーターの乗場ボタンを押す。
しかし、休憩を終えた人が多いせいか、なかなかエレベーターが来ない。
『運動不足解消はやっぱり昇降運動が一番だって!コタもできるだけ階段使えよ?』
朝陽が前にこのビルに来たときに言われた言葉。
滅多にこっちに来ることはなかったが、打ち合わせという名目で時々来てくれた。
その時に言われた言葉を思い出し、階段に走る。
階段を駆け上がる足音が響き、薄暗い蛍光灯が顔を照らす。
誰にも会わなければいい。
何もなければいい。
俺の気のせいであれば……
しかし、3階に差し掛かったとき、上の階で誰かが騒いでいる声が聞こえた。
聞き覚えのある、甘く耳に纏わりつくような声。
守の不快な声が頭に蘇り、駆け上がる足が急ぐ。
もうすぐ4階に辿り着きそうなとき、なにか重たいものが階段を転がり落ちる音が響き、血の気が引いた。
何が落ちたのかはわからない。
だが、嫌な予感がしてならない。
鈍い衝撃音と、不快な高笑いする声が階段に響き渡った。
必死に駆け上がっているはずなのに、なぜか時間だけがゆっくり流れているようだった。
全てがスローモーションのように感じ、目的の場所が遠く感じる。
手足が重く、思うように動けない。
何度か転びそうになるのを堪え、できるだけ早く昇る。
「やったぁ!やっと邪魔者が消えた♪これで琥太郎は僕のモノ♡あぁ~、やっと幸せになれるんだぁ~」
聞き覚えのある不快な声と笑い声が昇降階段内に響き渡る。
アイツだ。アイツが、ここに居る。
血の気が引く思いだった。
いくら探しても見付からなかったアイツが、ここに居る。
でも、なんであんなに嬉しそうなんだ?
邪魔者が消えた?一体……どういう……
階段の踊り場に、誰かが倒れているのがわかる。
白いパーカーを着た小柄な人物がひとり。
頭の辺りが赤く染まり、床に赤い水溜まりが広がり始めている。
「……あ、さひ……?」
ピクリとも動かない人物を見て、俺は無意識に愛しい恋人の名前を口にした。
騒ぎを聞きつけて、野次馬が集まり騒ぎになり始めるも、俺には全てどうでもよかった。
目の前で倒れている人が、顔を見なくても誰なのかわかってしまった。
ふわふわのダークブラウンの髪が濡れて、黒く汚れてしまっている。
白いパーカーのフードが赤く染まっていく。
「ひよっ!」
俺は無我夢中で血を流し、倒れている大切な人を抱え、傷口を確かめる。
頭を強打し、額が切れてしまったのか、血が止まらない。
心臓が早鐘のようになっている。
「ひよっ!ひよっ!朝陽!」
何度も名前を呼びかけるも、朝陽は目を開けてくれない。
「頭を打っています。揺らさないで!すぐに救急車が来るので離れてください!」
警備員らしい人が俺と朝陽を引き離そうとするが、俺はその手を振り切り、朝陽に声を掛け続ける。
「朝陽!朝陽!目を開けろ!頼むから!」
朝陽の名前を叫ぶ声が喉に詰まり、階段のコンクリートが足元に響く。
心臓がドクドクと鳴って他の音が聞こえないくらいうるさい。
自分の声すら壁を隔てているように聞こえ、世界が隔絶されたように感じる。
朝陽の名前を叫ぶ声が階段に響き、喉が焼けるように熱い。
血の匂いが鼻をつき、頭に鈍い痛みが走る。
血に濡れた朝陽をそっと静かに抱き上げると、うっすら目を開いて俺を見てくる朝陽にやっと安堵の息を吐き出す。
「……や……と、あぇ、た……」
ドクドクと溢れ出す朝陽の血で、彼の頬が冷たく冷えていく。
朝陽がなにか言っているが、掠れた小さな声なせいで、内容を聞き取ることができない。
俺は、朝陽の頭部から流れている血で服や手が濡れるが、動揺していてそんなことは気にもならなかった。
血の生暖かい感触が手に広がり、朝陽の青白い顔が視界を埋め尽くす。
「ひよ!おい、ひよ!目を開けろ!頼むから、死ぬな!死なないでくれ!」
浅い呼吸を繰り返しながら微かに目を開く朝陽に向かって何度も名前を呼び続ける。
頼むから、返事をしてくれ。
目を開けるだけでもいい。
死なないでくれ。
祈るように朝陽の青白い頬を撫でると、朝陽の瞼が震え、微かに口元を綻ばせて笑みを浮かべる。
「コ、タ……だぃ、……き……だ、ょ……」
朝陽の掠れた声が耳に響く。
