いつか君が死にたくなったら

Syuu

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いつか君が死にたくなったら

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自分には何もないと思います。いなくなっても差し支えない存在のような、そんな人間だと思います。だから、私は私が嫌いで憎くて仕方がありません。自分を傷つける勇気はありませんが、時折消えてしまいたくなる日があります。
 病名がついて初めて私は普通の人の道から逸脱してしまったのだと気づきました。病名がついて安心する人がいるとよく聞きますが、そんな事はありませんでした。
 後天性の適応障害と診断されました。小学六年生の頃にいじめられた経験から発症したのだと言われました。今でも鮮明に覚えています。小学生最後の年、やっとできた友達。明るくていつも元気いっぱいだった、辛いことがあれば相談してくれた、困ったことがあれば頼ってくれました。毎日学校に行くのが楽しみでした。小学五年生まではどうかと言われれば、優等生が故に先生には好かれたけれど、友達はできませんでした、というかウザがられることの方が多かったと思います。
 空気を読むことをやっと覚えて、やっとできた友達。何があっても大事にしようと思いました。でも私が図工で表彰されたり、テストで満点をとる度に彼女たちとの友情に亀裂が入り始めたのです。
 頑張れば頑張るほど、友達は減っていくのだと知りました。それがいじめに変わるのは、あっという間でした。無視されたり、物がなくなったり。陰湿極まりない行為ばかりでしたが、小学生の私にとっては地獄のような日々でした。
 改善できるところは改善して、またやり直したい、そう思っても改善策など見つかりませんでした。何もできないフリをして、彼女たちに花を持たせ続けること以外思いつきませんでした。
 ある日、彼女たちに放課後遊ぼうと言われました。またやり直せるのではないか、と期待してしまいました。
「奏ちゃんと友達辞めたい。奏ちゃんお節介だし、男子もみんな奏ちゃんの事嫌いなんだよ。代表して私が今、言ってあげてるんだよ。」
 絶望しました。いつも一緒にいた彼女たちと、時々混ざっていた男子のみんなまで私のことを嫌いだったそうです。お節介だったそうです。
 学校に行けなくなりました。あの頃の楽しかった日々も嘘みたいでした。仲が良かった先生は、私に非があると言いました。しかし、彼女の言った「男子みんな」というのは嘘だということが分かりました。彼女たちの口からは「奏ちゃんが気に食わなかった。羨ましかった、嫉妬してしまった。」という言葉が出たそうです。
 彼女たちの、嫉妬の言葉一つで私は変わってしまいました。学校がある日だけ、毎朝起きることができなくて、目眩がしてしまって、頭痛がして、腹痛で立てなくて、人と話すことができなくなりました。
 それでも彼女たちは邪魔者がやっと消えたと、笑って今日も学校に行って授業を受けているのだと思うと虫唾が走りました。
 中学生になってからもその症状は続き、彼女たちもまた同じ中学校に進学してきたため、私はまた不登校になるかもしれないと思いました。幸い、クラスが遠くなったため、学校には行くことができました。
 それでもあの症状が私に絡みついたままで、授業に出られなくなったり、腹痛で動けなくなってしまい保健室で半日を過ごすこともありました。
 彼女たちは今も幸せそうに生きています。高校生活、楽しそうでした。
 私も高校生になりました。
 小学生の頃は学年委員、中学生の頃は学年委員と生徒会をやっていた事もあり、高校まで部活をやる気になれなかった私は生徒会に入りました。
 杏里という同じクラスの女子と仲良くなりました。人と仲良くなることは、まだ怖かったですが、高校生にもなって前に進めていなければ、社会に出て何もできないのではないかという不安がありました。
 杏里も生徒会に入って、私は書記、杏里は会計に就きました。杏里は口がとても悪かったと思います。私にとっては酷いくらいでした。でもそれは互いの中学の常識が異なっているために生じた違和感だと私は、認知していたので何も言いませんでした。
 杏里と私が栞に出会ったのは生徒会でした。私にとって、栞は大人しい男子という印象で、私の好きなアーティストが書き下ろした小説を読んでいたことがきっかけで仲良くなりました。栞の隣に座っていた湊は、身長がとても高く、百八十センチはあったと思います。
