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✿11.

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 結局、あのあと、千尋は旅館の空き室に泊った。
 というのも、新崎は自分の部屋に泊まってくれと何度も懇願したのだが、千尋ががんとしてそのお願いをはねつけたからだ。
 新崎としては、あの空き部屋は監督の部屋の隣だったため、気が気ではなく、はらはらして眠れなかった。
 だったら、これをダシに千尋に「監督の隣の部屋に千尋さんがいるって思うと夜も寝れません」だとか「千尋さんが近くにいるのに遠くにいるのは、さみしくて……夜が怖いです」なんて言って甘えればよかったろうか。などと考えてしまうあたり、自分は弱っちょろいなぁと思いながらも、旅館の廊下を歩く。
「おはようございます」
 自分に向けたそのことばに新崎は笑顔で振り返った。
「千尋さん!!」
 朝から見目麗しい。睡眠不足だなんてものも吹き飛んでしまう。
「よく寝れました?」
 新崎は彼のもとに駆け寄る。だが、よく見ると千尋は少し眠たそうだ。
「ああ、うん。まあね」
「大丈夫ですか?」
「え、ああ。少し……」
「もしかして、あの監督が夜這いに!?」
「はあ!?」
「あ、しまった。つい考えていたことが漏れて……っていうか今のは無しで!!」
「……新崎くん、もしかして」
 何か言いたげな千尋が、新崎に話そうとしたとき。
「おーっす」
 酒田が起きてきて彼らに合流した。
「なんだですか、酒田さん」
「うっわ。朝から新崎くん、不機嫌だねぇ」
 このタイミングでふたりの間に彼が乱入しなければ、不機嫌にもならなかった。
「千尋さんもおはようございます」
「あ、はい……」
「今日はもう帰っちゃうんでしたっけ」
「ええ。まだ仕事が残っているので、ゆっくりしているわけにはいきません」
「それって、アレの話ですか?」
「アレでもありますが、別の仕事も」
「な!! 千尋さん!! アレってなんなんですか!!」
 酒田と千尋の話に出てくるアレがわからない。もう我慢しているのも無理だ。新崎が尋ねた途端にまたまた乱入者が現れる。
「おはよーっす」
「監督! おはようございます!」
「おう、酒田くん、おはよう。今日もよろしくって、新崎くんも千尋さんのお早いですなぁ」
「監督! おはようございます!!」
 新崎はすぐさま彼に距離を詰めた。近づいて小声で確かめる。
「監督、夜、千尋さんに手なんかだしてませんよね?」
「おっと、その話か? 手だけでいいのなら、出してないが?」
 な、なんだと……!!
「じゃあ、足!!」
「それもパス」
「口!」
「は?」
「目! 鼻! 耳!!」
「いやいや、新崎くん。なんの話なんだよ。それ」
「とにかく、千尋さんがあんなにも可愛いからってあーだこーだしないでくださいね」
「……いや、あのきみねぇ」
「新崎くん?」
 監督とこそこそ話を始めた新崎に千尋が不安そうに声をかけてきた。
「千尋さん! いや、これはほんとなんでもない話でして……」
「ああ、うん。廊下でどうこうするより、食堂行かない?」
「はいっ」
 新崎はぴょんと小さく跳ねて千尋の隣を陣取った。この場所は誰にも渡さないつもりだ。
「わっかりやっすーい」
 その背中に向けて監督がひとりつぶやく。
「ほんと、わっかりやっすいですよね。あれでうまくやってるつもりでいるみたいなのが、ほんと危なっかしいというか」
「やっぱりなぁ。酒田くん、うまくやってあげてね」
「はい、監督……。ところでアレの話、新崎くんにはしなくてもいいんですか?」
「やー。もう、別によくない? どうせ、オーディションの話は事務所がすると思うし」
「まー、そうなんでしょうけれど」
「そしたら、また噛みつかれるかなぁ。何せ、千尋崇彦最新作、特別ドラマスペシャルの企画、メガホン持つの俺だし」
「そういや、千尋さんて劇団中心に仕事してますもんね。なかなかこういうドラマの仕事って受けない印象あったんですが……まあ、あいつらみていたら、なんとなく分かってしまったので、まあ……」
「そうなんだよなぁ。彼もまだまだ伸びしろあるいい俳優だから、どこかにすっぱかれないでいてくれるといいんだけど」
 酒田と監督は静かにため息をついたのだった。

(了)

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