⚔️師範を殺したくない俺(勇者)と、弟子に殺されたい私(魔王)

良音 夜代琴

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番外編・短編

女神の歌声【ウィムティル】

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遠くから、何かが聞こえる。
耳に心地よい……、これは声だろうか。
少しずつ浮上する意識の中で、近づいてきたのは美しい歌声だった。

目を開くと、そこは湖畔だった。
そうだ、昨夜はここで野宿することになって、俺達は火を囲んで眠った。
火はもう勢いを失い小さく燻っているが、辺りは薄明かりに包まれていた。
まだ朝日は昇っていないが、どうやら明け方のようだ。

朝霧に煙る湖畔を、紫の髪と長いスカートを揺らしてゆったりと歩く人影がある。
澄んだ朝に相応しい清らかな旋律は、そこから生まれているようだ。

静かに身体を起こしたつもりだったが、その人は俺に気付いて振り返る。
「あらぁ、起こしちゃったかしら。ごめんなさいねぇ」
俺は静かに首を振った。
邪魔をしてしまったのは俺の方だ。
せっかく気持ち良さそうに歌っていたのに、俺が水を差してしまった。

「まだ起きるには早いんじゃない? もう少し眠ってていいわよぅ」
そう言って、その人は「今度は静かにしとくからねぇ」と笑った。

違うんだ。
そうじゃなくて……。

こんな事を言ったら、驚かれてしまうだろうか。
こっそり聞いていたのかと、嫌な気分にさせてしまうかも知れない。

そう思いながらも、俺はその言葉を口にしてしまった。

「もっと、……歌ってほしい」

紫がかった青い瞳が、少し驚いたように瞬く。
それからゆっくりと細められて、白い手が俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もう、可愛い事言ってくれるんだからぁ」
その声が弾んでいて、俺もなんだか嬉しくなってしまう。
「他の皆を起こさないように、少し離れて歌うわねぇ」
そう言って歩き出す人の後を、俺は慌てて追いかけた。

「本当に久々だから、音を外しちゃったらごめんなさいねぇ」

なるほど、音を外す心配はあっても、詞を間違える心配はないのだろうな。と納得する。
普段あれだけ長い呪文をスラスラ唱えてしまう人だ。歌詞など、覚えていて当然なのだろう。

俺の前で朝露に濡れる草を踏み分けて歩いていた足が不意に止まる。

「ふふ、じゃあ、リクエストにお応えして。歌わせてもらうわねぇ」
その人は振り返ると、濡れないように持ち上げられていたスカートの端をさらに持ち上げて、膝を曲げて品よく礼をした。
湖畔に差し込み始めた朝日に、青紫の瞳がキラリと光を返す。
どこか幸せそうに微笑みを浮かべたその人は、まるで神話に出てくる女神様のようで、俺の心臓は大きく跳ねた。

すう。と朝の空気がその人に吸い込まれた次の瞬間、意味を持った音に変わる。

その人の唇が、喉が、身体が、空気を震わせる。

鮮やかに色付く歌声は、朝の清廉な空気と混ざり合い、美しく広がった。

歌いながら、その人は胸元で握っていた手を解くとゆっくり両腕を広げる。白い指先が、歌に合わせて華麗に舞う。
うっとりと目を閉じて、気持ちを乗せて歌うその姿は絵になりすぎていた。
俺は、昇る日を背に浴びて歌う人のあまりの神々しさに、強烈に惹かれる一方で、途方もない距離を感じてしまう。

やはりこの人は、俺のような人間とは住む世界が違う。
親しげに話しかけてくれるからって、俺と距離が近いなんて思ってしまうのは、大きな間違いだ。

こんなに美しくて、賢くて、優しい人……。
そう、とても優しい人だから、ひとりぼっちの俺を不憫に思って、慰めてくれているだけなんだろう。

そもそも、俺がこの人にこんな感情を持つ事自体が、あってはならない事なんじゃないか。

紫のまつ毛が揺れて、ふっと瞼が上がると、紫がかった青い瞳が俺を見た。
続いて歌声が止む。
今、この人は最後まで歌っただろうか?
どうにも途中だったような気が……。

「どうしたの?」
歌声とは少し違う声で、女神のような人が、俺を心配するように尋ねた。

ああ、この人の歌を止めてしまったのは、俺だ。

俺が勝手に寂しい思いを感じてしまったから。
優しくて、よく気がつくこの人は、俺を心配して歌うのをやめてしまった。
俺が聞きたいと言ったのに……。

「……何か、辛い事でも思い出しちゃったかしら?」
白い手が俺の両頬をそっと包む。
俺よりも頭一つ分ほど背の低い女神様は、俯く俺を下から覗き込んだ。

「ごめん、大丈夫だから――」
俺はそこまでで言葉に詰まる。
まだ歌ってほしいなんて、失礼だろうか。
こんな、真剣に聞いていないような態度の俺に、そんな事を言う資格は無いかも知れない。

「続き、歌う?」
女神様は愛らしく小首を傾げ、俺を上目遣いに見上げて尋ねた。

俺は、自分の顔がカアっと熱くなるのを感じて、手で顔を覆いながら頷いた。

ああだめだ。
この女神様は俺に近すぎるし、可愛すぎる。
たとえ俺がどんなに壁を感じたところで、この人ならひょいと乗り越えて俺の懐に飛び込んでしまいそうだ。

俺は、もう一度歌い始めた女神のような人から今度こそ目を逸らさずに、その眩しく輝く姿をこの目に焼き付けた。

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