異世界転移者の日常生活風−−戦乱を添えて

おたべ ひとり

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二章

第二話

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 ヴィンセント自警団本部の重厚な門構え。
 そこは正義と規律の象徴……であるはずなのだが、今のリリィにとっては「一度潜れば二度と生きては出られない魔王の城」にしか見えなかった。

「ふえぇ……無理ですぅ。やっぱり無理ですぅ。門番さんのあの目! あれは絶対に『今夜の晩餐はメイドの塩焼き――美少女風にしよう』って決めてる目ですぅ!」

 リリィは入り口から数メートルの地点で、右に三歩、左に二歩という奇妙なステップを踏みながら往復していた。挙動不審という言葉を擬人化したような姿だ。
 屋敷を出る際、セレナに押し付けられた、ハンチング帽とサングラスは返却してきた。だが、彼女は致命的なミスに気づいていなかった。

 鼻の下に、黒々と鎮座する「付け髭」。
 これだけは、外すのを忘れたままだったのである。

 茶髪のメイド服姿の少女が、立派なカイゼル髭を蓄え、涙目で「私は壁紙……私は空気……」と呟きながら徘徊している。その光景は、猛者揃いの自警団の門番たちでさえ、その異様さに戦慄し、声をかけられないほどだった。

 その時、本部の重い扉がゆっくりと開いた。

 出てきたのは、武骨な金属鎧を鳴らす団員たちではない。
 白を基調とした、清潔感あふれる「祭服」に身を包んだ男だった。
 汗と鉄錆の匂いが漂う本部において、その涼しげな姿はあまりに異質だ。男はすらりとした長身を揺らし、流れるような所作で階段を降りてくる。

 男の名はカシアン。教会の権限によって、獣人の行方不明事件の調査にヴィンセント港領に送り込まれた審問管だった。彼は入り口の脇で「私は石像です」と念じながら硬直している髭面の少女を捉えると、扇子で口元を隠して微笑んだ。

「あら……やだ。可愛い小鳥さん、随分とワイルドな身だしなみね、迷子かしら?」

 その声は、驚くほど艶やかで、独特のイントネーションを含んでいた。
 リリィは心臓が口から飛び出すかと思うほど跳ね上がり、反射的に叫んだ。

「ひ、ひえぇぇ! 私はヴァリエール家の関係者じゃありません! 横領について聞き回ったり、証拠を盗もうなんてこれっぽっちも思っていない、ただの通りすがりのメイドですぅぅ!」

 一点の曇りもない、完璧な自白であった。
 リリィの口は、恐怖という潤滑油を得て、止まることを知らなかった。

「あのドSな執事とセレナお嬢様に脅されてしかたなく来ただけなんです。だから見逃してください! 私はただの、可愛そうなメイドなんです!」

 カシアンは一瞬、呆気に取られたように目を丸くしたが、すぐにクスクスと肩を揺らした。

「うふふふ! 貴女、最高。アタシ、こんなに面白い子、久しぶりに見たわ。……ちょっと、こんなところで絶叫してたら、あのごつい団員たちが飛んでくるわよ。場所を変えましょう。お砂糖と情報交換が必要ね」

 リリィは「拉致ですか!? 拷問ですか!?」と暴れたが、カシアンは柳のようにしなやかな力で、彼女を路地裏へと連れ去っていった。


 ◇


「アタシはカシアン。気楽にお姉さんって呼んでちょうだい」

 連れてこられたのは、本部から数分歩いた路地にある喫茶店。看板には『喫茶・サフィール』と書かれている。

 リリィの目の前には、彼女の顔よりも大きいのではないかと思えるほど豪華な「特製イチゴパフェ」が置かれた。

「……美味しい。……美味しいですぅ、オネエさん……っ!」

 一口食べた瞬間、リリィの警戒心は跡形もなく消え去った。
 彼女はスプーンを高速で動かし、イチゴの甘みに頬を緩ませながら、堰を切ったように身の上話を始めた。

「聞いてくださいオネエさん! 私が仕えてるヴァリエールのお屋敷、今とんでもないことになってるんですぅ。すっごく真面目な旦那様が、身に覚えのない『横領』なんて罪で捕まっちゃって……。今は旦那様の弟のバルトロ様が領主代行をやってるんですけど、あの方、なんだかいっつもエラそうにしていて私は苦手です!」

