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一章 第五話
2.さぁ、みんなで考えよう(後編)
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「はじめに言っておきますが、全部こじつけと妄想ですから、ツッコミどころが多くても、我慢して聞いてください」
ウィガイヤは少し勿体つけた後で、これまでに思い付いた自分の考えを、その場にいるケイウス、クインス、アクアスの三人に向けて話し始めた。
「まず、この地図を見て思った事なんですけど、この線で結ばれているほとんどの地点はバブルラクンの占領下にあったところです。ですが線は占領されていないチャヌの北側、エニム村やヨアン村、果てにはイーシュも繋がっています」
ウィガイヤの言った通り、討伐戦の全線であるノイミタイ砦の北側の地域はいくつか略奪などの被害はあったが占領される程の被害は無かった。にも関わらず、占領下にあった他の村と同じく漏れなく線で繋がれている。その説明を聞きケイウスが応えた。
「いずれ侵攻する予定だったんだろうね」
と、ケイウスが率直に述べると、ウィガイヤはそれに対して疑問を投げかけた。
「まぁ、それもそうなんでしょうけど、でもちょっとおかしくないですか?」
「あ、イーシュに線が繋がってない」
「そう。最北端のイーシュへ繋ぐ線が、中間地点となる筈のエニム村やヨアン村からは繋がっていないんですよ」
ウィガイヤの問いにアクアスが答え、改めて地図に目を移した。
確かにチャヌの街より北の範囲に位置する村や集落は、ウィガイヤの言うとおりヨアン村やエニム村の他にもいくつか点在している。しかし、ノイミタイ砦から枝分かれしながら北へ伸びていた線はその殆どがイーシュまで辿り着くこと無く途切れていた。ある一本を除いては。
「もしノイミタイ砦からチャヌを越えて北側に侵攻するなら、途中拠点が必要な筈ですが、地理的に最適なヨアン村とは線が繋がってなくて、それどころか、山中にある廃寺? を中継してる一本のみなんですよね」
「侵攻ルートとして奇襲にもならない山越えをする馬鹿は居ないだろうな。となれば……」
「奴等が普段からこの経路を使っていたんだとしたら、この地図は『人目に着かずに』『イーシュと往き来する』為、つまり斥候が使ってたんじゃないでしょうか? 」
ウィガイヤが、地図に描かれている廃寺からイーシュに引かれている線を指で辿りながら言った。クインスが経路の戦術上の可能性を否定すると、その答えを先に表すようにウィガイヤが続けた。
「そうなると、必然的にイーシュが元々バブルラクンと通じていた可能性が出てきます。で、その時に黒幕に『一番近い』と考えられるのは、イーシュのノーガット所長ではないかと」
ウィガイヤの推理に一同は苦々しい表情を浮かべた。
そこまでの推理の材料が、クインスの感覚的な違和感から始まり、物質的な根拠としてはケイウスが押収した地図のみ、その上、企てに関わる人物が渦中の拠点の責任者とあっては、仮にそれが巷で読まれている小説の内容であったとしても、あまりにお粗末で突飛な展開だと酷評ものだろう。
ウィガイヤとしても皆の心境を察しながら、それを話すように頼んできたのは皆の方だと、胸中で責任転嫁し、それを心の支柱にしながら出来るだけ気丈に振る舞い説明を続けた。
「さて、ここまで妄想で、ここからがさらに妄想に基づくこじつけです。被害状況や規模から考えるとバブルラクンの最終目的は、やはり武力による周辺地域の実効支配だと思います。コレについては、俺より皆の方がよく知ってるでしょう。で、それと同時に王国内の政変が目的なんじゃないかと」
居直り、ウィガイヤは今度はバブルラクンの目的について話した。最前、その事について同じく考えを巡らせていたクインスが言った。
「この地図を見る限り、イーシュと通じていた可能性は否定しない。だがそこから、どうやって王国の政に介入するかと、一盗賊と組んでイーシュに、仮にノーガットが得をするかという所だな……」
「とりあえず、先に事件時の背景を整理しておきます。今回の事件、出兵も含めて、現時点で得する人間が殆どいないんですよね」
「そんなの、国同士の戦争みたいな直接利益につながる戦いじゃ無いんだから当たり前じゃ?」
「そう。そこだ」
アクアスが問いかけると、ウィガイヤはその問いを待っていたかのようにアクアスを指差し説明を続けた。
「いつも城内の人事や王都周辺の政に口を出して面倒臭い残業を増やしてくる貴族達が、これには片田舎のいざこざと思って手も口も出さなかった。で、フタを開けてみればそこそこ大事で、戦いが終われば結果的にデカい功績を逃がすハメになった」
話の長い教師のように、部屋の中を歩きながら話していたウィガイヤはピタリと歩くのを止め、三人に問いかけた。
「そこで問題です。その時に手柄を上げて騎士団内の株が爆上がりした数少ない人物は誰でしょう?」
と、ウィガイヤの問いの答えをクインスは直ぐに察して答えた。
「……私か」
「ええ。それと……」
当然解っているものと思い、クインスが答えた後でウィガイヤはケイウスに目配せしたが、その意に介さずケイウスは全く見当がついておらず、キョトンと純粋な視線を返していた。
「?」
「いや、アンタだよ。オーガディ騎士団長」
「えっ? 俺は後で援軍に行って、大尉のオマケで誉められただけで――」
「アンタがそう思っていても、周りがそう思っていないという事です。いいですか?」
ケイウスと、ついでにその隣のアクアスも同じく全く見当がついていない様子であったので、ウィガイヤは仕方なくといった様子で説明を始めた。
「あの頃、城内は新しい騎士団長の選定で、各門閥貴族はそれに躍起になってました。三騎士団長は事実上この国の行政の実権の一翼を握る存在です。候補になりうる地方の領主や拠点長、上級士官なんかは派閥を増やす根回しに忙しくて、田舎の盗賊の鎮圧なんてどうでも良かったんです。そんな時に出世に興味が無くて放浪癖のある上級士官の手がたまたま空いてて、援軍に行って、結果的に団長に選ばれたもんだから、狙っていた他の貴族は面白くないでしょう」
皮肉混じりの説明を苦笑いしながらケイウスは聞いている。軽い意趣返しを終えたウィガイヤはさらに説明を続けた。
