仮面幼女とモフモフ道中記

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103話 残酷な『お願い』を口にする汚物

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 不気味な圧を隠しもしない店主は、視線だけゆっくりと階段の方へ向ける。
 パウルは無様に震えながらも、その視線を追って顔を巡らせると、そこには全身黒づくめのほっそりとした人物が立っていた。
 フードを目深に被っているので表情は分からないが、覗く口元は無精髭とざんばらな前髪が伸びているようで、店内の破落戸どもと差がないように見える。もっとも纏う雰囲気は他の酔客よりずっと剣呑且つ鋭利だが。

 立っていた人物が階段を下りて来るが、その軋む音はさっきと違って、少し軽い。パウルよりずっとほっそりとしているシルエットからも当然のことだ。もしかすると階段の軋む音が、何者かの来店を知らせる合図になっているのかもしれない。
 殺気立っていた店内の空気が、その男の登場でゆっくりと沈静化していく。
 酔った男どもは再び酒と女に興味を移し、奥へ引っ込んでいた女たちはフロアに舞い戻って粘つく様な色香を振りまき始めた。

 そんな粘泥のような空気の中、男が酔客の間を抜けて近づいてくる。

「おやっさん、すまねぇ。俺の客だ」

 おやっさんと呼ばれた店主が、のそりと黒づくめの男に向けた視線をパウルの方へ向け直すと、その目が汚物でも見るかのように眇められた。

「これが?」

 自分の事を指していると、流石にパウルも気づくが、磔にでもされたかのように身動きどころか声も出ない。

「客は選べって言っただろうが」
「俺もそうしたいのは山々なんだがな」

 どうにもならねぇのさと、自分に言い聞かせるかのように小さく続けた。
 その言葉が聞こえたのか聞こえなかったのかわからないが、店主はパウルから視線を外し皿拭きを再開した。

「何の用だ……」

 黒づくめの男がフードの奥からパウルを睨みつける。
 声からも気づけるが、その顔はカデリオだ。

「ぁ……ぅ、ぁ…」

 とっくにパウルを意識の外へ追い出していた店主だが、余程恐ろしかったのだろう、忙しなく店主と虚空の間に視線を彷徨わせている。
 話にならないと、これ見よがしに盛大な溜息を吐いてから、カデリオは身を翻し顎をしゃくって歩き出す。
 びくつきながらカデリオの後を追う男の背中をちらりと見遣って、店主は小さく舌打ちした。

 階段を上がりまだ暗い外へ出れば、さっきまでの泥のような不快感が、冷えた空気に洗い流されて行くようで、パウルは思わず深呼吸をした。

 肺の中に入り込んだ何かを入れ替えるかのように、何度か深呼吸を繰り返すとやっと落ち着いたのか、顔を真っ赤にしてカデリオを睨みつけた。

「お、俺のような高貴な者をあんな掃溜めに呼び出すんじゃない!!!」
「俺は呼んだ覚えはない」
「く、口答えするなああ!!」

 呼び出すも何も、パウルが勝手に来ただけなのに、激高したパウルは怒鳴り声と共に殴りつけてきた。
 躱しても余計癇癪を起すだけとしっているカデリオは、そのまま顔面に拳を受け、盛大にすっころんで見せた。
 その様に満足したのか、パウルが口角に歪な笑みを浮かべる。

「は…はは……出来損ないに相応しいな」

 このまま地面に座り込んでいても良いのだが、それはそれでまたパウルの怒りを買うだろう。
 言いがかりも甚だしいが、立ってれば頭が高い、座ってれば聞く姿勢がなっていないと、何をどうしたところで因縁をつけてくるのだ。また気に入らなければ拳を上げて来るだけだと、カデリオはのっそりと立ち上がる。

