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5.彼のための一杯
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「本当に、懐かしいですね……。あの日から、もう随分な月日が経ちましたね」
白髪をきれいにオールバックにしたマスターが、昔と変わらない手つきで珈琲を淹れてくれる。
静かに湯が落ちる音、豆が膨らむ瞬間、珈琲の香りが店内に広がる。
マスターの一連の流れが、目にも耳にも、心地いい。
「はぁ~……やっぱりマスターの淹れる珈琲は別格ですね。僕が何年やっても、この香りは出せないや」
甘い花のような華やかな香りにうっとりと目を細め、聞こえてくるオルゴール調のBGMに耳を澄ませる。
「僕が淹れたのと何が違うんだろう……やっぱり経験の差ってやつかな?」
マスターの手元をジッと見つめてみるも、同じようにできる気がしない。
湯気の向こうに、マスターの優しい視線と目が合ったような気がした。
「貴方は昔から、私が珈琲を淹れるとこっそり覗き込んでいましたね」
僕の目の前に置かれたカップから、柑橘とチョコレートが溶け合った甘い香りが立ち上る。
どこか懐かしむようなマスターの言葉に、僕はふふっと笑みが零れる。
「やっぱりバレちゃってたんだ。ありがとうございます。マスターの淹れる珈琲が、僕の目標だったんですよ」
指先でカップの縁を撫でると、十七年前の大和さんがここに座っていた日のことを思い出す。
四人掛けのテーブル席がふたつとカウンターの五席
小さいけれど落ち着いた雰囲気の憧れの喫茶店。
今も、あの頃と同じ優しいオルゴール調のヒットソングが店内に流れている。
昔から変わらない珈琲の香り。
「この店で働けて、大和さんと出会うことができて、幸せだったなぁ~」
言葉にすると、胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛む。
こんな珈琲を淹れたかった。
彼が喜んでくれる珈琲を飲んで欲しかった。
彼に、珈琲を好きになって欲しかった。
僕より六つ年上の彼。
ドアの枠に頭をぶつけないようにいつも腰を曲げて入ってくる彼。
カッコいいのに、自分に自信がなくていつも肩をすぼめてしまう彼。
恥ずかしがり屋なのに、勢いだけで告白して店中をざわつかせた彼。
勢いで色々やらかしちゃって、いっぱいビックリさせられた。
たくさん笑って、いっぱい泣いて、一緒に朝を迎えて、一緒に夜を過ごして……
喧嘩して、拗ねて、泣きながら謝って、抱きしめ合った。
十五年。たったの、十五年。
全部が全部、忘れたくない大切な思い出。
全部が愛おしくて、キラキラした幸せな宝物の日々。
もっと一緒にいたかった。
もっと「好き」って言いたかった。
もっと、彼の好きな珈琲を淹れてあげたかった。
でも、突然やってきたお別れは、僕たちに選択肢をくれなかった。
ごめんね。
約束、守れなくてごめんね。
カップを見つめたまま、僕は小さく息を吐き出す。
ふと、左手に目を落とすと、長年付けていた指輪の跡が残っていた。
「……消えなくて、よかった……」
カラン、カラン……
懐かしいベルの音に、反射的に顔を上げる。
ドアをくぐった彼は、相変わらず背が高くて、少し腰を折って入ってきた。
出会ったころは真っ黒だったけど、白髪が混じり始めちゃったね。
あの頃と変わらない黒のスーツに、ネクタイをきちんと締めた姿を見ると、また好きになっちゃいそう。
でも……最後に見たときよりも、少し頬がこけた?
ちゃんと、ご飯食べてる?
僕の心配をよそに、彼はマスターに向かって深く頭を下げてお礼を言っていた。
「マスター、お久しぶりです。今日は……俺のわがままに付き合っていただき、本当にありがとうございます」
声が、少し掠れているように感じる。
仕事、忙しいのかな?
今日は、お休みとったの?
