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8 バニラの自己犠牲

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 キリナートはゆっくりとサイドリウスに語りかけた。

「サイラス、君がマリン嬢に言った『バニラ嬢への悪口』は、悪口ではなく注意喚起だろう。お前たちには、マリン嬢だけでなく俺も教師たちも注意喚起したはずだ。人の忠告も聞けず、甘言だけを鵜呑みにしてのさばっているなんて、厚顔無恥だな」

「そ、そんなものっ! 悪口は誰にも見ていないところでやっているに決まっているだろうっ!」

 サイドリウスが真っ赤になって捲し立てた。

「そんな報告は入っていない――」

 キリナートは、冷静に答える。

「……報告?」

 キリナートの言葉の意味がわからず、サイドリウスは口籠った。

「マリン嬢は王子の婚約者だ。当然護衛が着く。そして、その護衛は監視役も務める。マリン嬢の隣に下位貴族のご令嬢がいることに違和感を感じないのか?」

 マリンの隣にいたご令嬢二人が舞台に向かってカーテシーをした。一般的には高位貴族は高位貴族といることが多い。特にご令嬢にはその傾向が強い。にも関わらず、マリンの隣はいつも子爵令嬢と男爵令嬢の二人だった。

「マリン嬢の公爵邸まで登下校にも伴ってる。マリン嬢がこの学園内で一人になれるのは、レストルームの個室だけだ」

 会場中がざわついた。一人になる自由もないマリンに対して労う声も聞かれる。ほとんどは同情や不憫だという慰めだった。

「そいつらが嘘を言っているんだっ!」

 会場の生徒たち数名が動き出した。そして、前に出てカーテシーをした女子生徒に並んだ。サイドリウスの後方に並んでいた者たちも、その場を離れて並んだ。みな一様に、無表情でサイドリウスを見ていた。

「みんな、すまないな」

 キリナートがその者たちに謝罪の言葉を言った。その者たちは一斉に頭を下げた。

「直ってくれ。また、話はする」

 頭は上げたが、その場を離れることはなかった。

「サイドリウス殿下、それは、王立騎士団を敵にするという宣言だと受けましょう。今後、王立騎士団が貴方を護衛することはありません」

 サイドリウスは、キリナートの急な『殿下』呼びと、騎士団を敵にするという物騒な話に慄いた。

「――な、なぜ、そうなるのだ?」

 サイドリウスは、顔を青ざめ声は震えていた。

「彼女たちは、いざとなれば命を賭してマリン嬢をお守りする。その訓練も教育も受けている。しかし、それはマリン嬢に対する忠誠心ではなく、王家に対する忠誠心だ。
 殿下の近くにも俺と数名がいつもいたではありませんか」
 
 彼ら彼女らは代々騎士団に所属する貴族の子女たちで、王族が生まれると上下2学年の子女たちは、特別訓練を受ける。そして、優秀な者が王子と王子の婚約者の護衛となる。

 優秀とはいえ子供だ。彼ら彼女らは一度だけ使えるという守り玉を持たされる。これは王宮のある部屋へ転移できる魔法具だ。転移魔法は大変貴重で、この国でも二人しかできず、その者が誰であるかは国王陛下と魔法師団長しか知らない。転移魔法そのものの存在すらあまり知られていない。

 その転移魔法を一度だけできる魔法具は、魔石の純度や研磨方法など秘匿も多い上に一人しか転移させられない。
 賊に襲われ不利な状況になった場合、対象者を転移させ、自分はその場に残るのだ。まさに命を賭して守ることになる。

 先程、サイドリウスから離れた男子生徒たちを、サイドリウスたちはサイドリウスの太鼓持ちだと思っていた。サイドリウスは後ろを振り向いた後、前方に数名の顔見知りを見つけた。そして、後ろに誰もいないことに不安を覚えた。

「だから、マリン嬢についての報告が虚偽であることはない。なぜなら、その報告は騎士団団長を通して国王陛下へ届くものだからだ。彼女たちもそれを承知して報告している。
それを疑うということは王立騎士団を疑うということだ。疑うのなら敵にするということだろう」

「わ、わかった。それについては、あ、謝る! すまなかった」

 キリナートが視線を送ると居並んでいた者たちはすっと解散した。サイドリウスの後ろにも二人の男子生徒が戻った。サイドリウスは安堵のため息をついた。

「サイラス、この発言についても国王陛下へ報告する。王立騎士団に関する内容の再教育を受けることになるだろう」

「わ、わかった」

 サイドリウスとマリンには護衛兼監視役について教育させられたはずだ。マリンはもちろん把握しており、下位貴族令嬢であろうと脇に置いた。何も知らずに、彼女たちを罵る者もいたが『護衛である』ときちんと説明していた。

