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番外編:海
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高い場所が好きだ。空を一番に感じられる場所が。
遊んできますと家族に声をかけてこっそりと屋根の上に上る。晴天の下、太陽の光、風の音。全てに身を任せて、世界を感じる。
ふっとこちらへ向かってきた風は今まで感じたことのない不思議な風だった。どこか湿っぽくじめっとしていて、海の匂いがした。目の前に広がっているあの青い場所からやってきた風だった。
それを全身に浴びたとき、抑えられない高揚と高鳴る鼓動で内側から爆発してしまうのではないかというくらいに張りつめた。異質な場所に来てしまった。そんな思いでいっぱいになった。
サトはこの国の人間ではない。
故郷は遠く、戦火に追われるようにして沿岸のこの国に逃げてきた。母の故郷ではあるが、この場所は異国の風に染まりきった己を受け入れてはくれないだろう。初めて感じた塩辛い風への深い感動と同時に自分の孤独感を感じてただそこで息をしていることしか出来なかった。
「そこで何をしている」
下から声がした。
見下ろすと、小さな両の瞳がこちらを見上げていた。子供にしてはやけに仕立てのいい服を着ている。どこかの上級商人の家の子供だろうか。
「何をしているのだと聞いているのだ」
この傲慢なまでの物言い、絶対にそうだ。サトは答えた。
「何も」
そう言ってゆっくりと壁を伝って地面にまで下りてくる。
「危ないぞ」
その子供が近寄ってきた。
「平気さ、慣れてる」
「……何が見えた?」
「空と海、ここは海が近いね」
「ああ、そうだな。私の誇りだ。あの大きな水たまりがこの街を作った」
貿易のことを指しているのだろう。この地方は海外貿易によって莫大な財をなし成立した都市で出来ている。街には多様な価値観であふれ、それをまとめる領主は誇り高い。実力と富の支配する場所。人々の欲望が風に乗って香る。
「そういえば、お前、見慣れない顔つきだな」
「そう? 東の山岳地帯から来たからかな」
「船で来たのか」
「その前に陸路を大移動。海なんて遠い世界の存在だと思っていたよ」
目を丸くして少年はサトをじっと見つめた。
「何? なんか顔についてる?」
「いや、瞳が青いなと思って」
「ああ、そうだね。ぼくの父が部族の出身だから。そういうのが遺伝してるのかも」
「そうか、だが」
彼が何かを口に出そうとしたとき、室内からサトを呼ぶ声が聞こえてきた。叔母だ。
そういえば、今日は領主へ挨拶に行く日だった。
「サト! そろそろ準備して!」
「あ、はい! じゃ、ごめん、用事があったんだ」
「そうか」
立ち去ろうとする少年をサトは呼び止める。
「あ、待って、きみ、名前は!」
振り返って彼は笑った。
「聞く前に先に名乗らないとな」
「あ、そうか。サト!」
「セリだ」
風にまかれてその言葉を天に舞い上がった。
「え、ちょっと待って! 今、なんて言っ」
「こら! サト! まだ準備してないのかい!」
叔母の声が大きくなる。気が付くと彼の姿は消えていた。
「はい、ただ今!」
サトは慌てて室内に飛び込んだ。
「おやまあ、一体どこに行ってたんだい! ほら早くして。ここの領主さまは慈悲深いが厳しいお方だ。しゃきっとして伺わなくてはだよ。あ、そういえば」
叔母が何かを思い出したように、目を見開いた。
「どうしたんです」
「ああ、いや、そういえば、領主さまの下の息子がちょうどあんたと同じ年くらいだったっけなあと思って」
ふっと浮かんだのは先ほど会った少年の姿だった。
まさか、な。
「ほら、ちゃんと前のボタンを留めて、まったく! イリヤの子だってのに……異邦の血が入っているからかねぇ」
地上はあわただしく、空は静かに。
運命の出会いは足音を立てずに近づいてゆく。
(了)
----
『水平線』番外編 2020.08.15 サトとセリの場合、セリの一目惚れなのだ……ふふ。