 杏里と私は二人と連絡先を交換しました。湊は私にだけスタンプと会話を続け、杏里にはスタンプのみ送信していました。これが良くなかったんだと思います。杏里は、まだ出会って間もないの湊のことを嫌いだと言いました。大して仕事もできないし生徒会にも来ないのだからいても意味が無いのだと言いました。私はそれを笑って流しました。杏里の反感を買うのはまだ怖かったからです。
 杏里が紹介してくれた男子は私に一目惚れして、告白してきて、一日で浮気して、生徒会を辞めました。杏里は私と彼が付き合ったその日から、彼に当り散らしたりして、一緒に登校するのを彼とではなく栞とする、と言い始めました。私は杏里と彼が一緒に登校してもしなくても、どうでもいいと思っていました。栞には他校に彼女がいるということを知ったのは最近です。
 杏里と私は七組、湊は四組、栞は一組でした。
杏里は私が彼と別れてからも、毎日栞に送り迎えをしてもらったり、自転車の鍵を管理してもらったり、荷物を運ばせたりしていました。彼も同じことをさせられていたのだと思えば、たとえ浮気男でも少し同情してしまいました。一瞬でも私と付き合ったおかげでその任から逃れられたなら良かったね、と思うしかありませんでした。
 栞が望んでしているのであればそれで良かったと思います。彼女がいても栞がそれでいいと言うのならそれでいいのだと思います。だから何も言いませんでした。でも杏里がある日私にこう言ったのです。
「栞のこと嫌いなんだよね。」
 悪口は止まりませんでした。お節介だとか、彼女の気持ち考えろとかなんとか言っていました。杏里がそれを言うのか、思わず言ってしまうところでした。
 都合がいい時は全てやらせて、都合が悪くなったり、人の悪口を言いたくなったら栞を使う。私には理解ができませんでした。ただ、どうしてもあの頃の私と栞が重なってしまうのです。杏里の主観だけで栞のことを測ってはいけないと思いました。
 栞のことをちゃんと知ろうと思いました。どこからが浮気だとかそれは人によって異なると思ったので、栞の判断に任せながら連絡をとったり、昼休みの時間を他愛のない会話に溶かしたりしました。
 栞はクラスに馴染めていなかったこともあり、私が一組に行ったり、二人の秘密の場所で会ったりしました。会話は意味の無いものから仕事の話、二人の過去の話をしました。私たちは似たような境遇で生きていました。でも彼は私と違って死のうとしていた過去がありました。私にとって死ぬことは逃げられる場所ではなかったため、考えたこともありませんでした。逃げるというのは、ここでは恥ではなく良い事ととして捉えて話します。また、死ぬほどの事かは人によって異なるため、そこにも理解を置いて欲しいと思います。それらを踏まえた上で互いの考えを共有したりして、互いに大事な存在になっていったことは確かだと思います。
 杏里は激怒しました。
 「なんで私の仲良い奴とちまちま連絡とったりしてんだよ。」
  つまり、杏里の仲良い人と私は関わってはいけないという事でした。でも同じ教室で同じ生徒会で生活していれば、仲良い人が被ることだってあります。それでも彼女はそれを嫌いました。どうしたら良いか分かりませんでした。私には、見ず知らずの人を杏里の物差しで、測って知った気になることができませんでした。それが悪だと彼女は言うのです。
 彼女の栞と湊への悪口は、日に日に頻度を増し、言葉も強くなりました。私は口が裂けても、彼らの悪口など言いたくなかったため、一度たりとも合わせることはしませんでした。適当に流して話を摩り替えていました。
 「私は人と仲良くなるのに、嫌いっていう段階を踏まなきゃいけないの。それで、こいつやっぱり無理だなって思ったらもう嫌いだし、仲良くなれそうだったら仲良くなるんだよ。」
 杏里の言ってることが、分かりませんでした。私とは根本的な考え方が違うのだと気づきました。一度嫌いとい段階を踏む理由が、どこを探しても見つからないのです。栞と湊がその段階にいるとして、その考え方が仕方がないことだとした時、私は考えました。栞と湊が杏里に悪口を言われたり、嘘を振りまかれたり、陥れられたりすることは仕方がないことだと言われているようでした。
 初めて、言い返したと思います。
 「意味が分からないんだよ、杏里、ずっと」
 「何キレてんの、ウケるんですけど。」
 「なんで栞はお前に搾取され続けなきゃいけないんだよ」
 「いやいや、栞が私と登校したいって言ってるんだってば、奏ちゃんはやっぱり馬鹿だね」
 会話の合間合間に煽りを入れてくるあたり、時々感じていたが敵意がそこにありました。
  やっぱり、あの頃と同じだ思いました。嫉妬だと当事者が言ってしまうとこれもまた煽り文句に聞こえるかもしれないが、それ以外で形容することができませんでした。私は、私が間違っていないと信じて疑わないから、私自身に非はないと思っているのではないか、と自分を振り返りました。しかし、私が信仰しているのは神でもなければ自分でもなく、ただ友達が傷つけられているという現状を、許してしまっていた自分が許せないだけだったと気づきました。
