異世界転移者の日常生活風−−戦乱を添えて

おたべ ひとり

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二章

第一話

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 窓の外に広がる、ヴィンセント港領の景色。
 今日も今日とて、眩暈がするほどに、キラキラと輝いていた。

 王国の南端に位置する、この港街。歴史ある大理石の建築物が整然と並び、美しい海岸線には、巨大な商船や豪華な客船が絶え間なく入港する。大陸の観光と産業、そして流通の基盤となっている。

 広場の中央では、静謐な女神像が涼しげな水を噴き上げている。
 観光客たちは、見栄えのいい高級アイスを片手に、優雅に街なかを闊歩している。

 だが、そのまばゆい繁栄は、少し歪な事情の上に成り立っていた。
 はるか北の辺境、極北の地「バーボン領」で起きている跡目争い。それを火種とした王国と帝国の『代理戦争』が、この港に特需をもたらしていたのだ。

 物流の要であるこの街に、急激に戦争物資が流れ込む。それと同時に、戦火を逃れた難民や、雇い主を失った傭兵崩れまでもが流れ着く。

 そんな不穏な影から市民を守るため、外壁の改修と軍備増強を急ピッチで進め、治安維持に奔走していたのが、この街を治めるヴァリエール伯爵……だったはずなのだが。



「……ハッ、笑わせんじゃねーよ。あのクソ親父が」

 海風が吹き抜ける、優雅なテラス。そこに、名門令嬢には似つかわしくない、ドスの利いた声が響いた。

 セレナ・ド・ラ・ヴァリエール。

 一昨日まで『社交界の薔薇』と持て囃されていた伯爵令嬢だ。
 燃えるような赤髪を適当に束ね、苛立ちを隠そうともしない翡翠色の瞳が、鋭く虚空を睨む。180cm近いその長身は、淑女の椅子には窮屈そうだった。

 彼女は苛立たしげに安物のタバコをふかす。

「自分は他人サマの金をちょろまかしておいて、アタシには『品行方正であれ!』だぁ? どの口が言ってやがるんだ、あの堅物クソ親父。おかげでこっちは、朝から晩まで『ドロボーの娘』扱いだ。やってらんねーよ、マジで」

 セレナは、込み上げる苛立ちをぶつけるように、手近な石造りの手すりを殴りつけた。

 彼女が宿すのは、戦神アキレスの加護。その拳は、硬質な大理石さえ砂利に変える破壊力を持つ。寸前で止めたものの、衝撃波で周囲の空気がビリビリと震えた。

 世間からの嫌がらせも、なかなかに陰湿だ。
 令嬢に直接石を投げるような下手な真似は誰も選ばない。彼らが選ぶのは、もっと粘着質なやり方だ。

『あら、ヴァリエール家の薔薇も、根っこは泥棒の草だったのね』

 遠回しすぎて一瞬意味を考えなきゃいけないような嫌味の数々。いまや街の人々は、セレナが今口にしている紅茶でさえ、伯爵が横領した「汚れた金」で賄われているのだと考えているのだろう。

「……あー、イライラする!」

 セレナは空になったタバコの箱を握りつぶして床へ投げ捨てた。

「セレナお嬢様。タバコは身体を害します。ほどほどになさいませ」

 部屋の扉から、音もなく滑り込んできたタキシード姿の男は、流れるような優雅な動作で床のゴミを拾い上げた。
 執事、ヴィクター・グレイ。
 整えられた銀髪。眼鏡の奥で冷徹な瞳を光らせる美男子だ。彼は手に数通の書簡を持ち、涼しい顔で口を開いた。

「先ほど門前に供えられた『ヴァリエールの恥知らず』という手紙ですが、あまりに文法が稚拙でしたので、赤ペンで修正して送り主に返送しておきました。……あぁ、安心してください。切手代は向こうの着払いに設定しております」

 セレナは、椅子を蹴立てて振り向く。

「……はぁ? お前、勝手に人の家の手紙読んでんじゃねーよ! ってか送り返すのかよ! 余計に角が立つだろーが!」

「何をおっしゃいますか。あのような低俗な文章を屋敷に置いておいては、ヴァリエール家の知性が疑われます。罵倒するならするで、せめて主語と述語を一致させるべきだと、教育的配慮を込めて厳しく添削して差し上げました」

「教育的配慮ってなんだよ! 喧嘩を売ってる自覚あんのかよ! お前、絶対楽しんでるだろ!」

 ヴィクターは静かに眼鏡を押し上げた。

「滅相もございません。私はただ、執事としての職務を全うしているだけです。……それよりセレナお嬢様、淑女が昼間からこのような安物のタバコをたしなむのは感心しませんね」

 ヴィクターは、銘柄を確かめるように空箱を掲げる。

「るっせーよ、お前の嫌がらせ対策の方がよっぽどガラ悪いわ!」

 セレナは吐き捨て、話を本題へと引き戻した。

「……で、例の件はどうなってんだ。あの堅物親父に本当に、街の金をちょろまかすような真似ができると思うか?」

 セレナは室内に戻ると、ソファにどっかりと腰を下ろした。
 すかさずメイドが淹れた紅茶を差し出す。セレナはそれを受け取ると一口飲み、ヴィクターを見据える。その仕草は、荒い口調とは対照的に隙のない整ったものだった。

