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第二章:恋心の芽生えと宮廷の陰謀編
第10話「憧れと恋慕の境界」
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あれから、五年の月日が流れた。
ルクス王国の王女、アウレリアは十五歳になっていた。
ドミナの常軌を逸した英才教育の甲斐あって、アウレリアはただ可愛いだけのお姫様ではなく、聡明で、どこか神秘的な美しさを湛えた少女へと成長していた。
銀色の髪は腰まで伸び、波打つたびに光を弾く。 瑠璃色の瞳は、幼い頃の無邪気さに加え、思慮深さを宿すようになっていた。
そんなアウレリアは今、王宮の中庭にあるガゼボの柱の陰から、じーっとある一点を見つめていた。
「…………」
視線の先にいるのは、宰相ドミナ・アルカーナ。 そして、その話し相手である、若い近衛騎士団の副団長だ。
「―――宰相閣下。先日の魔物討伐の件ですが、閣下の魔法による支援のおかげで、被害はゼロでした」
「当然だ。私の結界に傷をつけられる雑魚など、この大陸には存在しない。」
「ははっ、さすがは閣下だ。心強い限りです」
副団長は爽やかな笑顔でドミナを称賛している。 ドミナはいつも通り、冷ややかな無表情で「時間の無駄」と書類にサインをしているだけだ。
何もおかしなことはない。ただの業務報告だ。
わかっている。頭ではわかっているのに。
「(なんで、胸がチクチクするんだろう)」
アウレリアは、無意識に自分のドレスの胸元をぎゅっと握りしめていた。
幼い頃、ドミナは「憧れ」だった。
誰よりも美しく、誰よりも強く、そして自分にだけ優しい、完璧な魔法使い。
母親を知らないアウレリアにとって、ドミナは母であり、姉であり、先生だった。
でも、最近は違う。
「(ドミナ様は、あの騎士と話すとき、どんな顔をしてるの?)」
「(あの騎士、ドミナ様に近づきすぎじゃい?)」
「(私以外の人に、そんなに長く時間を使わないで……)」
黒くて、重たい感情が、胸の奥で渦を巻く。
「……ありがとうございました、閣下」
ようやく話が終わったようで、副団長が一礼して去っていった。ドミナがふぅ、と小さく息を吐き、こちらへ振り返る。
「―――そこにいるのでしょう、アウレリア」
「!」
「隠れても無駄ですよ。あなたの美しい魔力の波長は、どこにいてもわかりますから」
ドミナが手招きをする。
アウレリアは観念して、柱の陰から姿を現した。
「……見てたの、ドミナ様」
「ええ。熱心な視線を感じていましたよ。
どうかしましたか? 少し顔色が優れませんが」
ドミナが心配そうに眉をひそめ、アウレリアの額に手を伸ばしてくる。
その指先が触れた瞬間、アウレリアの心臓がドクン! と大きく跳ねた。
「っ……!」
「おや? 熱はありませんね。ですが、脈が少し速いようです」
「な、なんでもないっ!」
アウレリアは慌ててドミナの手を振り払ってしまった。
「…………あ」
やってしまった。
ドミナが、驚いたように目を丸くしている。
「ご、ごめんなさい! 振り払うつもりじゃ……」
「いいえ。何か、気に障ることでもありましたか?」
ドミナは怒るどころか、アウレリアの機嫌を損ねたのではないかと、オロオロと狼狽え始めた。
最強の魔女が、自分にだけ見せるこの弱い姿。
「ずるい」
アウレリアは俯き、ぽつりと漏らした。
「……あの騎士と、楽しそうだったから」
「はい?」
「ドミナ様、あの人とお話ししてる時……私といる時より、真剣な顔してた」
「は? いえ、あれはただの業務報告で……それに、あんな男、私の視界には塵ほども入っていませんが?」
「でも!」
アウレリアは顔を上げ、潤んだ瞳でドミナを睨んだ。
「私…ドミナ様が他の誰かと一緒にいるの、嫌なの。私だけを見ててほしいの」
「……アウレリア?」
ドミナが呆気にとられている。
アウレリア自身も、口にしてから自分の言葉の意味に気づき、顔が沸騰しそうになった。
これは、母への独占欲じゃない。
先生への尊敬でもない。
「(あぁ……そっか)」
アウレリアは、ストンと腑に落ちた。
この胸の痛みも、熱も、すべて。
「(私、ドミナ様のことが……『好き』なんだ)」
女性として。たった一人の「伴侶」として。
この人を、誰にも渡したくない。
アウレリアは、真っ赤な顔でドミナを見つめ返した。
「……なんでもない。忘れて」
「え、ちょ、アウレリア!? 待ちなさい!」
アウレリアは背を向け、足早にその場を立ち去った。これ以上ここにいたら、心臓の音が聞こえてしまいそうだったから。
「(どうしよう)」
廊下を歩きながら、アウレリアは胸を押さえる。 憧れと恋慕の境界線。それを越えてしまった自分に、まだ戸惑いを隠せずにいた。
