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楓さんを想う日々

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大谷慎之介は村役人としての仕事を慌ただしく終え、長老の家に向かっている。
村役人といっても下級武士の家柄で、お役目の給金だけでは食べていけず、生活の半分は村の皆と同じ農家である。

長老の家に入るとすでに多くの村人が集まっていて、部屋を見渡すと楓さんの隣だけが空いている。
楓さん・・・ この村で一番の美しい娘。少なくとも俺はそう断言する。可愛らしい顔で畑仕事に精を出す姿を、俺は見回りと称して何度も見に行っている。
ここは寄合という名の祈りの場。神様に祈りを捧げる神聖な空間で、目当ての女子と戯れることなど許されないが、他に席が空いていないから仕方がない。
「失礼」
そう断って楓さんの隣に座ると肩が触れあい緊張してしまう。
これではいけない。聖書を読み上げ神の教えを語る長老の言葉に集中せねば。しかし、聞こえてくるのは楓さんの吐息ばかり。

結局、長老の説話など耳に入らないまま寄合は終わる。
楓さんの隣にいるのに語りかける口実が思い浮かばず、俺は立ち上がり楓さんを見つめるだけで。
楓さんも十字架を懐に仕舞い立ち上がるが、その脚はよろめいていて、歩こうとするとふらついて姿勢を崩し、俺はとっさに受け止め
「大丈夫かい、楓さん」
「は、はい・・・」
抱き合うように向かい合う二人。楓さんの顔をこんなに間近に見たのは初めてで俺は緊張して何も言えず、
「すみません」
楓さんはそう言ってそそくさと帰ってしまう。
せっかくの機会だったのに何も出来なかった自分を悔い、いや、転びそうになったのに乗じて変なことするわけにはいかないと、そんなことを考えながら家路につく俺。
楓さんの身体の感触が今もうっすらと腕に残る。

家に戻り、俺は畑を耕し種をまき農作業に汗を流す。
日が西の空に沈みかけた頃、奉行所の使いが来て
「大谷様、御奉行様がお呼びです。至急、奉行所へ」
何事か合ったのだろうか。俺は袴に着替え奉行所へ。
御奉行様と役人たちが集まっていて、床に十字架が置かれていて俺は驚いた。
「慎之介、これが道に落ちていたそうだ。先ほど、行商人が届け出た」
上役の役人が教えてくれる。
「これは・・・ 耶蘇教の道具でしょうか」
自分が信徒であることは奉行所の皆は知らない。知られれば死罪は間違いない。
俺は耶蘇教のことをよく知らないふりして
「領内に耶蘇教を信じる者がいる、ということでしょうか」
と尋ね
「うむ。慎之介、お主がいる戸川村の街道にあったそうだ」
「戸川村で・・・」
まさか、村の誰かが落としたのだろうか。
そういえば、この十字架・・・
年季が入った木製の十字架で色は黒い。同じような十字架はいくつもあるだろうが、楓さんがいつも持っていた十字架に似ているような気がして俺は不安になる。
御奉行様は皆に告げます。
「明日、戸川村の村人を全員集めよ。誰が持ち主か村人どもに問いただす。誰も名乗りでないなら家々をすべて調べよ」
そう我々に命じ、部屋を後にします。

これはまずいことになった。
戸川村の人々は昔から耶蘇の信仰を密かに続けており、家を探せば十字架やマリア像などは出てくるだろう。持ち主と名乗り出れば死罪は免れない。村役人として愛着のある村人の誰かが。ともに信仰を同じくする者の誰かが。まさか、楓さんが・・・ そうではないことを祈りながら、俺は詰所に泊まることになった。

ほとんど眠れないまま朝を迎え、御奉行様を先頭に役人たちは戸川村へ出発する。俺は表情を硬くしながらその後をついていく。
村に着き、俺たちは家々を回り広場に連れていく。
林に入る道の一番奥の家が楓さんの家で、
「御奉行様がこの村に来られた。村人皆を集めよとのことだ。すぐに来てくれ」
と呼び出し、村人たちの後に楓さんと父母が続く。

広場に集められた村人の中には顔が暗い者が何人かいる。状況に気づいたのだろうか。その中でも楓さんの顔が一番深刻そうに見え、俺は嫌な予感がする。

御奉行様が広場に現れ、村人たちは地面にひれ伏す。
御奉行様は村人たちの前で十字架を掲げ
「これは誰のものか」
と問いただす。
「昨日、行商人がこの村の街道で拾ったと申し出てきた。これは耶蘇教の神具であろう。持ち主は名乗り出よ」
村人たちはざわつきながら互いに顔を見合わせる。
「いないのか。それでは村の家すべてを調べなければならぬ」
誰も名乗りでないのか。このままでは屋探しが始まる。多くの村人が耶蘇教の道具を持っていたことで捕まるだろう。俺に家にも十字架はある。
誰だ、十字架を落としたのは。
固唾を飲んで見守っていると
「御奉行様・・・」
楓さん・・・ 
何を言うつもりだ。まさか・・・
「その十字架は・・・ その十字架は私の物にございます」
泣きながら白状する楓さんがそこにいる。
なんてことだ。やはり楓さんの物だったのか。ということは、楓さんは・・・
「その娘を捕らえよ」
御奉行様の命令で楓さんは身体を縛られ、奉行所へ連れて行かれる。
俺は何も出来ず、奉行所へ向かう行列について行くだけだった。

奉行所に着き、楓さんは地下牢に入れられ、俺は門の前で見張りをするよう命じられた。
楓さんはどうなるだろうか。耶蘇教の信者だと発覚した者は死罪と決まっている。十字架に磔にされ槍で突き殺されるのだ。何とか助けられないか。しかし、俺はここでは最下級の役人。協力してくれる者もいない。奉行所には常に役人方が勤めに励んでおり、夜中であっても見張り番が門の前や庭を固めている。
途方に暮れていると、庭の方から御奉行様と楓さんの声が聞こえてくる。取り調べが始まったようだ。
「お主は耶蘇教を信じているのだな」
御奉行様の問いに
「はい・・・ 神様、そしてイエス様を信じております」
はっきりと認めてしまった楓さんに俺は失望を、そして同時に尊敬の念を抱く。死罪を覚悟で、楓さんは信仰を貫いたのだ。
御奉行様が下した処罰は
「楓、お主を禁教の罪で磔刑に処す」
予想通りの結果だった。
俺は涙をこらえながら門の前に立ち、誰か楓さんを救いに襲撃したりしないかと願ったが、平穏に時は過ぎた。


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