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人って何ですか?
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人って何だろう?
そう聞かれて、一瞬で答えなんか出ないが、そこから思考を巡らせる。
思考を巡らせよう!この書の、副題とも言える。
皆で、考えるということを、身に付けていこう。
人って何だろう?
僕は研究者でもないし、専門家でもない。
しかも、頭が良いわけでもない。
学生だし、難しい勉強は出来ない。だが、どれだけ難しくても、考えることはできる。
人って何だろう?
その議題について、普通に考えてみる。
《生き物》だ。
《動物》だ。
難しく考えなければ、こうやって答えが出る。
それじゃあもう少し深く考えてみよう。
人は、肉体を持っている。
人は、呼吸する。
人は、食事をする。
そしたら、何で肉体を持っているの?
何で呼吸するの?
何で食事をするの?
こうやって新たな疑問が生まれる。
これが、一生かけても答えが出尽くさない原因である。
人は、何で肉体を持っているのだろう?
そもそも人の先祖は、水の中の生物だと言うことが、最有力である。
みんな、手を見てみよう。指と指の間に、蛙のような小さな水掻きがあるはずだ。
大昔(恐竜がいる時代よりもっと前)は水の中で生きていて、それからの進化の間に水掻きが少し残った。ということだろう。
まぁ諸説有りだが。
その水の中の生き物の前から、肉体はあった。
そう考えていくと、情報や資料はほぼ皆無。推測でしかない。
だからこれからは、著者の意見として聞いてほしい。(正しい知識として認識しないでね)
みんなも正解なんて求めないで、意見として気軽に考えを持とう。
恐らく水中生物だった頃より前は、空気中もしくは水中の、ミドリムシ並みの大きさの、微生物だったのだろう。
自然の中で、大きな地震、もしくは隕石の衝突などの、自然環境に大きな変化があると、生物にも変化がある。
今回は隕石の衝突だと仮定し、考えてみよう。
隕石が地球に向かってきて、当たった瞬間。大地は大きな揺れを伴い、水中や空気中にも振動が伝わる。すると、元からあった元素などが変異を起こし、肉体の素になる元素が誕生した。
ということを考えた。
そして、水中などで微生物が誕生し、何億年もかけて、肉体が進化した。
すると、目視できるほどの大きさになっていき、更に環境に変化があり、先祖の猿人にまで進化した。
そして、氷河期を経て肉体が大きく進化した。この氷河期は、生物や環境に大きな変化をもたらした、重要な期間だと言える。
氷河期が終えると、ほぼ完成形と言える新人という形態に進化した。
これが人の肉体の謎の考えだ。
そして1つ考えることができたら、次の疑問を考えてみる。
人はなぜ呼吸をするのか?
みんな、ずーっと息を止めることができるだろうか?
それができたのなら、人間ではない。
人は呼吸をすることで、肺に酸素を取り込み、血液に酸素を取り入れている。
これが疎かになると、運動能力が低下し、終いには全ての能力が閉鎖されて死に至る。
これが、窒息死だ。溺死もある意味そうだ。
それでは、なぜ呼吸をするのだろうか?
全ての生物は呼吸をしている。生きるため。
そしたら、なぜ血液に酸素を取り込まないと、生きていけないのだろうか?
それは血液が、酸素を全身に運んでくれて、それで人は生きれるからだ。
なら、動物は皆、酸素を取り込まないと動けない、生きていけない体になってしまったのか?
それは、前記の肉体の進化も関係しているのだろう。
人は進化するにつれて、それに伴う養分が足らなくなってしまった。
その足らなくなった養分を、酸素で補おうという考えに至った。
でも、そんな能力人間にない。だが、人は発展途上の生物。というか、止まることを知らない。
つまり、死の危険に陥ったことによって、その窮地が人を大きく進化させたのだろう。
そして、酸素を動力に変えることができるようになった。
その進化により、人は完全なる進化を遂げることができたのだ。
こうやって呼吸は出来るようになった。
そしたら、なぜ食事をするのだろう?
という疑問に移る。これは、生物の誕生の時に、同じく食事が生まれた。
これも呼吸と似ていて、養分が足らなくなってしまったため、食事をすることで養分を得るという思考に至った。
食事による養分は、今の人間の主な動力源になっている。
食べ物がなければ、人は生きていけない。
水は何で飲むのか?