 本当の意味で私は栞を守りたいと思えていた訳ではないかもしれません。一歩手前には損得勘定もあったかもしれません。でも杏里の怒りが、私が女だという前提があるものによって成り立っているのだとしたら、私は栞と未だに登校を続けている杏里を、刺し違えてでも殺してやりたかったです。
 栞が女でも、私が男でも、私たちが同性でも、私は栞と出会って、何回でも何十回でも向き合いたいと思っていました。この気持ちは恋愛ではないと思っています。栞と向き合って、互いに知っていった日々が保証している気持ちです。友達を守りたいと思うことはおかしい事なのでしょうか。
 杏里のそれが悪口や嫌がらせに放出された時、栞は苦しんでしまうだろうと思いました。だから私が全て受けようと思っていました。しかし、杏里は止まりませんでした。
 数日後に栞から電話がありました。
 「奏、俺、死にたい。もうどうしたらいいか分からない。消えたい。」
 電話口から零れるように聞こえた栞の声でした。
 杏里、私初めて知ったよ。人の声ってこんなに震えるんだね。
 ここで繋ぎ止めなければ彼は死んでしまうと思いました。それほどに追い詰められてるように思えました。私にはどれだけ追い詰められてもやはり、死ぬという選択をとることができません。だからこそ、栞を引き止めることができないと思いました。死ぬという逃げるための手段を栞から奪ってしまうのではないか、逃げ場すらも栞から奪ってしまうのではないか、そう思ったら何も言えなくなってしまうようでした。どんな言葉があなたを引き止められるでしょつ。どうしたら、あなたは私と一緒に生きてくれますか。そう思っても思ってるだけじゃ伝わらないと思いました。
 「栞、聞いて。」
 「もう無理だよ。」
 「私は栞のこと絶対に見捨てたりしない。見放さない。見誤らない。栞は何もおかしくない、悪くないよ。大丈夫だから。」
 しばらく栞は黙っていた。栞の鼻をすする音が、時々聞こえては嗚咽が混ざっていた。
 「なんで、なんでそんなに、してくれるの。」
 「栞の事が大事だからだよ。」
 「俺、奏のこと大事にできないかもしれないよ。きっと傷つけちゃうんだよ。」
 「どんと来いだよ。」
 「だめだよそんなの。」
 「大事にされたいから大事にしてる訳じゃないんだよ。大事にしたいから大事にしてるの。」
栞は絞り出したような声で言った。
 「ごめん、奏。」
 「いいんだよ、栞。」
 それから栞は杏里と話したいとメールで連絡をくれました。しかし杏里に連絡をしたところ、杏里が察したのか断ってきたらしく、話すタイミングを作れなくなってしまったそうです。私はその場を用意しなければならなくなりました。いや、しなければならなくとも、栞が望むのなら用意していたでしょう。
 校内の自販機の前に栞に待ってもらい、飲み物一緒にを買いに行くというていで、杏里をそこへ連れて行きました。
 杏里は少し驚いた顔をした後にこう続けました。
 「栞、お前彼女いるのに昼休みに女子と会うのやめろよ。彼女のこと無自覚に傷つけてんじゃねぇよ。私なら気にしないけど。」
 笑えなかった。昼休みに女子と会うっていうのは、きっと私のことでしょう。私と会うのは辞めろ、でも杏里との登校は続けろ、というのでしょうか。
 「俺さ、杏里と登校するの辞めようと思うんだよ。」
 「え、いやいや意味わからないんだけど。」
 そう言って文字にも起こしたくないような罵詈雑言と支離滅裂な論理を栞の前に並べました。
 「分かった、もう、杏里のしたいようにしていいよ。」
 私はこの場にいても発言権などなかったものだから何も言えませんでした。ただ確かなのは栞の心が壊れたことだけでした。紛れもない杏里のせいでした。弁えなければならない、たしかに残っている正義感が私にそう言いました。だからこの場では私は何も言えませんでした。
 「じゃあね。」
 杏里はそう言ってこの場を後にしました。
 そうしてこの場は終わりました。だからここからは私の番です。私は決して杏里と栞に仲が悪くなって欲しいとか、登校を辞めて欲しいとかそういう気持ちがあっても、それは男女という前提がある気持ち、恋愛があっての気持ちではありませんでした。単純に杏里が栞をおもちゃのように扱っているいう現状が、前提にある時点で、二人のこんな関係を許したくありませんでした。栞がそれでいいと言うなら、それでいいと思います。これは変わりませんが、栞のそれでいい、というのに諦めとか、妥協があるならば私はそれを認めてはいけないと思いました。今は現状に非常に満足しているが故のそれでいい、ではありません。これは完全に、私のエゴです。それでも栞を大事にすると決めたから、私はまた、あの頃のようにお節介だと栞に突き放される覚悟を持って栞と向き合うことにしました。