「…………」

 立ち上がったまま何も言わないカデリオに一瞬顔を顰めるが、自分は命令すれば良いだけだと思い直し、どこか引き攣った薄ら笑いを浮かべた。

「ま、まぁいいだろう……そ、それで、だ。処分予定の荷を金に換えてこい」

 何を言い出すのかと思えば、またかと息も吐きたくなる。命令を二転三転させるのはいつもの事とは言え、今回は希望に添えないかもしれない。

(あいつ、どこにブツを隠したんだろうな……というか抜けたがっていたから、もう処分済みなんじゃないか。まぁいい、どうせこいつが欲しいのは金でブツじゃないんだし、どうにか金だけ工面して渡して誤魔化すか)

 雨の夜にもう嫌だと泣きそうに訴えていた男の事を思い出す。
 あれが処分を命じられたのは、眠薬の素材の一つで密輸品であり禁制品で、持ったり関わったりしただけで重罪だし、あの夜の様子では早々に処分して逃げ出している事だろう。
 別口で手に入れた品をいくつか売り払えば金は渡せると踏んで了承するが、せっかくの機会だと頼みごとをしてみる。

「わかった。換金でき次第メイドに渡す、それでいいな?」
「…あ、あぁ」
「それと、換金が終わってからでいいんだが、暫く自由な時間が欲しい」

 どうにかしてズースを探しに行きたかった。
 馬鹿にして踏みつけ、顔も見たくないと毛嫌いするのだから、やる事さえやれば少しの間くらい好きにさせてくれるだろうと思っていた。今までもこうした自由時間は数えるほどとは言え通せていたから。
 それなのに返事はあんまりなものだった。

「はあ? お前が自由だと? 馬鹿も休み休み言え。もうお前しかいないからな、精々俺にこき使われろよ。ったく、すぐつけあがりやがって…お前に端っから自由なんてある訳ないだろうが
 大人しく働けよ? 荷の換金がおわったら、次はそうだな……また人を攫ってこい。女だ女、御館様はもう要らぬと言ったが、奴隷として売れば金になるんだ!」

 うへへと薄気味悪い笑いを浮かべながら唾を飛ばして喚くパウルの言葉に、パウルは呼吸が止まる。

(今何と言った…? 『お前しかいない』? 俺だけ? どういう事だ)

 まだ外気は刺す様な冷たさを内包しているはずなのに、額から嫌な汗がつぅっと滴った。
 頭がガンガンと痛んで、音が遮断されたように感じるのに、自分が唾をのむ音がやけに耳に響く。

「……今…なん、て…?」
「あ?」

 パウルが見下すような視線を投げて来る。

「俺しか……お、れだけって……どういう意味な、んだ…?」

 パウルの顔が醜く歪む。

「なんだ、お前まだ知らなかったのか? ズースは死んだよ」



 カデリオの世界が真っ赤に染まる。

 ――嫌だ嫌だ嫌だ――
 ――嘘だ、ズースが…ズース兄が、いない?――
 ――そんなわけない、あるはずない…ズース兄が…だってまだデボラ姉も救いだせてない――
 ――こいつが嘘を言ってるんだ――

 呼吸が浅く、そして早くなる。

「いやあ、惜しい事をしたよ。あんなに言うとおりになってくれる奴滅多にいないだろうしな。だけど、弁えた奴だったよ。ちゃんと『お願い』に応えてくれたんだからな」

 あぁ、頭が痛い

    ……ガンガン
         ……… ……ガンガン……
        ガンガン
           ……… ……ガンガン……ガガガ……

 違う…これは痛みなのか? それとも……いや、確かめなければ……

「おね、が…い?」
「あぁ、そうだ『お願い』だよ。あそこの処分をしてもらったけど、情報が洩れたら御館様に迷惑がかかるだろ? だからお願いしたんだよ。


 『お前自身の口も封じてくれ』


 ってな。いやあ、最期まで言うこと聞いてくれて助かっちゃったよ」

 ゲラゲラと弛んだ腹を抱えて下卑た笑いを撒き散らす太り腐った汚物に、カデリオの血走った双眸が据えられる。

「それは……自殺しろって命じたという事、か…?」
「あ? それ以外どう聞こえるんだよ、やっぱりお前は頭が悪いな」




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