さっきよりははっきりした声だったが、最期の告白のような言葉に心臓がドクンと跳ねる。
「ひ……よ……?」
朝陽は力尽きたように意識を手放してしまい、名前を呼んでも目を覚ますことはなかった。
「櫻井さん、救急隊員の方が来たから離れて!」
司馬の鋭い声が階段に響き、誰かに肩を掴まれ朝陽から無理矢理離される。
朝陽の周りを救急隊の人たちが囲み、怪我の具合や脈を取っているようだった。
何度も「竹内さん、聞こえますか?竹内さん」と声掛けをしているのが聞こえる。
救急隊員の無線が耳に響き、担架の金属音が階段にこだまする。
朝陽の青白い顔が担架に揺れ、胸が締め付けられる。
茫然とそれを見ることしか俺にはできなかった。
「櫻井さん、竹内に付き添って乗ってください。付き添いはひとりしか出来ないらしいから、アンタが一緒にいる方がいいだろ」
放心状態の俺に向かって、司馬が言ってくる。
いつの間にコイツが来たのかわからない。
だが、事情を察したのか、司馬は周りにも的確な指示を出しているようだった。
俺はただ、目を覚まさない朝陽の手をギュッと握り締め、一緒に救急車に乗り込むことしかできなかった。
救急車に乗り込む寸前、警察に取り押さえられたアイツがなにかを叫んでいる声が聞こえた。
「ボクは自分の恋人を連れ戻すためにやっただけ!邪魔者はアイツなんだ!邪魔なアレを僕は排除しただけだ!ちょっと!痛い!やめてっ!琥太郎以外、ボクに触らないでっ!」
倒れている朝陽を見つけたのか、アイツはニヤァっと嫌な笑みを浮かべ、高笑いしながら警察車両に乗せられていった。
今回の事件の犯人であり、原因を作ったのは彼だ。
彼さえいなければ、朝陽はこんなことにならなかった……
「琥太郎!待っててね。すぐに出てくるから!ボクがちゃんと迎えに行くから、待っていてね」
アイツがなにか叫んでいる。
でも、俺にはもうどうでもよかった。
アイツが何を叫んでいようと、何を言っていようと、どうでもよかった。
「ひよ……ごめん」
俺は、朝陽の手をギュッと握り締め、祈るように名前を呼ぶことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
朝陽は、奇跡的に全身の打撲と軽い脳震盪だと判断された。
額を切ったせいで出血はしているものの、二針縫うだけで済んだ。
命に別状はないと聞いた瞬間、全身の力が抜けてしまった。
だが、朝陽は三日経っても、目を覚まなかった。
消毒液の匂いと、病室の白いカーテンがゆらゆらと揺れている。
朝陽のゆっくりとした寝息だけが病室内に響いていた。
「ひよ……」
朝陽の手を握り締め、怒りと後悔が胸を締め付ける。
俺のせいで朝陽がこんな目に遭ったという罪悪感が心を抉り、祈るように手を握り続けた。
同じ営業課の仲間が肩代わりをしてくれていたが、積み上がった仕事の量を考えるとため息が自然と出てしまう。
迷惑をかけてしまった分、やらなければいけないことが山積みになっているのはしかたないことだと諦めている。
だが、今はそんなことよりも、アイツのことが気がかりだった。
アイツが何を考えているのかわからないが、朝陽が福岡にいる間はどうやっても手出しすることはできないだろう。
ピコン
会社のパソコンにメールの着信を知らせる音が響く。
連絡してきた相手を確認すると、俺の一番嫌いな相手からだった。
『櫻井さん、お疲れ様です。司馬です。竹内が昨日福岡から戻ってきているようです。それと、やっぱり竹内、色々と悩んでるみたいなんで、今日、人事に相談したいことがあるという連絡が来たらしい。多分そろそろそっちに行ってると思うので、櫻井さんは竹内を確保しといてください。俺ももうすぐそちらに向かいます』
一方的な内容に内心苛立ちが募る。
なんでアイツが朝陽の予定を知っているんだ?
それに、あとでアイツも来るから朝陽を確保していろって、何様のつもりだ?
俺が朝陽に会うのは当たり前だ。
だが、司馬が朝陽に会いに来るのは納得できない。
この時間、お前は店の方が忙しいだろ。そっちの仕事をしっかりやれよ。
というか、そもそもどこからその情報を得ているんだ!