「そして、もう一つ。はじめに先生が言っていた通り、現状この事件がまだ終わっていないってとこです。もし、解決したはずの事件が実はまだ解決していなくて、さらに被害を出したらどうなります?」
「城内の対立派閥が責任を口実に騒ぎ出すだろうな」
ウィガイヤの説明を静かに聞いていたクインスが答えた。
「ええ、その時槍玉に挙げられるのは先生達と――」
「最高責任者のマイル団長か……」
「そうです。王様も他の騎士団長も公明正大な人間ですけど、生まれはオーガディ准将以外、皆貴族出身ですからね。貴族思想の奴等からすれば、権力を独占してる目の上のタンコブです。あまり現実的ではありませんが、上手くすれば団長二人を失脚させて再び選定を始める事も出来なくはありません」
ここまでのウィガイヤとクインスのやり取りの内容を、自分の中で整理するようにケイウスが口を開いた。
「え~と? つまりイーシュのノーガット所長がバブルラクンと組んで、マイル団長達を辞めさせようとしてるってこと?」
「ええ、もし再び選定が行われた時、その状況で一番力を持ちそうな人間の一人が、ノーガット所長なんです。王都出身の貴族で、発展著しいイーシュの監督者。状況次第では次期騎士団長もあり得る筈です。自分が選ばれないにしても、何かしらのポストは十分狙えますしね」
「それで、ノーガットが権力を握ればバブルラクンの略奪と支配を黙認して、狂言犯罪を形だけ取り締まってさらに出世するわけか……。出来すぎだな」
ウィガイヤが補足しクインスが最後に付け足すと、ここまで長々と話した結論の荒唐無稽さに、その場の全員がそれぞれに再び顔をしかめている。
それぞれの感想を代弁するようにクインスが口を開いた。
「良いかね? ウィガイヤ」
「はい」
「目的が政治犯的なわりに手段が遠回り過ぎないか? 内政の為の権謀術数なら、田舎でわざわざあんな戦いを起こす必要もないじゃないだろう。それに、当のノーガット所長本人がほとんど先の討伐戦に関わってない」
「ええ、実際、二人がそうなったように少し噛んどけば何かしらの恩賞はあったと思うんですよね。そこに関してはみすみすチャンスを逃したことになる」
「見逃さざるを得なかったとしたら、何かアクシデントがあって対応できなかったか……」
ウィガイヤはクインスの指摘を認めて頷き答えた。
「いずれにしても、おそらく計画の肝である討伐戦の時の詰めが甘いことから、計画の主導権はノーガットではなく黒幕側にあると思います。だからノーガットはあくまで黒幕に『一番近い』というだけで、多分バブルラクン側と協調する形で手を貸しているんじゃないですか?」
ウィガイヤの推測に今度はケイウスが問い掛けた。
「なら尚更、黒幕からすれば、この前の戦いで負けて失敗した後の苦肉の策ってことだよね。以前から手を組んでいるなら、戦いが終わったときにノーガット所長は見切りをつけないかな?」
「そこなんですよね……。政治的な理由付けの動乱なんて失敗はおろか、成功しても計画自体がバレたら意味が無くなります。だからイーシュとバブルラクンが手を組むって事自体が、本来は相当リスキーなんです。まぁ、まともなリスクヘッジが出来るなら、まずこんな方法は取らないでしょう」
最後にここまでの説明を全て覆すような見も蓋も無いことをウィガイヤはヘラヘラと述べた。三人はまた苦い顔でいる。また、本人も軽率な素振りを見せるものの、あまり良い顔をしていない。
「ま、所詮俺の妄想なんで、黒幕がどこの誰かはこの地図を根拠にイーシュや他の集落に何か手懸かりがないかをしらみ潰しに調べるしか方法は無いでしょうね。なんにせよ、今ある記録で俺が出来るこじつけは以上です」
そう言って、説明を終えたと言わんばかりに、ウィガイヤは仕事机の椅子に座り込んだ。
議論が煮詰まり、沈黙が続く中、三人の中で一番深く考え込んでいた深くクインスが結論を出す。
「本当に殆ど妄想の域を出なかった訳だが、准将が持ち寄った地図とまさに今残党が収監されてる以上、イーシュの周りに手掛かりがあるかも知れないな。一度可能な範囲でイーシュに探りを入れてみるか」
「了解です!」
クインスの提案にアクアスも賛同したが、思った以上に軽く事が動こうとしているのを見たウィガイヤは驚いて制した。
「いやいや。大丈夫ですか!? 俺が言ったのは只の妄想なんですよ!?」
「しかし、それ以外に取っ掛かりが無いのも事実だ。駄目で元々、何も出なかったとしても、状況が進展しないというだけさ」
ウィガイヤは承服しかねる様子であった。そこにケイウスが言った。
「なら、俺が調べてくるよ! ほら、俺もこれからイーシュの近くまで行くし、立場的に色々自由に動きやすい事も多いだろうから」
「本当は自由に動き回っちゃいけない立場なの、解ってます?」
「そこは、ほら、仕事だから」
「はぁ。……分かりました」
呆れながらも諦めた様子で渋々了承するウィガイヤ。最後にクインスがまとめに入った。
「なら、私達は次の調査の為の調整という事にして内から探ってみよう。アクアス、後でギアードにも伝えておいてくれ。そして、この事は基本的に私達だけの秘密だ。また、連絡手段は考えるが、騎士団内に密偵のいる可能性を考えて、何かあれば出来る限り私に直接相談する事。いいな?」
ケイウス、アクアスの二人は力強く、ウィガイヤは不承不承といった感じで頷き、三人は部屋を後にした。
ふとウィガイヤが窓の外を眺めると、すでに太陽が大きく傾いていた。
貴重な休日を使い果たした上に、予定外の仕事が増えてしまったことをウィガイヤは深く後悔した。
時は少し戻り、同日、朝、ヨアン村、村長宅――。
全身がメチャクチャ痛い。
目覚めて始めに考えた事がそれだった。
俺は今日もいつも通りの時間に目覚めたものの、少しでも身体を動かす度に激痛が襲いベッドから起き上がることも出来ないでいた。
痛みの原因は想像に容易い。昨日の魔獣騒動の際に使った強化魔法のせいだ。一応、他にも軽い怪我もあるが、そんなものは気にならない程に全身の筋肉や関節が高らかに悲鳴を上げている。
強化魔法は文字通り対象の持つ能力を強化する魔法である。硬い物はより硬く、強い物はより強く。しかし、それで威力を増した分だけ物理法則に則り等しく反作用がかかる。