そもそも人の70%は、水でできている。
水の主なはたらきは、ミネラルなどを取り入れるのと、無くなっていく水分の補給である。
体の中の水分は、不要な養分を汗にして出すなど、多様なはたらきがある。
尿を出すのも、水分が必要だ。
そして水分が必要になると、脳みそが体に指令をする。
それが、喉が乾く原因だ。喉が乾くことによって、人は水分の補給をしなければならないと、必然的に思う。
そうして行動に移して、水分を補給する。
こうやって、人は生きている。
今話してきたことは、基本的な体の疑問であり、考えればもっと疑問が増える。
人が生きていく上で、先程から話しているが 《脳みそ》 も必要不可欠だ。
脳みそは、人によって性質が違う。この違いが、人の性格や、特徴を生む。
優劣もあるし、相違もある。そんな脳みそだが、脳みそが人間の司令塔だ。
脳みその能力が低下すると、心臓のはたらきも、体自体が動かなくなり、いずれ全てがシャットアウトする。
つまりは、死だ。人間の体は、死と紙一重だ。いつだって、死ぬ可能性は付き物。今これを読んでいる君も、もしかしたら急に地震が来て、家に潰されて死ぬかもしれない。
外の場合は、車に轢かれて死ぬかもしれない。
人間の体は、今話したように精巧に創られていて、今日の機械の能力を遥かに上回る能力を持ち合わせている。
が、機械の能力により、人は死んでしまうかもしれない。能力の面では、機械より人体だが、破壊力、武力では、人体より機械の方が強い。この関係が、善いか悪いかなんて分からない。
善いという確証も、悪いという確証もない。
ただ単に、善し悪しは付けられないのだ。
話が逸れたが、脳みそは人の全ての動作や、機能を司っている。
じゃあ、脳みそがなぜあるのか?
大体の動物が脳みそを持っていて、植物は持っていない。
それじゃあ、何で植物には無くて、動物にだけあるのか?
植物と動物の違いは、自ら動く、自ら思う、自ら...
等のことが挙げられる。
動物は自ら、何かしらをすることができる。
それは、脳みそがあるから。
動物の進化の過程の中に、自由を求める進化があったと考える。
脳みそがなければ、自由を求めるという感情はないだろうが、ここで《本能》という言葉が出てくる。
この言葉は便利だ。こういうときに、
「脳がなくても、本能で自由を求めたのさ。」
とでも答えておけば、何とかそれっぽく聞こえるのだ。
話を戻して、自由を求める進化があったとして、その脳みそのおかげでより進化してきた。
脳みそができたおかげで、こうやって小説を書く幸せを味わえる。
中には、脳みそが無ければ、感情がないし、なんとも思わないから良いんじゃない?
という意見を持つ者が居るだろう。それ、
《正解》
だ。あぁ、確かな正解ではなく、どんな答えでも本質から背いてなければ、すべて正解になる。
著者は、こう考える。
確かに感情が無ければ、何も感じることがない。
苦痛もないし、自分が生きてることすら分からない。
つまり、意識不明のまま動いている生命体になる。
だが、今あるこの生活が一番良いと思う。
感情があり、思考があり、苦痛もあるかもしれないが幸せもあるかもしれない。
人生は規模が大きな、ギャンブルだ。苦痛もあれば、幸福もある。そんな中での、決断や思考が人生を変える。
このエッセイを書くのも、決断だった。
もしかしたら、全然人気が出なくて無駄な時間になるかもしれない。
もしかしたら、超絶人気が出て出版すらできるかもしれない。
そんな架空だらけの脳みそは、このエッセイを書くと決断した。
これが吉と出るか、凶と出るか、そんなの分からない。
だけど、書いていて楽しいから、無駄ではなではないと思う。
じゃあみんな、そろそろ思考を解除しようか。
今回、ちゃんと考えてくれた人と、ちゃんと考えなかった人。
どちらも、自分が下した決断だ。ちゃんと読もうと決断した脳みそと、考えなくていいやと考決断した脳みそ。
決断をできるだけで、それは良いことだと思う。
それを実感してくれたら、それで良い。
そう聞かれて、一瞬で答えなんか出ないが、そこから思考を巡らせる。
思考を巡らせよう!この書の、副題とも言える。
皆で、考えるということを、身に付けていこう。
人って何だろう?