色々と言いたいことがあるものの、同僚のいるオフィスで文句を口に出すことができない。
「……朝陽」
オレの愛おしい恋人の名前を口にし、落ち着くためにゆっくりと息を吐き出す。
朝陽が、こっちに帰って来た。
わかっていたことだ。
ずっと福岡にいるわけじゃない。
だが、今朝も守を見つけることはできなかった。
守がどこにいるのかも、何を計画しているのかもわからない。
オフィスの蛍光灯が頭上でチカチカと点滅し、心臓がバクバクと跳ねる。
ただ、さっきから嫌な予感がする。
背筋から冷たいものが流れ落ちるような嫌な感じ。
大切なものが手のひらから溢れ落ちてしまうような恐怖が、胸を締め付ける。
「少し、休憩に行ってくる」
同僚に声を掛け、パソコンをスリープモードにして席を立つ。
1階で待ち構えた方が良いのか?
それとも……
エレベーターが到着した音が廊下に響く。
昼休憩を終えた人たちが続々と降りてくるのを見て、なぜか焦りが募っていく。
「朝陽……」
下の階に向かうエレベーターに乗り込み、1階の玄関ホールで朝陽の姿を探す。
多くの人が行き交うホール内に、彼の姿は見付からない。
さっきから何度電話をしているが、電源を切っているのか、虚しい電子音が流れるだけだった。
『ちょっと待っててね。すぐにアレを消してあげる♡』
歪な笑みを浮かべ、猫撫で声で囁くアイツの声を思い出し、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
早く。早く。早く……
朝陽を探さなければ……
すれ違いを避けるため、人事部のある6階で待ち伏せしようとエレベーターの乗場ボタンを押す。
しかし、休憩を終えた人が多いせいか、なかなかエレベーターが来ない。
『運動不足解消はやっぱり昇降運動が一番だって!コタもできるだけ階段使えよ?』
朝陽が前にこのビルに来たときに言われた言葉。
滅多にこっちに来ることはなかったが、打ち合わせという名目で時々来てくれた。
その時に言われた言葉を思い出し、階段に走る。
階段を駆け上がる足音が響き、薄暗い蛍光灯が顔を照らす。
誰にも会わなければいい。
何もなければいい。
俺の気のせいであれば……
しかし、3階に差し掛かったとき、上の階で誰かが騒いでいる声が聞こえた。
聞き覚えのある、甘く耳に纏わりつくような声。
守の不快な声が頭に蘇り、駆け上がる足が急ぐ。
もうすぐ4階に辿り着きそうなとき、なにか重たいものが階段を転がり落ちる音が響き、血の気が引いた。
何が落ちたのかはわからない。
だが、嫌な予感がしてならない。
鈍い衝撃音と、不快な高笑いする声が階段に響き渡った。
必死に駆け上がっているはずなのに、なぜか時間だけがゆっくり流れているようだった。
全てがスローモーションのように感じ、目的の場所が遠く感じる。
手足が重く、思うように動けない。
何度か転びそうになるのを堪え、できるだけ早く昇る。
「やったぁ!やっと邪魔者が消えた♪これで琥太郎は僕のモノ♡あぁ~、やっと幸せになれるんだぁ~」
聞き覚えのある不快な声と笑い声が昇降階段内に響き渡る。
アイツだ。アイツが、ここに居る。
血の気が引く思いだった。
いくら探しても見付からなかったアイツが、ここに居る。
でも、なんであんなに嬉しそうなんだ?