対象が道具などの物であったなら、それを使った際に道具が負うダメージの殆どは得られている強化の効果でその場で打ち消される。
しかし対象が人体であったならどうか。強化時はヒトとして尋常ならざる力を発揮するが、強化されている肉体は当然、生体の一部である。その為、効力が切れた後にも使った分だけ負荷と疲労がその箇所に蓄積する。しかも、それは通常のその肉体では起こり得ない強度の負荷になる。つまり魔力によって限界以上の力を無理矢理引き出したツケがのし掛かる事になるのだ。
いつだったか、オトヤに強化魔法の教えを乞うたときに「怪我するのがオチだ」と言われた事があったが、忠告を文字通り身を持って知ることになってしまった。
とりあえず、痛みのお陰で眠気は跡形もなく吹き飛んだので、どうにか起きてリビングへ向かうことにする。
無論、助けを求めにだ。
直にサクラさんも起きてくるだろうし、村長もこういう時の対処法は知っているだろう。
そうと決まれば、早速起き上がる……事は出来ないので、まず寝たまま骨が折れていない事と部分ごとの痛み具合を確かめる。両腕はマシな方で下半身になるにつれ痛みが強い。
息を整え痛みに耐えながら、残された腕力を頼りにベッドから這い出ると、どうにか壁を伝って立って、脚を引き摺りながらゾンビのようにリビングへ向かった。
リビングについた頃にはサクラさんが朝の支度を始めようとしていた。
満身創痍の自分の様子を見てサクラさんは言った。
「イナトさん! 大丈夫ですか!?」
「死ぬことは無さそうですが、大丈夫でもなさそうです」
「とりあえず、座りましょう!」
サクラさんに肩を貸してもらい、痛みを堪えながら食卓の椅子に座る。
心配そうにサクラさんは尋ねる。
「どうしたんですか? やっぱりどこか怪我してたんじゃ……」
「いいえ、多分昨日の強化魔法の反動でしょう。折れたりはしてないと思うんですが、全身の筋肉が痛くて痛くて……」
「待ってて下さい。すぐに裏庭の薬草取ってきますから!」
そう言って、急いで薬草の葉を採ってくると、それを水に浸けて少し揉み、痛みがひどい背中や腰に張ってくれた。
サクラさんに甲斐甲斐しく介抱される幸福感と、居候の分際で労働力としておそらく数日は使い物にならないであろう罪悪感とのせめぎ合いで心が捻切れそうだ。
その後、村長も起きてきたので容態を見てもらった。
「ふむ。お主の言うとおり、強化の反動じゃの。強化を習いたての新兵にはよくあることじゃ。まっ二、三日安静にしておくしかないのう。それにしてもここまで痛むとは、鍛え方が足りんかったかな?」
沢山の薬草が貼られた身体を見て、考えながら村長が言った。
「い、いずれにせよ、この状態では村の仕事でも使い物になりそうにありません」
「そうじゃろうな。よろしい、今日明日仕事も休んで様子を見るが良い。ウシ屋の方には儂から言うておこう」
「すみません。では、部屋に戻って回復に努めます」
そう言ってよろよろと立ち上がり部屋に戻そうとすると、またすぐにサクラさんが肩を貸してくれた。
「後で御飯と替えの薬草とか持ってきますね」
「すみません。何から何まで手間をお掛けします」
「いいえ。昨日は私が助けてもらったんですから、これ位させて下さい!」
そうして、どうにか自分の部屋のベッドに戻って横になり、サクラさんにお礼を言って、また休むことにした。
何もせずに横になり休んでいると、音や温度、様々な感覚が鋭敏になり、動けない身体の代わりに頭が余計に回り始める。
風通しに少し開けた窓の外から、働き始めた村の人達の元気な声が聞こえてくる。
(こうして休んでるのが、本当に申し訳無くなってくるな……)
サクラさんの手伝いの合間に行っていたウマ屋の仕事も、最近懐いてきたウマの世話を任せてもらっていた。それはアルやオトヤあたりが代わりにやってくれるだろう。
そろそろ畑を移すと言っていたから、何かまた仕事があるかもしれない。どうにか早く復帰せねば。
ふと、そんな風に考えるようになった自分に驚いた。
元の世界にいた頃は、ただ漫然と働くのが嫌いでバイトに行きたくなくて仕方がなかった。貴重な人生の時間を捨て、消費者の勝手な要望と会社のワガママを聞いてなけなしの金を貰って帰る。
俺一人居なくても成り立つ、無くても誰も死なない仕事。
過剰に満たされた社会の余分を作るためだけの仕事。
それに対して、この世界は余分なモノが殆ど無い。
家畜を大切に育てるのは、長く働いて、乳を出し、肉となって貰うため。畑を村人皆で耕すのは、そこで作った作物が税と半年後の自分達の食事になる。
実際暮らしていて解ったが、皆が毎日、出来る仕事を精一杯やって、未来の村全体が生きる事を考えて、紙一重で食い繋いでいる。
さっき食べた朝食の野菜も、村長が手塩にかけて育てて、サクラさんが食べる量、腐らせる量を上手くやりくりしているだけで、決して実りが多いわけではない。文字通り二人の努力による実り。
その必死さを感じさせないのは、それらが命を繋いでいく為に必要であるという責任感以上に、ここの人達の知恵と無欲さ故だ。
季節や時間は待ってはくれない。限られた時間の中で、先々の事を考え、出来るだけ多くの仕事をして備えておかなければ、場合によっては自らの命を奪う、そういう世界だと言うことがこの村で暮らし、働く中でわかってきた。
そんな中で、俺のような外の人間を置いてくれている。この恩をだけでも返せるように少しでも働きたい。そういう感情が確かに心の中にあった――。
「イナトさん。具合はどうですか?」
太陽が真上に登る頃、今朝言っていた通りサクラさんが食事と薬草を持ってきてくれていた。
俺は言葉にしか出来ないお礼を言って、朝と同じ根菜スープを食べ、すっかり乾いた背中の薬草をサクラさんに剥がしてもらう。
「かぶれちゃうといけないので、一度背中拭きますね」
そう言ってサクラさんが濡らした手拭いで背中を拭いてくれる。
何となくこそばゆくなって、サクラさんに話しかけてみる。
「……なんか、照れますね」
「ふふっ、そうですか?」
「背中を拭いて貰うなんて、子供の頃以来だ。誰かに看病して貰うなんて、何年ぶりだろ」
「……本当に、大きな怪我がなくて良かったです」
サクラさんの声のトーンが少し下がった。声色に暗い感情はなく、安堵や心配の暖かく落ち着いた声である。
フラグ? これフラグちゃうん?
