神様の料理番

柊 ハルト

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レモンの憂愁

06 ー 冬将軍と銀狼

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 境界の長い暗闇を抜けると、そこは雪国だった。夜の底が白く…なっていないが、アレクセイの影目指して抜け出ると、一気に季節が進んでいた。そして夜の底ではなく、地面が白くなっていた。
 元はまばらに木が生えた草原だろうと予測ができるが、それだけだ。

「…何、どしたの?」

 誠は呆然としながらアレクセイの隣に並んで美しい顔を見上げる。
 底冷えのするアイスブルーは、誠を捕らえるとキラリと煌めく。薄い唇が弧を描いたと思ったら、急に抱きしめられてしまった。

「ちょっ、アレクセイ?」
「無事に戻って来てくれて良かった」
「そりゃ戻るよ。約束したし…つーかその前に、こっちで何があったのか説明して欲しいんだけど…」

 誠は何とか首を回して周囲を確認した。どこの豪雪地帯だと言いたい程に、雪が降り積もっている。アレクセイの周りだけがぽっかりと穴が空いたようになっているが、積雪は誠の膝上の高さもあった。新雪のようなので、これは歩くと確実に足を取られてしまうだろう。
 自分が離れていたのは、二時間にも満たないはずだ。その間に急に天候が変わり、こんなにも雪が降ったとは考えられない。
 だとすると。
 誠は原因だろう人物の額を、ペチリと叩いてやった。
 面食らったアレクセイは何度か瞬きをすると、気まずそうな表情を浮かべた。その仕草が、実家の近所の犬が悪戯がバレた時にする仕草と同じで、少し笑ってしまう。けれどアレクセイは犬ではない。言葉を交わすことのできる獣人だ。
 腕の中から抜け出すと、誠は再度説明しろとアレクセイを睨みつけた。

「実は…」

 アレクセイは困ったように眉を顰めながらぽつりぽつりと話し始めた。
 どうやら誠がフレデリクの元に向かってから少し経った頃、肉の調達にと狩りに出向いていたレビとルイージが村の外れで魔獣の群れを発見したそうだ。その数からまた亜種の出現かと皆で駆けつけると、亜種は一頭だではなく二頭だった。
 誠が居ない状況下で二頭の亜種の相手をするのは厳しいと悟ったアレクセイは、何とか一頭だけでも足止めをして、その間にもう一頭を倒そうとしたらしい。

「…で、魔力が暴走したとか?」

 そこまで聞いた誠がそう聞くと、アレクセイは首を横に振った。

「それは大丈夫だ。だが、なぜか鏡があってな」
「鏡?」
「ああ。それに氷魔法が反射された。それを防ごうととっさに魔法を使ったおかげで、このザマだ」

 魔法は簡単に鏡で反射できるものなのだろうか。メドゥーサを倒す際に鏡のような盾で石化能力のある目を防いだという神話があるが、あれは神話であって現実ではない。
 威力のある氷魔法と氷魔法がぶつかったために、一帯がゲレンデになってしまったそうだ。月に照らされた銀世界は、いっそ別世界のようにも見えた。

「…疲れとかは無いの?」
「ああ、大丈夫だ。何ともない」
「それなら良いんだけど…」

 どうやら魔力切れにはなっていないらしい。レビ達の無事も確認すると、誠は安堵の溜息を吐いた。

「それにしても、鏡…ねぇ」
「…普通の鏡なら、魔法を反射する前に壊れてしまうのだがな」

 何やら嫌な気配がするので、鏡は放置しているままだという。それが正解だと誠は頷いた。

「そんで、その鏡ってどこにあんの?」
「それなら、少し奥に大きな木があるだろう。その根本だ」

 アレクセイが指差した先には、大きな木があった。日本なら御神木として祀られていてもおかしくない大きさだが、今は雪化粧のせいで巨大なクリスマスツリーに見えなくもない。
 誠は鏡を見に行きたくなったが、少し考えて九尾の狐の姿をとった。

「マコト!?」
「ちょっと見るだけだから」

 狐の姿になっても足はかなり埋まってしまう。けれど人間の時よりは歩きやすいので、風の力で雪をかき分けながら進んで行った。
 巨木の周辺は雪が薄く、問題の鏡は半ば埋もれるようにその存在を表していた。その鏡は楕円形で細かな金縁の装飾がなされているが、鏡面部分はひび割れている。

