マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師のナマエ 

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「……それから、ずっと?」
 吐息みたいな声でともりが言った。信じられないことを聞いたような、その声。そちらを見ないまま、小さくうなずく。
「ずっと、ずっと? 周りを騙して、ミキさんもクラスメイトも担任も全員騙して?」
「そう」
 そう。ずっとずっと騙していた。
 被害者と加害者。
 わたしは泣きたくなるほど弱くて、彼は強かった。
「わたしはひとりじゃなかった。けど、コウくんはひとりだった。……誰にも本当のことを言えず、ずっと監視されて、下手に誰かと親しくなったらそのひとが排除されるんじゃないかって怯えて、友達すら禄に作れなかった。……そんなコウくんのすぐそばで、私は最高の友人たちと笑ってた」
「みーさんのせいじゃない」
 ともりが言う。声は掠れたままだった。
「みーさんのせいじゃない。みーさんがそういう高校生活を送ることをニノ コウだって望んでたんだ。だから自分が加害者になった」
「そうだよ。分かってる。それしか方法がなかった。二人でそう決めた。だけど」
 膝を拳で叩く。何度も。何度も。
「でも本当にそれ以外になかったのかな。本当に、なかったのかな。───でもね、そう思う反面、わたしは後悔してないんだ。反省はしてる、けど後悔はしていない。仮にもしまた同じことが起こってもわたしたちは同じことをする。だって、そうじゃなきゃ、」
 声が歪んだ。泣き疲れたあとみたいな、声だった。
「そうじゃなきゃ、コウくんのそばにいられなかった」
「……」
 沈黙。
 赤信号。
 ともりが、口を開く。
「ミキさんが、みーさんは廊下でニノ コウとすれ違う時、いつも下を向いてたって言ってた」
「うん。だって」
 だってさ。
「コウくんがいるだけで、わたしは笑顔になっちゃうから。───それじゃあ、意味ないでしょ」
 そうだね、と、ともりが小さく笑った。
「真実を隠すのって、実は簡単だよね。嘘を吐けばいいんだ、偽りの言葉を浮かべて、異なる行動で示して───それをずっと、続ければいい。
 ねえ、みーさん。みーさんから罪悪感を取ったら、みーさんは立派な詐欺師になれる」
 真実は語らず、偽りの言葉で唇を湿らせて、異なる行動で眼を汚させ、水面下に沈め、息を止め、自分のなかで鼓動が脈を打つのを人ごとのように聞きながら、凪いだ水面の上からさす光を、底から見上げていればいい。
「みーさんは、ニノ コウと沈む方を選んだんだね」



 沈んで、沈み込んで、そこから一歩も動かず。
 水面を波立たせず、息を殺して、誰にも何も気付かれないように。



 誰もあのひとを傷付けないように。



 ふ、と、ともりが眼を細めた。
「……みーさん」
「なあに?」
「コーヒー。……何入れたの?」
「睡眠薬。そろそろ効いてきたかな」
「……そうだね」
「あのさ、ともり。お願いがある」
「なに?」
「わたしになにかあったら、コウくんを助けて」
 お願い。
「わたしが死んでも、コウくんには言わないで」



 もしわたしが失くしてしまったら。
 あのひとを水面に押し上げる力を失ってしまったら。
 それでも。それでもどうか。



 どうか、あのひとを。



「……みーさんは死なせないよ」
「それから」
 ふっと体を乗り出し、寄り添わせるように近付く───シートベルトは、していない。最初から、していない。
 口元だけで笑う。こうなることは分かっていた。わたしを護ろうと、わたしのためにわたしの前に立ちはだかるのは───どこまでもやさしいこのひとだと、分かっていた。
「幸せに、なって。ともり。───愛してるよ」
 眼を閉じることに抗っていたともりの眼を見つめる。そっと、唇に唇で触れた。
 何か言いたげに薄く開いた唇からは言葉は漏れず、そっと小さな吐息になる。
 黒曜の瞳は閉じられ、そして、穏やかな呼吸がはじまった。



 スピードを落として、車を停めた。交通量の少ない道で助かった。
 ともりの呼吸に問題がないことを確認して身を引いた。く、と何かが引っかかり、視線を落とす。
 ともりの手が、私の服を掴んでいた。
「……」
 ゆるく握って、その手を解く。後部座席に置いてあったストールを引っ張り、身体にかけた。目蓋にかかる髪をかき上げ、その額に薄く口付ける。
「───さようなら」
 予備のキーを取り出し、ウィンカーを付けてドアを閉め、鍵をかける。
 一呼吸。上着のポケットに感じる、二つの筐体。
 眼を閉じて、そして、開く。
 走り出した。
 まだ生きている。
 嘘はまだ、終わっていない。




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