 「栞、それでいいの」
 「もういいんだよ」
 「それは、諦め?妥協?それとも満足?」
 「杏里が、そう言うから。」
 私は登校の件を説得する気はありませんでした。昼休み会いたいから縋っているつもりもありません。でもこのまま、栞を見送ることは見捨てることになる気がしました。二時間、二人で暑い中立って話した。栞は自分が全て悪いのだと責めていました。それは違う、何度も伝えました。電話口で伝えたことを、何度も。
 「俺が、俺だけが苦しめばいいのに。巻き込んでごめん。」
 「私は栞が間違えた時、一緒に間違えるよ。」
 「なんで進んで地獄に来るんだよ。」
 震えた声で栞は冗談口調で言いました。
 「一緒に間違えた後は、私が救ってあげる。」
 「だめだよ、そんなの。」
 「だめな訳あるか。安全地帯から助けよう、なんて甘ったる考えしてないよ。そもそも安全地帯からだと、手が届く範囲なんて狭すぎるよ。」
 栞をただ引き止めたい一心だなんて嘘でした。私はもう私の話をしてしまっていました。あの頃、私が言われたかった言葉をただ栞に伝えているだけでした。こんな言葉、傲慢の羅列でした。
 「今まで、よく頑張ったね。栞。」
 その後どうやって帰ったかは、あんまり覚えていません。
 次の日の朝、杏里から栞と杏里のメールのスクショが送られてきていました。それは栞が杏里との登校を辞めるという趣旨の内容を杏里に送信していた場面でした。その写真のあとに「言わせたんでしょ?」と続いていました。
 登校はその日から辞めたそうです。栞の精神もあれから安定してそうです。私は栞が死にかけた時に、ふと昔のことを思い出してしまったショックがまだ絡まっていました。
 私はまだ捕らわれなければならないのでしょうか。
 栞がいつものところで待っていてくれている、なのに足が動きませんでした。
 私がいたから栞を巻き込んでしまったのではないでしょうか。私という女が栞のそばなんかにいるから。なんて烏滸がましいのでしょうか。気づいてしまえば、後はもう栞から離れる以外考えられませんでした。栞は私のことを大事だと言ってくれましたが、それは私のことを思って言ってくれたのであって、社交辞令やリップサービスに近いものだと思えてきました。そんなことを栞に言わせてしまった自分を憎みました。栞の優しさにこれ以上甘えてはいけないと思いました。
 栞を大事にしたいのに栞から離れられない私は栞を大事だと思えていないのでしょうか。
 足も気持ちも引きずったまま、いつものところに着いて、杏里から来たメールを見せました。
 「俺は嫌われてることに慣れてるから大丈夫だよ。」
 そんなこと言わせたくありませんでした。事実だとしても、そんなことに慣れて欲しくありませんでした。殴られ慣れていても殴られたら痛いように、栞が傷つかない毎日を守ってあげたかったのです。だからこそ、より、諦めなければならないと思いました。
 「奏はなんで俺の事嫌いにならないの?というか、なんでそこまでしてくれるの?」
 「嫌いになる要素ない。栞だって友達が傷つけられてたら見捨てないでしょ。」
 「見捨てないけど...」
 「周りは良くて栞がだめ、なんてことはあっちゃいけないんだよ」
 そう、そんなことはあってはいけないのです。奏ちゃんは来ちゃだめだよ、なんて言われたことを思い出しました。周りが良くても私だけが、だめなんてことはよくありました。そんな思い、彼にはして欲しくありませんでした。
 少しずつではありますが、彼に惹かれていたかも知れません。でもそんな気持ちの手前に、大事な人という前提があるため、そんな気持ちは邪魔でしかありませんでした。だから私は知らないふりをしました。好きだという気持ちが仮にも零れてしまえば、今度こそ彼を傍で支えてあげられる、気づいてあげられる人は、いなくなってしまうと思いました。栞の彼女は他校にいて、栞は彼女に自分の弱い所を見せたくないようだったので、本当の意味でのそばにいて気づいてあげられる存在が必要だったのです。
 安定している今、尚且つ杏里が落ち着いている間に私が消えて、やっと栞に平和が訪れると思いました。
 私が生徒会の仕事で栞との時間を減らして必要最低限のみ関わるようにしていれば、杏里はそれに漬け込むようにして栞との時間を増やしました。無理やり会話させられていたとしても、逃げられるところで逃げないということは、栞自身が杏里と話すことを選択しているわけなので、私は何も言いませんでした。
