悪役令嬢は婚約破棄されたら求婚してきた公爵の手を取らない

Estella

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第一章 『再臨の悪役令嬢』

第一章13 『身勝手な接近の代償』

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 柔らかな金髪と金の瞳。書類の束を持って、全身から品行方正で優秀な貴公子の雰囲気を垂れ流すその少年に、アデリナは歩み寄る。
 前回の事を考えると――、アレクセイへの心情は、複雑だ。
 彼の行動は、客観的に言えば正しかった。でも主観的には許せなかった。だが彼を責める気には、決してなれない。

 ――前回の人生、アレクセイはヴィクトル・ファンドーリンを、その手で殺した。

「待っててくれたの? それなら、今出てきたところ。どうぞ?」

「……」

 世界中が彼をのけ者にする中で、アレクセイは息を潜めつつ、空気を消しつつ、それでも唯一定期的に兄のもとを訪れていた。
 彼がどんな風にセリーナに言い訳しているのかは分からないが、大きな圧力には直面しているはずだ。

 きっと兄を訪ねに来たのだろうと考えたアデリナが執務室を掌でさすが、アレクセイは動こうとしない。
 やや迷ったように口を開けたり閉じたりして、気まずそうな笑みを浮かべ、彼はようやく語り出す。

「……実は、僕は貴方を疑っていました」

「それはわたしが悪意、最低でも打算をもって貴方のお兄さんに近づいたと、そう考えていたということ?」

「はい。カレリナにとっても、ファンドーリンの実際の状況からしても、この同盟は悪くない。それでも今回は珍しく主導権がこちらにあるし、貴方がたの方が切実なように見えます。なので、全ては利益の為かと。利益のために、全てを耐え忍んで仮面をかぶっているのかと」

 アデリナは目を丸くする。その誤解に、というより、アレクセイがこうも簡単にアデリナへの疑いを取り除いたことに対する驚きだ。
 確かに彼は観察眼が鋭いし、見る目もあるし、勘もいい印象があった。この愛の深さももしかしたら見抜いてくれたのかもしれない。肝心な人は一ミリも分かってくれないけれど。

「『各勢力間の動きには利益しかない』とはよく言ったものね。当然、この同盟はカレリナにとって重要なもの。利益がないと言ったら噓になるし、政治的な理由は当然主軸にある。だけれど、それだけではないと断言する。ファンドーリンが相手の時だけは、そうでありたくない」

 毅然として、アデリナがそう言い放つ。ヴィクトル・ファンドーリンを愛しているからというだけではない。
 一度目から二度目を通して見てきたファンドーリンの在り方そのものに惹かれているから、利益以外の結束を求めたいと思うのだ。

「――利益が渦巻く権力闘争の中でも、わたし達だけは心を交わせると信じている」

 完全に未来を知ることはできない。これからどんなことが待っているか、実のところわからない。同盟さえ結べていないのに、断定したことを言うのは危険だ。
 それでも、信じている。ファンドーリンを、カレリナを、それぞれの領地に生きる、人々を。

 胸を張ったアデリナの豪語に、アレクセイは一瞬怯んだような表情を見せる。
 だがそれも刹那の事。すぐに微笑みを浮かべた彼だったが、その眉尻はなぜか下がっている。

「素晴らしい、言葉ですね。でも、ええと、」

「?」

「兄上は……僕と同じことを思っていると思います」

「え、毎日告白してるのに?」

 アデリナの認識では、ヴィクトルは今少なくとも『公爵令嬢が毎日告白してくるが信じられるのかどうかわからない件について』という感じに悩む想定だった。
 利益とか打算とか悪意とか、そういう負の感情だと誤解されている予想は、全くしていなかった。

 毎日定例告白は、あの日の惨敗から振り切れて、告白で攻めようと思い直したためにするようになったのだ。
 もちろんアデリナの方もヴィクトルがそう簡単に人の好意を受け入れはしないと分かってるので、態度と言葉の両方で全力投球しようというあえての判断だった。

「え、毎日告白……? うぅん、兄上の場合は逆にあまり信じないかもしれません。でも長期戦ができるなら、効果もあるんですかね……」

「噓でしょう……!」

「それに……――もう少しセリーナに気を付けた方がいいです」

 す、とアレクセイの空気が変わる。糸を張ったかのような緊迫感に、アデリナの表情も思わず固くなった。

「このことが露見したら――、ただでは済みませんよ。兄上が」

 眉尻を下げた彼の視線は、何か言いたげで。その口元は、何か乾いたような笑みを浮かべている。
 初めて会った時はきらきら輝いていた金の瞳も、薄暗く陰っている。

 セリーナ・ファンドーリンが一体どういう女なのか。
 全く意図していない方法で、思いつく限り最悪の方法で、アデリナもついに、知ることになる。



 相変わらず明かりのついていない部屋の中で、ぐしゃりと紙を握りつぶす音が響いた。普通なら生活音にかき消されるに違いないそれも、人払いされて人気のないこの周りでは刺々しく伝わってくる。

