悪役令嬢は婚約破棄されたら求婚してきた公爵の手を取らない

Estella

文字の大きさ
46 / 54
第二章 『決裂』

第二章4 『ハニートラップ』

しおりを挟む
「――これは何のつもりなんだい、アデリナ? 心が乱れるんだが」

 そう言いつつ、執務室の机に向かうリチャードがくいっとネクタイを緩めた。乱れると言うが、飄々とした内心の読めぬ笑みは寸分たりとも歪んでいない。
 もちろんアデリナの仮面も崩れていない。妖艶な笑みを深め返した。

 彼女は今、リチャードの机に座っている。字面の通りだ。椅子ではない。机に乗っているのだ。
 艶やかな黒髪が、机上に散る。
 神秘的、幻想的ながら傾国の妖しさを醸し出す佇まい、目を奪われた隙に深淵に沈まされるような、恍惚とさせる美しさ。危険と分かっていながらも、決して目を離せない。
 吸い込まれるような鮮やかな黒色の瞳が、カーテンを閉めて暗くなった室内で依然煌々と輝いている。

「何のため、って。いけないのかしら、用がないのに訪ねたら」

「オレは誰よりも君を理解していると自負してるんだが、君は用もなしにオレの元には来ないさ。君はあれだろう、付き合って〇ヶ月記念日やら結婚記念日やらを少しも重視しない人間じゃないのかい?」

「――」

 何とも自己主張が強く、傲慢で気持ちの悪い言葉であった。
 さらに気持ち悪いのは、前回の人生で言えばそれは何も間違ってはいないということだ。視野が少し狭くて、人情にあまり通じていなくて、目的の達成に手段を問わなくて、はっきり言えば冷たい人間だった。
 記念日? そんなもの祝って何がしたいの? メリットは??
 そんなことを言いだしかねない。『彼』に出会う前のアデリナ・カレリナは、まさしく悪役令嬢的だったと思う。

 気持ち悪さに吐かずに留まることができたのは、ひとえにアデリナが既に生まれ直して変化しているからだ。
 彼との記念日があるのなら、一日刻みで毎日祝いたいくらいだ。毎日が記念日。互いが生きているだけでマンモスハッピー。
 ――ただ、アデリナは今『悪役令嬢』を演じているわけで。

「何よ、全てお見通しなの? つまらないわね。そんなにわたしのことが好きなの?」

「ああ、愛してるさ」

「からかわないでちょうだい。そんなことで落ちる安い女ではなくってよ」

「ハッハッハ、そんなことはもちろん知ってるさ。誰よりも」

 ――先ほどから、何故『世界一』を強調しているのだろうか。
 何の当てつけだろうか。リチャードのことは心底分からない。分析する気も起きない。
 ただ、アデリナは自分の目的を絶対に達成するだけだ。

「……わたしの父親は、研究の仕事をしているでしょう」

「――そうだな」

「実はその研究の方向って、だいぶ昔に変わったのよね。わたしが産まれる前にはもう、転換していた。ひどいわよねぇ、魔物や瘴気を研究する方が社会貢献できるとグラナートに頼まれて変えたのよ。頼みっていうけど、断る選択肢って最初から用意されてないんだもの。突っぱねることができないわけじゃないけど、父上は優しいのよ、納得しちゃったのよねえ。でもわたし、今の状況に照らし合わせれば前していた研究の方が世界の役に立つと思うわ」

「……君は何が、言いたいんだい?」

 笑みを湛えていたリチャードの表情が、初めて覆る。その眼光は鋭く、顔は無表情ながら隠しきれぬ警戒が滲んでいる。
 前回の人生で見た狂気はまだ見せていないが、やや近い。本性が出るのを抑えているのだろうか。それは知らないが、アデリナは鼻で笑うのを抑えている。

「貴方がわたしのことをなーんでも知っているのと同じで、わたしも貴方のことをなぁんでも知っているわ。なんでも、よ」

「……何が言いたいのかと聞いてるんだ」

「あら、わたしは貴方の味方になりに来たのに、つれないわね。それを知った瞬間にわたし思ったのよ、これでわたしたちはやっと手を結べるんだってね。貴方はこれを運命だと思わないのかしら?」

「まさか、君は……アレを、知ったというのか?」

 眉を顰めるリチャードのペンを握る力が強まるのを、アデリナは一瞥して艶と笑う。
 重要な言葉はひとつも口にしなかったし、何を知っているかも語っていない。だが、リチャードにはもう分かったはずだ。

 黒魔術を世界に仕掛けるにあたって、彼が最も警戒したのはアデリナの父イリヤであるはずだから。
 父の名と、前にしていた研究の話。そして言葉には出せぬ話。そして味方。手を結ぶ。アデリナが公爵家の人間であることも加味すれば、答えは自明と言っても差し支えなかった。

「わたし以外知らないわ。父上にも知らせていない。わたしは天才だから、父上の論文を読み込むのなんて楽勝だったわ」

「何故そんな論文を読んだ? オレの秘密を暴露するためか?」

「――やだ、愛し合うためよ?」

「っ……!」

 アデリナの深い光のこもった眼光が、まっすぐリチャードを射抜いた。冷や汗が、彼の首を伝って一筋流れる。いや、惑わされてはいけない。
 彼女が自分の秘密を握った以上は、そもそも協力しない手はない。
 冷静に考えれば、これはまたとない機会だ。彼女が本当にリチャードを好きかどうかは別にして、彼女と手を組めば今度こそ天下無敵だ。