 栞は私の変化に気づいているようでした。心配した様子でしたが、私としては栞に何かが起きなければ、杏里が栞のそばに居ても問題は無いと思っていました。だから自分が杏里と距離を置きたいから、必然的に栞と距離を置いてしまっているという趣旨の説明をしました。
 「どうしたらそばにいてくれる?」
 そばにいられる方法など思いつきませんでした。杏里が今、この時大人しいのは私が栞と関わっていないからであるという確信があったので余計にでした。
 「あるけど、言っちゃいけないことだよ。」
 杏里と完全に関係を切れば、私が栞のそばにいても栞に害はいかないと考えられました。しかし、私の立場からそんなことは到底言えるわけがありません。
 「教えて。大丈夫だから。」
 大丈夫、その言葉を信じてみようと思いました。
 「杏里と縁切ったら、私といられるよ。」
 栞は少し驚いた顔をして、いろんなものを天秤にかけたのでしょう。その後に私に告げました。
 「仕事の話は、してくれる?」
 天秤に何をかけたのかは知りませんが、私は理解がある人間だと思われているが故に、いい子だから捨てられてしまったのだと気づきました。 
  「しないよ。」
 いじわるをしてしまったと思います。自分が選ばれるだろうと思って言ったことではありませんが、自分のことを傷つけていて死に追いやろうとした人間と、守ってくれた人間を天秤にかけて前者が勝つなんてことを信じたくありませんでした。他に何を乗せたのでしょう。
 「ほら、杏里のこと切ると奏に害がいっちゃうでしょ。付き合ってるとか、言われたら奏の恋路にまで影響しちゃうじゃん。」
 「別に困らないよ。その程度の男子ならその程度だと思うし。杏里に悪口言われても知ったこっちゃないよ。」
 「いやいや、生徒会よりもクラスは毎日行かなきゃなんだし大変だよ。」
 「クラスなんかより栞の方が大事だよ。全部捨てて連れ出してって言うなら私は全部捨てる。」
 栞よりも大事なものなんて持っていないのです。
 「俺は奏のことを思って、」
 「私のことを思ってるなら、栞がどうしたいか教えて。」
 「そばにいてよ。」
 大事にしたいから傷つかないように、遠い所に置いておこうとしたのに、そばにいないと寂しくなって不安になってしまうのです。大事にするとは一体何なのでしょうか。
 それから、生徒会での絡みは避けていた頃よりは少しだけ増やし、連絡はその分頻繁にとるようにしました。
 杏里は私と栞の距離が離れたままだと思っていたこともあり、しばらくは何もありませんでした。
 次は湊がターゲットでした。湊は毎日生徒会室に来ている私たちと比べて、来る頻度が低かったせいか、そこを重点的に杏里に責められていた。
 美術部と兼部で来ている数名の女子生徒は部活にも行かず、生徒会にも来ていないのに、数日でも来ようとして仕事をこなす湊を責めたのでした。
 湊は四組でいわゆる陽キャの方の部類だったこともあり、時間を作るのが難しかった事も分かっていました。なぜなら、ほぼ毎日私に連絡が来ていたからです。「今日俺必要ー?」「人手足りてるー?」「忙しかったら行くよー」そして、毎週の定例会は欠かさず来ていました。
 杏里は湊のことを先輩に話していました。副会長二名に、湊は仕事をしていない、役に立っていないという話をしていたそうです。それを知ったのは杏里が「副会長の早坂先輩、奏のことめっちゃ悪く言ってたよ。」と言われた時です。その事を早坂先輩に直接私が確認した時に発覚しました。
 杏里は生徒会の先輩に、湊の株を下げるようなことを話していたのです。
 湊の意欲的な部分を私は知っていたので、先輩に彼の意志を伝え、誤解を解くことができました。
 湊が勉強を教えて欲しいと連絡をしてきた時は驚きましたが、文系の私に理系科目の教えを乞いて来たことの方が驚きました。二時間ほど教えた後に、湊は「休もーよー」と言って雑談をしようとしました。二人の共有点は本当に生徒会だけだったので、生徒会内の話をしていました。杏里の話は避けて通ることができなかったようで、私も杏里のことを話さざるおえなくなりました。
 湊に生徒会を辞めて欲しくないという事を改めて伝えました。湊は「辞めないよ」と言ってくれました。ただ湊は私と違って、より広い視野で生徒会を見てくれていたようでした。私は栞のことで精一杯でしたが、湊は私と栞を見ていてくれたそうです。
  湊の株を何とか取り戻し、湊と共に作業することが多くなった私は、一人の弟ができたようで楽しかったと思います。栞も私と距離を置いているように見せてから、何も大事も起こっていないようでした。
 それから数週間後、栞と文化祭のパンフレットについて電話をしていた時に、栞から話があると言われました。
