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第1章 烏賊墨色の記憶 セピアカラー ノ キヲク
其ノ壱~六 「テトラパックとの再会」
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「烏賊墨色の記憶」 セピアカラーノキヲク
はじめに
この物語は、昭和40年代当時、小学生であった作者の曖昧な記憶に基づいておりますので、思い込み、偏見、間違い等も多々あるかと思いますが、何卒ご了承のほどを…
○其ノ壱 「テトラパックとの再会」
昭和40年代当時、牛乳やコーヒー牛乳などの入れ物は、殆(ほとん)どビンかテトラパックのいずれかであり、駅の売店(キオスクと言わずにあえて売店(ばいてん)と呼ばせてもらう)や銭湯出入口付近に置いてあった冷蔵ケースに所狭しと並んでいた。
そのポピュラーな光景の主人公は、常に子供たちの羨望の的であった。たまに自宅の風呂が壊れたときに銭湯に連れて行ってもらい、富士山のタイル画をバックに湯船で水泳ならずも湯泳を満喫したついでに享ける恩恵そのものであった。
子供心に毎日風呂釜が壊れればいいなと思ったものだが、番台が女の人だととても恥ずかしかったのを記憶している。
テトラパックを現在の子供たちのために説明すると、正四面体(三角錐)紙製パックの一面の頂点に近い部分に切手を一回り小さくしたような色違いのシールが貼ってあり、その貼り紙をはがし空いている飲み口穴に先が切れ込んだストローを挿し込んで、内容物の液体を吸引するものである。
この容器の飲み方にはタブー(禁断)があった。間違ってもパックを押したり、強く握ったりしてはいけない。中身の液体が飛び出してしまうのである。
しかし、穴が不完全な場合が多く、なかなかストローが入らないため、ついつい力が入ってしまい、悲惨な結果に終わる小学生が多発した。現在のブリックパックの比ではない、子供の手に余るシロモノであった。
そして、飲み終わったテトラは、必ず足で思いっきり踏みつぶして破裂音を周囲に響かせ、自分の存在をアピールする。店の中ではやらないが、アスファルトの上や店先のコンクリート上では日常茶飯事、そんな子供がいっぱいであった。
しかし、「人生、山あり谷あり」いつも成功するとは限らない。たまに飲み残しがあるテトラを踏んで、靴下をコーヒー色に染める奴もいっぱいいたっけ…。
ようやく飲み方をマスターした時分に店頭から姿を消していった愛しいテトラパックに再会できたのは、それから数年経(た)った学校給食の時間であった。それを一目見たとき、懐かしさと嬉しさが思わず胸までこみ上げてきた。
スカイブルーの地に赤色の文字で書かれた「ヨーク」のロゴ、学校給食用130ml(市販容器の2倍)の中身より、その形、カ・タ・チに執着があったのだ。
懐かしさにほだされて飲み過ぎたツケ、女子(じょし)に頂いた2本を含めた3本(市販品6本分に相当)は、気分が悪くなり、不名誉にも午後の体育授業を見学したことであった。大好物の五目ごはんをお代わりしたことが、さらに拍車をかけたのは言うまでもない。
あの頃、現在もそうかもしれない?学校給食の人気メニューの一つであった「ヨーク」と「五目ごはん」が、何故か付け合せのように供されていたのが印象的だった。
「嗚呼 懐かしき哉、愛しのテトラパックよ!」
* セピア・カラー:烏賊(いか)の墨からとった褐色かかった黒色の顔料、烏賊のギリシャ語セピアやを語源とする。
古びた写真や映像が遠い昔の記憶を思い起こさせることから、本拙著のタイトルとした。
* 富士山のタイル画:古代ローマのモザイクのような富士山がどこの銭湯の壁面にタイルで
描かれており、狭い(家庭風呂に比べれば遥(はる)かに大きいが…)浴室内で温泉旅館の展望風呂を擬似体験できるものにしていた。
映画「テルマエロマエ」に先駆けること、40年
* テトラ:ギリシャ語の4を表すテトラから名付けられた。消波ブロックのテトラポッド(脚
が四つあることから)など。
エピソード:学校の先生にテトラは数字の何だ?と質問されたので、テトラパックの三角
形を思い出し、自信満々で3と答えたら見事不正解であった。
時代背景
昭和45、6年当時、名古屋からJR(当時は国鉄)で30分くらいの片田舎のお風呂事情は、ほとんどの家庭がガスや石油ボイラー給湯等ではなく、薪等の燃焼による湯沸し方式であった。
薪などの高価なものは稀で、当家では解体家屋の廃材、近所の材木屋の端切れや木切れが常であり、着火にはどこの家庭でも古びた新聞紙とうちわを使っていた。
これらの燃焼剤を焚き物(たきもん:名古屋弁)と呼び、時代の移り変わりとともに薪商からプロパンガスやオガライト(オガクズを重油で固めた燃焼剤)を扱うようになった小生の友人の家業も焚き物屋が通り名であった。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でも、屋号や職業が、代名詞であるように...
○其ノ弐 「カラーテレビがやって来た日」
昔、テレビ画面のすみに「カラー」とテロップ表示されていたのを覚えていませんか?
