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第一章:魔女と幼き姫の邂逅・育成編
第9話「小さな怪我と過剰な庇護」
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あれから数年の歳月が流れた。
アウレリアは十歳になり、ドミナの英才教育を受けながら、その優しさを失うことなく健やかに成長していた。
その日、アウレリアは王宮の庭園で、侍女のハンナと追いかけっこをしていた。
「まてまてー! ハンナ!」
「きゃっ! 姫様、速いです!」
穏やかな昼下がり。
ドミナは宰相の執務室から、その光景を仕事をしながら微笑ましげに見守っていた。
「(今日も可愛いですね、私のアウレリア)」
ドミナがアウレリアの極秘の成長記録にペンを走らせていた、その時。
「きゃあっ!」
庭園から、アウレリアの小さな悲鳴が響いた。
アウレリアが、見事に何もないところで転んだのだ。
「う……」
「ひ、姫様!? お怪我は!?」
ハンナが真っ青になって駆け寄る。
アウレリアが恐る恐る膝を見ると、白い肌が擦りむけ、ぷくりと血の玉が浮かんでいた。
「あ……ち、血が」
「だ、大丈夫です! すぐに手当てを……!」
ハンナが慌てて清潔な布を取り出そうとした、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ…………
「…………え?」」
まるで空気が凍りついたかのような、凄まじい圧。先ほどまで執務室にいたはずのドミナが、音もなく二人の背後に立っていた。
その顔は、完璧な無表情。
だが、真紅の瞳だけが、アウレリアの膝の「血」を睨みつけ、地獄の業火のように燃え上がっていた。
「ど、ドミナ……さま……」
ハンナは恐怖で声が裏返る。
ドミナはゆっくりと顔を上げ、アウレリアではなく、侍女たちを睨みつけた。
「…………説明をしろ」
声が、低い。
気温が、物理的に下がっている。
「な、なにを……ですか?」
「なぜ、アウレリアが怪我をしている?」
「そ、それは! 姫様がご自身で転ばれ……」
「お前達は、何のためにそこにいるのだ?」
「ひぃっ!」
ドミナは一歩、侍女たちに詰め寄る。
「私のアウレリアが転ぶのを、なぜ止めなかった。私のアウレリアから、なぜ一瞬でも目を離した。私のアウレリアが、血を流している……!」
もはや尋問ではなく、断罪だった。
侍女たちは抱き合って震え、ハンナは「あ、あう……」と失神寸前だ。
「(ああ、もう。この虫けらどもは……)」
ドミナが、面倒くさそうに侍女たちを魔法で「掃除」しようとした、その時。
「ど、ドミナ様!」
服の裾を、小さな手がくいくいと引いた。
アウレリアだった。
「…………!」
ドミナは、ハッと我に返った。
そして、先ほどの殺気が嘘だったかのように、一瞬で優しい表情に戻る。
「アウレリア!?」
ドミナは侍女たちなど存在しないかのように突き飛ばし、アウレリアの前に膝をついた。
「だ、大丈夫よ、ドミナ様。私が転んだだけだから……。ハンナたちを怒らないで……」
「(くっ! この期に及んで、まだ他人を庇うとは!)」
ドミナはアウレリアの優しさに悶えつつ、その小さな膝に視線を落とす。
「……痛かったでしょう、私のアウレリア」
その声色は、先ほどとは別人のように甘く、蕩けそうだ。
「う、うん。ちょっとだけ……」
「『ちょっとだけ』ではありません! 一大事です!」
ドミナは、アウレリアが汚れるのも構わず、
その体をふわりと抱き上げた。お姫様抱っこだ。
「え!? ドミナ様!? あ、歩けるよ!」
「ダメです。あなたは今、世界で一番の重傷人なのですから」
「そんなぁ!?」
ドミナはアウレリアを抱えたまま立ち上がり、
侍女たちに最後通告を突きつける。
「お前達は、後で私の部屋に来い。アウレリアの護衛任務について、再教育する」
「「「は、はいぃぃぃ!!」」」
侍女たちを恐怖のどん底に残し、ドミナはアウレリアを自室に連れ帰った。
そして、最高級のビロードが敷かれた寝椅子にアウレリアを優しく座らせると、その小さな傷口に手をかざす。
「『ルクス・サクラ・サルーティス《聖なる癒しの光》』」
「えええ!? そ、そんな大げさな魔法!?」
それは、瀕死の重傷すら治すと言われる、最高位の治癒魔法だった。紫色の光がアウレリアの膝を包み、擦り傷は一瞬で跡形もなく消え去った。
「ふう。これで一安心です」
「も、もう……ドミナ様は心配しすぎよ」
アウレリアが頬を膨らませると、ドミナはその頬を愛おしそうに両手で包み込んだ。
「心配しすぎ? いいえ、アウレリア。あなたのその完璧な肌に傷が残るなど、世界にとっての損失です」
「せかい……?」