―――背後で、ドミナが「アウレリアが嫉妬してくれた……!」と、感動で震えていることなどつゆ知らず。
ルクス王国の王女、アウレリアは十五歳になっていた。
ドミナの常軌を逸した英才教育の甲斐あって、アウレリアはただ可愛いだけのお姫様ではなく、聡明で、どこか神秘的な美しさを湛えた少女へと成長していた。
銀色の髪は腰まで伸び、波打つたびに光を弾く。 瑠璃色の瞳は、幼い頃の無邪気さに加え、思慮深さを宿すようになっていた。
そんなアウレリアは今、王宮の中庭にあるガゼボの柱の陰から、じーっとある一点を見つめていた。
「…………」
視線の先にいるのは、宰相ドミナ・アルカーナ。 そして、その話し相手である、若い近衛騎士団の副団長だ。
「―――宰相閣下。先日の魔物討伐の件ですが、閣下の魔法による支援のおかげで、被害はゼロでした」
「当然だ。私の結界に傷をつけられる雑魚など、この大陸には存在しない。」
「ははっ、さすがは閣下だ。心強い限りです」
副団長は爽やかな笑顔でドミナを称賛している。 ドミナはいつも通り、冷ややかな無表情で「時間の無駄」と書類にサインをしているだけだ。
何もおかしなことはない。ただの業務報告だ。
わかっている。頭ではわかっているのに。
「(なんで、胸がチクチクするんだろう)」
アウレリアは、無意識に自分のドレスの胸元をぎゅっと握りしめていた。
幼い頃、ドミナは「憧れ」だった。
誰よりも美しく、誰よりも強く、そして自分にだけ優しい、完璧な魔法使い。
母親を知らないアウレリアにとって、ドミナは母であり、姉であり、先生だった。
でも、最近は違う。
「(ドミナ様は、あの騎士と話すとき、どんな顔をしてるの?)」
「(あの騎士、ドミナ様に近づきすぎじゃい?)」
「(私以外の人に、そんなに長く時間を使わないで……)」
黒くて、重たい感情が、胸の奥で渦を巻く。
「……ありがとうございました、閣下」
ようやく話が終わったようで、副団長が一礼して去っていった。ドミナがふぅ、と小さく息を吐き、こちらへ振り返る。
「―――そこにいるのでしょう、アウレリア」
「!」
「隠れても無駄ですよ。あなたの美しい魔力の波長は、どこにいてもわかりますから」
ドミナが手招きをする。
アウレリアは観念して、柱の陰から姿を現した。
「……見てたの、ドミナ様」
「ええ。熱心な視線を感じていましたよ。
どうかしましたか? 少し顔色が優れませんが」
ドミナが心配そうに眉をひそめ、アウレリアの額に手を伸ばしてくる。
その指先が触れた瞬間、アウレリアの心臓がドクン! と大きく跳ねた。
「っ……!」
「おや? 熱はありませんね。ですが、脈が少し速いようです」
「な、なんでもないっ!」
アウレリアは慌ててドミナの手を振り払ってしまった。
「…………あ」
やってしまった。
ドミナが、驚いたように目を丸くしている。
「ご、ごめんなさい! 振り払うつもりじゃ……」
「いいえ。何か、気に障ることでもありましたか?」
ドミナは怒るどころか、アウレリアの機嫌を損ねたのではないかと、オロオロと狼狽え始めた。
最強の魔女が、自分にだけ見せるこの弱い姿。
「ずるい」
アウレリアは俯き、ぽつりと漏らした。
「……あの騎士と、楽しそうだったから」
「はい?」
「ドミナ様、あの人とお話ししてる時……私といる時より、真剣な顔してた」
「は? いえ、あれはただの業務報告で……それに、あんな男、私の視界には塵ほども入っていませんが?」
「でも!」
アウレリアは顔を上げ、潤んだ瞳でドミナを睨んだ。
「私…ドミナ様が他の誰かと一緒にいるの、嫌なの。私だけを見ててほしいの」
「……アウレリア?」
ドミナが呆気にとられている。
アウレリア自身も、口にしてから自分の言葉の意味に気づき、顔が沸騰しそうになった。
これは、母への独占欲じゃない。
先生への尊敬でもない。
「(あぁ……そっか)」
アウレリアは、ストンと腑に落ちた。
この胸の痛みも、熱も、すべて。
「(私、ドミナ様のことが……『好き』なんだ)」
女性として。たった一人の「伴侶」として。
この人を、誰にも渡したくない。
アウレリアは、真っ赤な顔でドミナを見つめ返した。
「……なんでもない。忘れて」
「え、ちょ、アウレリア!? 待ちなさい!」
アウレリアは背を向け、足早にその場を立ち去った。これ以上ここにいたら、心臓の音が聞こえてしまいそうだったから。
「(どうしよう)」
廊下を歩きながら、アウレリアは胸を押さえる。 憧れと恋慕の境界線。それを越えてしまった自分に、まだ戸惑いを隠せずにいた。
―――背後で、ドミナが「アウレリアが嫉妬してくれた……!」と、感動で震えていることなどつゆ知らず。
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