「――報告があったわ」

 セリーナの無感情な目が、彼を見下ろしている。暖房がついているはずなのに、部屋の中はまるで厳冬のごとく冷ややかに感じた。
 紫の髪が揺らめく。セリーナの表情が、時間が経つごとに怒りに歪んでいく。

「何を、勝手なことをしてくれてるのかしら」

 セリーナはヴィクトルの襟元を掴んで、そのまま勢いよく横の本棚に叩きつけた。背中の強打に加えばらばらと落ちてきた本に打撃を受けるが、当然顧みられることはない。
 身長差からしても体格差からしてもあり得ない一幕だったが、セリーナは魔力を使っているし、そうでなくとも抗えないし。

 憎悪に燃えるセリーナの瞳が、冷たく射抜いてくる。

「公爵令嬢が嫌になって出て行ってくれないと、話が進まないじゃない。リチャード卿に手紙は出したけれど……。お前のせいで、私はわざわざ動いたのよ」

 そうだ、セリーナの想定ではアデリナがヴィクトルと暮らすことが嫌で、早々に帰っていく予定だった。
 少し粘られても、ヴィクトルの方から彼女に嫌がらせをするように言いつけられていた。

 だが嫌がらせのやり方なんてわからないし、彼女の勢いは毎日強すぎて嫌がらせをする隙なんて、ない。

「私の計画が水の泡になったわ? どうしてくれるの? ねえ。答えなさいよ」

 襟元を掴む手の力が強められる。魔力も使っているのか、息が苦しい。思わず眉を顰めるも、セリーナはまくしたて続ける。

「言ったはずよね、お前の言動はすべて私の掌握の内にあると、黙ってその通りにすることしかお前には許されていないと!!」

「……!」

 ふと、ヴィクトルは物理的な刺々しさの気配を感じる。感じた時には、セリーナは既に手にしたそれを振り上げていた。

「――っ!」

 肉を貫く嫌な音と共に、アイスピックが肩に深々と刺さる。
 彼女の習性上、暴力はその気分が落ち着くまで止まることはない。だからそれまで大人しく耐えるしかない。耐えれば、あとで治癒魔術を使っていくらでも……。

「それとも、公爵令嬢の策略に騙されたのかしら?」

 暴力の嵐の中で、その一言が耳に届いて、彼の肩がぴくりと動いた。幸運なことに、セリーナはそこに気が付かなかったようだ。

「的外れな勘違いね。あれだけ言ったじゃない、お前を愛する人間なんかこの世界には一人としていないのよ!!」

 ――。
 そうだ。彼女の言うことは、正しい。策略なのか憐みなのかは知らないが、まさか本気のはずがない。メリットもない。
 だがこの調子なら、その怒りの矛先は公爵令嬢の方には向かないようだ。公爵令嬢に危害を加えその罪をヴィクトルに着せる可能性も考えたが、さすがにファンドーリンの名声を気にしているのだろう。
 ――他人に影響が及ばないなら、それでいい。

 セリーナは武器を持ち替えているし、そろそろ出血が酷くて足元が不安になってきた。だがセリーナの怒りは、そう簡単に収まりはしないようだ。

「もう一度初めから、教え直すわ」

 薄暗い部屋の中でもはっきりと輝いて、それは二人の目に映る。もともと血がこびりついたそれを見て、さすがにヴィクトルの方も身を固くする。思わず後ずさろうとするが、背中は本棚なので当然逃げる場所はない。
 セリーナもまた、逃がす気はない。

「待っ……」



 その日、帰宅したアデリナは屋敷から彼の気配を感じなかった。彼はあまり、外出しないはずなのに。
 留守番させていた護衛騎士を見つけて、アデリナは彼に声をかける。

「レナート、先生はどこへ行ったの?」

「それが……まだ、帰ってません」

 困ったようにそう語るレナートだが、心当たりのあるアデリナはさっと血の気が引いた。
 彼が長時間外出するときは、そのときは。

 ――もう少しセリーナに気を付けた方がいいです。

「ぬかったわ!」

 貴族の令嬢らしからぬ発言に、レナートは目を丸くする。
 だがそこを言い訳している暇は、ない。

「レナート、あなたは留守番してて。屋敷の周りを探索して、怪しい人影を見つけたら捕まえて!」

「……承知、しました」

 慌てて駆けだしたアデリナは、丁度外で停まっていた馬車の御者に、声をかける。

「――公爵邸、本邸へ!」

 そうしてアデリナ・カレリナはついに、身勝手な接近の代償を支払うことになったのだ。
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