僕は研究者でもないし、専門家でもない。
しかも、頭が良いわけでもない。
学生だし、難しい勉強は出来ない。だが、どれだけ難しくても、考えることはできる。
人って何だろう?
その議題について、普通に考えてみる。
《生き物》だ。
《動物》だ。
難しく考えなければ、こうやって答えが出る。
それじゃあもう少し深く考えてみよう。
人は、肉体を持っている。
人は、呼吸する。
人は、食事をする。
そしたら、何で肉体を持っているの?
何で呼吸するの?
何で食事をするの?
こうやって新たな疑問が生まれる。
これが、一生かけても答えが出尽くさない原因である。
人は、何で肉体を持っているのだろう?
そもそも人の先祖は、水の中の生物だと言うことが、最有力である。
みんな、手を見てみよう。指と指の間に、蛙のような小さな水掻きがあるはずだ。
大昔(恐竜がいる時代よりもっと前)は水の中で生きていて、それからの進化の間に水掻きが少し残った。ということだろう。
まぁ諸説有りだが。
その水の中の生き物の前から、肉体はあった。
そう考えていくと、情報や資料はほぼ皆無。推測でしかない。
だからこれからは、著者の意見として聞いてほしい。(正しい知識として認識しないでね)
みんなも正解なんて求めないで、意見として気軽に考えを持とう。
恐らく水中生物だった頃より前は、空気中もしくは水中の、ミドリムシ並みの大きさの、微生物だったのだろう。
自然の中で、大きな地震、もしくは隕石の衝突などの、自然環境に大きな変化があると、生物にも変化がある。
今回は隕石の衝突だと仮定し、考えてみよう。
隕石が地球に向かってきて、当たった瞬間。大地は大きな揺れを伴い、水中や空気中にも振動が伝わる。すると、元からあった元素などが変異を起こし、肉体の素になる元素が誕生した。
ということを考えた。
そして、水中などで微生物が誕生し、何億年もかけて、肉体が進化した。
すると、目視できるほどの大きさになっていき、更に環境に変化があり、先祖の猿人にまで進化した。
そして、氷河期を経て肉体が大きく進化した。この氷河期は、生物や環境に大きな変化をもたらした、重要な期間だと言える。
氷河期が終えると、ほぼ完成形と言える新人という形態に進化した。
これが人の肉体の謎の考えだ。
そして1つ考えることができたら、次の疑問を考えてみる。
人はなぜ呼吸をするのか?
みんな、ずーっと息を止めることができるだろうか?
それができたのなら、人間ではない。
人は呼吸をすることで、肺に酸素を取り込み、血液に酸素を取り入れている。
これが疎かになると、運動能力が低下し、終いには全ての能力が閉鎖されて死に至る。
これが、窒息死だ。溺死もある意味そうだ。
それでは、なぜ呼吸をするのだろうか?
全ての生物は呼吸をしている。生きるため。
そしたら、なぜ血液に酸素を取り込まないと、生きていけないのだろうか?
それは血液が、酸素を全身に運んでくれて、それで人は生きれるからだ。
なら、動物は皆、酸素を取り込まないと動けない、生きていけない体になってしまったのか?
それは、前記の肉体の進化も関係しているのだろう。
人は進化するにつれて、それに伴う養分が足らなくなってしまった。
その足らなくなった養分を、酸素で補おうという考えに至った。
でも、そんな能力人間にない。だが、人は発展途上の生物。というか、止まることを知らない。
つまり、死の危険に陥ったことによって、その窮地が人を大きく進化させたのだろう。
そして、酸素を動力に変えることができるようになった。
その進化により、人は完全なる進化を遂げることができたのだ。
こうやって呼吸は出来るようになった。
そしたら、なぜ食事をするのだろう?
という疑問に移る。これは、生物の誕生の時に、同じく食事が生まれた。
これも呼吸と似ていて、養分が足らなくなってしまったため、食事をすることで養分を得るという思考に至った。
食事による養分は、今の人間の主な動力源になっている。
食べ物がなければ、人は生きていけない。
水は何で飲むのか?
