悪役令嬢は婚約破棄されたら求婚してきた公爵の手を取らない

Estella

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第一章 『再臨の悪役令嬢』

第一章14 『責務か個人感情か』

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 ――この時わたしは、ずっと貴方の身に降りかかっていたおぞましいほどの不幸を、初めて知った。



 セリーナに話がある、とアデリナは公爵邸に着くなりそう主張した。スケジュールにないアデリナの突然の訪問に守衛はきょとんとしていたが、執事長の判断ですぐに屋敷内に入ることができた。
 それも、当然だ。リーリアを中心としたゲームの世界は、非常に狭い。アデリナを糾弾していたのはその周りだけで、多くの人間にとって彼女は憧れの的なのだから、アデリナの発言権は大きいのだ。

「当主様はただいま医師による検診中でございます。しばらくしたらお呼びしますので、しばしお待ちいただいても?」

「ええ、急ぎではありませんわ」

「ご理解、感謝申し上げます」

 感銘を受けたような、執事長の表情。張り付けた笑みの下で、アデリナは小さく舌打ちをした。
 ――待つ気なんかはなからないし、この男の言葉を信じる気もない。

「――」

 密かに、マナを活性化させる。
 透明な自身の似姿を自分に重ね合わせてから、同時に自分を透明化して似姿を顕現させる。一瞬空間がぶれただろうが、魔力の波動は抑えたから露見はしないだろう。何せこの似姿、簡単な会話もできる。

 透明化したアデリナは客間から抜け出し、屋敷内を疾走する。同じ景色で迷いそうになるが、同時にカレリナの能力を発動した。
 ――屋敷内で、。そして微かに衝撃音が響く場所。そこに、違いない。

 問題ない、どんどん近づいて……。

(――え?)

 ぎゅいん、と聞いたことのない音が、耳朶を打つ。
 グラナートにおける『機械』の動力は、基本的に魔力。こうした音は、魔力で機械を動かした時にしか聞こえない。
 同時に聞こえてくる音に、アデリナは背中の冷や汗が増えていくのを感じる。

「ここ――、ッ……!!」

 目的の扉の前にたどり着いたアデリナは、目に魔力を集中させる。カレリナの力を行使してぼんやり透視した彼女は――視線の先の恐ろしさに絶句した。
 あの女が持っているのは、魔力で動かしているのこぎりだ。今も、残忍に音を立てて、それは目も当てられない残虐な行為を繰り返している。
 机にあるのは、血にまみれたアイスピック。地面にはおびただしい量の血が流れているし、女自身も大量に返り血を浴びている。

 アデリナは思わず後ずさり、両手で口を押さえた。
 知らなかった。知らなかったのだ。こんなこと。セリーナという女が、こんなにも気が狂った人間であることを。
 前生でヴィクトルがアデリナを必死にセリーナに近づけないようにしていた理由を、初めて心にしみて理解した。

(どうする、どうする、どうする……!? 止めないと、でも、そうしたらカレリナは……わたしは、どうしたら!)

 ずる、と壁に寄りかかっていた力が抜けて体が少し下がる。

 セリーナの暴力は、恒常的なものと予想される。彼女の怒りの習性が不明である以上、ここでアデリナが止めたら逆効果になるかもしれない。
 それにここで突入してセリーナを糾弾すれば、ファンドーリンとの同盟は水泡に帰す。この同盟は、何もアデリナひとりのわがままで結ばれるものではないのだ。

 これから先、アデリナが何もせずともあの惨劇は必ず起こる。あの男がこの世に生きている限り。
 だからその陰謀が世界を滅ぼす前に、カレリナもファンドーリンもそれに正面から対抗する術を手に入れなければいけない。何せ陰謀で奴に勝てはしないし、貴族社会でそれは危険すぎる。

 カレリナとファンドーリンだけでなく、世界の健康的な存続のために必要な最初の一手こそ、この二家の同盟。
 さらに言えばこれで、カレリナの残り少ない欠けた部分も埋めることができる。領民はもっと豊かになる。カレリナに生き、忠誠を誓い、その代表となった自分が、その責務を放棄する行為をするわけにはいかない。

 何もしないことを選ぶ理由は、いくらでも見つかった。

(この身も心も、カレリナに捧げた。この身はいずれカレリナの主になる。全てにおいて――我が領地と領民の幸福が優先されなければならない。そこに、わたしの主観と衝動が入る余地は、ない)

 正解の選択肢は、とっくに見つかっている。こんな長文で考えを巡らせる必要はない。

 だがあの計略渦巻く社交界のど真ん中で雄姿を見せたはずのアデリナが、好きだと追いかけて回った自分が、彼の苦難の前に沈黙を選ぶのか。
 ――それでいいのか?
 それは、自分の気持ちを初めとして、カレリナの精神さえ、裏切ることになるではないか。