「うーん…」

 アレクセイの言う通り、何やら嫌な気配がする。セーヴィルの港街で上がった魔剣や魔素溜まりよりはマシだが、近付くと背中の毛が逆立ってくるのだ。
 これはどう見ても、瘴気だった。しかもうっすらと鏡を覆っている。
 誠は細く長い息を鏡に向かって吹いた。すると瘴気が霧散していったのだが、すぐにまた鏡面から滲み出た瘴気が鏡を覆ってしまう。これでは何度繰り返しても堂々巡りだろう。誠はペロリと鼻を舐めると、諦めて厚めに結界を張るだけに留めた。
 さて、アレクセイの元に戻ろうと踵を返すと、獣身になったレビ達が戻ってくる途中だった。遠目で見る限りでは、アレクセイが言った通り怪我はなさそうだ。しかし彼らの先頭は人型のまま風魔法で除雪作業を行うオスカーなのだが、その後ろが問題だった。

「…多くね?」

 レビとルイージの背中には大型の魔獣が乗っている。ドナルドも同じだが、左右にはドナルドよりも大きな獣が寄り添うように歩いている。それでは歩き辛いだろうと思っていると、彼らが近付くにつれてその正体がはっきりとしてきた。

「え?」

 獣身をとった知り合いの獣人に挟まれていたのかと思っていたが、それはドナルドに括り付けられていた魔獣だった。

「何やってんだ?」

 訝しがりながら先にアレクセイの元に行くと、誠は人型になった。

「どうだった?」

 ずっと誠の動向を見ていたアレクセイ、は誠の腰を抱きながら聞いた。背後から熱い視線を感じていたのだが、やはりアレクセイは心配していたようだ。

「見た目は普通の鏡だったけど、鏡面のひび割れから瘴気が少し漏れてた。とりあえず結界を張ってきたけど…セーヴィルの時みたいに司祭を呼んで封印した方が良いかも?」
「…そうか。しかし、妙な話だな」
「妙って?」
「今まで物に瘴気が帯びるという話は聞いたことがないんだ。セーヴィルの魔剣が初めてだな。そして二例目が…」
「今回?」
「ああ。…何か起こる前兆なのか、今まで俺らが知らなかっただけか」

 アレクセイは今考えられる事例を述べたが、誠は前兆という言葉がなぜか心に引っかかっていた。
 天候や大地に大きな異変が起こる時には、必ず前兆が起こる。前夜が月暈だったら翌日は雨だとか、積乱雲が出てくるとすぐに雨が降るだとか、ちょっとしたことでもサインが出るものだ。
 考え過ぎならそれで良いが、備えておいた方が良いかもしれない。けれど前例が無いことには、これから何が起こるのかも分からない。
 誠はアレクセイを見上げた。

「…なぁ」
「ん?」
「この近くの村や国に、言い伝えってある?童話とかでも良いんだけど。あと、村とか草原の名前って、昔と同じ?」

 地名や伝承には、れっきとした由来がある場合が多い。
 アレクセイは前例が無いと言ったが、それはアレクセイや親世代が知らないだけかもしれないし、歴史の中で忘れ去られているだけかもしれない。
 だから何か手がかりを掴めるとしたら地名や伝承からなのだが、それを聞く前にレビ達が到着した。

「マコト、無事に戻ってたか」
「うん。…あのさぁ、さっきから思ってたけど、マジックバッグは?」

 ドサドサと背中の獲物を落としたレビ達は、誠の姿を確認するとゆらゆらと尾を揺らした。ドナルドだけはロープを使って魔獣を体に縛り付けているので、オスカーにロープを解いてもらっている最中だ。

「マジックバッグに入りきらなかったんですよ。あと一往復しないと無理でしょうね」

 人型に戻ったルイージは内ポケットから巾着タイプのマジックバッグを取り出してアレクセイに渡した。

「一つでは足りなかったか」
「はい。僕達が目視できたよりも居たようです。かなり奥の方まで雪が積もっていたので、群以外の魔獣も巻き込まれたんでしょうね」
「そうか。すまんがもうひと働き頼むぞ」

 アレクセイは巾着をコートのポケットにしまうと、自身も獣身になった。

「マコト、俺も魔獣の回収に行くが、君は先に休んでいるか?」
「いや、俺も行くよ。人手が多い方が早く終わるだろ」
「助かる。ありがとう」

 ゆるゆると尾を振りながらマズルを頬に擦り寄せてくるアレクセイに誠はよろけそうになる。そのまま後ろに倒れるのは回避できたが、誠は抗議をするように鼻筋をぽんぽんと叩いてやった。
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