マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と箱庭

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 風が気持ちよい。夏の名残りを探してももうなかなか見付けることが出来ない。少しずつ季節は秋を迎えていた。
アルコールは入っていたが足取りに不安はなかった。ふと横を見ると、明かりを落としたショウウィンドウのガラスに私が映り込んでいる。思わず足を止めた。白いブラウスにカーディガン。細身のデニムにヒールがそんなに高くないパンプス。シンプルで手の込んでいない格好だったが、去年はそれすらも出来なかったのだ。
 溜め息を吐きかけてやめ、気を取り直して歩き出す。夜歩くのは仕事柄慣れていたし、家までは十五分くらいだ。いい運動になる。自転車を買おう、とともりはいつも言うが。
 イヤフォンを片耳にだけ指し込み、曲を選んで再生。異国の言語、ノイズ混じりの甘い声で張り上げる、ある街角で神様に出会ったという『彼』の唄。


 ───フルミに連絡を付けてくれない?


 そう言うとミキはチューハイを口に運びながら苦い顔をした。見事なしかめっ面だ。
 ───フルミ ナオキ?
うん、とうなずく。私のメアド送って、連絡してくれるようお願いしてほしいんだ。
「何でまた」
「ニノ コウに一番近かったひとって、フルミでしょう? 今は知らないけど」
「まあ今でもそうなんじゃない……親戚なんでしょう? あのひとたち」
 ミキの言う「あのひとたち」という単語はとても排他的に聞こえた。
「うん。あ、大丈夫大丈夫。フルミとは私、普通並の人間関係は築いてたよ」
「知ってるけどさ。んー、あんまり関わらせたくないんだけど」
「私もあんまり関わりたくないんだけどさ。正直、ニノ コウがどうなるか分からないよね? 警察のひとからそういうのあんまり聞きたくない。ニノ コウとは色々あったけど、死ねとまで思ったことはなかったよ。後味悪くしたくない」
「そりゃそうだろうけど……」
 渋々だったが、ミキはフルミに連絡を取ってくれた。高校時代の番号がまだ使えたことに感謝しながら、ミキに私の連絡先を送ってもらう。
 それから話題を一気に変え、ミキの仕事の話になった。ミキはスチールのカメラマンをしている───今はアシスタントだが、彼女が休みの折に撮るという写真を見るのを私はいつもとても楽しみにしている。好きなのだ。
 全部終わったら私もカメラを持ってミキと撮影遠足に行こうか、と考えつつ階段を上る。家の近所はアップダウンが激しく坂道や階段が多い。
 ───ふと。
 影が落ちた。吸い寄せられるように顔を上げる。
 触れるほど近く、ほんの二段ほど上にひとが立っていた───フードを深く被り、顔は見えない。
 何も言わない。無言で私を見下ろし、そして、
「───え、」
 肩口を強く蹴られて、
「───ひ、」
 咽から息を、漏らす。───声には、ならない。足が泳ぐ。
 空を仰ぐようにして落下した。こんな時なのに小学校の頃の組み体操を思い出した───小柄だったので、こんな風に空を仰いで後ろに倒れる型があった。その時は同級生二人が構え、受け止めてくれたが───
 感覚的には一瞬後、激しく背中を打ち付けて心臓を吐き出しそうになる衝撃が走り呼吸が止まる。勢いは止まらず転がり落ち、必死に頭を庇った。
 全身を強打して漸く回転は終わり、鈍い音と共に叩き付けられた。口いっぱいに血の味が広がる。跳ね起きるように両手両足を突っ張り、四つんばいになるようにして地面を這った。
「っく、ぁ、ぁ、ああ……」
 怖い。
 怖い。
 助けて。
 ゆっくりとした足音が近付く。恐怖で後ろを振り向けない。



 気配が、触れるほど近くで止まった。



「───」



 息を吞むことも出来ず、呼吸を止めて、


                           ……ざっ



「っ……!」
 前方から足音がした。ざっ、ざっ、ざっ……あえて大きく音を立てるような足音が、静寂を破いて近付いて来る。
「───っ、けい、さつ!」
 引っかかった声は情けなく裏返ったが、それでも何とか形にはなった。
「けいさつ、よんで! こ、ここです! だれか! けいさつ……!」
 金縛りが解ける。四つん這いのまま無様に前へ前へと這った。微かな舌打ちの音がして、後方の気配が一気に遠ざかった。
「───みーさん!」
 前方からの足音が目前まで来た瞬間、聞き慣れた声に呼ばれ一気に緊張が解けた。無意識の内に縋るように手をのばすと、自分のそれより大きなあたたかい手が一瞬で掴んだ。
「みーさん、大丈夫?」
「……と、もり、」
 ふわりと抱き上げられ前髪を掻き上げられた。
「もう大丈夫」
 微笑むともりの存在がぽったりぽったりと少しずつ身に染みていって、
 小さく微笑んで、ほとんど吐息だけでありがとうと呟いた。



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