そして、新聞の番組欄にも「カラー放送」とわざわざ謳(うた)ってあったことも。
この当時、ほとんどの家庭が白黒テレビであった時代にこの表示なしには、カラー放映と白黒は区別も想像もつかなかった。ましてやカラーテレビの購入などという大それた話は、大卒公務員の初任給の十倍以上という現実から夢物語でしかなかった。
しかし、それを現実のものとするべく事態が起こったのだ。
家の周りを田んぼに囲まれ、蛙の泣き声で夜眠れなかった頃のある日、それはやって来た。
ダイハツ・ミゼット(当時、八百屋さん定番の三輪自動車)の荷台の輿(こし)に乗せられ、新品の段ボールに入った文字通りの箱入り娘は、田んぼ脇の農道をゆっくりと進んだ。
遠目から到着を今か今か待ちわびる人たちに祝福される様は、嫁入り道中さながらであった。
かくも丁重に我が家の応接間に招き入れられた花嫁をとりまく老若男女は、電気店主の懇切丁寧な説明も話半分で上の空、カラー・テレヴィジョンの電源入力のみが関心事であり、今や遅しと気をもんでいた。
かくしてスイッチは入れられたが、なかなか画面の映像が出てこない。
非常にじれったいが、昔のテレビはそうであった。番組の開始とともに電源を入れてもオープニング主題歌の終わりの辺りでしか、まともな映像が出なかったのである。
そうこうしているうちにテレビがついた。
「おおっ!」
と歓声が沸く。皆の視線が一点に注がれる。
しかし、子供には、大人の頭しか見えない…。
モノトーンな山水画の世界から総天然色(カラー)への劇的な変化は、当時の人間にとってはカルチャーショックであった。
これまで「白黒歌合戦」であった「紅白歌合戦」も、
「今年の大晦日からは、紅白で観られる!」
と、誰かがそっとつぶやいた。
* ダイハツ・ミゼット
現在の軽自動車を一回り小さくしたような三輪トラック(前のタイヤが1輪)で、新幹線「ひかり号」の10系(一番最初の型、現在)に似た愛らしいフロントマスクがとても
可愛く、今でも根強いファンがいる。
八百屋さんなどの小売店が、荷台側面に店名を入れていた。外に出れば必ず1台は目にするほど、よく使われていた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダイハツ・ミゼット
* モノトーン
単調、一本調子なこと。白黒画を表すモノクロームという表現を敢えて今回は避けた。
時代背景
カラーテレビは、昭和40年代当時の庶民にとって高嶺の花であった。
時代の物価を計る物差しとしてよく使われる大学卒の公務員の初任給の何十倍もしていたのである。新しい物好きの祖父が色々なものを我慢した挙句、大枚はたいて購入したのを後から聞いた。
昔のテレビには脚が4本ついており、ガタイの割りにブラウン管の画面が小さくウグイス色をしており、ご丁寧にフリンジのついたカバーを被っていたのを覚えている。リモコンは当然無い、ダイヤル式だ。余り小生がカラーテレビばかり見ているのに業を煮やした父が、NHKにチャンネルを固定したままダイヤルを外してしまった。
しかし、それも半日もたなかった。何と大人が先に総天然色の誘惑に負けたのである。
○其ノ参 「アクシデント」
物事にアクシデントは付き物だが、学生の本分である勉強の成果を発揮するテストの場でのトラブルほど始末に負えない物はない。
悲劇のプロローグは、答案用紙が配られた瞬間から始まった。ガリ版(ばん)刷(ず)りのインクの臭いがまだ残るわら半紙の右肩辺りに、先生が「ぺろっ」とやった痕跡が…。それは、前の席に行けば行くほどみずみずしく鮮明だった。
先生から書き忘れると、
「0点だ!」
とテストのたびに呪文のように言い聞かされているので、自分の名前を書くことをイの一番に取り掛かるのだが、小生の苗字はやたら画数が多くて難しい。勢い余ってマスからはみ出したので、急いで消していると紙が大きく破れた。
「しまった!」
当時の消しゴム(少々臭う)葉、生ゴムの塊の様な物だったので、やたらグリップがよくて紙に引っかかり、質が悪く脆弱なわら半紙はひとたまりも無かった。破れた答案用紙のシワを丁寧に伸ばしながらも何とか名前を書き、やっと問題に取り掛かる。これだけでも数十秒のハンデだ、平仮名を書けば事足りるのだが、それは小学生のプライドが許さない。
ところが、「なまえ」という欄に氏名ではなく、本当に苗字(姓)を除いた名だけを書いていた兵(つわもの)もいたのだ。簡単で書き易い名前の同級生は、生まれながらにしての恩恵だと強く思った。
前半の遅れを取り戻そうと快調に鉛筆を走らせていると、突然、芯が折れた。他の鉛筆とすぐに交換するのだが、これも外見とは裏腹に中で芯が折れていて使えない。隣の子に借りようにもカンニングと間違えられたら大変だ。
「どうしよう?」
苦肉の策で、折れた鉛筆の芯を指でつまんで書くのだが、これが細くて短いものだから力が入らない。そうこうしていると、先生に見つかって、
「お前、何をやっとるんだ?」
と名古屋弁で聞かれるので、しぶしぶ事情を説明すると、見るに見かねた先生が鉛筆を貸してくれた。その姿は、まるで後光がさしているかのように見えた。
さっそく気を取り直して、得意の漢字問題にとりかかった。すると、鉛筆がいきなり紙を破って地盤沈下の如く机にめり込むのである。
腹立ちながら答案用紙をめくって机を見ると小さな穴が開いていた。どうやら放課中に消しゴムのボールと鉛筆のクラブでやるゴルフのカップにはまったらしい。机上が平坦な舗装道路でなかった昔に下敷きは、必需品であったのである。
紆余曲折、悪戦苦闘しながらも何とか無事にテストは終わった。しかし、後ろの席から前に順に送られて回収されている答案用紙の中で、ひときわ小生のものが目立っていた。ところどころ汚れ破れて満身創痍のそれは、激しい戦いの有様を如実に物語っていた。