とは、残念ながらならなかった。
この女性はこういう人なのだ。
昨日、俺が囮になって皆が無事でいられたのは結果としてそうなっただけだが、その結果を恩に着る義理堅い人なのだ。
今までそんな事が無かったので、恩に着てくれるのは正直誇らしくて大声で自慢したい気持ちにもなる。
しかしそれで、自分が勝手にやったことを気負わせてしまったのでは、やはり素直に喜べない。まったく、恩を返さなければいけないのはこっちなのに。相変わらずの無力さがほとほと情けない。
俺は無理矢理、話題を変えることにした。
「そういえば、聞いて良い?」
「なんですか?」
「ビオちゃんとオトヤの事で思ったんだけど、サクラさんは恋人とか居ないんですか? 家事は完璧だし、相手には困らないでしょ?」
「う~ん……」
さっきとはまた別の感触で声のトーンが下がった。
相変わらず、俺は大事な所での判断を間違える。
すると、サクラさんが答えた。
「小さいときからこの村にいるから、みんな家族って感じで。歳もオトヤ君やアル君以外はちょっと離れてますし……」
「ふむ、確かにねぇ」
サクラさんに言われてこの村の人口事情を思い出した。
この村は殆どが農業による自給自足で賄われている貧しい農村なのだが、聞いた話によると地理的には辺境の田舎というわけではないらしい。村の北にはそこそこ栄えた二つの街があり、仕事や結婚によって若人が村から出ていってしまうのだそうだ。その為、村人の年齢別の割合としては、ちょうど自分と同世代の十代後半から二十代後半までの人口がわりかし少ない。
確かに思い返すと、仕事仲間の大人は殆ど自分と同年代では既に子持ちの既婚者が多く、アルやオトヤと独身組として纏められることもあった。
仮にこの村の中から男性を選ぶとしたら、かなり候補が限られることだろう。
「村の中でイイ人はいない?」
「皆さん良い人ですけど、仲が良いとなるとオトヤ君とアル君辺りになってしまうので……。オトヤ君にはビオちゃんが居るし、アル君は良い方なんですけど……」
それ以上サクラさんは苦笑いして語らなかった。アルが不憫で涙が出そうだ。
しかし、となれば相手候補は村の外の男になるわけか。
「それじゃあ、いつかはサクラさんも花嫁として村を出ていくのかぁ。いや、一人娘だから婿を貰うのか。まっ、サクラちゃんの事だから、もし気になる相手ができてもおじさんが心配することは無いか」
「そうだと良いんですけどね」
サクラさんはこちらを見てニッコリと微笑む、可能であればこの笑顔を文字通り網膜に焼き付けたいところであるが、これ以上多忙なサクラさんを拘束しておく訳にもいかない。
「すみませんね。他にも忙しいでしょうに」
「いいんですよ。また何か必要だったら呼んでください」
改めてお礼を言うと、サクラさんは気にしない風で部屋を後にした。
俺はまた休むことにした。仕事も勿論だが修行のノルマも半分にも達していない上に、期限はもう半分を切っている。ならば、身体を動かせないなりに出来ることをしよう。
そう思って、呼吸を整え意識を集中し魔力を練る。今日は森に行くことが出来ないので、せめて魔力をスムーズに練られるように練習しておこう。
そうして、眼を瞑って集中していると、いつの間にか心地よい睡魔に抱かれ気が付いたときには晩飯前であった。
同日、夕方、アトスキム城、城壁通路――。
報告会を終えたギアードは一人、城下町を真下に望む石造りの城壁の上で肘を着きもたれ掛かり、相変わらず物思いに耽っていた。
沈み行く夕日は空を朱く染め上げ、東の空は徐々に藍を濃くしていく。城下に拡がる街には所々に灯が着き始め、大通りの盛り場は、だんだんと灯る明かりと共にますます活気を増してゆく。
その光景の中に、一所、時と共に夜闇に包まれていく箇所があった。アトスキム王国唯一の貧民区である。
ギアードは浮かない表情で、生まれ故郷であるその闇を見つめていた。
『――着いて来たまえ。正しい力の使い方を学ぶんだ。君はその為に必要なモノを持ってる』
かつて、後に恩師となる人に掛けられた言葉。
その言葉が示した道が、あまりに眩しくて僕は騎士になることを決めた。
なくなっていくものを取りこぼさないように、奪われるものを取り返せるように。
だがそれは、結果として場所が変わっただけ。騎士になるために頑張ってきたものの、いつも周りの人に助けられるばかりで、自分自身は何も変わって無いんだと、あの暗くて弱い町が自分を映す鏡のように見えてしかたがなかった。
「やっぱりココにいた」
不意に声を掛けられ振り返ってみると、許嫁のウィズが空に浮かぶ明星のような笑顔で歩み寄って来ていた。
ウィズは、そのまま傍らで同じ景色を見るように、同じように外壁の上に肘をついて休みながら話す。
「一度部屋に行ったんだけど居なかったから、もしかしてと思って。出迎えられなくて、ごめんね」
「いいよ。僕も帰ってきてすぐ報告会とか、バタバタしてたからさ。ウィズの方こそ忙しかったんだろ?」
「うん。復興に人手を回してる分、私達も臨時で見回りとか他の所に借り出されてて」
「お疲れ様」
「うん」
そう言うと、ウィズは本当に少し疲れた様子で小さく頷くと、すっとこちらに顔を向けて言った。
「で、何悩んでるの?」
「え?」
「ギアードが一人でココにいるときは、何か悩んでる時だから」
「別に悩んでるって程の事じゃ……」
思わず、はぐらかそうとしてしまったが、ウィズは顔を逸らさず、真っ直ぐに僕の方を見つめている。口程にモノを言う眼に圧され、悩みを打ち明けることにした。
「……何のために戦ってるんだろうなって……」
「えっ?」
「皆を助けて、皆のために戦う事っていうのが俺達の仕事だって、今までもそのつもりで戦ってきたし、そう思ってるんだけど……。本当に僕なんかに何か守れてるのかって」
「ふぅん」
そのまま聞かれることもなく僕の方から、討伐戦であったこと、先日クインス大尉から言われた事をウィズに話した。ウィズはその間、ただ僕の話を聞いてくれていた。
ウィズが言う。
「確かに、クインス大尉が言ってることは正しいと思うよ。私達は敵や悪者が出て来て初めて動くことになる。だからその時のために、頑張って訓練するんだよね。犯罪が無くなったら、それが一番良いけど、そんなの皆の心が、全部が全部変わらないと難しいし」
皆が互いに思いやり助け合い、欲張らずに憎しみ合わないような心を持つ。それは所詮、雲を掴むような理想でしかない。
そう考えている僕に構わずウィズは続ける。
「それに、昔お爺ちゃんが言ってたんだけど、悪っていうのは善と対になって互いを映す為にあるんだって。人の悪意を知ってるから、反対に人の善意を感じて、善意を知ってるから悪を見抜くことが出来るんだって。結局は両方ともコインの裏表だからどっちだけが無くなる事は無いんだって」