邪魔者が消えた?一体……どういう……
階段の踊り場に、誰かが倒れているのがわかる。
白いパーカーを着た小柄な人物がひとり。
頭の辺りが赤く染まり、床に赤い水溜まりが広がり始めている。
「……あ、さひ……?」
ピクリとも動かない人物を見て、俺は無意識に愛しい恋人の名前を口にした。
騒ぎを聞きつけて、野次馬が集まり騒ぎになり始めるも、俺には全てどうでもよかった。
目の前で倒れている人が、顔を見なくても誰なのかわかってしまった。
ふわふわのダークブラウンの髪が濡れて、黒く汚れてしまっている。
白いパーカーのフードが赤く染まっていく。
「ひよっ!」
俺は無我夢中で血を流し、倒れている大切な人を抱え、傷口を確かめる。
頭を強打し、額が切れてしまったのか、血が止まらない。
心臓が早鐘のようになっている。
「ひよっ!ひよっ!朝陽!」
何度も名前を呼びかけるも、朝陽は目を開けてくれない。
「頭を打っています。揺らさないで!すぐに救急車が来るので離れてください!」
警備員らしい人が俺と朝陽を引き離そうとするが、俺はその手を振り切り、朝陽に声を掛け続ける。
「朝陽!朝陽!目を開けろ!頼むから!」
朝陽の名前を叫ぶ声が喉に詰まり、階段のコンクリートが足元に響く。
心臓がドクドクと鳴って他の音が聞こえないくらいうるさい。
自分の声すら壁を隔てているように聞こえ、世界が隔絶されたように感じる。
朝陽の名前を叫ぶ声が階段に響き、喉が焼けるように熱い。
血の匂いが鼻をつき、頭に鈍い痛みが走る。
血に濡れた朝陽をそっと静かに抱き上げると、うっすら目を開いて俺を見てくる朝陽にやっと安堵の息を吐き出す。
「……や……と、あぇ、た……」
ドクドクと溢れ出す朝陽の血で、彼の頬が冷たく冷えていく。
朝陽がなにか言っているが、掠れた小さな声なせいで、内容を聞き取ることができない。
俺は、朝陽の頭部から流れている血で服や手が濡れるが、動揺していてそんなことは気にもならなかった。
血の生暖かい感触が手に広がり、朝陽の青白い顔が視界を埋め尽くす。
「ひよ!おい、ひよ!目を開けろ!頼むから、死ぬな!死なないでくれ!」
浅い呼吸を繰り返しながら微かに目を開く朝陽に向かって何度も名前を呼び続ける。
頼むから、返事をしてくれ。
目を開けるだけでもいい。
死なないでくれ。
祈るように朝陽の青白い頬を撫でると、朝陽の瞼が震え、微かに口元を綻ばせて笑みを浮かべる。
「コ、タ……だぃ、……き……だ、ょ……」
朝陽の掠れた声が耳に響く。
さっきよりははっきりした声だったが、最期の告白のような言葉に心臓がドクンと跳ねる。
「ひ……よ……?」
朝陽は力尽きたように意識を手放してしまい、名前を呼んでも目を覚ますことはなかった。
「櫻井さん、救急隊員の方が来たから離れて!」
司馬の鋭い声が階段に響き、誰かに肩を掴まれ朝陽から無理矢理離される。
朝陽の周りを救急隊の人たちが囲み、怪我の具合や脈を取っているようだった。
何度も「竹内さん、聞こえますか?竹内さん」と声掛けをしているのが聞こえる。
救急隊員の無線が耳に響き、担架の金属音が階段にこだまする。
朝陽の青白い顔が担架に揺れ、胸が締め付けられる。
茫然とそれを見ることしか俺にはできなかった。
「櫻井さん、竹内に付き添って乗ってください。付き添いはひとりしか出来ないらしいから、アンタが一緒にいる方がいいだろ」
放心状態の俺に向かって、司馬が言ってくる。
いつの間にコイツが来たのかわからない。
だが、事情を察したのか、司馬は周りにも的確な指示を出しているようだった。
俺はただ、目を覚まさない朝陽の手をギュッと握り締め、一緒に救急車に乗り込むことしかできなかった。
救急車に乗り込む寸前、警察に取り押さえられたアイツがなにかを叫んでいる声が聞こえた。
「ボクは自分の恋人を連れ戻すためにやっただけ!邪魔者はアイツなんだ!邪魔なアレを僕は排除しただけだ!ちょっと!痛い!やめてっ!琥太郎以外、ボクに触らないでっ!」
倒れている朝陽を見つけたのか、アイツはニヤァっと嫌な笑みを浮かべ、高笑いしながら警察車両に乗せられていった。
今回の事件の犯人であり、原因を作ったのは彼だ。
彼さえいなければ、朝陽はこんなことにならなかった……
「琥太郎!待っててね。すぐに出てくるから!ボクがちゃんと迎えに行くから、待っていてね」
アイツがなにか叫んでいる。
でも、俺にはもうどうでもよかった。
アイツが何を叫んでいようと、何を言っていようと、どうでもよかった。
「ひよ……ごめん」
俺は、朝陽の手をギュッと握り締め、祈るように名前を呼ぶことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
朝陽は、奇跡的に全身の打撲と軽い脳震盪だと判断された。
額を切ったせいで出血はしているものの、二針縫うだけで済んだ。
命に別状はないと聞いた瞬間、全身の力が抜けてしまった。
だが、朝陽は三日経っても、目を覚まなかった。
消毒液の匂いと、病室の白いカーテンがゆらゆらと揺れている。
朝陽のゆっくりとした寝息だけが病室内に響いていた。
「ひよ……」
朝陽の手を握り締め、怒りと後悔が胸を締め付ける。
俺のせいで朝陽がこんな目に遭ったという罪悪感が心を抉り、祈るように手を握り続けた。
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