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102話 地下酒場
しおりを挟む「さて、狐さんも目覚めた事だし、そろそろ外に出て戻るとしましょ」
「名前で呼んでよ~」
折角の艶美人も頬をぷっくりと膨らませては台無しである。
それでも美人に変わりはないが、そんな彼女の訴えは届いているのかいないのか…彼女以外の全員が揃って明後日の方角を向きつつ、この後の予定についての話を交わしている。
「せやな、とりあえず戻らんと話にならへんわ」
「それでどうするのだ? やはりフィル殿の転移で戻るのだろうか?」
セラの問いにエリィは、魔力の消費量を考えると難しいかもしれないと思いつつもフィルに訊ねる。
それに対する返答はレーヴルナール次第らしい。
彼女は精霊とは違う存在なので、身体の大きさを変える事は出来ない。それ故大狐の姿のままの場合フィルの魔力が持たないだろうと言われた。だからと言って人型になった場合、自身の魔力も心許ないが、どちらかというと擬態で魔力を消耗してしまう彼女の方が持たないのではないかという懸念があるとの事だった。
ここはやはり本人の意向を聞くしかないだろう。エリィはレーヴルナールの方を向いて訊ねる。
「異空地に残るか、擬態状態でついてくるかだけど、どっちがマシそう? 他に案があるならそれでも良いし」
エリィに問われて、レーヴルナールは眉間に皺をよせ目線を落とし真剣に悩む。
どうせ異空地に居る限り外界の時間は進まないので、じっくりたっぷり悩んでもらって構わない。
その間は渡された収穫物について、ムゥやルゥに質問したりする時間等にすれば良いだけだ。
たっぷり悩んだ後レーヴルナールが出した答えは、異空地に残留であった。
「一緒に行きたいわよ! 行きたいけど……エリィ様のお邪魔になりそうなんだもん、我儘言っちゃダメでしょ!? でも本音はもう離れたくなんかないのよ。あぁぁ、もう、泣きそうよ!」
泣きそうと言いながらも、頬を目一杯膨らましてむくれている。
懐いてくれるのは嬉しいけど、むくれられても困るのだが…。
まぁ異空地に残ると決めたのならそれで良い。一応彼女の機嫌次第では、ムゥやルゥには最悪宿の部屋の方へ出てもらうように言っておくかと内心算段を立てるが、そのまま放置も気が引けたので、自分の口元が徐々に困ったように下がることに気づきはするものの、それにはそっと蓋をしてご機嫌を取る。
「今は体力と魔力を戻す方が大事だからね。異空地なら寒くもないし、何かあれば念話で離れてても大抵は繋がるから。
それじゃ良い子にして回復に努める様に」
鬢の解れ毛を丁寧に撫でつけてやると、ちらりと上目遣いにちょっぴり不満を滲ませた視線を投げてくる。
幼女に宥められる艶美女の図って、何だか居たたまれないわ~と苦笑が浮かぶが、エリィのその表情に観念したのか、小さく溜息を吐いてレーヴルナールが頷いた。
「良い子にして待ってるから、ちゃんと迎えに来てよ?」
エリィの笑みに引き攣りが加算される。
(女って面倒くせぇぇぇぇええええええ! 違うか、こいつ面倒くせぇぇえ! だわね)
世の女性全てではない事は重々承知だ。男性にだって、いや老若男女問わず面倒な奴はいる。何ならきっと魔物や精霊にだって存在するだろう。
だから決して何かの集団がどうという事ではないのだ。
今、目の前にいるレーヴルナールが少々面倒くさいというだけで。
(だが、きっと世の男性諸氏はこういうのが可愛いとか思うんだろうな。まぁ私には理解不能だけど。とは言え狐さんの場合、フィルと言いあってた姿が一番素っぽいのかな、多分そんなに間違えてない気がするわね)
「わかったわかった。それに、もし狐さんの体調が戻るほうが早かったら追いかけてきても良いから。トクスって言「名前!」う……」
「名前で呼んで!」
「…………ぁ~、レーヴ」
「はい!」
最後の満面の笑みだけは、ちょっぴり可愛いかもしれないと思ってしまった自分に頭を抱えるエリィだった。
「ったく俺に手間かけさせやがって。早く殺……いや、まだだ、まだあいつには利用価値がある。このパウル様の役に立ってもらわないとな。それしか存在価値がないんだから」
パウルはコートの襟を大きく立てて顔まで半ば覆う形に整えている。
一応、誰かに見られるとまずいという認識はあるのだろう。
クローゼット奥の大穴から続く地下道は、じっとりと不快な湿気に辟易するものの、それほど長くはなく、少し行くと上へ向かう簡素な階段があった。
通りを無理やり接収し、新警備隊舎を建てたまでは良かったが、裏手は他の建物の出入り口に隣接しており、秘密裏に出入りするには不向きであった、その為裏口は見合わせて地下道を作ることにしたのだが、接続口をどこにするかには結構苦労したような気がする。
もっとも実際に苦労したのはパウルではなく、実際に現場で働く者達であったが。
階段を昇れば、そこはメイドが普段暮らしている家だった。
家の2階には病身の父親が休んでいると聞いた気もするが、パウルにとってはどうでもいい事だ。メイドの父親も妹も、彼にとってはメイドを隷従させるための駒でしかない。
メイドの家の玄関から外へ出ると、そこは新警備隊舎から2筋離れた裏通りだった。
人通りもなく、人目を避けるには都合が良いその道をすすみ、幾つかの辻を曲がって更に進めば、空き家横の通路から明かりが洩れている場所へたどり着いた。
その明かりの方へ足を向ければ、廃屋の壁に直接書かれた文字が目に入る。
―――『2つ首犬の口』―――
カデリオと繋ぎを取ることが出来る酒場だ。
ギシギシと今にも崩れそうに軋む木製の階段を下りれば、裏通りお約束のガラの悪い連中の溜まり場があった。
薬か何か燻らせているのだろうか、酒場内の空気はどこか白く霞んで澱んでおり、正直ここに留まりたいとは思わない。しかしそこで飲んでいる連中には気にもならないようだ。
働いている女性達も、普通の酒場のように明るい声を出すでなく、どろりと澱んだ一瞥をくれるだけで、愛想笑いの一つさえしない。
薄暗いランプの明かりの中に酒場特有の騒々しさはあるが、明るい騒々しさではなく暗く何処までも沈み込んでいくような騒がしさだった。
そういった連中の間をすり抜け、店内の一番奥にあるカウンターまで行くと、この店の店主だろう男性が水で軽く流した食器を拭いていた。洗剤などと言う気の利いたものはない様だ。
「おい」
居丈高に呼びかければ、食器を拭いていた男が胡乱な目を上げて、じぃっと見据えて来る。
その視線の不気味さにビクリと小さく跳ねあがったが、プライドだけは一人前なパウルが態度を改める事はない。
「ヒィッ!………ぉ、おい、俺が直々に声を…かけてやってるんだ。なんとか言え!」
店内の空気が一瞬にして張り詰めた。
女たちは無言で奥の方へと身を縮こまらせ、客の男たちは殺気立っている。
「ぁ…いや、だから……俺を誰だと思っ…」
流石のパウルも店内の空気が一変したことに気づいたらしい。
ざぁっと音を立てるような勢いで血の気が引いていくと、ガタガタと情けなく震えはじめた。辛うじて漏らしていない事だけは褒めても良いかもしれない。
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