善と悪は表裏一体。
それに関しては痛いほど理解できた。
かつて、あの悪の掃き溜めの中で求めた光。
あれは、そういうことだったのだろう。
「……じゃあ、悪が無くなることはないのか」
ウィズの言葉のその部分だけが腑に落ちて、思わず嘆息するように言葉が口を衝き、それを聞いてウィズが言った。
「それ、私も聞いたんだけどね。結局は『自分がどっちに味方したいか』なんだって。善も悪も片方だけを無くすことが出来ないから、自分が納得出来る方を自分で選ぶしか無いんだって言ってた」
ウィズはさらに続ける。
「私も、犯罪や戦争が無くなれば良いのにって思うけど、それはみんなが自分で変わらないといけないから、そうなれるように、そう思う人達を守るのが、私達の使命なんじゃないかな」
(平和を願う人達を守る、か……)
景色を見たままでウィズは言った。その視線は賑わう市の方へ向いている。
その綺麗な横顔を通り過ぎて、僕には外れの貧民区の方が見えた。
闇の中に小さな灯りが一つ微かに灯ってふっと消えた。
「でもそれも、どんなに一人が頑張ったって限界があるから、私達は、みんなで頑張ってるんだよ」
ウィズは再び僕の方を向いて、眼を見て言った。
「だから、一人で背負い込んじゃダメ」
その瞳は強く真っ直ぐに、僕を目を見ている。
「ウィズ……」
「はい! 難しい話はこれで終わり! ご飯食べに行こ? 私お腹空いちゃった」
「待ってよ、ウィズ!」
ウィズは真剣な表情をいつもの活発な笑顔にパッと変えると、踵を返し短い髪を揺らしながら歩いていく。ウィズに置いていかれないよう、僕は慌てて足を踏み出し、その後を追いかけていった。
ウィガイヤは少し勿体つけた後で、これまでに思い付いた自分の考えを、その場にいるケイウス、クインス、アクアスの三人に向けて話し始めた。
「まず、この地図を見て思った事なんですけど、この線で結ばれているほとんどの地点はバブルラクンの占領下にあったところです。ですが線は占領されていないチャヌの北側、エニム村やヨアン村、果てにはイーシュも繋がっています」
ウィガイヤの言った通り、討伐戦の全線であるノイミタイ砦の北側の地域はいくつか略奪などの被害はあったが占領される程の被害は無かった。にも関わらず、占領下にあった他の村と同じく漏れなく線で繋がれている。その説明を聞きケイウスが応えた。
「いずれ侵攻する予定だったんだろうね」
と、ケイウスが率直に述べると、ウィガイヤはそれに対して疑問を投げかけた。
「まぁ、それもそうなんでしょうけど、でもちょっとおかしくないですか?」
「あ、イーシュに線が繋がってない」
「そう。最北端のイーシュへ繋ぐ線が、中間地点となる筈のエニム村やヨアン村からは繋がっていないんですよ」
ウィガイヤの問いにアクアスが答え、改めて地図に目を移した。
確かにチャヌの街より北の範囲に位置する村や集落は、ウィガイヤの言うとおりヨアン村やエニム村の他にもいくつか点在している。しかし、ノイミタイ砦から枝分かれしながら北へ伸びていた線はその殆どがイーシュまで辿り着くこと無く途切れていた。ある一本を除いては。
「もしノイミタイ砦からチャヌを越えて北側に侵攻するなら、途中拠点が必要な筈ですが、地理的に最適なヨアン村とは線が繋がってなくて、それどころか、山中にある廃寺? を中継してる一本のみなんですよね」
「侵攻ルートとして奇襲にもならない山越えをする馬鹿は居ないだろうな。となれば……」
「奴等が普段からこの経路を使っていたんだとしたら、この地図は『人目に着かずに』『イーシュと往き来する』為、つまり斥候が使ってたんじゃないでしょうか? 」
ウィガイヤが、地図に描かれている廃寺からイーシュに引かれている線を指で辿りながら言った。クインスが経路の戦術上の可能性を否定すると、その答えを先に表すようにウィガイヤが続けた。
「そうなると、必然的にイーシュが元々バブルラクンと通じていた可能性が出てきます。で、その時に黒幕に『一番近い』と考えられるのは、イーシュのノーガット所長ではないかと」
ウィガイヤの推理に一同は苦々しい表情を浮かべた。
そこまでの推理の材料が、クインスの感覚的な違和感から始まり、物質的な根拠としてはケイウスが押収した地図のみ、その上、企てに関わる人物が渦中の拠点の責任者とあっては、仮にそれが巷で読まれている小説の内容であったとしても、あまりにお粗末で突飛な展開だと酷評ものだろう。
ウィガイヤとしても皆の心境を察しながら、それを話すように頼んできたのは皆の方だと、胸中で責任転嫁し、それを心の支柱にしながら出来るだけ気丈に振る舞い説明を続けた。
「さて、ここまで妄想で、ここからがさらに妄想に基づくこじつけです。被害状況や規模から考えるとバブルラクンの最終目的は、やはり武力による周辺地域の実効支配だと思います。コレについては、俺より皆の方がよく知ってるでしょう。で、それと同時に王国内の政変が目的なんじゃないかと」
居直り、ウィガイヤは今度はバブルラクンの目的について話した。最前、その事について同じく考えを巡らせていたクインスが言った。
「この地図を見る限り、イーシュと通じていた可能性は否定しない。だがそこから、どうやって王国の政に介入するかと、一盗賊と組んでイーシュに、仮にノーガットが得をするかという所だな……」
「とりあえず、先に事件時の背景を整理しておきます。今回の事件、出兵も含めて、現時点で得する人間が殆どいないんですよね」
「そんなの、国同士の戦争みたいな直接利益につながる戦いじゃ無いんだから当たり前じゃ?」
「そう。そこだ」
アクアスが問いかけると、ウィガイヤはその問いを待っていたかのようにアクアスを指差し説明を続けた。
「いつも城内の人事や王都周辺の政に口を出して面倒臭い残業を増やしてくる貴族達が、これには片田舎のいざこざと思って手も口も出さなかった。で、フタを開けてみればそこそこ大事で、戦いが終われば結果的にデカい功績を逃がすハメになった」
話の長い教師のように、部屋の中を歩きながら話していたウィガイヤはピタリと歩くのを止め、三人に問いかけた。
「そこで問題です。その時に手柄を上げて騎士団内の株が爆上がりした数少ない人物は誰でしょう?」
と、ウィガイヤの問いの答えをクインスは直ぐに察して答えた。
「……私か」
「ええ。それと……」
当然解っているものと思い、クインスが答えた後でウィガイヤはケイウスに目配せしたが、その意に介さずケイウスは全く見当がついておらず、キョトンと純粋な視線を返していた。
「?」
「いや、アンタだよ。オーガディ騎士団長」
「えっ? 俺は後で援軍に行って、大尉のオマケで誉められただけで――」
