釣った魚、逃した魚

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#19 逃げるが勝ち

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冬とは言え、比較的温暖な王都にあれだけの積雪が見られたのは通常のことでは無い。

神子様が、足を滑らせてバルコニーからの階段を滑り落ちるという、ある意味陛下除けの技が使えたのも、言ってしまえば例年に無い積雪量故だった。

勿論ほぼ毎年のように、最も冷える日に雪がちらつく事はある。ただあれほどには積もらないだけだ。
だからお天気さえ良くなれば、すぐに溶けてしまう。

俺の生まれ育った地方では、雪を見てはしゃぐのはごく最初の時期に、比較的裕福な子供だけだが、それでさえも冬本番になれば、誰も雪を喜ばなくなる。
村の貧しい子供達は、むしろ、より切実にピリピリしてくる。冬ごもりに備えての薪作りや、狩りの為に残された時間が僅かである事を実感するからだ。

王都では靴が隠れるほど積もるだけで、比較的いい大人でも雪景色を喜んだりもする。
だからこそ、神子様がはしゃいだからと言って、誰も不審には思わなかった。

神子様がごく普通に歩き回れる生活に戻ってから、道も乾いていたこともあり、また日中に神殿を訪れるようになった。

「階段から滑り落ちられたと聞きましたが大丈夫ですか?もうよくなられたのですか?」
神子様の訪れを聞きつけたグレイモスがとんできて、そんな事を訊いてきた。

「よくご存じですね。どなたから聞いたのですか」
「休日の度、真面目に礼拝にいらっしゃる侍女様もいらっしゃいますので」
そうでしたか、と微笑みながら神子様は受け流した。

そんな神子様に頷きながら、手を添えようとするグレイモスを見て「いえ、もう今は大丈夫ですから」と掌を見せ避ける。すると少しだけ傷ついたように美貌を曇らせた。

「そう言えばグレイモス神官、あなたに教えて欲しいことがあったのです」
微笑みを浮かべて神子様は切り出した。パッと喜色をよぎらせ頷くグレイモス。

「・・・では後ほどお祈りが終わったら中庭で一緒に昼食を摂りましょう」


一通りの食事を済ませた後、神子様は少し大きめのこの国の地図を広げた。

「これは・・・。何故あなた様が冒険者用の地図を?」
本来、国防に関わるために詳細な地図は広く一般には出回っていない。

ただ、冒険者用の地図はある。そこで広げられた地図は俺の私物だ。

「マクミラン騎士にもらいました。冒険者用の地図としてはもう古いらしくて、要らないという事だったので」

俺が、今でも非番の時には小銭を稼いでいる事情や、今は新しい地図を持っている事、あと神子様が元いた世界では一般人が普通に地図を手に入れられるものだという事、だから神子様が地理を学ぶため、この国の地図を見たがったことなど簡単に話した。

そこに広げられている地図には、治癒行脚で訪れたコースと立ち寄った村に赤い絵の具で印が付いていた。
そして、おそらくこれからたどるであろう予定のコースにも。

「北側寄りの国境が魔の森に近いせいもあり、最初に浄化の遠征で回った際にも圧倒的に国土の北側が多かったですよね?
ただ、中央部や西側、東南側にも散発的に瘴気が発生した箇所があり、それがこことここと・・・」

細い指先が印のある地点を指さす。

神子様はグレイモス神官に真剣に相談を持ちかけた。
雪による足止めをされるような地域でないなら、春を待たずして治癒に訪れても良いのでは無いか。
幸い中央部や東南は、王都に近く日帰りもしくは一、二泊程度で処理出来るところだったから、治癒行脚に旅立つより前に処理済みだった。

この日の相談の焦点は西と西南側だ。
そして、行脚の時のような行列で行くのではなく、3~4人の規模で神子様自ら騎馬で赴きたいという希望を聞いてグレイモスは驚いた。
馬に乗れるとは思って居なかったようだ。

後宮で放置されていた日々に「暇だったから剣や乗馬の指導をマクミランに頼んでして貰った」から乗れるし、大仰な馬車で移動しなくても多少の護身は出来る、と屈託無く言う。

グレイモスは複雑な表情で俺を見た。その顔はまるで『無責任に変なことを教えるな』とでも言っているようだった。
「ですが、春になったら残っている地区の治癒に出向くことになって居るでは有りませんか。何故この冬場に敢えて強行軍をお望みなのですか?」

「のんびりしている間に、更に治癒が遅れ命を失う者が増えれば、又行く先々であのような誹りを受けねばなりません。
いえ、もっと民の怒りをかい、治癒に集中出来なくなってしまうのでは無いかと思うと・・・
雪で塞がれてしまう地域は仕方ないとしても、比較的温暖で冬の間にも問題なく訪問出来る範囲だけでも行ってしまいたいのです」

木陰で我々の様子をうかがっている神官が何人か居た。
あの巡礼宿で、神子様の爪先に口づけを落として帰依を誓った信奉者達だ。

おそらく挨拶に来て、グレイモスとの会話の切れ目を待っていたのだろう。
今さっきのグレイモスと神子様の会話を聞いて「何という慈悲深さなのだ・・・」と感動して手を組み合わせ祈るように天を仰いでいる。


いずれにせよ神子様は後宮を去るつもりだった。
可能な限り波風を立てずフェードアウトするのが神子様の一番の望みだった。
だが、後宮の情勢が変わってしまった今、来春になっても解放されないであろう事はほぼ確実だ。

神子様にとって大切なのは立ち去り方だったのだ。
波風を立てないことと逃げること、どちらを優先するかの選択が『逃げるを優先』にシフトしてしまったということだ。

おとなしく神子様のお気持ちを尊重して解放して差し上げれば、この先新たに瘴気が発生したとき助力をいただけただろう。
だが、“逃げる”方を選ばせてしまった以上、“穏便に”ではなくなってしまった。

つまりは。
もう王宮とは二度と関わりたくないという事だ。

グレイモスは司祭長に、神子様は王妃及び宰相に西への旅の許可を申請する約束をした。

そして、神殿の方からもその間の護衛を出してもらえるように交渉を委ねた。
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