それでも、得意の漢字がほとんどだったので、出来はいいだろうと思っていたのも束の間、漢字の読みの問題 広い、答え( )いを(ひろい)いと送り仮名まで書いてしまって ×、正解を隣りのマスに書いてこれまた ×
「人生は、ドラマ」
とよく云(い)われるように、
「テストも人生の縮図」
ドラマなのである。
* ガリ版刷り:謄写版(とうしゃばん)刷りのこと。蝋(ろう)引きの原紙を鉄筆などで、細かい穴を空けてそれか
らにじみ出るインクを紙に写す印刷法。
先生自身の手書きによる心のこもったとっても温かい感じがする印刷物
* わら半紙:わらの繊維を使ったベージュ色の粗末な紙。ざら紙
* 満身創痍:体中が傷だらけのこと。
同級生で生傷の絶えない男の子に当時流行った西城秀樹の「傷だらけのローラ」に倣(なら)っ
てローラと呼んでいた。
* 紆余曲折:道が曲がりくねって、スムーズでないこと。
時代背景
当時は、もっとも安価で粗末なわら半紙にガリ版刷りが、学校からの配布物や答案用紙のほとんどであった。
教室の学習机は、未舗装が当たり前で凸凹していた。ところどころに歴代占有者が残した傷痕が生々しく刻まれており、軽量なパイプ机や椅子とは程遠い非常に堅牢かつ重量感のあるものであった。
さらに机や椅子の側面には、保有する小学校名が西部劇に登場する家畜への焼きゴテならぬ焼印がされていた。確か製造元は、刑務所と聞いた。
○其ノ四 「起死回生、3,600秒!」
少年時代は、正に戦国時代であった。遊び場をめぐる覇権争い、年の長幼を基準とする封建制度、権謀術数にまみれた同級生との駆け引き。裏切り、寝返りなんぞは朝飯前。そんな戦乱の世で、アイデンティティー確立のための戦いは、避けて通れないものであった。
しかし、すもうを国技とする国民のDNAのせいか、事の良否と自己の正統性をこれで決着をつけるという風潮が残る、ほのぼのとした時代でもあった。
時と場所を選ばず、至るところで母校の名称を冠したすもう場所が開催される。校庭で、広場で、そろばん塾で・・・。
ルールは簡単、土俵はないが大きく押されたり倒されたりしたら負けだ。
ある日、身の程知らずの小生は遊び場を奪った上級生に、下剋上の一番を挑んだ。両の手のひらにつばを吐きかけ気合を入れた相手は、低く腰を落とし脇のしまった鉄砲の型で思いっ切りぶつかってきた。
寸前のところでぶちかましをかわした小生は、当時流行った「柔道一直線」の受け売りで上級生を投げ飛ばし、みごと領土を奪還した?かのように見えた。
顔中を砂だらけにした彼は、砂まじりのつばを
「ぺっ」
と吐き出し、半べそかきながら叫んだ。
「1時間は、何秒か言ってみろ!」
「知っとるわ、60分だ!」(質問の内容は、ちゃんと秒と聞きとれてはいたが)
「分じゃないわ、何秒だ?」
「だから、1分が60秒で1時間が60分だから…」
当時、小学生の低学年に二桁の九九は至難の技であった。せかされるから余計と頭がこんがらがってしまい、焦って計算に集中できない。
業を煮やした彼は、吐き捨てるように言った。
「1時間は、3,600秒だ。分かったか!」
きっと今日学校で習ったばかりなのだろう?彼の言動には、何の脈絡も無く、江戸の仇を長崎で討たれた思いであったが、少年のプライドを打ち砕くのに十分過ぎるものであった。
取り巻きはすでに四散し、彼とその一団は急に威勢を取り戻した。勝ち誇ったような高らかな笑い声と汚い野次を背中で聞きながら、その場所を離れた小生は、そっとつぶやいた。
「幼兵は泣かず、ただ消え去るのみ」
と…
* 柔道一直線:主人公の桜木健一扮する一条直也と吉沢京子が共演する青春ドラマ。世の中に
一代柔道ブームを巻き起こした。背景に東京オリンピックで、日本のお家芸である柔道の活躍
があったのだろう。
相手が投げられるたびに道場の壁板が割れるので大変だなあと子供心に思ったが、今、考えれば大怪我ではすまない大変なことである。
そして、ライバルの近藤正臣扮する風祭右京が、ピアノの上に飛び乗り、足で「ネコふんじゃった」を弾くのを真剣に試してみようかと思った。
この時代は、まだまだ柔道がメジャーで、空手はマイナーでダーティーなイメージが強かっ
た。空手が市民権を得るのには、後に少年雑誌に劇画で登場し、アニメにもなった。極真空手の創始者 大山倍達の自伝「空手バカ一代」の登場を待つ必要があった。
○其ノ伍 「イントロ」
猫も杓子も空手&カンフーブームの真っただ中だった頃、友人の兄が最近流行りのレコード(ドーナツ盤)を買って来て、自慢のステレオで小生たちに聴かせてくれた。
いきなりベートーベンの交響曲第五番「運命」ような滑り出しに続いて、中華風にアレンジした軽快なメロディーが流れた。
時折り、曲の合間に「アチョー」、「ホチョー」と怪鳥音が入る斬新な音楽で、みんないつの間にか夢中になっていた。
しかし、延々とこれが続き、歌がいつまで経っても始まらないのである。そうこうしているうちに終わってしまい。
「一体、何のどういう曲?」
という皆の問いかけに、友人の兄はカンフーブームの火付け役のブルース・リーが主演する「燃えよドラゴン」という映画の主題歌だと力説してくれた。
彼の名優とカンフー映画とともにイントロが延々と続き、歌の始まらないインストルメンタルという曲のジャンルを初めて知ったのであった。
この映画の敵役で登場するボロと名乗る筋骨隆々の大男(ヤン・スエ)が、当時の人気番組
「Gメン75」に度々登場し、和製ブルース・リーこと、倉田保昭演ずる草野刑事と死闘を交わしたのを覚えているでしょうか?