「アンタがそう思っていても、周りがそう思っていないという事です。いいですか?」
ケイウスと、ついでにその隣のアクアスも同じく全く見当がついていない様子であったので、ウィガイヤは仕方なくといった様子で説明を始めた。
「あの頃、城内は新しい騎士団長の選定で、各門閥貴族はそれに躍起になってました。三騎士団長は事実上この国の行政の実権の一翼を握る存在です。候補になりうる地方の領主や拠点長、上級士官なんかは派閥を増やす根回しに忙しくて、田舎の盗賊の鎮圧なんてどうでも良かったんです。そんな時に出世に興味が無くて放浪癖のある上級士官の手がたまたま空いてて、援軍に行って、結果的に団長に選ばれたもんだから、狙っていた他の貴族は面白くないでしょう」
皮肉混じりの説明を苦笑いしながらケイウスは聞いている。軽い意趣返しを終えたウィガイヤはさらに説明を続けた。
「そして、もう一つ。はじめに先生が言っていた通り、現状この事件がまだ終わっていないってとこです。もし、解決したはずの事件が実はまだ解決していなくて、さらに被害を出したらどうなります?」
「城内の対立派閥が責任を口実に騒ぎ出すだろうな」
ウィガイヤの説明を静かに聞いていたクインスが答えた。
「ええ、その時槍玉に挙げられるのは先生達と――」
「最高責任者のマイル団長か……」
「そうです。王様も他の騎士団長も公明正大な人間ですけど、生まれはオーガディ准将以外、皆貴族出身ですからね。貴族思想の奴等からすれば、権力を独占してる目の上のタンコブです。あまり現実的ではありませんが、上手くすれば団長二人を失脚させて再び選定を始める事も出来なくはありません」
ここまでのウィガイヤとクインスのやり取りの内容を、自分の中で整理するようにケイウスが口を開いた。
「え~と? つまりイーシュのノーガット所長がバブルラクンと組んで、マイル団長達を辞めさせようとしてるってこと?」
「ええ、もし再び選定が行われた時、その状況で一番力を持ちそうな人間の一人が、ノーガット所長なんです。王都出身の貴族で、発展著しいイーシュの監督者。状況次第では次期騎士団長もあり得る筈です。自分が選ばれないにしても、何かしらのポストは十分狙えますしね」
「それで、ノーガットが権力を握ればバブルラクンの略奪と支配を黙認して、狂言犯罪を形だけ取り締まってさらに出世するわけか……。出来すぎだな」
ウィガイヤが補足しクインスが最後に付け足すと、ここまで長々と話した結論の荒唐無稽さに、その場の全員がそれぞれに再び顔をしかめている。
それぞれの感想を代弁するようにクインスが口を開いた。
「良いかね? ウィガイヤ」
「はい」
「目的が政治犯的なわりに手段が遠回り過ぎないか? 内政の為の権謀術数なら、田舎でわざわざあんな戦いを起こす必要もないじゃないだろう。それに、当のノーガット所長本人がほとんど先の討伐戦に関わってない」
「ええ、実際、二人がそうなったように少し噛んどけば何かしらの恩賞はあったと思うんですよね。そこに関してはみすみすチャンスを逃したことになる」
「見逃さざるを得なかったとしたら、何かアクシデントがあって対応できなかったか……」
ウィガイヤはクインスの指摘を認めて頷き答えた。
「いずれにしても、おそらく計画の肝である討伐戦の時の詰めが甘いことから、計画の主導権はノーガットではなく黒幕側にあると思います。だからノーガットはあくまで黒幕に『一番近い』というだけで、多分バブルラクン側と協調する形で手を貸しているんじゃないですか?」
ウィガイヤの推測に今度はケイウスが問い掛けた。
「なら尚更、黒幕からすれば、この前の戦いで負けて失敗した後の苦肉の策ってことだよね。以前から手を組んでいるなら、戦いが終わったときにノーガット所長は見切りをつけないかな?」
「そこなんですよね……。政治的な理由付けの動乱なんて失敗はおろか、成功しても計画自体がバレたら意味が無くなります。だからイーシュとバブルラクンが手を組むって事自体が、本来は相当リスキーなんです。まぁ、まともなリスクヘッジが出来るなら、まずこんな方法は取らないでしょう」
最後にここまでの説明を全て覆すような見も蓋も無いことをウィガイヤはヘラヘラと述べた。三人はまた苦い顔でいる。また、本人も軽率な素振りを見せるものの、あまり良い顔をしていない。
「ま、所詮俺の妄想なんで、黒幕がどこの誰かはこの地図を根拠にイーシュや他の集落に何か手懸かりがないかをしらみ潰しに調べるしか方法は無いでしょうね。なんにせよ、今ある記録で俺が出来るこじつけは以上です」
そう言って、説明を終えたと言わんばかりに、ウィガイヤは仕事机の椅子に座り込んだ。
議論が煮詰まり、沈黙が続く中、三人の中で一番深く考え込んでいた深くクインスが結論を出す。
「本当に殆ど妄想の域を出なかった訳だが、准将が持ち寄った地図とまさに今残党が収監されてる以上、イーシュの周りに手掛かりがあるかも知れないな。一度可能な範囲でイーシュに探りを入れてみるか」
「了解です!」
クインスの提案にアクアスも賛同したが、思った以上に軽く事が動こうとしているのを見たウィガイヤは驚いて制した。
「いやいや。大丈夫ですか!? 俺が言ったのは只の妄想なんですよ!?」
「しかし、それ以外に取っ掛かりが無いのも事実だ。駄目で元々、何も出なかったとしても、状況が進展しないというだけさ」
ウィガイヤは承服しかねる様子であった。そこにケイウスが言った。
「なら、俺が調べてくるよ! ほら、俺もこれからイーシュの近くまで行くし、立場的に色々自由に動きやすい事も多いだろうから」
「本当は自由に動き回っちゃいけない立場なの、解ってます?」
「そこは、ほら、仕事だから」
「はぁ。……分かりました」
呆れながらも諦めた様子で渋々了承するウィガイヤ。最後にクインスがまとめに入った。
「なら、私達は次の調査の為の調整という事にして内から探ってみよう。アクアス、後でギアードにも伝えておいてくれ。そして、この事は基本的に私達だけの秘密だ。また、連絡手段は考えるが、騎士団内に密偵のいる可能性を考えて、何かあれば出来る限り私に直接相談する事。いいな?」
ケイウス、アクアスの二人は力強く、ウィガイヤは不承不承といった感じで頷き、三人は部屋を後にした。
ふとウィガイヤが窓の外を眺めると、すでに太陽が大きく傾いていた。
貴重な休日を使い果たした上に、予定外の仕事が増えてしまったことをウィガイヤは深く後悔した。
時は少し戻り、同日、朝、ヨアン村、村長宅――。
全身がメチャクチャ痛い。
目覚めて始めに考えた事がそれだった。
俺は今日もいつも通りの時間に目覚めたものの、少しでも身体を動かす度に激痛が襲いベッドから起き上がることも出来ないでいた。
