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バターの微笑み
05 ー 港街
しおりを挟むフレデリクに専属の料理人になれと言われたが、きっと冗談だろう。誠はアレクセイに背後からぎゅうぎゅうと抱きしめられた状態で、王都に帰還するフレデリクとローゼスを見送っていた。
転移の魔法陣は、この別館の奥の部屋にあったようだ。あまり邸内を探らないようにしていたので知らなかったのだが、やはり来る時も帰る時もいきなりなんだなと、誠は彼らに手を振りながら思っていた。
「もう用事は無いよな?」
レビ達も退室し、二人きりになった途端、いきなり耳元で甘い声が響いて誠は固まってしまった。原因である男はまだ誠に抱きついたまま、くつくつと笑っている。
「俺の奥さん、デートに行きませんか?」
「いや、俺まだ奥さんじゃないし」
考えないようにしていたが、やはり自分の役割は奥さん側になるのだろうか。
誠は体をずらし、アレクセイを見上げた。斜め下から見ても、端正な顔立ちをしているし、体格も立派だ。さすがにこんな大男を抱きたいとは思わない。
けれど、あの満月の夜に見たこの男のモノは、大層ご立派なものだった。それが自分の中に入ると思うと、この年齢になっても怖いものは怖い。
誠がじっと見ているのを不思議に思ったのか、アレクセイは誠の頭にキスを落とした。
「どうした?」
「いや…俺が奥さんなのかなって」
「…本当は話し合いで決めるべきなんだろうが、俺は君を抱きたいと思っている」
「なっ…!」
朝からする話ではない。けれど狼の目は一瞬のうちに捕食者のそれに変わっていた。
「残念だが、ヴォルク家は古い家でな…先祖の墓にツガイ報告を行わなければ、初夜を迎えられないんだ」
「初夜…」
その生々しい言葉に誠は眩暈を覚えた。下ネタはそこそこ好きだし、酒が入るとそんな話もするが、それが自分とアレクセイのことだと自覚すると、脳が沸騰しそうだ。
自分はそこまで純粋ではないはずなのに、前も後ろも未経験だとこんな思考になるのだろうか。
誠がアレクセイの腕から抜け出そうともがいていると、急に抱きしめる腕の力を強められ、動きを封じられてしまった。
「すまん、マコト。そこで動かれると…」
アレクセイはそう言って自ら少し離れ、片手で顔を覆っている。指の隙間から見える顔は、赤く染まっていた。
その理由が分かっているだけに、誠は何も言えなかった。
ようやく治ったのか、アレクセイは呼吸を整えていた。
「…行こうか」
「うん。何か、ゴメンな」
外に出て、港を目指すことにした。新鮮な魚介類を入手するためだ。アレクセイはまだ気まずいのか、無言のまま誠の手をしっかりと繋いでいた。
誠としても少し気まずいが、アレクセイがツガイ報告の話をしていたので遠野のことも言っておかなければと思っていた。
「なあ、アレクセイ。ツガイ報告ってさあ、一応、遠野の方にもしなきゃなんだけど」
「そうだな。しかし…俺はどうやって君の世界に行けば良いんだ?」
「それなんだよな。俺をこっちに送ってくれた神様が居るから、聞いてみるよ」
「頼む。俺もきちんと、君のご両親に報告がしたいんだ。あと、ボタン殿とスワ殿にもな」
「諏訪さんなぁ…そこが一番の問題だけど」
話しているうちに、港に隣接されている直売所に着いてしまった。どうやらこの通りが領でも有名で人気のある場所らしく、いつでも住民や冒険者で溢れているそうだ。
「ここは俺が出そう」
「え、マジで?でも、結構買うよ?自分の分もだけど、移動中の皆のご飯の分も買いたいし」
誠は預かっている食費用の財布を出したが、その手は財布ごとアレクセイに包まれてしまった。
「今回、イレギュラーなことがあっただろう。レビ達への詫びと労いの分と、あとは兄上から俺たちへの祝金を貰ったんだ。これで何か、君に美味い物を買ってやれと言われたんだ」
「そーなの?」
「ああ。多分その金の一部で、ローゼスに何か作ってくれというのもあるだろうが。だから、気にしなくて良い」
美男美女を侍らせていても何ら違和感の無いフレデリクの愛妻家っぷりは、ここでも健在だった。本人が目の前に居ないのに惚気を聞かされた気分になった誠は、遠慮無くその祝金を使わせて貰うことにした。
片っ端から新鮮な魚介類を買い込んでいく。ここは買い物籠の代わりに木桶や麻袋が使われているようで、どの店でも片隅には木桶が置かれていた。勿論、別売りだ。
貝やエビはバッグの中でバラバラになりそうだから麻袋は必要だが、魚は鱗と内臓だけ取り除いてもらってそのまま収納する。匂い映りを気にしなくて良いというのは、素晴らしいシステムだ。
「…まだ買うのか?」
「買うよー!…もしかして、買い過ぎた?」
「いや。全て買い占めても釣りがくる…が、そんなに魚料理の種類があるのかと思ってな」
一時的な荷物持ちをかって出てくれたアレクセイは、誠が次から次へとバッグへ戦利品を収納していくのに、少々面食らっているようだ。
誠はにんまりと笑いながら、大きな鰤の尾を持ってアレクセイに見せた。
「フッ…魚はパイ包や塩焼きだけではないのだよ、アレクセイ君」
「な…何だと…!?」
誠の作ったキャラに合わせて驚いてくれたアレクセイの、意外にお茶目な一面を見た誠は思わず笑ってしまう。そして、今晩作ってやるよと約束をした。