ドラマのネタが尽きてくると決まって舞台は香港に移り、「香港マフィア」の用心棒(前述、ボロ?)と倉田ドラゴンが闘い、倒されて死んでも死んでもゾンビのようによみがえって登場し、
「俺は、死んだボロ?の兄だっ!」
「弟だっ!」
はたまた
「親戚の者だっ!」
と同一人物が演じていた。
少々マンネリなところがあったが、小生と同世代の人間にとってこの番組のインパクトはとても大きかったのである。
なぜなら、今でも道路を我が物のように横一列に歩く人達を見ると、ついつい「Gメン75」の再来かと思ってしまう。
誰もいない空港の滑走路をしまざき由理の「面影」のエンディング・テーマに乗って歩いて来る姿と妙にダブってしまって…
*Gメン75
人気長寿番組「キィハンター」に続く、刑事ドラマが連続に不作でその後に満を持して登場した人気刑事ドラマ
時代の移り変わりとともに変化しないタイトル名で、何年つづいているかの目安になった。
○其ノ六 「先入観」
今から40年ほど前、毎週日曜日のゴールデンタイムに濃縮発酵乳飲料の某社が協賛し、世界の名作をアニメドラマで紹介する番組がテレビ放映されていた。
皆さんは、「ムーミン」という二足歩行のカバが主人公の物語を覚えているでしょうか?
サウナ風呂と森林浴が有名な北欧の国「フィンランド」が生んだ作家トーべ・ヤンソン原作の
物語。
同名の主人公と恋人のノンノン(フローレン)、おてんばのミー(リトルミー)とおっとりしたミムラ姉さん、スニフにお巡りさんと沢山のキャラクターが登場する中で、
「一体、人間は何人いるのだろうか?」
という素朴な疑問は抱きませんでしたか?
まさか、主人公のムーミンを人間だという人は無いと思いますが…。彼は実はカバではなく、妖精(トロール)だそうです。
「それじゃあ、お巡りさんは?」
足の指とシッポを見てもらえば一目瞭然でしょう。
「そうそう、忘れていたミーとミムラ姉さんは、どこから見ても正真正銘の人間でしょう?」
答えはNO!何と、彼女らは冬眠するのである。ムーミンの最終回を思い出して頂きたい。確か、「来年の春にまた会いましょう」といったくだりがあったはず。
は虫類ならまだしも、数あるほ乳類の中でも冬眠するのは、熊やシマリス、ヤマネなどのごく限られたものだけで、人間に至っては、映画「猿の惑星」の主人公チャールトン・ヘストンくらいのものでしょう。
唯一、冬眠しないキャラで、小生がつい最近まで人間と信じて疑わなかったスナフキンも実は妖精でした。ギターを爪弾きながら「おさぁびし山ぁ~♪」と歌う彼が人間じゃなかったとは…。
それでは話は変わって、同名作劇場の「フランダースの犬」の舞台が、どこの国かご存知でしょうか?大きな風車や木靴が登場するから、皆さんはオランダだと思っているのではないでしょうか?
「それともフランダースと似た名前だからフランス?」
「それじゃあ、主人公がローマの暴君と同じ名前だからイタリア?」
実は、何とフランスとオランダに挟まれており、日本に余り馴染みのない小国ベルギーがあの物語の舞台なのです。わが国を代表する画家「ルーベンス」と紹介されていますよね!
正に「事実は、小説より奇なり」、思いもよらぬ物なのです。
* 「猿の惑星」:‘60年代を代表するSF映画の名作。コールド・スリープした乗組員を乗
せた宇宙船が降り立ったのは、猿が人間の代わりに支配する惑星であった。未来の他の惑星だと信じ切っていた主人公が海岸で見た「自由の女神」に絶望するラストシーンは、子供心にとっても印象的であった。
銃を駆使し、仲間の乗組員にロボトミー外科手術を施すのに、紙ひこうきに驚く猿人達の科学技術レベルのアンバランスさに大きな疑問を持ったのは、小生だけではないでしょうか!
TVの某洋画劇場の日本語吹き替え版で、猿方の主人公のコーネリアス(男の猿人)とジイラ(女の猿人)が、ど田舎の悪ガキみたいに自分のことを「おいら」とさかんに言っていたのが、とても滑稽であった。
続々編の「新 猿の惑星」で現代に連れて来られたコーネリアスの子のチンパンジーが、そのまま成長し、未来のコーネリアスの父親にあたるのを不思議な気持ちで観ていたのを覚えている。
自分の子供が自分の父親という、「卵が先か?鶏が先?」の論議同様の不可解なお話は、後のシュワちゃん主演のSF映画「ターミネーター」のジョン・コナーに続く系譜となる。
* 猿の軍団:日本の円谷プロが同映画シリーズのヒットにあやかって、SFドラマを制作した。
ハリウッドの特殊メイクに比べ、「スペクトルマン」の宇宙猿人ゴリもどきの安い被り物で、「猿の惑星」の二番煎じの廉価版といった感が否めなかった。
あるTV番組の洋画劇場で、映画評論家がハリウッドの同特殊メイクを施してもらい、番組の初めの使用前の状態と最後の使用後の状態の対比にとっても驚いた。
* ロボトミー手術:現在は、禁止されているが、動物の大脳の前頭葉を切除することにより、
人格変化を人為的にもたらす外科的手術。ロボトミーとロボットとは何の関連もない!