 下校時に私以外は自転車下校であるため、杏里と千冬と栞は同じ方向で帰っていました。千冬は、華道部で基本的に生徒会では杏里と一緒にいました。その時に突然、杏里に呼び止められて、杏里の家の前で責め立てられたそうです。
まず、栞がクラスの男子二人、女子二人と図書室で勉強をしていたそうです。栞はこの女子二人に彼女がいることを伝えてなかったのです。それに女子二人が、激怒していたということを杏里に責められたのです。全く関係のない杏里が楽しそうに説教を垂れていたそうです。
 「俺が悪いよね。」
 正直、彼女たちがどこに怒っているのかが分からなかったからなんとも言えませんでした。隠し事をしていた事に怒っていたのか、はたまた彼女がいたという事実に対してか。
 「でも、友達として栞は最初から関わってた訳でしょ?だったらわざわざ友達に彼女がいますって自分から言う人いないでしょ。」
 「うん。」
 次の日、昼休みに栞が用事がある関係で教室で過ごすことにしました。杏里達といつも通り弁当を食べていました。すると杏里が突然こんなことを言うのです。
 「栞さ、クラスの女子にキレられたんだよ。」
 嘲笑うように言っていました。
 「女子と二人きりとか、女子が過半数とかね。」
 「いや、杏里それは違うでしょ。」
 「世の中の七割は奏ちゃんみたいなメンヘラ女だけけど、私と千冬みたいに何も気にしない一割の人間もいるじゃん。栞の彼女はきっと前者だから、私は教えてあげたんだよ。」
 「杏里、余計なお世話だよ。お節介だよ。」
 相手を故意的に傷つけたくて、傷つけるような優しさに見せ掛けたそれはお節介だと判断しました。私が言われてきた十数年のお節介の区別はこのように終着しました。
 「いや~あいつは馬鹿だからきっと話して無駄なんだよね。彼女も男遊び激しいらしいし。」
 「馬鹿じゃないよ。」
 「この話やめようぜ。なんか面倒臭いわ。」
 「やめないよ。逃げんな。千冬ちゃんから聞いたの?」
 「千冬ちゃんに相談されたんだよ。」
 「それは千冬ちゃんが、栞は良い人だから誤解されたくないって思ったから杏里に相談したって感じなの?」
 「そうだよ。」
 「嘘でしょ。」
 「うん、今のは嘘。」
 なぜここで嘘をついたのだろうと思ったけれど、意味の分からないこの切り返しはきっと千冬を道連れにするためだと気づきました。
 「なんで分かってくれないの奏。」
 「分かるわけねえだろ。いい加減にしろよ。」
 何を分かって欲しいのかすら私には分かりませんでした。
 「言っとくけど奏の方がお節介だよ。」
 「何言ってんの急に。」
 「お前はお節介の塊だよ。」
 「いや、私は迷惑かけてないし。」
 「私だって迷惑かけてないよ。」
 「栞は傷ついているはずだよ。」
 現に私に昨日連絡してきていたからです。栞には会う度に言われていました。「奏がクラスで居ずらくなるのは良くないから、俺の悪口全然合わせて言ってもいいからね。俺全然それが奏の本心だとか思わないし。」ごめんなさい。無理そうです。
  チャイムが鳴って一時休戦となりました。七組全員に聞こえる声で杏里が話していたこともあり、私も大きめの声で反論していたため誤解は解けていたとら思いますが、一応栞に報告しておく事にしました。
 六時十五分。正直、眠過ぎてお話にならないくらいです。顔を洗う気力もやる気も何も出てきません。七時三十分にいつものところで待ち合わせをしました。
 顔を洗って前髪をストレートにするために、三角を意識しながら上からドライヤーをかけます。化粧水付けて、目の下のくまをアイシャドウで誤魔化して、まつ毛を上げてマスカラをしました。
 栞が好きなハーフアップにして、姫毛は内巻きにして、お気に入りのシュシュを付けました。
 七時二十五分、足音もしないいつものところ。一歩一歩が軽くて階段の段数の半分にした満たない足音は栞のものです。
 「おはよう。奏。」
 「ほんとにお早うだよ。栞。」
 私は説明しました。昨日の昼に杏里に言われたことを。杏里がみんなの前で栞を嘘をついてまで陥れようとしたこと。
 栞は杏里のついた嘘を一つ一つ私に訂正して私はそれ一つ一つに頷きました。
 それから私たちは互いの認識を確認し合いました。
 一つ目は杏里のこと。杏里は全くこの件に関係してないのに首を突っ込んで栞に罵詈雑言放った挙句に、教えてあげたのだと言っているのはおかしいということ。
 二つ目は千冬のこと。千冬はきっと栞が彼女いることを栞自身が隠していることを知っているのに友達に話してしまったのは間違っているということ。せめて栞に許可を取るべきであったこと。また、杏里に話すべきではなかったということ。
 三つ目は図書室メンツのこと。もし千冬の友達が絵里から栞に頼んで欲しいと言ったなら。だとしてもそこで杏里に言ってしまった千冬も、栞へもっと違う伝え方があっただろうし、言いたいことがあるなら千冬を使って攻撃させるんじゃなくて自分で言えばいいのにということ。シンプルにこれはダサいと思いました。