その後、イカとタコも買い、海藻がとんでもない安値で売られていたのでそれも買い占める勢いで買ってしまった誠は、ホクホクとした気分で別館に戻ってきたのだった。
だが、厨房の作業台に戦利品の一部を並べたところで、重要なことに気が付いてしまう。
「…市場デートじゃなくて、ただの買い物じゃん」
崩れ落ちた誠を救ったのは、アレクセイだった。
アレクセイは誠を優しく抱き寄せ、頬にキスを落とす。
「俺はそれで、楽しそうな君が見れたんだ。今回はそれで良いんじゃないか?」
そう言われて顔を上げると、アレクセイは微笑んでいた。一世を風靡した貴公子よりも貴公子に見える。…いや、アレクセイは公爵の者だから、本当に貴公子だ。
こんな失態を犯したのに笑って流せるアレクセイは、きっと誠がいきなり腹を殴っても怒らないだろう。そんな予感がする。
「別に怒っても良いんだけど」
「なぜだ?一緒に出かける時間が持てた。それだけで幸せだぞ?」
「…ん」
今までも自分に甘かったのに、アレクセイは更に甘くなった気がする。
考えたら負けだと、誠は素直にその言葉に甘えることにした。
気を取り直し、朝から仕込んでいた生地を作業台の真ん中に持って来る。台にバンバンと打ち付けていたアレだ。
「パンか?」
生地を包んでいるラップを不思議そうに突いているアレクセイが誠に聞いた。
「パン…の親戚?昼食は、これで美味いもん作るんだ」
ガス抜きを終えた生地を再び丸めて、濡れ布巾をかけて放置する。その間にスープ。そして口直しも兼ねた、大根と海藻のサラダを作る予定だ。何か手伝おうかと言ってくれたアレクセイには、メインを手伝ってもらうことにして、誠はそれらサイドメニューに取り掛かった。
二次発酵が終わった生地を綿棒で平たい円に伸ばす。次々に積み上がっていく生地を見ながら、アレクセイは「器用だな」と感心していた。
「まぁ、これも店のメニューにあるからね」
決め手になるソースは、兄が作って持たせてくれたものだ。バッグからそのソースが入ったボウルを取り出すと、誠はアレクセイに小さなレードルを渡した。
「じゃあ、手伝って」
ニッコリと笑顔付きで言うと、アレクセイの尾はゆらゆらと揺れていた。
「飯だぞー!」と叫ばなくても、レビ達はテーブルにきちんと座っていた。
テーブルに洗浄魔法をかけるのをドナルドに頼むと、誠はワゴンを押して配膳をした。
「チーズの良い匂いがする!」
テーブルの真ん中には、大皿が二枚。二種類の味にしているが、どこからでも取りやすいようにハーフアンドハーフにしてある。
「今日のメインは、ピザでーす!」
言いながら、誠はピザカッターで切れ目を入れ始めた。
ピザに使われる平パンは古くからあったが、現在のピザの原型に近付いたのは十六世紀頃。その後、バジル、小魚などをトッピングするような、具材を乗せる現在のスタイルに進化した。
そしてスペイン人がインカからトマトを持ち帰り、十六世紀後半から十七世紀には現在のピザのスタイルになる。イタリア南部のナポリで、トマトの栽培が始まり、水牛の乳を加工したモッツァレラチーズが発明されたからだ。これを具材にしたピザがナポリの街で広がったのだが、やはりと言うか、この国では平パンはあってもピザはまだ無いようだ。
誠の説明を聞きつつ、見様見真似で各自は取り皿にピザを乗せた。アレクセイとルイージはナイフとフォークを持とうとしたが、誠はピザは上品に食べるよりも手掴みの方が良いと説き伏せた。
用意したのは、買ったばかりのシーフード。そして定番の照り焼きチキンとコーン。コーンは缶詰の物を使用したが、その仕組みにアレクセイが興味を持っていたのは言うまでも無いだろう。
「う………めぇぇぇぇ!」
「…羊が居るな」
オスカーのツッコミを他所に、レビはチキンの方のピザを頬張っている。ここでも好みが別れ、シーフードから先に食べているのは誠とルイージだけだった。
「照り焼きチキン、もっと作れば良かったかな」
「両方美味いぞ」
もう二枚目を食べているアレクセイが持っているのは、シーフードの方だ。誠はほっとしながら追加を焼くために厨房に向かった。
戻ってきた誠がワゴンから出したのは、追加のピザは勿論だが、おまけがあった。
「ジャーン!ピザと言ったらビールだろ」
効果音付きでビール瓶を出したのだが、アレクセイ達の反応は薄い。
「…あれ?」
「マコト、そのビールとやらは…もしかして、エールのことか?」
「あ…そうそう。こっちではエールって言うのか」
そこは統一しておけよと内心でルシリューリクに文句を言いつつ、誠は皆にグラスを回す。緑の瓶に赤い星が特徴のビールは、日本でも人気があるし、誠も好きな銘柄だ。
「…冷たいな」
注いでもらったビールを前に、アレクセイが言う。
「ビールは冷やした方が美味いんだよ。こっちは?」
「常温だ」
「アレクセイはこれから、冷たいエールが飲みたい放題だな」
そう言って笑うと、アレクセイは一斉にレビ達の視線を集めた。誠が美味いと言うなら美味い。それが彼らの中では不文律になっている。
「…戻っても、毎回はしないぞ」
苦虫を噛んだ表情になったアレクセイが言うと、レビ達は喜び、それを見た誠は腹を抱えて笑っていた。
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