そもそも人の70%は、水でできている。
水の主なはたらきは、ミネラルなどを取り入れるのと、無くなっていく水分の補給である。
体の中の水分は、不要な養分を汗にして出すなど、多様なはたらきがある。
尿を出すのも、水分が必要だ。
そして水分が必要になると、脳みそが体に指令をする。
それが、喉が乾く原因だ。喉が乾くことによって、人は水分の補給をしなければならないと、必然的に思う。
そうして行動に移して、水分を補給する。
こうやって、人は生きている。
今話してきたことは、基本的な体の疑問であり、考えればもっと疑問が増える。
人が生きていく上で、先程から話しているが 《脳みそ》 も必要不可欠だ。
脳みそは、人によって性質が違う。この違いが、人の性格や、特徴を生む。
優劣もあるし、相違もある。そんな脳みそだが、脳みそが人間の司令塔だ。
脳みその能力が低下すると、心臓のはたらきも、体自体が動かなくなり、いずれ全てがシャットアウトする。
つまりは、死だ。人間の体は、死と紙一重だ。いつだって、死ぬ可能性は付き物。今これを読んでいる君も、もしかしたら急に地震が来て、家に潰されて死ぬかもしれない。
外の場合は、車に轢かれて死ぬかもしれない。
人間の体は、今話したように精巧に創られていて、今日の機械の能力を遥かに上回る能力を持ち合わせている。
が、機械の能力により、人は死んでしまうかもしれない。能力の面では、機械より人体だが、破壊力、武力では、人体より機械の方が強い。この関係が、善いか悪いかなんて分からない。
善いという確証も、悪いという確証もない。
ただ単に、善し悪しは付けられないのだ。
話が逸れたが、脳みそは人の全ての動作や、機能を司っている。
じゃあ、脳みそがなぜあるのか?
大体の動物が脳みそを持っていて、植物は持っていない。
それじゃあ、何で植物には無くて、動物にだけあるのか?
植物と動物の違いは、自ら動く、自ら思う、自ら...
等のことが挙げられる。
動物は自ら、何かしらをすることができる。
それは、脳みそがあるから。
動物の進化の過程の中に、自由を求める進化があったと考える。
脳みそがなければ、自由を求めるという感情はないだろうが、ここで《本能》という言葉が出てくる。
この言葉は便利だ。こういうときに、
「脳がなくても、本能で自由を求めたのさ。」
とでも答えておけば、何とかそれっぽく聞こえるのだ。
話を戻して、自由を求める進化があったとして、その脳みそのおかげでより進化してきた。
脳みそができたおかげで、こうやって小説を書く幸せを味わえる。
中には、脳みそが無ければ、感情がないし、なんとも思わないから良いんじゃない?
という意見を持つ者が居るだろう。それ、
《正解》
だ。あぁ、確かな正解ではなく、どんな答えでも本質から背いてなければ、すべて正解になる。
著者は、こう考える。
確かに感情が無ければ、何も感じることがない。
苦痛もないし、自分が生きてることすら分からない。
つまり、意識不明のまま動いている生命体になる。
だが、今あるこの生活が一番良いと思う。
感情があり、思考があり、苦痛もあるかもしれないが幸せもあるかもしれない。
人生は規模が大きな、ギャンブルだ。苦痛もあれば、幸福もある。そんな中での、決断や思考が人生を変える。
このエッセイを書くのも、決断だった。
もしかしたら、全然人気が出なくて無駄な時間になるかもしれない。
もしかしたら、超絶人気が出て出版すらできるかもしれない。
そんな架空だらけの脳みそは、このエッセイを書くと決断した。
これが吉と出るか、凶と出るか、そんなの分からない。
だけど、書いていて楽しいから、無駄ではなではないと思う。
じゃあみんな、そろそろ思考を解除しようか。
今回、ちゃんと考えてくれた人と、ちゃんと考えなかった人。
どちらも、自分が下した決断だ。ちゃんと読もうと決断した脳みそと、考えなくていいやと考決断した脳みそ。
決断をできるだけで、それは良いことだと思う。
それを実感してくれたら、それで良い。
応援ありがとうございます!
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