 キリナートがわかりやすいほどの大きなため息をついた。サイドリウスはそれを咎めることも笑うこともできずに、ただ汗を拭い目元を隠して、キリナートを見ないようにしていた。
 
 キリナートは再び続けた。

「そして、バニラ嬢」

 サイドリウスに縋るバニラの手に力が入ったが、サイドリウスがキリナートを見ることはなかった。

「貴方がそこの4人とそれぞれ口づけしていたことまでは、俺の肉眼で把握している。そして、それぞれと密室へ入って行ったこともね。密室の中までは見ることはできないから、何があったかは想像するしかないけどね」

 4人は真っ青になってそれぞれの顔を見た。キリナートの後ろにいたバルザリドが「プッ」と吹き出した。

「フッ、4人の顔を見れば何をしていたかはわかるね」

 さすがのキリナートも4人の間抜け顔に、笑いを耐えられなかった。

「おい4人とも、その舞台の高見からよく会場を見てみるといい。お前たちと同じ顔をしている者が十数名いるだろう」

 4人はバニラからそっと離れ、会場内では4人と同じような顔色をしている男どもが周りに遠巻きにされはじめていた。
 
「そ、そんなのウソよ! サイラス、助けて」

 バニラがサイドリウスに手を伸ばすが躱される。バニラは膝から崩れた。そして、舞台下へ首を動かした。

「キリ……どうして私を裏切るの……?私を大切にしてくれたじゃない……」

 バニラが涙を溜めて訴える。キリナートは呆れて口を開けたくなった。キリナートの代わりにバルザリドがパカンと大きく口を開けた。

「俺の何がそうやって誤解させたのか全くわからないよ」

 キリナートは呆れているという手のパフォーマンスも付けて、首を左右に振った。

「先程、サイラスにも言ったはずだ。俺はサイラスの護衛だ。だからサイラスの側にいた。
そして、サイラスを守るための手段を講じた」

 バニラは何かされていたのかもしれないと、周りをキョロキョロと見回した。あながちそれは間違いではない。

 サイラスを守るための手段とは学園内に『目』を置くことだ。『目』とは、騎士団の一部であり、その場に溶け込んで情報を掴む者たちだ。生徒ではない生徒らしき者たちがいたことに誰も気がついていなかった。もちろん、それが仕事なのだ。

 『目』を使って得た情報で何度もサイドリウスに注意喚起した。キリナートの言葉を『嫉妬』と誤解したサイドリウスは聞く耳を持たなかった。なので、『目』には、サイドリウスの命に関わらないなら、関与しなくていいと指示をした。

 何も気付けないバニラは立膝になって、前で手を組みお祈りのような姿勢をとった。

「貴方は私を独り占めしたかっただけでしょう?わかったわ。私、貴方のものになるわ。それでサイラスたちも赦してあげて」

 涙ながらに訴える姿はまるで自己犠牲のようだ。しかし、内容が生々しくて、淑女見習い―主に下位貴族令嬢―たちは眉間に皺を寄せた。淑女―主に高位貴族令嬢―たちは平然とした顔で、心の中で『売女』と罵った。

 バニラの言葉に、キリナートさえも口を開けずにいられなかった。
 それを嬉しさのあまりに呆けているとバニラは勘違いした。

「キリは騎士様だからあまり愛情を見せてくれないでしょう。だから、とってももどかしいの。でも、キリの気持ちはわかっているから、私、それくらいは我慢するわ」

 バニラが手を胸の前で組んでキリナートに向けてモジモジし始めた。
 キリナートはこれでもかというほどの勢いで目をしばたかせていた。

『コホン』

 バルザリドがキリナートを引き戻す。キリナートは慌てて元に戻った。

「イヤイヤ、俺の何を見たらそう誤解できるのか、全くもってわからないっ!」

 キリナートのこの台詞はすでに何度目かわからない。キリナートは本気なので、目をしばたかせる勢いはそのままだ。

「え??」

 バニラは手は前のまま、小首を傾げた。チョコ色の髪がサラリと流れ、チェリー色の口唇が真ん中に寄り小さく空きふっくらとする。今までなら可愛らしく見えたかもしれないその仕草も、会場では、騙される男子生徒は一人もいなくなっていた。それどころか、まだそのように振る舞うバニラに男子生徒でさえ、ゲンナリしていた。
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