君の知らない物語

こうらい ゆあ

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5.名前を呼ぶ声

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 放課後、図書室の受付をしながらいつものように創作ノートに物語を綴っていた。
 中間テストが終わったばかりの5月中旬の今、自習に訪れる人も少なく、静かな時間が流れていた。
 僕はこのひとりの時間が好きだ。
 誰にも邪魔されず、僕だけの世界に浸れるこの時間が、本当に好きだ。
 図書室の静寂が、僕の心を落ち着かせ、ノートに綴る物語に集中させてくれる。
 
 窓から差し込む夕陽が、受付の木のカウンターに柔らかな光を投げかけている。
 窓の外では、桜の花びらが散り尽くした樹々が、新緑に染まり始めていた。
 埃が夕陽に照らされてふわっと舞い、静かな部屋に微かなきらめきを添えている。
 本棚の隙間を通り抜ける光が、床に細長い影を伸ばし、部屋に穏やかな空気が漂っている。
 遠くの校庭からは、部活の歓声がかすかに聞こえ、この部屋との対比に心が落ち着く。
 
 僕はノートを開き、物語の続きを書き進めようとする。
 主人公のノアが光の精霊に出会う物語。
 昨晩、ノアの前に光の精霊が現れたシーンを書いた。
 書いたけど、この続きをどうしようか、今はまだ迷っている。
「ここから……どうしよう」
 描きたいイメージはあるのに、言葉が浮かんでこない。
 昨晩もここでペンを握る手が止まってしまった。
 頭の中では、ノアの次の行動がぼんやりと浮かぶが、それを言葉にするのは難しい。

 まだ二人がどうなるのか、どうやって冒険に出るのか想像できない。
 ノアは……僕だ。
 広い世界に出たいと思っているのに、勇気がなくて、自分から飛び込むことができない。
 ノアの心が、僕の心と重なる。
 新しい一歩を踏み出したいのに、足がすくむ感覚。
 新しいクラスで、声をかけたいのに入り込めない感覚。
 この感覚が、ノートに言葉を綴るたび、鮮明になる。

 不意に、相沢は……あの時、僕を見ていたのかな?
 光の精霊みたいに、何もないあの場所でポツンといる僕を、見ていたのかな……
 相沢の視線を感じたあの瞬間、なぜか胸がざわついた。
 今でも、昼休みの教室で感じた相沢の視線が、頭から離れない。
 あの瞬間、彼の目に映った感情が何だったのか……考えるだけで胸が締め付けられる。
 
 ガラッと図書室の扉が開き、誰かが入ってきた。
 もうすぐ17時だから、図書室を閉めなきゃいけないのに……
 でも、この時間に来る人物を、僕は内心待っていた。
「よ、岡崎!今日も書いてる?」
 汗だくのユニフォーム姿で、相沢がいつものように入ってきた。
 少し赤くなった首筋に、汗がキラリと光る。
 彼の足音が静かな図書室に響き、汗と潮風の匂いがほのかに漂う。
 ユニフォームの裾が夕陽に照らされ、バスケ部の練習の熱気を運んでくる。

「もうすぐ閉めようと思ってたんだけど……練習、大変そうだね」
 僕はノートをそっと閉じ、視線を落とす。
 さっきまで、相沢のことを考えていたせいで、急に本人が現れてビックリしてしまった。
 心臓が小さく跳ね、ペンを握る手に力が入る。
 彼の突然の登場に、胸のざわめきが収まらない。

「もぉ~、マジで死ぬかと思ったわ。今日の練習キツ過ぎ。鬼監督過ぎる」
 カウンターに上半身を預けるように、でれ~んと体を崩す相沢の様子にクスクス笑いが零れてしまう。
 彼の疲れた声と緩んだ姿勢が、いつも見せる明るい笑顔とは違う親しみを感じさせる。
 カウンターに置いた彼の手が、僕のノートにそっと触れる。
「やっぱ、ここに来ると落ち着くなぁ……」
 彼の言葉にドキッと心臓が跳ねる。
 僕を見る相沢の目が、どことなく優しくて、色々勘違いしそうになる。
 
「あ、相沢……週末の試合で活躍したらしいから、先生も期待してるんじゃない?」
 彼の視線から逃げるように俯き、誤魔化すように言葉を紡ぐ。
 多分、僕の顔は今真っ赤になっていると思う。
 夕陽のせいじゃなくて、相沢があんなことを言うから……