* フランダースの犬
イギリスのウィーダによってベルギーのフランダース地方を舞台として書かれ、主人公の孤児ネロと愛犬パトラッシュが登場する悲しい物語。
「苦労すれば、きっといいことがある」、「人生、必ず報われる」という日本的ハッピーエンドな、祖父母両親からの教えを根底から覆す悲しい物語。
幼少時、最終回にネロとパトラッシュが、ルーベンスの2枚の絵の前で天に召されるのを観て、天使に伴われて天に昇るのことがハッピーエンドと勘違いしており、この大きな間違いに気づくのにかなりの年月を要した。
はじめに
この物語は、昭和40年代当時、小学生であった作者の曖昧な記憶に基づいておりますので、思い込み、偏見、間違い等も多々あるかと思いますが、何卒ご了承のほどを…
○其ノ壱 「テトラパックとの再会」
昭和40年代当時、牛乳やコーヒー牛乳などの入れ物は、殆(ほとん)どビンかテトラパックのいずれかであり、駅の売店(キオスクと言わずにあえて売店(ばいてん)と呼ばせてもらう)や銭湯出入口付近に置いてあった冷蔵ケースに所狭しと並んでいた。
そのポピュラーな光景の主人公は、常に子供たちの羨望の的であった。たまに自宅の風呂が壊れたときに銭湯に連れて行ってもらい、富士山のタイル画をバックに湯船で水泳ならずも湯泳を満喫したついでに享ける恩恵そのものであった。
子供心に毎日風呂釜が壊れればいいなと思ったものだが、番台が女の人だととても恥ずかしかったのを記憶している。
テトラパックを現在の子供たちのために説明すると、正四面体(三角錐)紙製パックの一面の頂点に近い部分に切手を一回り小さくしたような色違いのシールが貼ってあり、その貼り紙をはがし空いている飲み口穴に先が切れ込んだストローを挿し込んで、内容物の液体を吸引するものである。
この容器の飲み方にはタブー(禁断)があった。間違ってもパックを押したり、強く握ったりしてはいけない。中身の液体が飛び出してしまうのである。
しかし、穴が不完全な場合が多く、なかなかストローが入らないため、ついつい力が入ってしまい、悲惨な結果に終わる小学生が多発した。現在のブリックパックの比ではない、子供の手に余るシロモノであった。
そして、飲み終わったテトラは、必ず足で思いっきり踏みつぶして破裂音を周囲に響かせ、自分の存在をアピールする。店の中ではやらないが、アスファルトの上や店先のコンクリート上では日常茶飯事、そんな子供がいっぱいであった。
しかし、「人生、山あり谷あり」いつも成功するとは限らない。たまに飲み残しがあるテトラを踏んで、靴下をコーヒー色に染める奴もいっぱいいたっけ…。
ようやく飲み方をマスターした時分に店頭から姿を消していった愛しいテトラパックに再会できたのは、それから数年経(た)った学校給食の時間であった。それを一目見たとき、懐かしさと嬉しさが思わず胸までこみ上げてきた。
スカイブルーの地に赤色の文字で書かれた「ヨーク」のロゴ、学校給食用130ml(市販容器の2倍)の中身より、その形、カ・タ・チに執着があったのだ。
懐かしさにほだされて飲み過ぎたツケ、女子(じょし)に頂いた2本を含めた3本(市販品6本分に相当)は、気分が悪くなり、不名誉にも午後の体育授業を見学したことであった。大好物の五目ごはんをお代わりしたことが、さらに拍車をかけたのは言うまでもない。
あの頃、現在もそうかもしれない?学校給食の人気メニューの一つであった「ヨーク」と「五目ごはん」が、何故か付け合せのように供されていたのが印象的だった。
「嗚呼 懐かしき哉、愛しのテトラパックよ!」
* セピア・カラー:烏賊(いか)の墨からとった褐色かかった黒色の顔料、烏賊のギリシャ語セピアやを語源とする。
古びた写真や映像が遠い昔の記憶を思い起こさせることから、本拙著のタイトルとした。
* 富士山のタイル画:古代ローマのモザイクのような富士山がどこの銭湯の壁面にタイルで
描かれており、狭い(家庭風呂に比べれば遥(はる)かに大きいが…)浴室内で温泉旅館の展望風呂を擬似体験できるものにしていた。
映画「テルマエロマエ」に先駆けること、40年
* テトラ:ギリシャ語の4を表すテトラから名付けられた。消波ブロックのテトラポッド(脚
が四つあることから)など。
エピソード:学校の先生にテトラは数字の何だ?と質問されたので、テトラパックの三角
形を思い出し、自信満々で3と答えたら見事不正解であった。
時代背景
昭和45、6年当時、名古屋からJR(当時は国鉄)で30分くらいの片田舎のお風呂事情は、ほとんどの家庭がガスや石油ボイラー給湯等ではなく、薪等の燃焼による湯沸し方式であった。
薪などの高価なものは稀で、当家では解体家屋の廃材、近所の材木屋の端切れや木切れが常であり、着火にはどこの家庭でも古びた新聞紙とうちわを使っていた。
これらの燃焼剤を焚き物(たきもん:名古屋弁)と呼び、時代の移り変わりとともに薪商からプロパンガスやオガライト(オガクズを重油で固めた燃焼剤)を扱うようになった小生の友人の家業も焚き物屋が通り名であった。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でも、屋号や職業が、代名詞であるように...
○其ノ弐 「カラーテレビがやって来た日」
昔、テレビ画面のすみに「カラー」とテロップ表示されていたのを覚えていませんか?
