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不完全な世界の中で
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A4用紙がプリンターの排紙口からリズムもなく吐き出されていく。
印刷されたのは、等高線の浮かぶ山林地図と、行政のサイトから拾った古い衛星写真。
黒川はそれを無言で手に取り、蛍光ペンで何箇所かに印をつけた。
ロッジの位置を中心に半径一キロ圏内。
獣道のような未舗装路、泥沼のような地形、落葉に覆われた空き地。
そのひとつひとつを丁寧にマーキングしていく。
まるで地雷原の地図を描くような慎重さだった。
夜になると黒川は工務店の軽バンに乗り込んだ。
着古したパーカーにフードをかぶり、助手席には双眼鏡と望遠カメラ。
ダッシュボードの中には懐中電灯と電池。目的地はいつも同じだ。
舗装のない林道を抜け、ロッジが見下ろせる高台へ。
エンジンを切り、車内の灯りをすべて落とす。
カメラの液晶に映る画面には、静かに月光を浴びる廃屋の姿があった。
午後十一時を回った頃、ロッジの裏手に一台の軽トラックが滑り込む。
運転席から降りてきたのは、やはり白崎だった。
黒のジャージにニット帽という、町中では見せない装い。
裁は荷台のブルーシートを捲ると、中から長い袋状のものを引きずり下ろす。
何かをくるんだような布。
脚のような形にも見えたが、確証はない。
その隣には木箱。
取っ手のついた金属製の工具箱。
彼はそれらをゆっくりとロッジの裏手へ運んでいった。
照明はない。
懐中電灯のような小さな灯りを、地面に向けて最低限だけ使う。
まるで、誰かの目を避けるように。
黒川は唾を飲んだ。
息を殺す必要もないほど遠い距離なのに、喉が乾いた。
カメラの映像をズームする。
白崎がロッジのドアを開ける瞬間、一瞬だけ中の照明が映った。
鉄パイプのようなもの、何かの装置。
詳細は不明。
ただ、それは生活の場ではないことだけは明確だった。
「……やっぱり、ここに何かある。」
独り言のように、黒川は呟いた。
帰宅は夜明け前だった。
部屋に戻ると、暗がりの中で録画データのバックアップを取りはじめる。
外付けハードディスクに三つ、同じファイルをコピー。
映像をチェックする黒川の表情は、もはや楽しげですらあった。
自室の床には段ボール箱が三つ。
中にはこれまでの記録が詰め込まれている。
「一八回目来店/二〇二五年五月三日/午後二時三四分」
「購入品。トタン板、防水布、洗剤、手袋」
「車ナンバー確認。通行ルート(GPSログ四〇一番)」
印字されたメモと、手書きの補足。
GPSの移動記録帳。
時系列ごとに綴られたそれらは、誰にも見せることのない観察記録だった。
部屋には生活感がなかった。
冷蔵庫は空、布団は敷きっぱなし、テレビは埃を被って映らない。
家族はいない。
友人もいない。
連絡先の履歴には、仕事先の名前が二、三件残るだけだった。
その代わり、白崎の名前がある。
メモの中に、繰り返し繰り返し、彼の行動、癖、言葉が書かれている。
「飲み物は無糖。スーツは五着でローテーション?靴はイタリア製。煙草は吸わない」
知れば知るほど興味が募った。
掘っても掘っても出てくるような、古い井戸を覗く気分だった。
底は見えないのに、水音だけが聞こえる。そんな奇妙な感覚。
彼が何をしているのか、その正体はまだ掴めない。
けれど、それを探ることが、いつしか黒川の生活のすべてになりつつあった。
朝、目覚めても、まず録画データの整理をする。
夜になれば、再びロッジに向かう。
いつからこうなったのか、記憶は曖昧だった。
ただ確かなのは、この孤独な生活の中心に、確かに白崎裁という男が存在しているという事実だった。
