黄泉ノ彼岸葬儀店

TERRA

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EP.3Lost Echoes失われたこだま

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夜の静寂の中。  
瑶子はグラスを傾けながら、壁に飾られた写真を見つめていた。  

雲海と朝焼けの光。

紅崎が見た「最高の一枚」。  
その隣に、ピンボケした紅崎とのツーショット。  

「カメラマンなのに、自分の写真は全然ないんだから。」  

瑶子はそう呟きながら、微笑み、その目元に静かに涙を滲ませた。  

その瞬間、空気が変わる。 

光が揺らぎ、世界の色がゆっくりと滲んでいく。  


いつもの彼岸の川辺。  
水面は穏やかに揺れ、霞がかった靄の中に舟が静かに浮かんでいた。  

紅崎は、その傍らに立っていた。  
カメラを胸元に抱きながら、ゆっくりと息を吐く。  

「…これで、ようやく向こうへ行けるな。」  
彼は呟く。  

棺は黙って見つめていた。  
黄泉は飄々とした態度で軽く肩をすくめる。  

「そうだね。未練は晴れたし、もう行ってもいいんじゃね?」  

紅崎はカメラを見つめる。  
そして、ゆっくりとそのレンズを空へと向けた。  

朝焼けの光が滲む。  
水面の反射が、ぼんやりと広がる。  

静かに舟へ乗り込み、彼は最後の一枚を心に焼き付けながら、視線を戻す。  
「……ありがとう。」  

棺は小さく頷いた。  

黄泉は腕を組みながら、ぽつりと呟く。  
「ま、いい写真だったよ。」  

紅崎は軽く笑い、舟の縁に手をかける。  


霧が晴れ、静寂が戻る。  
黄泉と棺は、川辺に立ち、紅崎の舟がゆっくりと消えていくのを見送っていた。  

黄泉は腕を組みながら軽く息を吐く。  
「んじゃ、俺らも帰るか。」  

棺はぼんやりと舟の向こうを見つめたまま、ふとポケットからスマホを取り出した。  
「なぁ、黄泉。」  

「ん?」  
黄泉は気怠そうに視線を向ける。  

すると、棺はスマホのカメラを起動し、黄泉の肩へ軽く寄りかかりながら言った。  
「せっかくだし、自撮りでもする?」  

「は?」  

黄泉の表情が引きつる。  
そして次の瞬間。  

「やめろやめろ!気持ち悪い!」  
黄泉は反射的に棺の肩を押し、全力で距離を取る。  

「えー?ちょっとくらいいいじゃん、いい思い出になるって!」  
棺は笑いながらカメラを構え直す。  

「三途の川のどこにいい思い出があるんだよ!!」  
黄泉は眉間にしわを寄せ、後ずさる。  

「カメラって、やっぱり最高の一枚を残すためにあるんだなって思ってさ。」  
棺はスマホをいじりながら、どこか得意げに言う。  

黄泉は深い溜息をつき、棺のスマホをじっとにらむ。  

「ほらほら、撮るよー!」  
棺はノリノリでカメラを向ける。  

黄泉は一瞬沈黙した後。  

「絶対やだ。」  

そして、その場をさっさと後にした。  
棺は苦笑しながら、スマホを手にぽつりと呟く。  
「……チッ、逃げられた。」  


数日後。

葬儀店の静かな控室。  
壁掛けのテレビが淡々とニュースを流している。  

キャスターの落ち着いた声が響く。  

『紅崎登氏の写真展が大盛況のうちに閉幕。代表作となる光と雲の記憶は、国内の写真コンテストで最優秀賞を受賞しました』  

画面には、紅崎の写真。壮大な雲海と朝焼けが映し出される。  
その下には、シンプルなテロップが流れていた。  

『収益は環境保護団体へ寄付。故人が愛した自然へ、感謝の意を込めて』

棺はニュースを眺めながら、ふとスマホを開く。  
アルバムの中には、一枚の写真があった。  

それは、数日前にこっそり撮ったもの。  

ソファで眠る黄泉の隣に座り、軽くピースをしながら自撮りしたものだった。  
黄泉の寝顔は少し不機嫌そうで、棺は満面の笑みだった。  

「……ふふ、いい感じじゃん?」  
棺は満足そうに写真を見つめる。  

その時、背後で何かが動く気配がした。  

「……おい。」  

低い声。  

棺はビクッとした。  

振り向くと、そこには、いつの間にか目を覚ましていた黄泉が、険しい顔で立っていた。  

「……いつの間に撮ったんだよ?」  

棺は一瞬だけ逡巡したが、次の瞬間には爽やかに笑って答えた。  

「いやー、最高の一枚ってやっぱりこういうのだよねぇ?」  

黄泉は沈黙する。  
そして。  

「消せ。」  

棺は吹き出しそうになるのをこらえながら、スマホをしまい、立ち上がる。  
「まぁまぁ、記念ってことで?」  

黄泉は頭を押さえながら、大きくため息をつく。  
「…紅崎の影響受けすぎなんだよ、お前。」  

棺は肩をすくめながら、歩き出す。  
「いいじゃん、写真ってさ、残してこそ価値があるんだから。」  

黄泉は呆れたように控室のニュースをちらりと見た。  
そして小さく口を開く。  

「……ま、そういうもんかね。」  

テレビの画面では、紅崎の写真が美しく映し出されていた。  

そして、その数日後。  
控室の隅の壁に、一枚の写真がそっと貼られていた。  

ソファで眠る黄泉と、満面の笑みの棺。

黄泉はそれを発見し、静かに息を吸う。  

「……アイツ」  

棺は鼻歌を歌いながら、知らん顔をしていた。  
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