 僕の言葉を聞いて、相沢はガバッと起き上がり、二ッと僕を見て微笑んできた。
「岡崎よく知ってんじゃん!そうなんだよ!俺、この前の試合で、先輩の代打で試合に出てさ!その時にスリーポイント取ったんだよ!」
 興奮気味に話す相沢にびっくりしたけど、彼の嬉しそうな顔を見ると、僕まで嬉しくなってくる。
「練習頑張れば、次の試合でも出してもらえるんじゃないかって思ってさ。でも、マジで練習キツいわぁ~」
 いつもよりも軽い口調でたくさん話しをしてくれる。
 バスケ部のこと、話してくれるのは初めてかも。
 相沢、背も高いし、ガッシリしてるから、期待されてんじゃないかな?
 彼の声が弾むたび、図書室の静かな空気が軽やかに揺れる。
 普段は教室の中心で仲間と笑い合う彼が、こうやって僕にだけ話してくれることが、胸に温かいものを広げる。

 僕よりもずっと背の高い相沢。
 頭ふたつ分は彼の方が高いと思う。
 そんな背の高い彼が、僕と話しをするときは視線を合わせてくれる。
 彼の目が僕と同じ高さに下がる瞬間、教室での遠い存在が少し近づいた気がした。
 汗で濡れた髪が額に張り付き、彼の笑顔を一層鮮やかに見せる。
「なぁ、岡崎は?続きまだ?」
 不意に僕の物語の話を振られ、僕はノートを胸に抱えて言葉に詰まる。
「まだ……。ちょっと、悩んでて……」 
 相沢に読んでもらったところから、ちょっと進んだけど、悩んでいるのはウソじゃない。
 ノートを抱える手に力が入り、彼の視線を避けるように視線を落とす。
 物語の続きを考えるたび、ノアの心と僕の心が重なり、言葉にするのが怖くなる。
 
「ふ~ん……じゃあ、もうちょっと待ってからのお楽しみにしようかな」
 唇を尖らせて、不満気な表情を浮かべる彼に、ほんの少しの罪悪感が生まれる。
 彼の声には、期待と軽い不満が混じる。
 ノートを待つ彼の眼差しが、僕の心に小さなプレッシャーをかける。
 
「それより、岡崎」
 突然、相沢が身を乗り出してきた。
 顔が急に近づいて、鼻が触れそうなくらいの距離。
 いきなりこんな至近距離で名前を呼ばれると、色々勘違いしそうになる。
「この前、西野と話してたよな。岡崎の名前、真尋って言うんだろ?」
 急に相沢に名前を呼ばれ、胸がぎゅっと締め付けられる。
『真尋』
 西野が呼ぶのとは全然違う響きで、相沢の声が僕の名前を紡ぐ。
 ビックリし過ぎて、心臓が一瞬止まりそうになった。
 彼の声で名前を呼ばれた瞬間、胸の奥に熱いものが広がる。
 西野の軽やかな呼び方とは違い、相沢の声は低く、どこか真剣に響く。
「え、あ、う、うん……そうだよ」
 声が震えて、顔が熱い。
 ただ名前を呼ばれただけなのに、ビックリするくらい心臓がドキドキする。
 頬が熱くなり、視線を落としたまま、ノートを握る手に汗が滲む。
 
 相沢はカウンターに頬杖をついてニヤッと笑い、僕の顔をジッと見てくる。
「いい名前じゃん。真尋。なんか、お前に似合ってる」
 彼の真っ直ぐな目が、僕の心を覗く。
 その視線は、今日の昼休みの教室で見たあの表情とは違い、柔らかく、僕だけに向けられている気がする。
 カウンターに置かれた彼の手が、僕の手をそっと握ってくる。
「なぁ、俺も真尋って呼んでいい? 俺のことも、涼でいいからさ」
 さらっと言われた言葉に、頭が真っ白になる。
 『涼』
 相沢の名前を、頭の中で反芻するだけで、顔が熱い。
 彼の名前を心の中で繰り返すたび、言葉にできない感情が広がる。
 こんな風に彼と名前で呼び合うなんて、教室では想像できなかった。
 
「え、う、うん……いいよ、涼」
 自分の声が小さすぎて、ちゃんと聞こえたか不安になる。
 でも、相沢は満足げに笑う。
「よし、決まりな! 真尋、続きできたら絶対見せろよ。楽しみにしてるから」
 彼はそう言って、指を立てて僕に突きつける。
 その仕草が、子供っぽくて、でもどこか真剣で、胸がざわつく。

 彼の笑顔と突きつけられた指が、僕の心に小さな火を灯す。
 図書室の静かな空気の中、相沢の声と仕草が、僕と彼を繋ぐ特別な瞬間を作り出す。

 窓の外では、夕陽が新緑の木々に沈み、海の遠景が赤く染まる。
 この秘密の時間が、図書室の閉まる時間まででもいいから、続いてほしいと願う。
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