 リリィはパフェの底にあるコーンフレークをザクザクと掘り起こしながら、憤りとともに声を震わせた。

「お嬢様もヴィクターさんも…あ、ヴィクターさんというのはお屋敷の執事さんです。まだ若いのにとっても優秀なんですよ。
 それでお二人は、旦那様がそんなことするはずないって信じてるんです。でも、周りはみんな『泥棒伯爵だ』なんて指をさして……。それで、あのドSな執事さんとお嬢様に『お前が自警団の本部に潜入して、情報を掴んでこい!』って無茶振りされたんです。もし手ぶらで帰ったら、私、本当にお屋敷をクビになっちゃうかもしれないんですぅ!」

 パフェのクリームをカイゼル髭にべったりと付けたまま、リリィは涙ながらに訴えた。カシアンはそれを「あらあら」「大変ねぇ」と、慈母のような微笑みで聞いていた。

「いいわ、可愛い小鳥さん。貴女のその涙に免じて、アタシがとっておきの情報を売ってあげる」

「あ、申し遅れました。私はリリィって言います。可愛いリリィって呼んでください。
それで、情報を教えてくださるという話は本当なんですか?」

「ええ。ただし、対価は必要よ。……そうね、このパフェとアタシのお茶代をリリィちゃんが払ってくれるなら、教えてあ・げ・る」

「払います! お金なら少しはありますから!」

 リリィは力強くうなずいた。カシアンは満足そうにうなずくと声を潜め、テーブル越しにリリィの耳元へ顔を寄せた。

「よく聞きなさい。今回の特別徴税……本来は自警団の運営や装備、街の防衛に使われるはずだった資金が消えているわ。押収された帳簿は、数字上は確かに辻褄が合っている。けれどね、実際に自警団への支援金の流れを現場で見れば、それが真っ赤な嘘だってことは一目瞭然なのよ。恐らく帳簿は巧妙に細工されているわ」

「細工……。でも、それを見つけるのがお仕事の人たちがいますよね?」

「そう、そこが一番の『不自然な点』なのよ」

 カシアンは扇子を閉じ、冷ややかな色を瞳に宿した。

「王都から派遣されていた監査官よ。彼は実際、ろくに調査もしていなかったのか、細工された帳簿を『適正』だと認めて伯爵にも提出したの。……彼がただの無能か、あるいは横領に最初から加担していたのか……リリィちゃんはどう思うかしら?」

 リリィの脳内に、衝撃が走った。

「監査官様が、わざと見逃した……? つまり、王都から悪い人が来たってことですか!?」

「うふふ、察しがいいじゃない。あとのパズルは貴女のところのドSな執事さんに解かせなさいな。今回の横領には裏があるかも知れないわ」

 カシアンは自分のあごの下に人差し指を添えて、クネっとポーズを決めた。

「た、大変です! 特大の情報です! ありがとうございます、オネエさん! 私、頑張ります!」

 リリィは勢いよく立ち上がった。パフェの甘みで脳が活性化し、さらに重要な手がかりを得たという確信が彼女を突き動かす。

「失礼しますぅぅ!」

 リリィは絶叫しながら、喫茶店の扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び出すと、そのまま土ぼこりを巻き上げながら走り去っていった。

 その背中を見送りながら、カシアンはふと、テーブルの上に視線を落とした。

「……あら?」

 そこには、完食されたパフェの器と、カシアンの飲みかけのカップがある。そして「会計用の伝票」が、ポツンと取り残されていた。

「……ちょっと、リリィちゃん?」

 カシアンは窓から外を見た。リリィの姿はすでにそこになかった。

「……対価は喫茶代だって言ったのに。払わずに走っていっちゃったわ、あの子」

 リリィは情報を手に入れた喜びのあまり、人生初の「無銭飲食」を犯したことに微塵も気付いていなかった。手に握りしめた金貨を使うことさえ忘れ、ただひたすらに屋敷を目指す。鼻の下のカイゼル髭を、激しく、猛烈に上下に揺らしながら。
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