死霊術師アンナ・ベルと幸福の庭

雨色銀水

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7.東風より黒翼来たりて空を裂く

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 揺れはしばらくして収まった。
 ほっと息を吐く間もあればこそ、邸宅の明かりが激しく明滅を始める。不穏な気配にアンナ・ベルを見れば、険しい表情で指先を噛む。

「これはまさか、あいつの仕業なの?」
「あいつ?」

 問い返した瞬間、明かりがすべてぷっつりと途絶えた。暗闇が訪れ、ざわめきが窓越しにも伝わってくる。月明かりがかげり、本当にわずかの間、目の前が完全の闇に変わる。

「――ドゥセル!」

 ざあっと、風が低く鳴いた。刹那、闇の向こうで何かがきらめく。かち、耳障りな高い音とともに、闇が晴れる。結果を言えば、その時すでに僕は『死んでいた』。

「っ、がっぁ!」

 白刃が、首筋を横に薙いだ。耳障りな音を立て、表皮が砕け散る。何が起こったかなんて、疑問を挟むこともできないほどの速さで、僕は後方に蹴り飛ばされた。

「――――っあ」

 すべての光景がゆっくりと流れていく。感覚だけが早回しに、周囲の状況を伝えてきた。正面立つ、黒い人影のようなモノ。そしてそれに向かって走り出す少女の――。

「アンナ・ベル」

 何かが砕ける音がした。地面に叩きつけられた。そう分かったのは、全身が鈍い痛みを伝えてきたからだ。あおむけに倒れたまま、僕は首筋に手を当てる。

「……死んで、ない」

 木偶人形の首筋は、見事に砕けていた。だが、あえて言うならそれだけだ。普通の人間なら、確実に致命傷だ。しかし僕はまだ動けている。

「くそ」

 痛くないわけではない。それでも動けないほどではなかった。すでに死んでいるこの身とかりそめの体に今は感謝して、僕はふらふらと立ち上がる。

「アンナ」

 薄闇の奥で、白い光が交錯する。金属を打ち合わせる音が響く。黒い人影が腕と一体化した刃を横に薙ぐ。そしてアンナ・ベルは、優美な銀の槍をまっすぐに構えている。

「アンナ・ベル!」

 僕の声に対する応えはない。アンナ・ベルは素早く槍の穂先を払う。刃を払われ、黒い影のバランスが崩れる。瞬間、少女は大きく前へと踏み込む。

「はああっ!」

 裂帛の声。同時に鋭い突きを見舞う。影は倒れこみながら避ける。しかし、アンナ・ベルは追撃の手を緩めない。一撃、さらに一撃。連撃を見舞い、影を追い詰めていく。

「すごい」

 僕は呆然と見守ることしかできない。少女はくるりと槍を回転させ、横に薙ぐ。大ぶりな一撃だった。黒の影は地面すれすれに伏せる。瞬きする間もなかった。黒い姿は、そのままのいいから地面を蹴り、アンナ・ベルに肉薄する。