そして黒川はまだ、自分がその事実に取り憑かれつつあることに、気づいていなかった。
印刷されたのは、等高線の浮かぶ山林地図と、行政のサイトから拾った古い衛星写真。
黒川はそれを無言で手に取り、蛍光ペンで何箇所かに印をつけた。
ロッジの位置を中心に半径一キロ圏内。
獣道のような未舗装路、泥沼のような地形、落葉に覆われた空き地。
そのひとつひとつを丁寧にマーキングしていく。
まるで地雷原の地図を描くような慎重さだった。
夜になると黒川は工務店の軽バンに乗り込んだ。
着古したパーカーにフードをかぶり、助手席には双眼鏡と望遠カメラ。
ダッシュボードの中には懐中電灯と電池。目的地はいつも同じだ。
舗装のない林道を抜け、ロッジが見下ろせる高台へ。
エンジンを切り、車内の灯りをすべて落とす。
カメラの液晶に映る画面には、静かに月光を浴びる廃屋の姿があった。
午後十一時を回った頃、ロッジの裏手に一台の軽トラックが滑り込む。
運転席から降りてきたのは、やはり白崎だった。
黒のジャージにニット帽という、町中では見せない装い。
裁は荷台のブルーシートを捲ると、中から長い袋状のものを引きずり下ろす。
何かをくるんだような布。
脚のような形にも見えたが、確証はない。
その隣には木箱。
取っ手のついた金属製の工具箱。
彼はそれらをゆっくりとロッジの裏手へ運んでいった。
照明はない。
懐中電灯のような小さな灯りを、地面に向けて最低限だけ使う。
まるで、誰かの目を避けるように。
黒川は唾を飲んだ。
息を殺す必要もないほど遠い距離なのに、喉が乾いた。
カメラの映像をズームする。
白崎がロッジのドアを開ける瞬間、一瞬だけ中の照明が映った。
鉄パイプのようなもの、何かの装置。
詳細は不明。
ただ、それは生活の場ではないことだけは明確だった。
「……やっぱり、ここに何かある。」
独り言のように、黒川は呟いた。
帰宅は夜明け前だった。
部屋に戻ると、暗がりの中で録画データのバックアップを取りはじめる。
外付けハードディスクに三つ、同じファイルをコピー。
映像をチェックする黒川の表情は、もはや楽しげですらあった。
自室の床には段ボール箱が三つ。
中にはこれまでの記録が詰め込まれている。
「一八回目来店/二〇二五年五月三日/午後二時三四分」
「購入品。トタン板、防水布、洗剤、手袋」
「車ナンバー確認。通行ルート(GPSログ四〇一番)」
印字されたメモと、手書きの補足。
GPSの移動記録帳。
時系列ごとに綴られたそれらは、誰にも見せることのない観察記録だった。
部屋には生活感がなかった。
冷蔵庫は空、布団は敷きっぱなし、テレビは埃を被って映らない。
家族はいない。
友人もいない。
連絡先の履歴には、仕事先の名前が二、三件残るだけだった。
その代わり、白崎の名前がある。
メモの中に、繰り返し繰り返し、彼の行動、癖、言葉が書かれている。
「飲み物は無糖。スーツは五着でローテーション?靴はイタリア製。煙草は吸わない」
知れば知るほど興味が募った。
掘っても掘っても出てくるような、古い井戸を覗く気分だった。
底は見えないのに、水音だけが聞こえる。そんな奇妙な感覚。
彼が何をしているのか、その正体はまだ掴めない。
けれど、それを探ることが、いつしか黒川の生活のすべてになりつつあった。
朝、目覚めても、まず録画データの整理をする。
夜になれば、再びロッジに向かう。
いつからこうなったのか、記憶は曖昧だった。
ただ確かなのは、この孤独な生活の中心に、確かに白崎裁という男が存在しているという事実だった。
そして黒川はまだ、自分がその事実に取り憑かれつつあることに、気づいていなかった。
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