「……残念ながら、証拠は完璧でした」

 ヴィクターの報告に、室内の空気が凍り付く。

「隠し金庫から発見された帳簿は、すべてが旦那様の犯行を示しています」

「あぁ!?」

 セレナが翡翠色の瞳を鋭く吊り上げ、凄まじい眼光をヴィクターに向けた。

「ひぃっ……!」

 悲鳴を上げたのはヴィクターではなく、後ろで控えていたメイドのリリィだ。

 明るい茶髪を小刻みに震わせ、潤んだ青い瞳でセレナを見上げている。
 セレナの隣に立つと、どうしても怯えた小動物のように見えてしまう。

 ヴィクターは涼しい顔で話を続ける。

「旦那様の屋敷の金庫から、粉飾の証拠となる帳簿が見つかった。あからさま過ぎる気がします。私には、あの旦那様にそんな回りくどい真似ができるとは到底思えません」

「だろ? あの堅物親父が、チマチマ帳簿の書き換えなんてできるはずがねぇ。ちっ、こうなったら自警団の節穴共を、片っ端からぶちのめして分からせてくるか!」

 セレナが立ち上がろうとした瞬間、ヴィクターの手が彼女の肩に静かに置かれた。

「お座りください、セレナお嬢様。今あなたが出ていっては、火に油を注ぐどころか、火にニトロを投げ込むようなものです。現在、ヴァリエール家へのヘイトはピークに達しています。最悪の場合、暴動になりかねません」

 ヴィクターの声は、冷徹なまでに冷静だった。

「そうなれば、旦那様の立場はいよいよ絶望的。それとも、獄中の旦那様に『娘が街でメンチを切って暴れたせいで、死刑判決が早まりました』と報告したいのですか?」

「……チッ、正論ばっかり吐きやがって。じゃあどうすんだよ! 黙ってここで、くだを巻いてろってか?」

「あ、あの……」

 気弱なリリィが震える指先でおずおずと手を挙げた。

「おう、リリィ。何か妙案でもあるのか?」

「セレナお嬢様。あまり脚を広げてお座りになるのは……その、非常にはしたないと思います……」

「そっちかよ! ってか、いまさらかよ!」

 生産性のない女性陣のやり取りを無視し、ヴィクターが冷酷に告げる。

「調査は代理に任せます。……リリィ」

ヴィクターの指が、真っ直ぐにリリィを指す。

「あなたには自警団の本部へ潜入し、情報を探ってきてもらいます」

「……はぁぁぁぁぁ!? 無理です! 死んじゃいます!」

 リリィの青い瞳が、驚愕で見開かれた。

「私みたいな可憐な乙女が、敵の巣窟になんて行ったら!
 一瞬で踏み潰されて、お星様になっちゃいますぅぅ!」

 リリィは文字通り、ぴょんと跳び上がって拒絶した。

 今の自警団にとって、ヴァリエール家は「賊」も同然。
 見つかれば即座に拘束されるのは目に見えている。

「ヴィクター、正気かよ」

 セレナは、呆れたように隣の執事を見上げた。

「この、自分の事を可憐とか言っちまう残念マスコットキャラを、敵のド真ん中に放り込むのか? 
 調査どころか、迷子になって泣きながら自首するのがオチだろ」

「いいえ。彼女は曲がりなりにも、伯爵家のメイドです。家事全般の高い技術もちろん、その場に馴染む能力は、屋敷の壁紙も同然。何より、こんな『ちんちくりん』が伯爵家の関係者だと疑う者は、誰もいませんよ」

「褒めてないですよね!? それに『ちんちくりん』はド直球に悪口です!」

 リリィが声を荒げるが、ヴィクターは動じない。

「安心しなさい。もし捕まっても、骨は拾って差し上げます」

「助ける気ゼロだろお前!」

 セレナは深いため息をつくと、自室の奥からハンチング帽、大きな付け髭、真っ黒なサングラスを取り出してきた。

「おい、リリィ。いつまでもグズグズ抜かすんじゃねえ。……ほらよ、アタシからの餞別だ。聞き込みって言ったら『探偵』だろ」

「……あの、お嬢様。これ、逆にめちゃくちゃ目立ちませんか?」

「どこをどう見ても不審者です。赤ペンで修正したいくらいに不審者です……」

 ヴィクターの冷静なツッコミも虚しく、リリィは強引に口元へ付け髭を装着させられた。

「期間は三日間。有益な情報を持って帰って来ることを期待しています」

 そう言葉を掛けたヴィクターは、リリィの姿に視線を合わせようとしない。ただその肩は笑いを堪える為、細かく震えていた。

「頼んだぞ、リリィ。あと帰りに、これでタバコ買ってきてくれ。釣りはやるからよ」

 セレナは無理やりリリィの手に金貨を握らせた。

「……この変装道具はお返しします」

 キッと肩を震わせ続けるヴィクターを睨みつけると、乱暴にサングラスを外し、ハンチング帽を脱ぐと、セレナに手渡し、リリィは諦めたように肩を落とした。

「金貨1枚じゃ割に合わないです」

 言い残すと、トボトボと自警団本部に向かって歩き出した。

 ヴィンセントの明るい街並み。
 その光の裏側で、史上最も頼りない探偵が、外すのを忘れている「付け髭」を揺らしながら、歩を進める。

 ヴァリエール伯爵の運命は、なぜかこの「付け髭のメイド」の細い肩に託されることとなったのだった。
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