遊んできますと家族に声をかけてこっそりと屋根の上に上る。晴天の下、太陽の光、風の音。全てに身を任せて、世界を感じる。
ふっとこちらへ向かってきた風は今まで感じたことのない不思議な風だった。どこか湿っぽくじめっとしていて、海の匂いがした。目の前に広がっているあの青い場所からやってきた風だった。
それを全身に浴びたとき、抑えられない高揚と高鳴る鼓動で内側から爆発してしまうのではないかというくらいに張りつめた。異質な場所に来てしまった。そんな思いでいっぱいになった。
サトはこの国の人間ではない。
故郷は遠く、戦火に追われるようにして沿岸のこの国に逃げてきた。母の故郷ではあるが、この場所は異国の風に染まりきった己を受け入れてはくれないだろう。初めて感じた塩辛い風への深い感動と同時に自分の孤独感を感じてただそこで息をしていることしか出来なかった。
「そこで何をしている」
下から声がした。
見下ろすと、小さな両の瞳がこちらを見上げていた。子供にしてはやけに仕立てのいい服を着ている。どこかの上級商人の家の子供だろうか。
「何をしているのだと聞いているのだ」
この傲慢なまでの物言い、絶対にそうだ。サトは答えた。
「何も」
そう言ってゆっくりと壁を伝って地面にまで下りてくる。
「危ないぞ」
その子供が近寄ってきた。
「平気さ、慣れてる」
「……何が見えた?」
「空と海、ここは海が近いね」
「ああ、そうだな。私の誇りだ。あの大きな水たまりがこの街を作った」
貿易のことを指しているのだろう。この地方は海外貿易によって莫大な財をなし成立した都市で出来ている。街には多様な価値観であふれ、それをまとめる領主は誇り高い。実力と富の支配する場所。人々の欲望が風に乗って香る。
「そういえば、お前、見慣れない顔つきだな」
「そう? 東の山岳地帯から来たからかな」
「船で来たのか」
「その前に陸路を大移動。海なんて遠い世界の存在だと思っていたよ」
目を丸くして少年はサトをじっと見つめた。
「何? なんか顔についてる?」
「いや、瞳が青いなと思って」
「ああ、そうだね。ぼくの父が部族の出身だから。そういうのが遺伝してるのかも」
「そうか、だが」
彼が何かを口に出そうとしたとき、室内からサトを呼ぶ声が聞こえてきた。叔母だ。
そういえば、今日は領主へ挨拶に行く日だった。
「サト! そろそろ準備して!」
「あ、はい! じゃ、ごめん、用事があったんだ」
「そうか」
立ち去ろうとする少年をサトは呼び止める。
「あ、待って、きみ、名前は!」
振り返って彼は笑った。
「聞く前に先に名乗らないとな」
「あ、そうか。サト!」
「セリだ」
風にまかれてその言葉を天に舞い上がった。
「え、ちょっと待って! 今、なんて言っ」
「こら! サト! まだ準備してないのかい!」
叔母の声が大きくなる。気が付くと彼の姿は消えていた。
「はい、ただ今!」
サトは慌てて室内に飛び込んだ。
「おやまあ、一体どこに行ってたんだい! ほら早くして。ここの領主さまは慈悲深いが厳しいお方だ。しゃきっとして伺わなくてはだよ。あ、そういえば」
叔母が何かを思い出したように、目を見開いた。
「どうしたんです」
「ああ、いや、そういえば、領主さまの下の息子がちょうどあんたと同じ年くらいだったっけなあと思って」
ふっと浮かんだのは先ほど会った少年の姿だった。
まさか、な。
「ほら、ちゃんと前のボタンを留めて、まったく! イリヤの子だってのに……異邦の血が入っているからかねぇ」
地上はあわただしく、空は静かに。
運命の出会いは足音を立てずに近づいてゆく。
(了)
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『水平線』番外編 2020.08.15 サトとセリの場合、セリの一目惚れなのだ……ふふ。
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