そして、新聞の番組欄にも「カラー放送」とわざわざ謳(うた)ってあったことも。
この当時、ほとんどの家庭が白黒テレビであった時代にこの表示なしには、カラー放映と白黒は区別も想像もつかなかった。ましてやカラーテレビの購入などという大それた話は、大卒公務員の初任給の十倍以上という現実から夢物語でしかなかった。
しかし、それを現実のものとするべく事態が起こったのだ。
家の周りを田んぼに囲まれ、蛙の泣き声で夜眠れなかった頃のある日、それはやって来た。
ダイハツ・ミゼット(当時、八百屋さん定番の三輪自動車)の荷台の輿(こし)に乗せられ、新品の段ボールに入った文字通りの箱入り娘は、田んぼ脇の農道をゆっくりと進んだ。
遠目から到着を今か今か待ちわびる人たちに祝福される様は、嫁入り道中さながらであった。
かくも丁重に我が家の応接間に招き入れられた花嫁をとりまく老若男女は、電気店主の懇切丁寧な説明も話半分で上の空、カラー・テレヴィジョンの電源入力のみが関心事であり、今や遅しと気をもんでいた。
かくしてスイッチは入れられたが、なかなか画面の映像が出てこない。
非常にじれったいが、昔のテレビはそうであった。番組の開始とともに電源を入れてもオープニング主題歌の終わりの辺りでしか、まともな映像が出なかったのである。
そうこうしているうちにテレビがついた。
「おおっ!」
と歓声が沸く。皆の視線が一点に注がれる。
しかし、子供には、大人の頭しか見えない…。
モノトーンな山水画の世界から総天然色(カラー)への劇的な変化は、当時の人間にとってはカルチャーショックであった。
これまで「白黒歌合戦」であった「紅白歌合戦」も、
「今年の大晦日からは、紅白で観られる!」
と、誰かがそっとつぶやいた。
* ダイハツ・ミゼット
現在の軽自動車を一回り小さくしたような三輪トラック(前のタイヤが1輪)で、新幹線「ひかり号」の10系(一番最初の型、現在)に似た愛らしいフロントマスクがとても
可愛く、今でも根強いファンがいる。
八百屋さんなどの小売店が、荷台側面に店名を入れていた。外に出れば必ず1台は目にするほど、よく使われていた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダイハツ・ミゼット
* モノトーン
単調、一本調子なこと。白黒画を表すモノクロームという表現を敢えて今回は避けた。
時代背景
カラーテレビは、昭和40年代当時の庶民にとって高嶺の花であった。
時代の物価を計る物差しとしてよく使われる大学卒の公務員の初任給の何十倍もしていたのである。新しい物好きの祖父が色々なものを我慢した挙句、大枚はたいて購入したのを後から聞いた。
昔のテレビには脚が4本ついており、ガタイの割りにブラウン管の画面が小さくウグイス色をしており、ご丁寧にフリンジのついたカバーを被っていたのを覚えている。リモコンは当然無い、ダイヤル式だ。余り小生がカラーテレビばかり見ているのに業を煮やした父が、NHKにチャンネルを固定したままダイヤルを外してしまった。
しかし、それも半日もたなかった。何と大人が先に総天然色の誘惑に負けたのである。
○其ノ参 「アクシデント」
物事にアクシデントは付き物だが、学生の本分である勉強の成果を発揮するテストの場でのトラブルほど始末に負えない物はない。
悲劇のプロローグは、答案用紙が配られた瞬間から始まった。ガリ版(ばん)刷(ず)りのインクの臭いがまだ残るわら半紙の右肩辺りに、先生が「ぺろっ」とやった痕跡が…。それは、前の席に行けば行くほどみずみずしく鮮明だった。
先生から書き忘れると、
「0点だ!」
とテストのたびに呪文のように言い聞かされているので、自分の名前を書くことをイの一番に取り掛かるのだが、小生の苗字はやたら画数が多くて難しい。勢い余ってマスからはみ出したので、急いで消していると紙が大きく破れた。
「しまった!」
当時の消しゴム(少々臭う)葉、生ゴムの塊の様な物だったので、やたらグリップがよくて紙に引っかかり、質が悪く脆弱なわら半紙はひとたまりも無かった。破れた答案用紙のシワを丁寧に伸ばしながらも何とか名前を書き、やっと問題に取り掛かる。これだけでも数十秒のハンデだ、平仮名を書けば事足りるのだが、それは小学生のプライドが許さない。
ところが、「なまえ」という欄に氏名ではなく、本当に苗字(姓)を除いた名だけを書いていた兵(つわもの)もいたのだ。簡単で書き易い名前の同級生は、生まれながらにしての恩恵だと強く思った。
前半の遅れを取り戻そうと快調に鉛筆を走らせていると、突然、芯が折れた。他の鉛筆とすぐに交換するのだが、これも外見とは裏腹に中で芯が折れていて使えない。隣の子に借りようにもカンニングと間違えられたら大変だ。
「どうしよう?」
苦肉の策で、折れた鉛筆の芯を指でつまんで書くのだが、これが細くて短いものだから力が入らない。そうこうしていると、先生に見つかって、
「お前、何をやっとるんだ?」
と名古屋弁で聞かれるので、しぶしぶ事情を説明すると、見るに見かねた先生が鉛筆を貸してくれた。その姿は、まるで後光がさしているかのように見えた。
さっそく気を取り直して、得意の漢字問題にとりかかった。すると、鉛筆がいきなり紙を破って地盤沈下の如く机にめり込むのである。
腹立ちながら答案用紙をめくって机を見ると小さな穴が開いていた。どうやら放課中に消しゴムのボールと鉛筆のクラブでやるゴルフのカップにはまったらしい。机上が平坦な舗装道路でなかった昔に下敷きは、必需品であったのである。
紆余曲折、悪戦苦闘しながらも何とか無事にテストは終わった。しかし、後ろの席から前に順に送られて回収されている答案用紙の中で、ひときわ小生のものが目立っていた。ところどころ汚れ破れて満身創痍のそれは、激しい戦いの有様を如実に物語っていた。
