俎上の魚は水を得る

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#011 あの時のこと

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ここからの話は、咲本君が見聞き体験した記憶の話なので、姿はエンゲルトさんだが、以下『咲本君』と表記する。

咲本君は、どこから話そうか逡巡していたようだった。
隣から仙元さんが助け船を出す。

「いや、多分、三倉さんが一番気になっているのはお仕事の件だと思うから、先ずは…契約?その日の話からしてみたら?」

咲本君は頷いて話し始めた。

「先輩、召喚された時の事って鮮明に覚えていますか?」

「ああ、ちょうど駅の改札を出て、乗り換える線に向かって地下通路歩いているときだった。
踏み出した足が取られて、『あ、滑った?』って思って変な声が出たよ。
そしたら目も開けられないくらいの光に包まれて…。
なに?なに?って思ってたら、尻もち付いて…その衝撃でかちょっとの間目が回る感じがして…気がついたら…回りにコスプレした外人さん達が居て…」

「そう。その通路で。
通勤ラッシュ時間でこそ無かったけど、午前の駅の通路ですよね。だから、結構な目撃者がいたんですよ。
駅員さんとかも割と近い距離で、先輩が転びそうになって声上げたから、あっと思って駆け寄ろうとしたら凄い光が床から出て来て目が開けられなくなったらしいんです。
で、次に見たときには先輩が消えてたって…。そう、証言していたんです。
その人以外にも何人も見た人は居て。ほとんどの人は、最初何かの撮影だろうって思ったって。

…あ、で、契約ですけど。その駅の通路で先輩が消えたあとに、先輩のビジネスバッグが残っていて。その時の駅員さんも、周りでざわめいている人が『撮影だよね?』とか言っていたから、段々そうなのかなって思ったんだけど、撮影だとか、手品とかイリュージョンとかの類いだとしても、あんまり鮮やかすぎて気になって、その周辺で暫くキョロキョロしていたんだって。
その駅員さん以外にも気になって現場に残ってざわついている人が何人も居たらしいんだけど…。
でもそこに落ちっぱなしになっている鞄を誰も回収に来ないし、さすがにそのうち変だと持って他の駅員さん呼んだり、警察呼んで鞄の中開けて、会社の方に連絡入れてきたりして。
その間、2時間ちょいくらいですかね。
あと、それはそれとして。
先輩が約束していた先様の方から、1時間半前くらいに『実は飛行機が遅れて、約束の時間には30分ちょっと遅れる』って連絡があったんで、課長が先輩に連絡入れたんですけど憶えてます?」

「あ、ああ、うんうん。有った有った。それ、改札出るちょっと前。
今、駅ついた所ですって伝えたら、課長が早すぎだろって笑って。
あの時点で一時間近く早めに付いていたから。
俺めっちゃ気合い入ってて、その日、午前の予定あれ以外は入れてなかったからね。
その為に一週間も前から他の仕事前倒してたから」

そこまでのやりとりで、咲本君は一旦言葉を句切って、頷きながら俺の顔を酷く労るような表情で見つめた。

「…そんな感じなんですよ。
つまり、あの時に先輩が消えたあと、約束の時間になっても現場に到着してなかったわけですけど、誰も、ホントに誰一人、先輩が無責任に仕事放り出してトンズラしたなんて…そんな事考えた人なんて居なかったって事なんです。

ただ、先様から少しお怒りの連絡があって、慌てて課長の直前連絡とかと照らし合わせて、まさか事故にあったんじゃ?って所内で騒ぎになって。
そしたら警察から電話があって、駅に行ってみたら先輩の鞄があって。

…で、その現場で目撃者だの警察だのに話を聞く班と、先輩の残した仕事…契約のフォローをする班と、急遽二手に分かれて対応して。

…まあ、鞄の中に契約に関わる書類とかもキッチリ揃ってたおかげで、すぐに他のものが出向いて先様には平謝りして事情話して。
契約自体が、おじゃんになったりなんてことは無かったですよ?」

気がついたら、その話を聞きながら俺は泣いていたらしく、もう止めどなく涙が流れて流れて。

勿論、なによりも安堵があった。
契約は無事に成立していた。
みんなが頑張ってフォローしてくれた…。
…ああ、ホントに…。ホントに……。

「…ありがとう。良かった…。ホントに。みんなが…。ありがとう。…ありがとう」
嗚咽混じりに、何度も何度もお礼を言った。
そのみんなが目の前に居るわけじゃ無いんだけど。

そして、何よりも咲本君の言ってくれた言葉が…。
『誰一人、先輩が無責任に仕事放り出してトンズラしたなんて、そんな事考えた人なんて居なかった』
その言葉が有り難くて。

多分俺は何よりもそれが怖かったんだと思う。
みんなが繋いできたバトンの、アンカーを務めるポジションだった。
例えば、悲願の金メダルが取れるかも知れないレースの。
それのバトンを持ったまま俺は消えた。

そのゴールに有るモノを目指して、みんなが血反吐を吐くような年月を送ってきたというのに。
その裏切りの大罪をこの先もずっと背負っていくのだと思っていた。
何をしても、その罪の烙印は消えないんだと。

勿論、あの場から消えたのは俺の意思では無いんだけど。
でも、残された人達にとってみたら、そんな事情は関係ないだろう。
俺は、姿をくらました。その事実があるだけだ。

ああ、でも。
全ての呪縛から解放された気分だ。

泣きじゃくる俺の背中に、温かい無骨な掌が触れた。
振り返りかけたら、大きめのハンカチを差し出された。
俺を覗き込む大柄な金髪のイケメンが、無言のまま頷く。

そのハンカチはほんのりとミランの匂いがした。
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