「そう。だから、二度と私の許可なく怪我をしてはいけませんよ。いいね?」
真紅の瞳でじっと見つめられ、アウレリア「は、はーい……」と頷くことしかできなかった。
アウレリアは十歳になり、ドミナの英才教育を受けながら、その優しさを失うことなく健やかに成長していた。
その日、アウレリアは王宮の庭園で、侍女のハンナと追いかけっこをしていた。
「まてまてー! ハンナ!」
「きゃっ! 姫様、速いです!」
穏やかな昼下がり。
ドミナは宰相の執務室から、その光景を仕事をしながら微笑ましげに見守っていた。
「(今日も可愛いですね、私のアウレリア)」
ドミナがアウレリアの極秘の成長記録にペンを走らせていた、その時。
「きゃあっ!」
庭園から、アウレリアの小さな悲鳴が響いた。
アウレリアが、見事に何もないところで転んだのだ。
「う……」
「ひ、姫様!? お怪我は!?」
ハンナが真っ青になって駆け寄る。
アウレリアが恐る恐る膝を見ると、白い肌が擦りむけ、ぷくりと血の玉が浮かんでいた。
「あ……ち、血が」
「だ、大丈夫です! すぐに手当てを……!」
ハンナが慌てて清潔な布を取り出そうとした、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ…………
「…………え?」」
まるで空気が凍りついたかのような、凄まじい圧。先ほどまで執務室にいたはずのドミナが、音もなく二人の背後に立っていた。
その顔は、完璧な無表情。
だが、真紅の瞳だけが、アウレリアの膝の「血」を睨みつけ、地獄の業火のように燃え上がっていた。
「ど、ドミナ……さま……」
ハンナは恐怖で声が裏返る。
ドミナはゆっくりと顔を上げ、アウレリアではなく、侍女たちを睨みつけた。
「…………説明をしろ」
声が、低い。
気温が、物理的に下がっている。
「な、なにを……ですか?」
「なぜ、アウレリアが怪我をしている?」
「そ、それは! 姫様がご自身で転ばれ……」
「お前達は、何のためにそこにいるのだ?」
「ひぃっ!」
ドミナは一歩、侍女たちに詰め寄る。
「私のアウレリアが転ぶのを、なぜ止めなかった。私のアウレリアから、なぜ一瞬でも目を離した。私のアウレリアが、血を流している……!」
もはや尋問ではなく、断罪だった。
侍女たちは抱き合って震え、ハンナは「あ、あう……」と失神寸前だ。
「(ああ、もう。この虫けらどもは……)」
ドミナが、面倒くさそうに侍女たちを魔法で「掃除」しようとした、その時。
「ど、ドミナ様!」
服の裾を、小さな手がくいくいと引いた。
アウレリアだった。
「…………!」
ドミナは、ハッと我に返った。
そして、先ほどの殺気が嘘だったかのように、一瞬で優しい表情に戻る。
「アウレリア!?」
ドミナは侍女たちなど存在しないかのように突き飛ばし、アウレリアの前に膝をついた。
「だ、大丈夫よ、ドミナ様。私が転んだだけだから……。ハンナたちを怒らないで……」
「(くっ! この期に及んで、まだ他人を庇うとは!)」
ドミナはアウレリアの優しさに悶えつつ、その小さな膝に視線を落とす。
「……痛かったでしょう、私のアウレリア」
その声色は、先ほどとは別人のように甘く、蕩けそうだ。
「う、うん。ちょっとだけ……」
「『ちょっとだけ』ではありません! 一大事です!」
ドミナは、アウレリアが汚れるのも構わず、
その体をふわりと抱き上げた。お姫様抱っこだ。
「え!? ドミナ様!? あ、歩けるよ!」
「ダメです。あなたは今、世界で一番の重傷人なのですから」
「そんなぁ!?」
ドミナはアウレリアを抱えたまま立ち上がり、
侍女たちに最後通告を突きつける。
「お前達は、後で私の部屋に来い。アウレリアの護衛任務について、再教育する」
「「「は、はいぃぃぃ!!」」」
侍女たちを恐怖のどん底に残し、ドミナはアウレリアを自室に連れ帰った。
そして、最高級のビロードが敷かれた寝椅子にアウレリアを優しく座らせると、その小さな傷口に手をかざす。
「『ルクス・サクラ・サルーティス《聖なる癒しの光》』」
「えええ!? そ、そんな大げさな魔法!?」
それは、瀕死の重傷すら治すと言われる、最高位の治癒魔法だった。紫色の光がアウレリアの膝を包み、擦り傷は一瞬で跡形もなく消え去った。
「ふう。これで一安心です」
「も、もう……ドミナ様は心配しすぎよ」
アウレリアが頬を膨らませると、ドミナはその頬を愛おしそうに両手で包み込んだ。
「心配しすぎ? いいえ、アウレリア。あなたのその完璧な肌に傷が残るなど、世界にとっての損失です」
「せかい……?」
「そう。だから、二度と私の許可なく怪我をしてはいけませんよ。いいね?」
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