痛みの原因は想像に容易い。昨日の魔獣騒動の際に使った強化魔法のせいだ。一応、他にも軽い怪我もあるが、そんなものは気にならない程に全身の筋肉や関節が高らかに悲鳴を上げている。
強化魔法は文字通り対象の持つ能力を強化する魔法である。硬い物はより硬く、強い物はより強く。しかし、それで威力を増した分だけ物理法則に則り等しく反作用がかかる。
対象が道具などの物であったなら、それを使った際に道具が負うダメージの殆どは得られている強化の効果でその場で打ち消される。
しかし対象が人体であったならどうか。強化時はヒトとして尋常ならざる力を発揮するが、強化されている肉体は当然、生体の一部である。その為、効力が切れた後にも使った分だけ負荷と疲労がその箇所に蓄積する。しかも、それは通常のその肉体では起こり得ない強度の負荷になる。つまり魔力によって限界以上の力を無理矢理引き出したツケがのし掛かる事になるのだ。
いつだったか、オトヤに強化魔法の教えを乞うたときに「怪我するのがオチだ」と言われた事があったが、忠告を文字通り身を持って知ることになってしまった。
とりあえず、痛みのお陰で眠気は跡形もなく吹き飛んだので、どうにか起きてリビングへ向かうことにする。
無論、助けを求めにだ。
直にサクラさんも起きてくるだろうし、村長もこういう時の対処法は知っているだろう。
そうと決まれば、早速起き上がる……事は出来ないので、まず寝たまま骨が折れていない事と部分ごとの痛み具合を確かめる。両腕はマシな方で下半身になるにつれ痛みが強い。
息を整え痛みに耐えながら、残された腕力を頼りにベッドから這い出ると、どうにか壁を伝って立って、脚を引き摺りながらゾンビのようにリビングへ向かった。
リビングについた頃にはサクラさんが朝の支度を始めようとしていた。
満身創痍の自分の様子を見てサクラさんは言った。
「イナトさん! 大丈夫ですか!?」
「死ぬことは無さそうですが、大丈夫でもなさそうです」
「とりあえず、座りましょう!」
サクラさんに肩を貸してもらい、痛みを堪えながら食卓の椅子に座る。
心配そうにサクラさんは尋ねる。
「どうしたんですか? やっぱりどこか怪我してたんじゃ……」
「いいえ、多分昨日の強化魔法の反動でしょう。折れたりはしてないと思うんですが、全身の筋肉が痛くて痛くて……」
「待ってて下さい。すぐに裏庭の薬草取ってきますから!」
そう言って、急いで薬草の葉を採ってくると、それを水に浸けて少し揉み、痛みがひどい背中や腰に張ってくれた。
サクラさんに甲斐甲斐しく介抱される幸福感と、居候の分際で労働力としておそらく数日は使い物にならないであろう罪悪感とのせめぎ合いで心が捻切れそうだ。
その後、村長も起きてきたので容態を見てもらった。
「ふむ。お主の言うとおり、強化の反動じゃの。強化を習いたての新兵にはよくあることじゃ。まっ二、三日安静にしておくしかないのう。それにしてもここまで痛むとは、鍛え方が足りんかったかな?」
沢山の薬草が貼られた身体を見て、考えながら村長が言った。
「い、いずれにせよ、この状態では村の仕事でも使い物になりそうにありません」
「そうじゃろうな。よろしい、今日明日仕事も休んで様子を見るが良い。ウシ屋の方には儂から言うておこう」
「すみません。では、部屋に戻って回復に努めます」
そう言ってよろよろと立ち上がり部屋に戻そうとすると、またすぐにサクラさんが肩を貸してくれた。
「後で御飯と替えの薬草とか持ってきますね」
「すみません。何から何まで手間をお掛けします」
「いいえ。昨日は私が助けてもらったんですから、これ位させて下さい!」
そうして、どうにか自分の部屋のベッドに戻って横になり、サクラさんにお礼を言って、また休むことにした。
何もせずに横になり休んでいると、音や温度、様々な感覚が鋭敏になり、動けない身体の代わりに頭が余計に回り始める。
風通しに少し開けた窓の外から、働き始めた村の人達の元気な声が聞こえてくる。
(こうして休んでるのが、本当に申し訳無くなってくるな……)
サクラさんの手伝いの合間に行っていたウマ屋の仕事も、最近懐いてきたウマの世話を任せてもらっていた。それはアルやオトヤあたりが代わりにやってくれるだろう。
そろそろ畑を移すと言っていたから、何かまた仕事があるかもしれない。どうにか早く復帰せねば。
ふと、そんな風に考えるようになった自分に驚いた。
元の世界にいた頃は、ただ漫然と働くのが嫌いでバイトに行きたくなくて仕方がなかった。貴重な人生の時間を捨て、消費者の勝手な要望と会社のワガママを聞いてなけなしの金を貰って帰る。
俺一人居なくても成り立つ、無くても誰も死なない仕事。
過剰に満たされた社会の余分を作るためだけの仕事。
それに対して、この世界は余分なモノが殆ど無い。
家畜を大切に育てるのは、長く働いて、乳を出し、肉となって貰うため。畑を村人皆で耕すのは、そこで作った作物が税と半年後の自分達の食事になる。
実際暮らしていて解ったが、皆が毎日、出来る仕事を精一杯やって、未来の村全体が生きる事を考えて、紙一重で食い繋いでいる。
さっき食べた朝食の野菜も、村長が手塩にかけて育てて、サクラさんが食べる量、腐らせる量を上手くやりくりしているだけで、決して実りが多いわけではない。文字通り二人の努力による実り。
その必死さを感じさせないのは、それらが命を繋いでいく為に必要であるという責任感以上に、ここの人達の知恵と無欲さ故だ。
季節や時間は待ってはくれない。限られた時間の中で、先々の事を考え、出来るだけ多くの仕事をして備えておかなければ、場合によっては自らの命を奪う、そういう世界だと言うことがこの村で暮らし、働く中でわかってきた。
そんな中で、俺のような外の人間を置いてくれている。この恩をだけでも返せるように少しでも働きたい。そういう感情が確かに心の中にあった――。
「イナトさん。具合はどうですか?」
太陽が真上に登る頃、今朝言っていた通りサクラさんが食事と薬草を持ってきてくれていた。
俺は言葉にしか出来ないお礼を言って、朝と同じ根菜スープを食べ、すっかり乾いた背中の薬草をサクラさんに剥がしてもらう。
「かぶれちゃうといけないので、一度背中拭きますね」
そう言ってサクラさんが濡らした手拭いで背中を拭いてくれる。
何となくこそばゆくなって、サクラさんに話しかけてみる。
「……なんか、照れますね」
「ふふっ、そうですか?」
「背中を拭いて貰うなんて、子供の頃以来だ。誰かに看病して貰うなんて、何年ぶりだろ」
「……本当に、大きな怪我がなくて良かったです」
サクラさんの声のトーンが少し下がった。声色に暗い感情はなく、安堵や心配の暖かく落ち着いた声である。
フラグ? これフラグちゃうん?