それでも、得意の漢字がほとんどだったので、出来はいいだろうと思っていたのも束の間、漢字の読みの問題 広い、答え( )いを(ひろい)いと送り仮名まで書いてしまって ×、正解を隣りのマスに書いてこれまた ×
「人生は、ドラマ」
とよく云(い)われるように、
「テストも人生の縮図」
ドラマなのである。
* ガリ版刷り:謄写版(とうしゃばん)刷りのこと。蝋(ろう)引きの原紙を鉄筆などで、細かい穴を空けてそれか
らにじみ出るインクを紙に写す印刷法。
先生自身の手書きによる心のこもったとっても温かい感じがする印刷物
* わら半紙:わらの繊維を使ったベージュ色の粗末な紙。ざら紙
* 満身創痍:体中が傷だらけのこと。
同級生で生傷の絶えない男の子に当時流行った西城秀樹の「傷だらけのローラ」に倣(なら)っ
てローラと呼んでいた。
* 紆余曲折:道が曲がりくねって、スムーズでないこと。
時代背景
当時は、もっとも安価で粗末なわら半紙にガリ版刷りが、学校からの配布物や答案用紙のほとんどであった。
教室の学習机は、未舗装が当たり前で凸凹していた。ところどころに歴代占有者が残した傷痕が生々しく刻まれており、軽量なパイプ机や椅子とは程遠い非常に堅牢かつ重量感のあるものであった。
さらに机や椅子の側面には、保有する小学校名が西部劇に登場する家畜への焼きゴテならぬ焼印がされていた。確か製造元は、刑務所と聞いた。
○其ノ四 「起死回生、3,600秒!」
少年時代は、正に戦国時代であった。遊び場をめぐる覇権争い、年の長幼を基準とする封建制度、権謀術数にまみれた同級生との駆け引き。裏切り、寝返りなんぞは朝飯前。そんな戦乱の世で、アイデンティティー確立のための戦いは、避けて通れないものであった。
しかし、すもうを国技とする国民のDNAのせいか、事の良否と自己の正統性をこれで決着をつけるという風潮が残る、ほのぼのとした時代でもあった。
時と場所を選ばず、至るところで母校の名称を冠したすもう場所が開催される。校庭で、広場で、そろばん塾で・・・。
ルールは簡単、土俵はないが大きく押されたり倒されたりしたら負けだ。
ある日、身の程知らずの小生は遊び場を奪った上級生に、下剋上の一番を挑んだ。両の手のひらにつばを吐きかけ気合を入れた相手は、低く腰を落とし脇のしまった鉄砲の型で思いっ切りぶつかってきた。
寸前のところでぶちかましをかわした小生は、当時流行った「柔道一直線」の受け売りで上級生を投げ飛ばし、みごと領土を奪還した?かのように見えた。
顔中を砂だらけにした彼は、砂まじりのつばを
「ぺっ」
と吐き出し、半べそかきながら叫んだ。
「1時間は、何秒か言ってみろ!」
「知っとるわ、60分だ!」(質問の内容は、ちゃんと秒と聞きとれてはいたが)
「分じゃないわ、何秒だ?」
「だから、1分が60秒で1時間が60分だから…」
当時、小学生の低学年に二桁の九九は至難の技であった。せかされるから余計と頭がこんがらがってしまい、焦って計算に集中できない。
業を煮やした彼は、吐き捨てるように言った。
「1時間は、3,600秒だ。分かったか!」
きっと今日学校で習ったばかりなのだろう?彼の言動には、何の脈絡も無く、江戸の仇を長崎で討たれた思いであったが、少年のプライドを打ち砕くのに十分過ぎるものであった。
取り巻きはすでに四散し、彼とその一団は急に威勢を取り戻した。勝ち誇ったような高らかな笑い声と汚い野次を背中で聞きながら、その場所を離れた小生は、そっとつぶやいた。
「幼兵は泣かず、ただ消え去るのみ」
と…
* 柔道一直線:主人公の桜木健一扮する一条直也と吉沢京子が共演する青春ドラマ。世の中に
一代柔道ブームを巻き起こした。背景に東京オリンピックで、日本のお家芸である柔道の活躍
があったのだろう。
相手が投げられるたびに道場の壁板が割れるので大変だなあと子供心に思ったが、今、考えれば大怪我ではすまない大変なことである。
そして、ライバルの近藤正臣扮する風祭右京が、ピアノの上に飛び乗り、足で「ネコふんじゃった」を弾くのを真剣に試してみようかと思った。
この時代は、まだまだ柔道がメジャーで、空手はマイナーでダーティーなイメージが強かっ
た。空手が市民権を得るのには、後に少年雑誌に劇画で登場し、アニメにもなった。極真空手の創始者 大山倍達の自伝「空手バカ一代」の登場を待つ必要があった。
○其ノ伍 「イントロ」
猫も杓子も空手&カンフーブームの真っただ中だった頃、友人の兄が最近流行りのレコード(ドーナツ盤)を買って来て、自慢のステレオで小生たちに聴かせてくれた。
いきなりベートーベンの交響曲第五番「運命」ような滑り出しに続いて、中華風にアレンジした軽快なメロディーが流れた。
時折り、曲の合間に「アチョー」、「ホチョー」と怪鳥音が入る斬新な音楽で、みんないつの間にか夢中になっていた。
しかし、延々とこれが続き、歌がいつまで経っても始まらないのである。そうこうしているうちに終わってしまい。
「一体、何のどういう曲?」
という皆の問いかけに、友人の兄はカンフーブームの火付け役のブルース・リーが主演する「燃えよドラゴン」という映画の主題歌だと力説してくれた。
彼の名優とカンフー映画とともにイントロが延々と続き、歌の始まらないインストルメンタルという曲のジャンルを初めて知ったのであった。
この映画の敵役で登場するボロと名乗る筋骨隆々の大男(ヤン・スエ)が、当時の人気番組
「Gメン75」に度々登場し、和製ブルース・リーこと、倉田保昭演ずる草野刑事と死闘を交わしたのを覚えているでしょうか?
