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詐欺師と箱庭
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しおりを挟む朝早く、ミキは帰っていった。軽く仮眠を取っただけである程度動けるようになるのは流石現場の女だと思う。今度お酒を飲む時は全部解決したあとがいいな、とこっそり思った。
ともりはというと、めずらしく昼頃まで潰れていた。休日なので問題はないがあとで絶対嘆きそうだ。
起きるまで寝かせておこうと思いながら昼食を作っていると、ようやく眠りの縁から這い出られたのか緩慢な動きで上体を起こした。
「……うわー、ごめん……寝てた」
「おはよう。いいよ別に、疲れてるだろうし」
「んー、疲れてない……けどたのしくてつい」
「それはそれでうれしい。記憶はあるんだ」
「ん、みーさんの太腿の感触ばっちし」
「それは忘れていい」
溜め息を吐く。なるほど自分は年下に弱い。
「……ともりが女の子だったら確かにやばかったかもね」
「え……ごめん、それは流石に、いくらみーさんの頼みでも……」
「いや別に性転換しろって言ってるわけじゃないよ」
「うん……俺、男としてみーさん抱きたいし」
「神妙な顔でなに言ってるかなこの子は……」
覚醒しているのかいないのかよく分からないともりと昼食を食べ、一息吐くと流石に落ち着いたようだった。顔も洗いすっきりとした表情であと片付けをはじめる。
「ちょっと俺一回大学に顔出してくる」
「あ、今日休みじゃなかったんだ」
「授業はないんだけどね。後輩のレポート見る約束してて。でも夕方には終わるよ」
「そっか。……迎えに行こうか? 大学まで」
「そのあとフルミ ナオミを張るの?」
「ううん、今日はディーが見ててくれるらしいから。だから甘えて、夕飯外で食べようよ」
ともりがぽかんとした顔をした。おかしなことを言ったかなと思っているときらきらとした笑顔になって詰め寄り、
「それってデート?」
「え? ……そうなの?」
「愛する二人が一緒にいればどこであろうが何であろうがデートだよだからデートだ!」
「愛する?」
「みーさん俺のこと好きだよね?」
「好きだよ」
「俺もみーさんが好きだからデートだシャワー浴びてくる!」
輝く笑顔で言い切って脱衣所に走って行った彼を呆然と見送り、それから思い付いて声を張り上げて聞いてみた。
「後輩って男の子? 女の子?」
「どっちも! 何人か!」
鼻唄混じりの水音が聞こえはじめ、これはこのあと一日ご機嫌だろうなあと思いながらエプロンを外す。このままだと普段より気合を入れた服装にするんだろう。期待する女の子も出るだろうなあと思い、何だか少し悪いことをした気分になった。少しだけ。
結局、ともりはきらきらの笑顔のままご機嫌に服を選び、きらきらの笑顔のままご機嫌に出かけて行った。細身のパンツにシャツ、黒のジャケットというシンプルなコーデだったが元がいい分とても似合っていて、こりゃ後輩ちゃんたちはひとたまりもないだろうなあという出来栄え。なんかごめんなさい。
誘ったのは自分だし、あんなに張り切らせてしまったしで、自分も久しぶりにきちんと化粧をした。久しぶりって。自分に突っ込む。いつもちゃんとしようよ、私。
ワンピースに白いロングカーディガン。ティアドロップの一粒パールネックレスを着けて、これでいいかと鏡で確認した。隣に並んでも大丈夫か? 元の出来は置いておいて。
車を運転するのに踵のある靴は向いていない。ワンピースとはちぐはぐなスニーカーを履き、ヒールを手にした。運転が終わったら履き替えよう……それから少し早めに出発した。この時間は道が混む。お店もどこも混んでいるだろうが明日は本当に何もない休日なので多少待っても構わない。車を発進させて、暗くなった空の下を走り出した。
夜道の運転は久しぶりだった。そのせいでいつもよりスピードが遅く、注意深かった。だから気付いたのかもしれない。
「……あれ」
人ごみのスクランブル交差点。それでも、どうして気付いたのか分からない。気付けたのか分からない。けれどあれは。
「フルミ……ナオミ」
酷く疲れきった様子だった。青になったからではなく、後ろから来る人に押し出されたからというようにふらふらと道を渡り、流されるまま歩き続ける。
何も考えることが出来ず窓越しにその姿を見詰めた。背後からクラクションを鳴らされ、そこでようやく青になっていることに気付く。あわてて車を発進させたが、バックミラーの中にフルミ ナオミの姿をどうしても探してしまう。
やめろ、と自分に胸中で強く言う。
考えてみろ。ともり。ミキをはじめとする愛すべきクラスメイトたち。ディー。マノ。
今の自分の置かれた状況。
申し訳ないが手一杯だ。確かに犯人の証拠を掴みたい。あなたを利用することはあれど、
あなた自身の個人に関わっている時間も余裕も一切、
「……」
右折する。
一日と置かない、何気ない会話。
曖昧な距離感。電話越しに揺れる声。
「……」
唇を噛む。
重要参考人。事件現場のジオラマ模型。あなたが犯人だと思います。あの時の、まるでそうであってほしいと祈るような貌。
青白い顔のまま、それでもなんとかしっかりしようと前に進む、必死に世界と融け込もうとしている女。
(ああ……もう、)
───どうにでもなれ。
ウィンカーを出し路肩に停車する。運転席を飛び出して後ろ手にリモコンでロックをか
けた。
駆け出す。踵を返して───人混みを縫って、全力で。
ああ、スニーカーでよかった。いつもみたいに走れる。足を気にすることなく、ただ前へ進むことだけ考えて、馬鹿みたいに───違う。
手を握れる距離に行ければいい。───だってきっと、最初はみんなそうはじまるんだ。
「なお───み、っ!」
手が触れる。冷たい手。冷え切った、温度のない───だからなに。ここにいるじゃないか。震えながら日々を送る人が、それでも投げ出さずにまだここにいるじゃないか。
「ミカゲ……さん……?」
「ユキ」
「え?」
「みんな、私のことをそう呼びます───私の友達は、そうやって」
一息大きく息を吐いて呼吸を整える。体育会系の仕事でよかった。こうやって走れるから。
友達、という言葉を聞いて、ナオミの顔がくしゃりと歪んだ。───暗くない、醜くもない、人形のような無機質なものでもない、ただただ悲痛な顔で。
帰る場所どころか向かう場所さえも分からぬ、幼子のように。
「わ───わた、し───わたし」
「はい」
「もう───もう、どうしたらいいのか」
「うん」
「おねがい───お願い、わたしの」
わたしのはなしをきいて。
それだけ言うと、彼女は握った私の手を強く握り返して大声で泣きじゃくりはじめた。
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