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第一章:魔女と幼き姫の邂逅・育成編
第6話「優しい手のひら」
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ドミナが宰相となって数週間。
王宮の者たちは、ある一つの事実に気づき始めていた。
「(ドミナ様、こわいけど……アウレリア様が一緒のときだけ、なんだか雰囲気がちがう……?)」
新米の侍女であるハンナは、そう思っていた。
アウレリア姫は、魔女であるドミナを「ドミナ様!」と慕い、ドミナもアウレリアにだけは、
信じられないほど甘い声で応える。
「アウレリア様は、お優しいから……」
アウレリアは、ドミナのような魔女だけでなく、ハンナのような新米の侍女にも分け隔てなく優しい。ハンナが失敗して落ち込んでいると、「大丈夫? 一緒にやろう!」と声をかけてくれる、まさに天使のような姫君だった。
―――その日、事件は起きた。
アウレリアの私室の清掃を任されたハンナは、ドミナが机に置いていた分厚い魔導書に気づいた。
「(これが、魔女様の…)」
好奇心に負け、そっと表紙に触れてみようとした、その瞬間。
運悪く、近くに置いてあったインク瓶にハンナの袖が引っかかった。
ガシャァン!
「あ…………」
インク瓶は無残に倒れ、中身の黒い液体が、開かれていた魔導書のページへと、無慈悲に染み込んでいく。ハンナは血の気が引いた。
「(う、うそ…! ドミナ様の……大切な本を!)」
先日の「クビ騒動」が脳裏をよぎる。
いや、クビどころではない。
あの魔女宰相のことだ、黒焦げにされるかもしれない。
「ひっ…! あ……どうしよう、どうしよう」
ハンナが腰を抜かし、涙目で震えていると、
そこへ――
「ハンナ? どうしたの、大きな音が…」
「戻りましたよ、アウレリア」
最悪のタイミングで、アウレリアとドミナが部屋に戻ってきた。
「あ……」
ドミナの視線が、即座に汚れた魔導書へと注がれる。部屋の温度が、またしても急降下した。
「(あ……あ……お、おわった……!)」
ハンナが恐怖で声も出せずにいると、アウレリアが状況を察し、ハンナの前にパッと両手を広げて立ちはだかった。
「ご、ごめんなさい、ドミナ様!」
「……アウレリア?」
「わ、私が! 私がさっき、お部屋で走って……! それで、ハンナにぶつかっちゃって……だから、私が悪いの!」
幼い姫君は、必死に震える侍女を庇おうと、
バレバレの嘘をついた。
ドミナは、何も言わない。
ただ、じっと二人を見ている。
その真紅の瞳は、アウレリアの嘘などすべてお見通しだと語っていた。
ドミナは、アウレリアの背後でガタガタ震える侍女ハンナを、一瞬だけ、冷たく見据えた。
(お前のせいで、私のアウレリアが、私の前で嘘をついている)
無言の圧力が、ハンナを殺しそうになる。
「(ひぃぃぃぃ……)」
ハンナが意識を失いかけた、その時。
ドミナは、ふぅ、と小さく息を吐いた。
そして、先ほどの殺気はどこへやら、その表情をふわりと和らげる。
「……アウレリア」
ドミナはアウレリアの前にしゃがみこみ、その頬を優しく撫でた。
「嘘は、感心しませんね」
「う……ご、ごめんなさい……」
「あなたは賢い子ですから、誰がやったのか、私にはわかっていますよ」
「! で、でも! ハンナは……!」
なおも食い下がろうとするアウレリアの口を、
ドミナは人差し指でそっと塞ぐ。
「ですが」
「?」
「その優しさは、あなたの美徳です」
ドミナは、アウレリアの銀髪をくしゃりと撫でた。
「(……え?)」
ハンナは、自分の耳を疑った。
叱責も、雷も飛んでこない。
それどころか、魔導書を汚した侍女の嘘を庇ったアウレリアを、ドミナは「美徳だ」と褒めたのだ。
「その優しさは、あなたが女王となるとき、きっと民を救う力になるでしょう。まあ、私以外の者に、あまり安売りするのは感心しませんが」
後半は小声だったが、アウレリアは褒められたことが嬉しくて、「えへへ…」と照れくさそうに笑った。
「(……たす、かった……?)」
ドミナは立ち上がり、汚れた魔導書を一瞥《いちべつ》すると、指を鳴らした。すると、染み込んだインクが魔法の光と共に消え去り、魔導書は元通りになった。
「さて。ハンナ、とか言ったか?」
「は、はいぃっ!」
「アウレリアの優しさに感謝して、二度とこのような失態のないように」
「も、申し訳ございませんでしたぁ!」
ハンナは泣きながら頭を下げ、部屋を逃げ出した。
「(噂と……ちがう……)」
冷酷非情な魔女。それは間違いではないのだろう。
だが、あのアウレリア姫が関わる限り、あの魔女は、世界で一番「甘い」のかもしれない。
王宮の者たちが、その事実に確信を抱き始めた出来事だった。
王宮の者たちは、ある一つの事実に気づき始めていた。
「(ドミナ様、こわいけど……アウレリア様が一緒のときだけ、なんだか雰囲気がちがう……?)」
新米の侍女であるハンナは、そう思っていた。
アウレリア姫は、魔女であるドミナを「ドミナ様!」と慕い、ドミナもアウレリアにだけは、
信じられないほど甘い声で応える。
「アウレリア様は、お優しいから……」
アウレリアは、ドミナのような魔女だけでなく、ハンナのような新米の侍女にも分け隔てなく優しい。ハンナが失敗して落ち込んでいると、「大丈夫? 一緒にやろう!」と声をかけてくれる、まさに天使のような姫君だった。
―――その日、事件は起きた。
アウレリアの私室の清掃を任されたハンナは、ドミナが机に置いていた分厚い魔導書に気づいた。
「(これが、魔女様の…)」
好奇心に負け、そっと表紙に触れてみようとした、その瞬間。
運悪く、近くに置いてあったインク瓶にハンナの袖が引っかかった。
ガシャァン!