 一応、栞には謝りました。どんな形であれ、栞の友達計七人を悪く言ってしまったのですから。
 栞は自分が悪いと言いました。彼女がいることを隠して図書室に行っていたことが悪かったと。でも先日、私が伝えたことを私はもう一度栞に伝えた。
 栞の悪いところである。自己否定が始まったら止まらないのです。だがそれは私も同じことです。私たちはそうやって信じ合って、傷つけ合ってきたのですから。
 「杏里と話そうかな。」
 「そっか。」
 まさか以前、あんな事があったのに杏里と話すといい出すと思わなかったため、私は少し驚いてしまった。
 「でもタイミングがあればだよね。」
 「機会もタイミングも自分で作るんだよ。恋愛も告白しないと付き合えないでしょ。」
 私には、まだ栞に謝らなければならない事があるということ思い出しました。それは避けるという選択を一時的だとしても取ったこと。そしてそれを栞に委ねようとしたこと。
 「私は、私がいるから千冬が栞を傷つけるんだと思ってたんだ。ずっと。だから、」
 「俺を傷つけないために、俺を突き放そうとしたんだよね?」
私はゆっくりしゃがみながら頷きました。スカートが汚れるなんて、もうどうでもよかったのです。
 以前、栞がくれたメールを思い出しました。
《俺は奏が大事だから、突き放そうとするなよ。俺は、そばにいたいんだよ。》
 私だってそばにいたいです。だからもう見誤らない、見逃さない、見放したりするわけにはいきません。
 「栞、もう私は諦めなくてもいいの?」
 「いいよ。」
 じゃあまた放課後生徒会室で、と言って私は足早に教室に戻りました。杏里より先に教室に着いていなければ、何が起こるか分からなかったからです。私以外のイツメンの女子に何を吹き込むのか、もしくは、吹き込まれているのかを確認する必要があったからです。
 私たちは約一時間情報共有だけしてまた次の約束をしました。たった七時間後のことです。というか、テスト期間なんだから生徒会ないじゃん、と気づいたのは二限が終わってからです。それでもそのツッコミがなかったのは、きっと栞も思うことがあったからだと思います。
 放課後になって栞が生徒会室の鍵を持ってきてくれました。
 「杏里のこと、どうしようね」
先に口を開いたのは栞だった。
 「栞はどうしたい?」
 「奏のしたいようにして欲しいよ」
 「それは、良くないな。」
 杏里のこと切って私についてきて欲しいなんてもう一度言えるわけが無かったのです。栞は優しいからきっと杏里のことも私が許してあげてと言えば許してしまうのでしょう。だからこそ私が何を言おうとも、栞は栞の意思で動かなかったことをいつか後悔してしまうのではないでしょうか。
 「なんで良くないの?」
 「ん?私はまだ栞のことをよく知らないから。」
 「知ったらそれは、良くなるの?」
 「栞のことを理解してからなら責任とれるからね。」
 「じゃあ全部話そうかな。」
 本当に栞は全部話してくれました。
一年生の頃、大変な子が同じクラスで二年生になってもその子と同じクラスで色々あったこと。三年生で学級委員になったこと、先生に頼りにされてたこと、いじめが起こったこと、誰にも、何も、頼れなかったこと。彼女ができたこと。彼女と別れて、クラスでも嫌なことしかなくて、もう何も見えなくなってしまって死のうとしたこと。
 怖いと思いました。「そんなことで死のうとしたんだ」と言ってしまいそうになった自分が。栞が忘れてしまっても、私は覚えています。「痛みも辛さも比べるものじゃないよ」そう言ってくれた栞の言葉を。
「今まで、よく頑張ったね。本当に。」  
 今度こそ、私は栞のために、この言葉を言えたと思います。
 栞はパイプ椅子を軋ませ、背もたれに寄りかかるようにして後ろに背伸びしました。
 「きっと、誰かにそう言って欲しかったんだ。」
 この時の私は、栞の痛みも、栞の気持ちも知っているのに分かってあげられないことが、どうしようもなくもどかしいと思っていました。
 「ごめん俺、奏の方が辛いはずなのにね。」
 栞は嗚咽に混ぜて私に謝っていました。でもこれはきっと、過去の私の生きてきた軌跡と自分を比べてしまったのだと思います。だから私は栞が言ってくれた言葉を栞に返しました。
 「栞」
 「ごめんほんとに俺、」
 「痛みは比べるものじゃないんでしょ?」
 「奏には敵わないなぁ。」
 栞は私に濡らした頬を隠すようにマスクをつけ直して、体ごとこっちに向き直しました。
 もう少しだけ私も栞と向き合おうと思いました。