 カレリナ家は厳しい環境に取り巻かれている。
 そこから脱するために、アデリナは手段を問わぬ賭けに出たのだと考えるのが妥当だろうか。
 だけれど、この秘密を共有すれば彼女とは同じ穴の狢。リチャードが沈むこの闇と沼に、彼女も引きずり下ろすことができる。
 ああ、それは、なんとも――、

「――セリーナを始末して欲しいの」

「……。それは、また、衝撃的な要求だな。あの女を始末することが、何故オレの味方をすることに繋がるんだい?」

「逃げて隠れて隠蔽してって、そればかりなのは疲れない? いっそのことオープンにやれるようになれば、生涯安泰が保障されるでしょう?」

「そう、だなぁ」

 セリーナはアクセサリーとして副媒介を人に配っているようだが、それは愚かだ。リチャードはもっと慎重に黒魔術を広げている。
 慎重に慎重を重ねて。誰にも、特にカレリナ公爵に異変を感じ取られないように。証拠隠滅も、口封じも、日々欠かせず行っている。

 ――もっともっと自由に黒魔術を広めることができるなら。
 カレリナ公爵家の後援があれば、それは難しくないかもしれない。そもそもセリーナのやり方は露見しそうで常に不満があった。
 不安定要素のあの女を排除して、聡明なアデリナと組む。それは、確かに。

「――事件を起こして、終わったことにするのよ。貴方を疑う人間は、もう決して現れない」

 甘美な響きが、ワイングラスから傾けられた果汁の一滴が喉を潤すように、心底に染み渡るように囁いている。
 あるべき理性を溶かして、砕いて、沈めて、――溺れさせて。
 彼女の世界に囚われる音を微かに聞きながら、リチャードは恍惚と口角を上げて生唾を呑んだ。

「君はオレの弱みを握っている。合作する上ではオレがあまりにも不利であると君はわかるだろう? 信頼を築くためにも取引は公平であるべきだ。君はオレに何をくれるんだい?」

「――わたしを」

 普段の他人との取引の不平等性を棚に上げたリチャードの要求に、アデリナは怯むことなく即答した。
 予想だにしなかった答えに、リチャードの喉がひゅっと音を鳴らす。
 灯りのない空間の中、現実感を失わせ幻のように揺らめく黒髪が、彼の思考をかき乱す。

「わたしをあげると言ったら?」

「――」
「――」

 沈黙が下りる。
 堕ちた人間を優しく誘うように、アデリナの瞳がリチャードを見つめている。そこに湛えるあまりに眩い光は、彼が求めてやまないもので。
 この手に囲って、この沼に沈めて、この領域に閉じ込めてしまいたい。
 ――そうしても構わないと彼女が手を差し伸べている。

 その手を取るべきだろうか?
 いや、迷う必要はないだろう。
 彼女の言う通りこれは愛なのであり、紛れもなく自分があの男よりも優れていることの証明だ。
 愛する人を手に入れた。敵はもはや敵にならず、目的を遂げることも容易い。

「――アデル。オレは本当に君を愛しく思うよ」

 まるで求婚を受け入れたかのような恍惚とした表情で、リチャードはアデリナの誘いの手を取った。
 その意を感じ取ったアデリナは、にっこりと微笑む。
 ――勝手に愛称で呼ばれた気持ち悪さと怒りを胸の内に隠しながら。

「悪いのは全てセリーナになるわ。貴方は何も心配しなくていいの」

「そうだともアデル。何の話だかなぁ。オレには初めから関係ないぞ」

「くすっ、お早い演技ですこと。そういうことにしといてあげるわ」

「……君は末恐ろしい女だね」

「あら、わたしが怖いの? 嫌われたら悲しいわ」

「嫌い? 冗談じゃないね。オレの愛を疑われてはたまらないよ」

 ふふふ、ははは、あっはっは。
 暗闇に、悪だくみする二人の男女の声が響き渡った。
 その後、リチャードの執務室は二人の悪人が秘密の会議をする専用の場所として、利用されていくことになった。

 ――当然だが、屋敷の人間はその内情を知らない。

 それは、ジェシカ・ホーネットとて、同じことであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

気配消し令嬢の失敗

かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。 15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。 ※王子は曾祖母コンです。 ※ユリアは悪役令嬢ではありません。 ※タグを少し修正しました。 初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。

槙村まき
恋愛
 スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。  それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。  挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。  そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……! 第二章以降は、11時と23時に更新予定です。 他サイトにも掲載しています。 よろしくお願いします。 25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎

水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。 もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。 振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!! え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!? でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!? と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう! 前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい! だからこっちに熱い眼差しを送らないで! 答えられないんです! これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。 または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。 小説家になろうでも投稿してます。 こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。

【完結】転生したので悪役令嬢かと思ったらヒロインの妹でした

果実果音
恋愛
まあ、ラノベとかでよくある話、転生ですね。 そういう類のものは結構読んでたから嬉しいなーと思ったけど、 あれあれ??私ってもしかしても物語にあまり関係の無いというか、全くないモブでは??だって、一度もこんな子出てこなかったもの。 じゃあ、気楽にいきますか。 *『小説家になろう』様でも公開を始めましたが、修正してから公開しているため、こちらよりも遅いです。また、こちらでも、『小説家になろう』様の方で完結しましたら修正していこうと考えています。

処理中です...