とは、残念ながらならなかった。
この女性はこういう人なのだ。
昨日、俺が囮になって皆が無事でいられたのは結果としてそうなっただけだが、その結果を恩に着る義理堅い人なのだ。
今までそんな事が無かったので、恩に着てくれるのは正直誇らしくて大声で自慢したい気持ちにもなる。
しかしそれで、自分が勝手にやったことを気負わせてしまったのでは、やはり素直に喜べない。まったく、恩を返さなければいけないのはこっちなのに。相変わらずの無力さがほとほと情けない。
俺は無理矢理、話題を変えることにした。
「そういえば、聞いて良い?」
「なんですか?」
「ビオちゃんとオトヤの事で思ったんだけど、サクラさんは恋人とか居ないんですか? 家事は完璧だし、相手には困らないでしょ?」
「う~ん……」
さっきとはまた別の感触で声のトーンが下がった。
相変わらず、俺は大事な所での判断を間違える。
すると、サクラさんが答えた。
「小さいときからこの村にいるから、みんな家族って感じで。歳もオトヤ君やアル君以外はちょっと離れてますし……」
「ふむ、確かにねぇ」
サクラさんに言われてこの村の人口事情を思い出した。
この村は殆どが農業による自給自足で賄われている貧しい農村なのだが、聞いた話によると地理的には辺境の田舎というわけではないらしい。村の北にはそこそこ栄えた二つの街があり、仕事や結婚によって若人が村から出ていってしまうのだそうだ。その為、村人の年齢別の割合としては、ちょうど自分と同世代の十代後半から二十代後半までの人口がわりかし少ない。
確かに思い返すと、仕事仲間の大人は殆ど自分と同年代では既に子持ちの既婚者が多く、アルやオトヤと独身組として纏められることもあった。
仮にこの村の中から男性を選ぶとしたら、かなり候補が限られることだろう。
「村の中でイイ人はいない?」
「皆さん良い人ですけど、仲が良いとなるとオトヤ君とアル君辺りになってしまうので……。オトヤ君にはビオちゃんが居るし、アル君は良い方なんですけど……」
それ以上サクラさんは苦笑いして語らなかった。アルが不憫で涙が出そうだ。
しかし、となれば相手候補は村の外の男になるわけか。
「それじゃあ、いつかはサクラさんも花嫁として村を出ていくのかぁ。いや、一人娘だから婿を貰うのか。まっ、サクラちゃんの事だから、もし気になる相手ができてもおじさんが心配することは無いか」
「そうだと良いんですけどね」
サクラさんはこちらを見てニッコリと微笑む、可能であればこの笑顔を文字通り網膜に焼き付けたいところであるが、これ以上多忙なサクラさんを拘束しておく訳にもいかない。
「すみませんね。他にも忙しいでしょうに」
「いいんですよ。また何か必要だったら呼んでください」
改めてお礼を言うと、サクラさんは気にしない風で部屋を後にした。
俺はまた休むことにした。仕事も勿論だが修行のノルマも半分にも達していない上に、期限はもう半分を切っている。ならば、身体を動かせないなりに出来ることをしよう。
そう思って、呼吸を整え意識を集中し魔力を練る。今日は森に行くことが出来ないので、せめて魔力をスムーズに練られるように練習しておこう。
そうして、眼を瞑って集中していると、いつの間にか心地よい睡魔に抱かれ気が付いたときには晩飯前であった。
同日、夕方、アトスキム城、城壁通路――。
報告会を終えたギアードは一人、城下町を真下に望む石造りの城壁の上で肘を着きもたれ掛かり、相変わらず物思いに耽っていた。
沈み行く夕日は空を朱く染め上げ、東の空は徐々に藍を濃くしていく。城下に拡がる街には所々に灯が着き始め、大通りの盛り場は、だんだんと灯る明かりと共にますます活気を増してゆく。
その光景の中に、一所、時と共に夜闇に包まれていく箇所があった。アトスキム王国唯一の貧民区である。
ギアードは浮かない表情で、生まれ故郷であるその闇を見つめていた。
『――着いて来たまえ。正しい力の使い方を学ぶんだ。君はその為に必要なモノを持ってる』
かつて、後に恩師となる人に掛けられた言葉。
その言葉が示した道が、あまりに眩しくて僕は騎士になることを決めた。
なくなっていくものを取りこぼさないように、奪われるものを取り返せるように。
だがそれは、結果として場所が変わっただけ。騎士になるために頑張ってきたものの、いつも周りの人に助けられるばかりで、自分自身は何も変わって無いんだと、あの暗くて弱い町が自分を映す鏡のように見えてしかたがなかった。
「やっぱりココにいた」
不意に声を掛けられ振り返ってみると、許嫁のウィズが空に浮かぶ明星のような笑顔で歩み寄って来ていた。
ウィズは、そのまま傍らで同じ景色を見るように、同じように外壁の上に肘をついて休みながら話す。
「一度部屋に行ったんだけど居なかったから、もしかしてと思って。出迎えられなくて、ごめんね」
「いいよ。僕も帰ってきてすぐ報告会とか、バタバタしてたからさ。ウィズの方こそ忙しかったんだろ?」
「うん。復興に人手を回してる分、私達も臨時で見回りとか他の所に借り出されてて」
「お疲れ様」
「うん」
そう言うと、ウィズは本当に少し疲れた様子で小さく頷くと、すっとこちらに顔を向けて言った。
「で、何悩んでるの?」
「え?」
「ギアードが一人でココにいるときは、何か悩んでる時だから」
「別に悩んでるって程の事じゃ……」
思わず、はぐらかそうとしてしまったが、ウィズは顔を逸らさず、真っ直ぐに僕の方を見つめている。口程にモノを言う眼に圧され、悩みを打ち明けることにした。
「……何のために戦ってるんだろうなって……」
「えっ?」
「皆を助けて、皆のために戦う事っていうのが俺達の仕事だって、今までもそのつもりで戦ってきたし、そう思ってるんだけど……。本当に僕なんかに何か守れてるのかって」
「ふぅん」
そのまま聞かれることもなく僕の方から、討伐戦であったこと、先日クインス大尉から言われた事をウィズに話した。ウィズはその間、ただ僕の話を聞いてくれていた。
ウィズが言う。
「確かに、クインス大尉が言ってることは正しいと思うよ。私達は敵や悪者が出て来て初めて動くことになる。だからその時のために、頑張って訓練するんだよね。犯罪が無くなったら、それが一番良いけど、そんなの皆の心が、全部が全部変わらないと難しいし」
皆が互いに思いやり助け合い、欲張らずに憎しみ合わないような心を持つ。それは所詮、雲を掴むような理想でしかない。
そう考えている僕に構わずウィズは続ける。
「それに、昔お爺ちゃんが言ってたんだけど、悪っていうのは善と対になって互いを映す為にあるんだって。人の悪意を知ってるから、反対に人の善意を感じて、善意を知ってるから悪を見抜くことが出来るんだって。結局は両方ともコインの裏表だからどっちだけが無くなる事は無いんだって」
善と悪は表裏一体。
それに関しては痛いほど理解できた。
かつて、あの悪の掃き溜めの中で求めた光。
あれは、そういうことだったのだろう。
「……じゃあ、悪が無くなることはないのか」
ウィズの言葉のその部分だけが腑に落ちて、思わず嘆息するように言葉が口を衝き、それを聞いてウィズが言った。
「それ、私も聞いたんだけどね。結局は『自分がどっちに味方したいか』なんだって。善も悪も片方だけを無くすことが出来ないから、自分が納得出来る方を自分で選ぶしか無いんだって言ってた」
ウィズはさらに続ける。
「私も、犯罪や戦争が無くなれば良いのにって思うけど、それはみんなが自分で変わらないといけないから、そうなれるように、そう思う人達を守るのが、私達の使命なんじゃないかな」
(平和を願う人達を守る、か……)
景色を見たままでウィズは言った。その視線は賑わう市の方へ向いている。
その綺麗な横顔を通り過ぎて、僕には外れの貧民区の方が見えた。
闇の中に小さな灯りが一つ微かに灯ってふっと消えた。
「でもそれも、どんなに一人が頑張ったって限界があるから、私達は、みんなで頑張ってるんだよ」
ウィズは再び僕の方を向いて、眼を見て言った。
「だから、一人で背負い込んじゃダメ」
その瞳は強く真っ直ぐに、僕を目を見ている。
「ウィズ……」
「はい! 難しい話はこれで終わり! ご飯食べに行こ? 私お腹空いちゃった」
「待ってよ、ウィズ!」
ウィズは真剣な表情をいつもの活発な笑顔にパッと変えると、踵を返し短い髪を揺らしながら歩いていく。ウィズに置いていかれないよう、僕は慌てて足を踏み出し、その後を追いかけていった。
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