聞きたいことはいっぱいあるけど、何も聞くことができない。
「無理、しちゃダメだよ?」
僕はそっと彼に向かって小さく囁く。
これ以上ここにいたら、未練が残っちゃうから……
大好きだよ。今でも、こんなに愛してる。
でも、もう行かなきゃ……
彼はまっすぐ、僕が座っていたカウンターの一番奥の席へ歩いてくる。
だから僕は、そっと立ち上がり席を彼に譲った。
最後に会えてよかった。
彼に背中を向ける瞬間、涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。
「大和さん……今でも、ずっと大好きだよ」
最後に、そっと彼の唇に触れるだけのキスを落とす。
「約束、守れなくてごめんね。――に、また会えるの待ってる。そのときは、また一緒に珈琲飲もうね」
彼が何か言う前に、僕は逃げるようにドアへ向かう。
振り返らない。
振り返ったら、もう行けなくなっちゃうから……
「またね」
静かにドアを閉めて、店を後にした。
外は、十七年前と同じように、雪がちらついていた。
また会える日まで、待ってる。
それまでに、もっと美味しい珈琲を淹れらるようになりたいなぁ~
いっぱい、練習しとかなきゃ。
彼が喜んでくれる一杯のために……
白髪をきれいにオールバックにしたマスターが、昔と変わらない手つきで珈琲を淹れてくれる。
静かに湯が落ちる音、豆が膨らむ瞬間、珈琲の香りが店内に広がる。
マスターの一連の流れが、目にも耳にも、心地いい。
「はぁ~……やっぱりマスターの淹れる珈琲は別格ですね。僕が何年やっても、この香りは出せないや」
甘い花のような華やかな香りにうっとりと目を細め、聞こえてくるオルゴール調のBGMに耳を澄ませる。
「僕が淹れたのと何が違うんだろう……やっぱり経験の差ってやつかな?」
マスターの手元をジッと見つめてみるも、同じようにできる気がしない。
湯気の向こうに、マスターの優しい視線と目が合ったような気がした。
「貴方は昔から、私が珈琲を淹れるとこっそり覗き込んでいましたね」
僕の目の前に置かれたカップから、柑橘とチョコレートが溶け合った甘い香りが立ち上る。
どこか懐かしむようなマスターの言葉に、僕はふふっと笑みが零れる。
「やっぱりバレちゃってたんだ。ありがとうございます。マスターの淹れる珈琲が、僕の目標だったんですよ」
指先でカップの縁を撫でると、十七年前の大和さんがここに座っていた日のことを思い出す。
四人掛けのテーブル席がふたつとカウンターの五席
小さいけれど落ち着いた雰囲気の憧れの喫茶店。
今も、あの頃と同じ優しいオルゴール調のヒットソングが店内に流れている。
昔から変わらない珈琲の香り。
「この店で働けて、大和さんと出会うことができて、幸せだったなぁ~」
言葉にすると、胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛む。
こんな珈琲を淹れたかった。
彼が喜んでくれる珈琲を飲んで欲しかった。
彼に、珈琲を好きになって欲しかった。
僕より六つ年上の彼。
ドアの枠に頭をぶつけないようにいつも腰を曲げて入ってくる彼。
カッコいいのに、自分に自信がなくていつも肩をすぼめてしまう彼。
恥ずかしがり屋なのに、勢いだけで告白して店中をざわつかせた彼。
勢いで色々やらかしちゃって、いっぱいビックリさせられた。
たくさん笑って、いっぱい泣いて、一緒に朝を迎えて、一緒に夜を過ごして……
喧嘩して、拗ねて、泣きながら謝って、抱きしめ合った。
十五年。たったの、十五年。
全部が全部、忘れたくない大切な思い出。
全部が愛おしくて、キラキラした幸せな宝物の日々。
もっと一緒にいたかった。
もっと「好き」って言いたかった。
もっと、彼の好きな珈琲を淹れてあげたかった。
でも、突然やってきたお別れは、僕たちに選択肢をくれなかった。
ごめんね。
約束、守れなくてごめんね。
カップを見つめたまま、僕は小さく息を吐き出す。
ふと、左手に目を落とすと、長年付けていた指輪の跡が残っていた。
「……消えなくて、よかった……」
カラン、カラン……
懐かしいベルの音に、反射的に顔を上げる。
ドアをくぐった彼は、相変わらず背が高くて、少し腰を折って入ってきた。
出会ったころは真っ黒だったけど、白髪が混じり始めちゃったね。
あの頃と変わらない黒のスーツに、ネクタイをきちんと締めた姿を見ると、また好きになっちゃいそう。
でも……最後に見たときよりも、少し頬がこけた?
ちゃんと、ご飯食べてる?
僕の心配をよそに、彼はマスターに向かって深く頭を下げてお礼を言っていた。
「マスター、お久しぶりです。今日は……俺のわがままに付き合っていただき、本当にありがとうございます」
声が、少し掠れているように感じる。
仕事、忙しいのかな?
今日は、お休みとったの?
聞きたいことはいっぱいあるけど、何も聞くことができない。
「無理、しちゃダメだよ?」
僕はそっと彼に向かって小さく囁く。
これ以上ここにいたら、未練が残っちゃうから……
大好きだよ。今でも、こんなに愛してる。
でも、もう行かなきゃ……
彼はまっすぐ、僕が座っていたカウンターの一番奥の席へ歩いてくる。
だから僕は、そっと立ち上がり席を彼に譲った。
最後に会えてよかった。
彼に背中を向ける瞬間、涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。
「大和さん……今でも、ずっと大好きだよ」
最後に、そっと彼の唇に触れるだけのキスを落とす。
「約束、守れなくてごめんね。――に、また会えるの待ってる。そのときは、また一緒に珈琲飲もうね」
彼が何か言う前に、僕は逃げるようにドアへ向かう。
振り返らない。
振り返ったら、もう行けなくなっちゃうから……
「またね」
静かにドアを閉めて、店を後にした。
外は、十七年前と同じように、雪がちらついていた。
また会える日まで、待ってる。
それまでに、もっと美味しい珈琲を淹れらるようになりたいなぁ~
いっぱい、練習しとかなきゃ。
彼が喜んでくれる一杯のために……
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