マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と箱庭

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 通話は繋げたままで、会話も続けたままで。不自然にならないように。
 やわらかい口調のままともりが指示を出し、つい口篭もりかける私に声をかけ続けた。
今日は誰と会ってたの? 明日の朝ご飯は何が食べたい? 今度どこに行きたい? 今
日野良猫は見かけた? 毛の色は?
 高校時代のひとと会ってたよ。明日はクロックムッシュが食べたい。チーズがたっぷりとろけてベーコンがジューシーなやつ。今度鎌倉に行きたい。小町通りで食べ歩きをしながら買い物がしたい。前、素敵なストールを売っている輸入雑貨屋があったの。今日は二匹見かけたよ。黒猫の親子で、白靴下を履いてるみたいに手と足だけ白いのがかわいかったんだ。……
 横断歩道を渡り、どうにか普通に見える足取りでコンビニに差し掛かった時、道の向こうからやって来るともりがこちらに向かって手を上げたのを見て腰が抜けるんじゃないかというくらい安堵した。走っていたともりは自然に見えるが早い足取りに一気にチェンジし、何事もないようににこやかにこちらにやって来る。一瞬よろめき、どうにも平静を保てなくなった自分を自覚して泣き出しそうになる。こんな弱かったか、私。
「みーさん」
 ともりが笑って、無意識の内にのばしていた手をやわらかく絡めとった。僅かに間のある、けれども誰にも入れないくらいの空間を空けて向き合い、ふわりと身を屈め私の肩に顎をのせた。耳元でささやかれる。怖かったね、頑張ったね。もう大丈夫だよ。ここで少し時間を潰したら一緒に帰ろうね。
 私を安心させることしか込められていない言葉に、思わず縋り付きたくなった。ともりに抱き付いて大声で泣きたい。安心させてほしい。───ぐっと唇を噛んで、ただうなずくだけに留めた。それでも、ともりが握ってくれる手だけは振り解けなかったけれど。
 ゆっくりと二人で帰宅し、鍵を全部閉めて温かいコーヒーをもらうと漸く日常が戻って来た気がした。重要参考人であり誰かに狙われている日常が。
「でも、これではっきりしたね。みーさんは狙われてる。たまたまじゃない。みーさんだから狙われてる」
「……かもね」
「みーさん」
「コーヒー淹れてくれてありがと。……あと、迎えに来てくれてありがとう。すごく助かった」
「みーさん。違うでしょ」
「なにが?」
「何で誤魔化そうとするの?」
「なんで、って、」
 言葉に詰まった。なんでって、それは。……いや、
「……あ……ごめん」
「なにが」
「気が……立ってた。八つ当たりした。ごめんなさい」
「エイトアタック?」
「それやめて……」
 三日間の徹夜仕事を終えふらふらで帰宅した時、妙なテンションの思考で八つ当たりって英語でそのまま言うとエイトアタックだよねと真顔で言ってしまったことがあり、ともりは窒息死するんじゃないかというくらい爆笑したことが前にあった。未だにそれをネタにされる。きついよ。
 自分の手によって最悪にした空気をともりの手によって作り直してもらい、若干の気まずさを感じながらコーヒーをすする。甘い。ミルクたっぷりの、コーヒーとは呼べないようなコーヒー。でもこれがミカゲ家の伝統的なコーヒー。これしか飲めないのをともりは知っている。だからこれしか出さない。いつだって。
「狙われてる……ね、これは確実に。現実は見なきゃいけないね」
「そうだよ。警察に言うよね?」
「うん……だね。事情聴取とか、されるのかな……」
「されるだろうね。でも、逆に考えたらこれはチャンスなんじゃない?」
「え?」
「こんな言い方したくなかったけどさ。狙われてるっていうなら、みーさんは容疑者から外されるんじゃない?」
「ん……」
 思考を巡らす。
 何を考えればいい?
 瞬きすらせず視線を斜め上天井に向けていると、ひょいとともりがそこに割り込んだ。
「これ、ニノってひとの事件に絶対関係してるでしょ。タイミング的にそうじゃない?」
「え、じゃあニノ コウを突き飛ばした犯人が私のことも狙ってるってこと?」
「そうとしか」
「えええ……なんで……」
 うめく。高校在学中ならともかく……いや、その時でもおかしいけれど。ニノ コウとの縁が見えなくなってからこういうことが起きるって、おかしくないだろうか?
「ちょっと整理するとさ。みーさんは高校時代ニノに虐められてたんだよねまじふざけんなぶっ殺すニノ不幸な目に遭え」
「もう十分遭ってるんじゃないかな……」
「で、みーさんはそれを恨んでいないまじかよここまで頭ゆるいのかこのひとまったくいやまあそこがかわいいんだけど」
「これ整理されてるの? ややこしくなってない? 余計なことが多くない?」
「でもねみーさん。普通は恨むよ。虐められてたら」
「……あー……」
「……ミキさんとかはさ、止めたり───しなかったの?」
 窺うような、少しだけ曇った声音。
 ともりは私の大切なひとを大切にする───下手なことを言ったりはしない。尊敬に値するひとたちだと、愛すべきひとたちだと受け入れる。丁寧に丁寧に。
「や、そんなことないよ。だけど止めるより守った方が効果的だって、きっと思ったんだと思う。結局、被害があるのは特待生が集まる時だけだったし───そこにミキはいなかった。だから仕方がない。
 でも、どこから漏れてたんだろうね。ニノ コウが私のことを嫌ってるって噂は、信憑性はなかったにしろ流れてた。恐らくだけど、ニノ コウも否定はしなかったんじゃないかな。他のひとたちに対して絶対に隠そうって程隠してはなかったみたいだし」
 三年間のうち、一年だけクラスが同じ階だったことがある。二年時のことだ。
 移動教室時の廊下や、登下校時の階段。すれ違うたび、彼は周りとの会話をやめてじっとこちらを見た───どんな顔をして見ていたのかは、知らない。そこに彼がいると分かった段階でわたしはうつむいて歩いた。そこを通り過ぎるまで息を殺して、唇をきつく結んで。大勢の目があった時に、何があるわけじゃない───それでも、何かあるんだと分かるくらいには、お互いにお互いを意識していた。
「そっか。……じゃあ、なおさら俺はフルミってひとは気に入らないな。知った上でなあなあに流してたわけでしょ」
「うーん、でもフルミにとっては幼馴染ではあるけど本家の次期当主でしょ? そりゃ事なかれ主義になるのは当たり前のような……」
「みーさん甘い」
「甘いっすか……」
「それ愛すべきクラスメイトに言ってごらん、どうなることやら」
「全力で回避したい……」
「ひとり三発ずつ殴られるよ」
「百十一発はきつい……リンチだ……」
 自分に厳しくミカゲにはもっと厳しくをモットーとしたクラスメイトたちだ。それでも私は愛してるよ。本当。
「にしても、本家分家当主って未だにあるんだね。……俺が世間知らずなだけ?」
「どうだろう、私もここでしか聞いたことないからあんまりないんじゃないかなあ……私も世間知らずな可能性大だから何とも言えないけど」
「当主って今どうなってるんだろうね? まだそのニノの母親なのかな」
「確かに。どうなってるんだろうね」
 その謎は後日、思ってもみなかった形で知らされることになる。



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