(――考えろ。突入して止める以外の、方法を)

 どんな手を、使ってでも。



 怒りに我を忘れるセリーナの耳に、ふと扉を叩く音が響いた。とんとん、と不釣り合いなほど軽快な音によって、セリーナの頭に上った血が戻っていく。

「……なによ、アレクセイに人払いをしろと言ったじゃない」

 アレクセイは地味だが、ある程度役に立つ。それに、セリーナにとって不利益ももたらさないし危険な要素にもならない。だから使ってやっていたのだが、まさかへまをしたのか。

 魔力を活性化し服を綺麗にすると、セリーナは扉に向かって歩み寄る。そして念のために作ってあった、部屋の奥を隠せるカーテンを開けてヴィクトルの存在を隠す。
 更にドア付近にあった小さなテーブルに置かれたキャンドルに火をつけ、血液の臭いを隠した。
 全ての用意を終えて、セリーナは扉を開ける。
 そこに立っていたのは、至極意外な人物だった。

「――あら」

「……セリーナ当主! 大変なんです……っ、至急相談したいことがあって……!」

 ばっ、と扉を押しのけて入ってきたのはアデリナ・カレリナ。その目は少し涙が溜まっていて、勢いでセリーナに抱き着きかねない必死さだ。
 一体何があったのか。さすがのセリーナも、目を白黒させる。

「何があったのかしら? 何でも聞くわ」

「それが……わたしたちが会談で述べた内容が、流出しているんです。でも公爵邸の人ではないですよね。絶対にあの人の仕業です! 毎回あの人が本邸から帰ってくると、何故か内容の紙を持って脅迫してくるんです」

 年若いカレリナの外務代表。そして、その初めての大仕事。そこで、何故か自分の会談内容が流出したことが判明した。
 それは彼女にとって、とんでもなく恐ろしい状況だろう。焦燥感が、セリーナにも伝わってくる。いつもは表情を取り繕っているが、今はそんな余裕もないようだ。見れば、アデリナの手はがくがく震えている。

 どうやら、運はセリーナの味方をしているようだ。

「あの子は、なんてことを……!」

「わたし達、本邸でしか話してませんよね? あの人がきっと情報を全部漏らしたんです……! なんでセリーナ当主は彼を本邸に出入りさせるんですか? まさかここで、スパイ行為に悩まされるとは思いませんでした!」

 ぎりぎりの時間で編み出した穴だらけの状況説明。セリーナに疑心を持つ時間を与えないように、アデリナは早口でまくし立てる。
 だが最後のは皮肉だ。ヴィクトルの別邸にスパイを送って、監視し報告したセリーナへの。

 案の定彼女の口元は少しひくついたが、まさか「自分もやってる」だなんて言えまい。

「当主様! ――彼の、本邸への出入りを禁止にしてください。そうでないと、わたし……」

 ぐっ、と涙をこらえるアデリナ。今回の件はかなり注目されている。こんな失敗の仕方は、カレリナの家格に泥を塗ることになるだろう。
 セリーナはアデリナに気づかれないように、にやりと口角を上げた。当然アデリナは気付いている。吐き気を堪えているだけだ。

「分かったわ公爵令嬢。会談のうちは、あの子を本邸に来させないようにするから。流出の件については……」

「それは、わたしのほうでもう処理をしました。でも、これ以上広がったら大変だと思って……セリーナ当主、迅速な対応ありがとうございます。お取込み中、邪魔をしましたか?」

「いいえ、大丈夫よ。これからも何かあったら、遠慮なく言って?」

「はい、それでは失礼します」

 ぱたん、と扉が閉まり、アデリナの姿が消える。

 間者の報告には驚かされたが、結局は彼女もヴィクトルを嫌いなことが確かめられた。
 これで安心することができる。何せカレリナ家もまた彼の敵に回れば――、彼の掌握も、自分の地位も、安泰だ。

「お前もまだそんなことをする余力があるのねぇ。愛されようと思っていたのか何なのか知らないけど。これでわかったでしょう? ――言ったじゃない。お前を愛する人間は、いないってね」

 カーテンの奥で、青年が小さく息を呑んだ。



 少しいつもと違うような、寒気のする笑みを浮かべたセリーナが、執事長の肩を叩いて後ろから囁く。

「次からあの子が来るときは、ちゃんと客間で待たせるのよ?」

「え? は、はい……」

 セリーナが去るのを見送りながら、執事長は首をかしげる。
 確かに、彼女は客間で待っていたはずなのに――。
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