「甘い、のよ!」

 アンナ・ベルは槍を頭上に放る。なぜ武器を手放した? 疑問は影だって感じたはずだ。しかし、絶好の機会に違いなく、黒い姿は刃を振り下ろす。

「――――え」

 僕は目を見張った。アンナ・ベルの髪が風に舞う。細い手の間で、黒いリボンが鈍く光る。黒い影の刃は、リボンに阻まれ止まっていた。

「これで終わり」

 リボンを握りこんだまま、アンナ・ベルの手が黒い影に触れる。変化はほんの一瞬だった。白い光が黒い影から漏れ始める。

「あなたとは二度とまみえんことを」

 別れの言葉を口にして、アンナ・ベルは影を突き放す。力を失った影は、背後へと倒れこむ。それと時を同じくして、上空から槍が降り注ぐ。

「――――っ!」

 ざくり、槍が影を貫いた。黒い姿はびくりと痙攣し、すぐに動きを止める。それを確かめてからやっと、アンナ・ベルはこちらに顔を向けた。

「ドゥセル、無事?」
「無事かって言われると、まあ、なんとか。それより、これは一体」

 僕はためらいながらも、黒い影に歩み寄る、近づいてやっとわかったが、そいつは真っ黒な人形だった。戦闘用に改造された人形、そんな想像が頭をよぎる。

「デコイね」
「デコイ? って、この人形のこと?」
「そう、幸福の庭の敵が使う操り人形よ。油断した。いつ入り込んできたというの」

 幸福の庭に敵がいるのか? 当然の疑問が浮かぶ。しかし、問いを口に出すことは叶わなかった。

『アンナ・ベル』

 黒い影――デコイから、声が聞こえた。

 僕たちは同時に振り返る。デコイは倒れこんだまま、不快な声を吐き出していく。

『幸福の庭を守りたければ、ぼくのもとに来い。庭を守る礎石は、すでにこちらの支配下にある』

 アンナ・ベルは、険しい顔で東の空をにらむ。すでに光の柱は消えているものの、先ほどまでの異様さは僕の目に焼き付いている。

『……言いたいことはわかるな? 来なければお前の大事な庭が崩壊するだけだ。それが嫌ならさっさとここに来るんだな』
「この、性悪……っ!」
『あ、そうそう』

 軽い口調で声は続ける。その内容に、アンナ・ベルは表情を消した。

『プレゼントはどうだったかな? 気に入ってくれたと信じているよ』

 デコイは動きを止めた。アンナ・ベルは槍を引き抜き、ため息を吐き出す。嫌な空気が周囲には満ちていた。死者たちも息をひそめているのか、まったく気配がない。

「ヴェイン、それにペン・ギン」
「お呼びですかな」「ここに」

 呼びかけに応え、薄闇に骸骨とでかい鳥の姿が浮かび上がる。アンナ・ベルはうなずき、二人に一歩近づいた。

「幸福の庭の危機です。ともに来てください」
「ほほう、それは面倒ごとのようで! 是非にお任せください!」

 ヴェインがおどけ、ペン・ギンは無言で頭を下げる。その様子にもう一度うなずくと、アンナ・ベルは僕の方を見た。

「ドゥセル」
「うん」
「あなたは留守番。危険があるかもしれないから」
「え」

 ぽかんとしてしまった。確かに今はぼろぼろになっているし、腕っぷしはまあ、言うまでもないわけだけど。この流れで留守番ってさすがにひどいんじゃないかな?

 不満が表に出てしまったのだろうか。アンナ・ベルはもう一度重ねて言う。

「留守番。これは命令」
「……。わかったよ」

 命令なら、従うしかない。言葉にそこまでの強制力は感じなかったが、いざ背を向けられてしまうと抗うこともできなくなってしまう。

「安心して。この場所は私が守るから」

 月明かりの下で、アンナ・ベルがもう一度だけ振り返る。

 少女の顔は相変わらず微笑むこともしない。だが、それでも銀色の瞳は決然とこちらを見つめていた。

「大丈夫、怖いことなどないのだわ。だからドゥセルはここを守っていて」

 それだけを言い残し、アンナ・ベルたちはその場から姿を消した。

 あとに残された僕は、下僕らしく命令に従っていればいい。そうだ、それが正しい。だって僕はアンナ・ベルの下僕でしかなく、命令に逆らうだけの理由もない――。

『ほんとうに、それでいいのかい?』

 顔を上げる。誰かの声が聞こえた気がした。口の中に甘ったるい味が広がる。なんだろう、どこかで聞いたことのある声のような気がした。

『このままでいいのかい? アンナ・ベルたちを放っておくつもり?』
「……?」

 やはり、聞こえる。本来なら異様な状況だが、今はさほどの疑問を感じなかった。

『このままだと、彼女らは戻ってこないよ』

 声は淡々と告げる。興味のないことを話すときのように、どこか億劫さがにじんでいた。

「どういうことだ?」

 僕は問い返す。訳が分からない。けれど、声は配慮も感じさせない口調で言い放った。

『そのままの意味。アンナ・ベルは』

 次に発せられた言葉に、僕はその場から走り出していた。

 理由なんてどうでもよかった。命令なんて今は置いておけ。声が語る内容に疑問なんて感じなかった。心に芽生えた嫌な感覚が、気のせいだとは思えなかった。


『アンナ・ベルは死ぬよ。だって、これは罠だからね』

 それが事実かどうかはどうでもいい。
 僕は、アンナ・ベルを守らなければいけない――。
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