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第4話:白雪姫の宣言

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 カンニングは――不可能だ。

 駿鉄すんてつの全国模試は、筆記とマークの混合問題。

 高度な思考力と自由な発想力が問われる数学。
 正確な翻訳と遊びのいた意訳が求められる英語。
 難解な論説文+随筆ずいひつと癖の強い古文が特徴的な国語。

 何かしらのカンニングペーパーを持ち込んだとしても、当人に本質的な理解がなければ、あの短い制限時間の中で解き切ることはできない。

 それにそもそもの話、今回のテストで600点を叩き出したのは、『アソパソマソ』ただ一人。
 単独トップを記録した彼は、カンニングの被害にうことこそあれ、カンニングの主体になることはない。

(とにかく、直接本人に聞いてみないと……っ)

 翌日、私は全国模試の席次表を鞄に入れて登校した。

(……葛原くんは何故か注目されることを嫌っている)

 きっとクラスメイトがいる前では、本当のことを話してくれないだろう。
 つまり、狙うは放課後。
 帰宅部の彼が、帰り道についたところだ。

 それから午前・午後と授業が終わり、

「さて、帰りのホームルームはここまでだ――解散!」

 担任の先生がパシンと手を打つと同時、クラス内になごやかな空気が流れ出す。

「ふぃー、疲れたぁ……っ」

「相変わらず、一回の授業の進みがエグイよなぁ……」

「ねねっ、原宿に遊び行かない?」

「おっ、いいねー! もこっちとホラッチョも誘おうよ!」

「うっし、部活の時間だ!」

「へへっ、今日こそはベンチで100行くぜ!」

 みんなが楽しそうに友達と談笑する中、

「……」

 葛原くんは無言で学生鞄を取り、まるで陰のような存在感のなさで、スーッと教室から出て行った。

 私はすぐに席を立ち、その後を追い掛ける。

 しかし、

(は、速い……!?)

 彼は恐ろしいほど速かった。

 帰宅部とは思えない強靭きょうじんな脚力をもって、限界ギリギリのインコースを切り、最短ルートで真っ直ぐ自宅へ進んでいく。
 無駄に洗練された無駄のないその動きが、なんだか妙に腹立たしい。

「あっ、白雪さん! この後なんですが――」

「すみません桜さん、今ちょっと忙しいので……っ」

 声を掛けてくれた友人を振り切り、葛原くんの後を追い掛ける。

 長い廊下を駆け抜け、下履きに履き替え、正門を出た先――彼の背を射程に捉えた。

「ま、待ってくださぃ……葛原くん……!」

 がらにもなく大きな声を出したせいで、周囲の注目を浴びてしまう。

「はぁはぁ……っ」

 私が息を整えていると、前方のシルエットがゆっくりと振り返った。

「どうした、白雪」

 葛原くんは、いつもと同じ気怠けだるげな表情を浮かべている。

 そこにおごりの色は微塵みじんもない。
『本物の天才』神宮寺じんぐうじなぎさを軽く一蹴いっしゅうし、『全国1位』という偉業を成し遂げたにもかかわらず、それを誇るどころか鼻に掛ける様子もない。

 本当にいつも通り、落ち着いていて、どこまでも自然体。
 超然ちょうぜんとしたその雰囲気に、一瞬気圧けおされてしまう。

「おーい、白雪? 用がないんなら、俺はもう帰るぞ?」

「……っ」

 現実に引き戻された私は、鞄の中から駿鉄模試の席次表を取り出し、その頂点を指し示す。

「これ……葛原くんですよね?」

「誰がアソパソマソだ」

 鋭いツッコミ。
 だけど、それでは流されない。

「ごめんなさい。私、見てしまったんです。あなたが氏名の欄に、この名前を書くところを」

「あ、あ゛ー……そう、か……」

 葛原くんはバツの悪そうな顔で、ポリポリと頬を掻いた。
 この反応、やはり彼が例の『アソパソマソ』で間違いないらしい。

「授業中いつも寝てばかりのあなたが、どうして全国模試で1位を獲れたんですか?」

「いや、今回はたまたま――」

「――今回のテストは、『過去最高の難易度』でした。それに第一、記述式の多い駿鉄の全国模試で、偶然満点を取るなんてことはあり得ません」

「それは、その…………はぁ、誰にも言うなよ?」

 彼は観念したようにため息をつき、信じられないことを語った。

「ちょ、『直感像記憶ちょっかんぞうきおく』……?」

「あぁ、そうだ。たまにテレビとかで取り上げられていたりするだろ」

 にわかには信じがたい話だけれど……。
 葛原くんは、一度見たものを二度と忘れない『特異体質』らしい。

「まぁ、『百聞は一見に如かず』だな。白雪、なんか適当な教科書をパラっと見せてくれ。……あー、雑でいいぞ? パラパラ漫画の要領で、ガガッと一気にやってくれ」

「わ、わかりました」

 鞄の中から歴史の教科書を取り出した私は、葛原くんが見えるようにそれを開き、最初から最後までパラパラッと高速でめくっていく。

「これでいいんですか?」

「あぁ。それじゃ今度は、適当なページ数を言ってくれ。もちろん、こっちから教科書が見えないようにな」

「では……185ページ」

「185ページは、っと何々……『1867年(慶応3年)、江戸幕府15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上した(大政奉還たいせいほうかん)。この背景には、薩長さっちょうを中心とした倒幕運動が――』」

「……う、そ……っ」

 彼はまるで教科書を読んでいるかのようにして、ページのはじまりから終わりまで、すらすらと暗唱あんしょうしてみせた。

「まぁこんな感じで、俺は一度見たものを二度と忘れない。その結果が、全国模試のアレだ。……ちなみにこれ、誰にも言わないでくれよ?」

「は、はい……わかりました……」

「そうか、助かる。――じゃあな」

 葛原くんはそう言って、再び帰路に就く。

 それからしばらくの間、私はその場から動けずにいた。

(……天才だ)

 葛原葛男は……天賦てんぷの才能を持つ、文字通りの『天才』。

 私が必死に手を伸ばす先――『遥か頂上の高み』に、彼はぼんやりと立っていた。



 白雪は強い決意を秘めた真っ直ぐな瞳で、ジッとこちらの目を見つめる。

「――卒業まで残り二年。私は葛原くんを徹底的に研究し、あなたに追いつけるよう、これまで以上に死に物狂いで努力する。そして高校最後の『白凰総合力テスト』、私はそこで葛原葛男という『本物の天才』に勝ちます」

「……俺に勝つための第一歩目が、この生徒会ってことか?」

「はい。これから一年、よろしくお願いします」

 彼女はそう言ってペコリと頭を下げた。

「…………」

 俺は考えた。
 生徒会に加入すべきか否か、白雪冬花と関係を結ぶべきかどうか、ありとあらゆる可能性を考え抜いた末――脳裏をよぎったのは、いつか聞いたあの言葉。

 白雪姫がポツリとこぼしたはかない願い。

「……甘えたい」

 そして――答えは決まった。

「あー…………よろしく」

 こうして俺と白雪の奇妙な関係が、ゆっくりと始まるのだった。
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