マクデブルクの半球

ナコイトオル

文字の大きさ
11 / 62
詐欺師と箱庭

10

しおりを挟む

 とろとろとした浅い眠りから目を覚ますと、カーテンの隙間から見えるのは空が白くなりはじめた空気の薄い時間だった。この時間帯の空を見ると昔から和紙を思い出す。空はきっと触ればなめらかな質感がする気がするのに、その薄い色合いはいつも和紙を連想させる。何度も梳き、重ね、色をつけた上質な和紙。
 ぼんやりとした意識のままシーツの端を掴む。ニノ コウのことを考え───それから意識の端にいる敵について思う。まだ纏まらないばらばらの意識は、途切れ途切れに単語を浮かばせる。



 敵  敵がいる    それは分かる
   周り     周りも問題       避けたいこと        ともり
 遠去けたい  わたし  彼 ユキ  みーさん     識ってる ……


                                
  ……分かってるよ



 とろとろとまた浅い眠りの白い手に包まれ、まぶたを閉じた時だった。
 かたんっ
 はっと意識が覚醒する。一気に指先から足先から温もりが消え、体にエンジンがかかる。
 今のはきっと郵便受けの音───新聞の時間とは違う。
 カーテンの隙間から下を窺おうとしてあきらめた。ベランダに出なければ下は見えない。そんなことをしたら相手にばれる。だったら一階に降りてこっそりと窺うしかない。それもリスクがあるけれど───
 ベッドの支柱にかけてあった革紐を手繰る。首にかけ、その先に付いている真鍮のホイッスルをしっかりと握りしめてベッドから降りた。手早く階段を下り、リビングのソファーの影に隠れる。ゆっくりと這い蹲る形になり、カーテンの下をそっとめくる。
 ……人影が、あった。ひゅっと息が鳴る。もう立ち去っている可能性が高いと思っていたのに。
 身長は、高くない。むしろ低い方で、……女性?
 どくどくと心臓が震えているのが分かる。
 真っ黒な服。けれどもそれはフリルやレースが満載で、ふわふわとしたシルエットを作っている。大きなリボンの付いたケープに、広がって独特の形を作るスカート。袖口からはブラウスのフリルが漏れていて、下は真っ白なタイツに厚底の編み上げブーツ。ツインテールの金髪がかかり、顔付きは分からない。けれど女だ、確実に。趣味でしている男性でなければ。恐らく。きっと。そう願う。平時ならばどんなひとでもいいがそうではないこの非常事態時にゴスロリ趣味の男性にポストに何か投函されたのかと思うと情報量が多くて混乱するからここは女性で頼みます。
 その女性はしばらく二階を見上げていたが、やがて踵を返すと微かな足音と共に消えて行った。駅の方面に向かっていったようだ。着く頃には始発だろう。それとも徒歩圏内の人間なのか、はたまた他の足を使ったのか……全く想像出来ないが、それにしても危機はとりあえず去った。どっと力が抜けて摘んでいたカーテンの裾を離す。強張っていた全身の力を抜き、ぐでっとうつ伏せのまま放心した。フローリングが氷のように冷たいのを今さらながらに実感する。手足もすっかり冷え切り、秋口とはいえぶるりと震えが走るほどだった。
「……どうなってるの」
 無意識の内に握りしめていたホイッスルを横目で睨むようにして見る。
 返事は、なかった。馬鹿じゃないのと胸中で自分に呟き、識っているさと自分に返す。
 もうこのひとが返事をくれないことくらい、識っているさ。



 しばらくそのまま、冷たいフローリングに横たわっていたが、いつまでもそうしていられないという思いが頭のてっぺんから爪先まで染みた時にあきらめて立ち上がった。万が一だが爆発物だと困るし(上にともりがいる)、そしてなによりともりに回収されるのを避けたかった。あの子にはなるべく関わらず遠くにいてほしい。
 ともりを起こさないようにそうっと外に出て、やはりまたホイッスルをきつく握りしめたままゆっくりとポストに歩みよる。
 震える手で蓋に触れ、ゆっくりと……ゆっくりと、開く。金属の擦れる小さな高い音が、静謐の合唱の中に落とされた鋭いものを研ぐ異質な音のように、微かに響く。
 中に入っていたのは、真っ白な封筒だった。宛名が見える───『ミカゲさま』
 分厚さは、ない。それにほっとして、それを手に取る。手袋などは付けなかった。どうせこれは警察には持っていかない。
 空に透かしてみると、中に紙が入っているのが分かった。剃刀などの異物はなさそうだ。そっと封を開け、中の便箋を取り出す。
 文章は短かった。



『 ミカゲさま
  お話したいことがあります。本日十一時にI駅の「トリス」でお会いしましょう。
  このことは誰にも口外しないでください。 』



 それから、便箋の下に署名。



『 フルミ ナオミ 』



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...