 「私は親友と喧嘩別れしたこと、正しいことなんて思わないよ。でもこういう意味のない失敗ってさ、やっぱり生きてると、よくある訳で。」
 栞は、深く頷いていました。
 「だから大事なことは意味のない失敗をどれだけ意味がある失敗だったかって言えるように生きていけるか、なんじゃないの。」
 「奏は強いな。」
 「これは強いからじゃなくて弱いからだよ。」
 「違うよ。」
 「弱いから、こう思うしかなかったの。」
 そう、これは私の弱さです。小学六年生の頃の私の言い訳でしかないのです。
 「栞には諦めて欲しくないな。こんなところで終わって欲しくないの。」
 もう少しだけ、もう少しだけ本当の気持ちを伝えさせて欲しいです。
 「それはどういう意味?」
 「嫌でも役に立っちゃうんだよ。普通じゃない経験って。」
 「俺また同じ経験しなきゃなの?じゃないと役立つも何も無くない?」
 栞はそういうことでは無いと分かっておきながら質問してきているようでした。だってちょっとだけ笑っていたので。
 「まさか。意味のなかった失敗だなんて言うのはまだ早いって話だよ。栞の失敗談はまだ結果として発表するには惜しいよ。」
 成功者の語る下積み時代みたいにさ。未来の栞の生徒は幸せだと思います。今が美談になる、なんて綺麗事を言うつもりもはないけれど、今度こそ栞に、栞だけの為に私があげられる言葉を私は栞に届けたい。あなたを救いたいのです。
 だから私は知らないふりをする。自分の気持ちにも。
 栞が、あげるはずだった愛が、会えない時間が、私に向いているだけでしょう。黙っていましょう。それでいつか栞が本当の愛に、彼女への愛に気づけたなら、私はやっと栞を諦めることができるでしょう。
 「俺やっぱり杏里にムカつくかも。」
 「おお?」
 「奏が言ってた通りな気がしてる。」
 「あんまり影響されすぎないでね。」
 全部が全部、私が正しい訳ないから。でも少しでも栞が前を向こうしてくれてるのが分かって嬉しかった。自分を肯定しようとしてるだけ成長だと思った。
 「ごめんね、俺ばっかり話聞いてもらっちゃって。」
 「いや、その為の時間だから。」
 私はジャケットに袖を通しながら今朝言ったことを繰り返した。
 「機会もタイミングも自分で作るんだよ。私一人でどうにかなることをわざわざ他人を巻き込むことないでしょ。だからメインが作業なわけないでしょ。」
 栞は、左手の手首をグルっと右手でなぞった後に、左手でマスクの上から顎から指先が眉に届くギリギリまでを辿るようにして頭を抱えた。
 その仕草の一つ一つが愛しくて仕方がない。
 「いいの?俺なんかに時間使って。」
 「大事な人だからいいんだよ。」
 こうやって線を引かないと、栞がいつか私の気持ちを見透かそうと来てしまうような気がしてならないのです。
そう、好きだなんて簡単に言えたなら文学なんていらないんです。
 互いに惹かれあってしまっていたらどれだけ辛かったでしょう。好きになったのが私だけで良かったと思います。大事な人のためにクラスでの立場を棒に振って、友達のために先輩とサシで話す、無鉄砲にも程がある私の行動は未熟であると思います。
 「奏、助けてくれてありがとう。」
 「栞が自分で助かっただけだよ。」
 栞が諦めないでいてくれたからだと思います。栞自身の未来、私との未来を望んでくれたからだと思っています。
 私は相変わらず、高校に彼女たちがいないと分かっていても腹痛と頭痛に苛まれています。
 傷口に感謝なんてしませんが、あの出来事がなければあなたと出会えなかったのだとしたら、私はあの出来事があってよかった、なんて思えるほどの狂気が今、私の中にあります。
 言ってしまえば、勝手に栞に救われてしまったのです。こんな自分を今でも私は嫌いで憎くて仕方がありません。それでもこんな自分も、栞がそばにいて欲しいと言ってくれた日から、なんだか私の中で重要な一部になってしまったのです。私の生きてきた地獄に意味をくれてありがとうございました。
 いつか君が死にたくなったら、思い出して欲しいのです。
あなたの過ごしてきた地獄は意味のないものではなかったのだと。私を、一人の人間を救い出してくれたということを。そうやってあなたに、救われた私たちがあなたを日々、大切に思っているということを。あなたの逃げ場は死ぬことじゃなくて、ここにもあるということを忘れないで欲しいのです。
 どれだけ些細なことでもいいから、少しずつでもあなたの好きなものを知りながら生きていきたいです。
 あなたがその肌で感じてきた風を、温度を知りたいのです。

 あなたと共に生きていきたいのです。

 いつか君が死にたくなったら、思い出して欲しいのです。
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