「あ…………」
インク瓶は無残に倒れ、中身の黒い液体が、開かれていた魔導書のページへと、無慈悲に染み込んでいく。ハンナは血の気が引いた。
「(う、うそ…! ドミナ様の……大切な本を!)」
先日の「クビ騒動」が脳裏をよぎる。
いや、クビどころではない。
あの魔女宰相のことだ、黒焦げにされるかもしれない。
「ひっ…! あ……どうしよう、どうしよう」
ハンナが腰を抜かし、涙目で震えていると、
そこへ――
「ハンナ? どうしたの、大きな音が…」
「戻りましたよ、アウレリア」
最悪のタイミングで、アウレリアとドミナが部屋に戻ってきた。
「あ……」
ドミナの視線が、即座に汚れた魔導書へと注がれる。部屋の温度が、またしても急降下した。
「(あ……あ……お、おわった……!)」
ハンナが恐怖で声も出せずにいると、アウレリアが状況を察し、ハンナの前にパッと両手を広げて立ちはだかった。
「ご、ごめんなさい、ドミナ様!」
「……アウレリア?」
「わ、私が! 私がさっき、お部屋で走って……! それで、ハンナにぶつかっちゃって……だから、私が悪いの!」
幼い姫君は、必死に震える侍女を庇おうと、
バレバレの嘘をついた。
ドミナは、何も言わない。
ただ、じっと二人を見ている。
その真紅の瞳は、アウレリアの嘘などすべてお見通しだと語っていた。
ドミナは、アウレリアの背後でガタガタ震える侍女ハンナを、一瞬だけ、冷たく見据えた。
(お前のせいで、私のアウレリアが、私の前で嘘をついている)
無言の圧力が、ハンナを殺しそうになる。
「(ひぃぃぃぃ……)」
ハンナが意識を失いかけた、その時。
ドミナは、ふぅ、と小さく息を吐いた。
そして、先ほどの殺気はどこへやら、その表情をふわりと和らげる。
「……アウレリア」
ドミナはアウレリアの前にしゃがみこみ、その頬を優しく撫でた。
「嘘は、感心しませんね」
「う……ご、ごめんなさい……」
「あなたは賢い子ですから、誰がやったのか、私にはわかっていますよ」
「! で、でも! ハンナは……!」
なおも食い下がろうとするアウレリアの口を、
ドミナは人差し指でそっと塞ぐ。
「ですが」
「?」
「その優しさは、あなたの美徳です」
ドミナは、アウレリアの銀髪をくしゃりと撫でた。
「(……え?)」
ハンナは、自分の耳を疑った。
叱責も、雷も飛んでこない。
それどころか、魔導書を汚した侍女の嘘を庇ったアウレリアを、ドミナは「美徳だ」と褒めたのだ。
「その優しさは、あなたが女王となるとき、きっと民を救う力になるでしょう。まあ、私以外の者に、あまり安売りするのは感心しませんが」
後半は小声だったが、アウレリアは褒められたことが嬉しくて、「えへへ…」と照れくさそうに笑った。
「(……たす、かった……?)」
ドミナは立ち上がり、汚れた魔導書を一瞥《いちべつ》すると、指を鳴らした。すると、染み込んだインクが魔法の光と共に消え去り、魔導書は元通りになった。
「さて。ハンナ、とか言ったか?」
「は、はいぃっ!」
「アウレリアの優しさに感謝して、二度とこのような失態のないように」
「も、申し訳ございませんでしたぁ!」
ハンナは泣きながら頭を下げ、部屋を逃げ出した。
「(噂と……ちがう……)」
冷酷非情な魔女。それは間違いではないのだろう。
だが、あのアウレリア姫が関わる限り、あの魔女は、世界で一番「甘い」のかもしれない。
王宮の者たちが、その事実に確信を抱き始めた出来事だった。
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