ドラマのネタが尽きてくると決まって舞台は香港に移り、「香港マフィア」の用心棒(前述、ボロ?)と倉田ドラゴンが闘い、倒されて死んでも死んでもゾンビのようによみがえって登場し、
「俺は、死んだボロ?の兄だっ!」
「弟だっ!」
はたまた
「親戚の者だっ!」
と同一人物が演じていた。
少々マンネリなところがあったが、小生と同世代の人間にとってこの番組のインパクトはとても大きかったのである。
なぜなら、今でも道路を我が物のように横一列に歩く人達を見ると、ついつい「Gメン75」の再来かと思ってしまう。
誰もいない空港の滑走路をしまざき由理の「面影」のエンディング・テーマに乗って歩いて来る姿と妙にダブってしまって…
*Gメン75
人気長寿番組「キィハンター」に続く、刑事ドラマが連続に不作でその後に満を持して登場した人気刑事ドラマ
時代の移り変わりとともに変化しないタイトル名で、何年つづいているかの目安になった。
○其ノ六 「先入観」
今から40年ほど前、毎週日曜日のゴールデンタイムに濃縮発酵乳飲料の某社が協賛し、世界の名作をアニメドラマで紹介する番組がテレビ放映されていた。
皆さんは、「ムーミン」という二足歩行のカバが主人公の物語を覚えているでしょうか?
サウナ風呂と森林浴が有名な北欧の国「フィンランド」が生んだ作家トーべ・ヤンソン原作の
物語。
同名の主人公と恋人のノンノン(フローレン)、おてんばのミー(リトルミー)とおっとりしたミムラ姉さん、スニフにお巡りさんと沢山のキャラクターが登場する中で、
「一体、人間は何人いるのだろうか?」
という素朴な疑問は抱きませんでしたか?
まさか、主人公のムーミンを人間だという人は無いと思いますが…。彼は実はカバではなく、妖精(トロール)だそうです。
「それじゃあ、お巡りさんは?」
足の指とシッポを見てもらえば一目瞭然でしょう。
「そうそう、忘れていたミーとミムラ姉さんは、どこから見ても正真正銘の人間でしょう?」
答えはNO!何と、彼女らは冬眠するのである。ムーミンの最終回を思い出して頂きたい。確か、「来年の春にまた会いましょう」といったくだりがあったはず。
は虫類ならまだしも、数あるほ乳類の中でも冬眠するのは、熊やシマリス、ヤマネなどのごく限られたものだけで、人間に至っては、映画「猿の惑星」の主人公チャールトン・ヘストンくらいのものでしょう。
唯一、冬眠しないキャラで、小生がつい最近まで人間と信じて疑わなかったスナフキンも実は妖精でした。ギターを爪弾きながら「おさぁびし山ぁ~♪」と歌う彼が人間じゃなかったとは…。
それでは話は変わって、同名作劇場の「フランダースの犬」の舞台が、どこの国かご存知でしょうか?大きな風車や木靴が登場するから、皆さんはオランダだと思っているのではないでしょうか?
「それともフランダースと似た名前だからフランス?」
「それじゃあ、主人公がローマの暴君と同じ名前だからイタリア?」
実は、何とフランスとオランダに挟まれており、日本に余り馴染みのない小国ベルギーがあの物語の舞台なのです。わが国を代表する画家「ルーベンス」と紹介されていますよね!
正に「事実は、小説より奇なり」、思いもよらぬ物なのです。
* 「猿の惑星」:‘60年代を代表するSF映画の名作。コールド・スリープした乗組員を乗
せた宇宙船が降り立ったのは、猿が人間の代わりに支配する惑星であった。未来の他の惑星だと信じ切っていた主人公が海岸で見た「自由の女神」に絶望するラストシーンは、子供心にとっても印象的であった。
銃を駆使し、仲間の乗組員にロボトミー外科手術を施すのに、紙ひこうきに驚く猿人達の科学技術レベルのアンバランスさに大きな疑問を持ったのは、小生だけではないでしょうか!
TVの某洋画劇場の日本語吹き替え版で、猿方の主人公のコーネリアス(男の猿人)とジイラ(女の猿人)が、ど田舎の悪ガキみたいに自分のことを「おいら」とさかんに言っていたのが、とても滑稽であった。
続々編の「新 猿の惑星」で現代に連れて来られたコーネリアスの子のチンパンジーが、そのまま成長し、未来のコーネリアスの父親にあたるのを不思議な気持ちで観ていたのを覚えている。
自分の子供が自分の父親という、「卵が先か?鶏が先?」の論議同様の不可解なお話は、後のシュワちゃん主演のSF映画「ターミネーター」のジョン・コナーに続く系譜となる。
* 猿の軍団:日本の円谷プロが同映画シリーズのヒットにあやかって、SFドラマを制作した。
ハリウッドの特殊メイクに比べ、「スペクトルマン」の宇宙猿人ゴリもどきの安い被り物で、「猿の惑星」の二番煎じの廉価版といった感が否めなかった。
あるTV番組の洋画劇場で、映画評論家がハリウッドの同特殊メイクを施してもらい、番組の初めの使用前の状態と最後の使用後の状態の対比にとっても驚いた。
* ロボトミー手術:現在は、禁止されているが、動物の大脳の前頭葉を切除することにより、
人格変化を人為的にもたらす外科的手術。ロボトミーとロボットとは何の関連もない!
* フランダースの犬
イギリスのウィーダによってベルギーのフランダース地方を舞台として書かれ、主人公の孤児ネロと愛犬パトラッシュが登場する悲しい物語。
「苦労すれば、きっといいことがある」、「人生、必ず報われる」という日本的ハッピーエンドな、祖父母両親からの教えを根底から覆す悲しい物語。
幼少時、最終回にネロとパトラッシュが、ルーベンスの2枚の絵の前で天に召されるのを観て、天使に伴われて天に昇るのことがハッピーエンドと勘違いしており、この大きな間違いに気づくのにかなりの年月を要した。
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