愛に抗うまで

白樫 猫

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45話

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新宿駅西口前にあるグランドホテルの1階。
格式ばったホテルではなく、いつもならファミリー層を中心に賑わいを見せているが、今日はいつもより客が少ないのか、ロビーにはチェックアウトの客がチラホラ残っている程度だった。
フロントの横にはラウンジがあり、入り口にcloseの看板が出ているが、一番奥まった場所にある席に、男が3人座っていた。
虎太郎と聡、そして正面に汰久が座り、テーブルを間に殺伐とした空気が漂っている。
久しぶりに会う汰久は、虎太郎の目から見て少し痩せたように見え、目元がくぼみ隈が出来ている。
そんな姿を見て、いつもなら心が苦しくなっているはずなのに、今の虎太郎は何の感情も湧かなかった。

「‥虎太郎。どこに行っていた?なんで、そんな奴の隣にいる」

長い沈黙の後、冷ややかな声で、虎太郎を真っ直ぐに見つめながら汰久が口を開いた。

「そんな奴とはなんだ。いい加減目を覚ませ。汰久」

聡が怒りを含んだ声で話すが、汰久は意に介さず虎太郎を見つめたまま視線を逸らす事はない。

「虎太郎‥帰ろう。俺達の家に‥」

虎太郎の頬に触れようと汰久が手を伸ばしてくるが、虎太郎は汰久の視線を逸らすことなく、伸びてくる汰久の手をバシッと払いのけた。

「僕は、もうお前の言いなりにはならない」

虎太郎の言葉に、汰久はハッと息を飲み悲痛な顔をして項垂れた。
その姿を見て虎太郎はギュッと唇を噛む。

「‥‥‥そんな猿芝居は止めろ!汰久!」

その時、聡が口を開き、その場の空気がピンと張りつめた。

「‥聡。お前、邪魔だな‥」

そう言って顔を上げた汰久は、今まで一度も見た事ないような冷酷な顔をしていた。
その瞳が聡を捉える。

「‥同情で虎太郎を縛り付ける気か?」
「煩いぞ聡。口を挟むな」

互いが威嚇し合う中、虎太郎は意を決して言葉を放つ。

「僕が、お前の元に戻る事は、絶対にない」

その言葉は無意味だったのか、汰久は口角を上げた。

「はぁ~虎太郎。そんな事言ってもいいのかな?俺の元には、あの時の映像があるんだぞ?」

その言葉に、一番早く反応したのは聡だった。
立ち上がるや否や、汰久の胸倉を掴み引きずり上げ、その美しい顔に拳を振るった。
吹っ飛んだ汰久は頬を押さえ、聡を睨みつける。

「ふざけんなよ!お前!どこまで腐ってんだ!!」

怒りも露に叫んだ聡に、ロビーが一瞬無音になるが、すぐにザワザワとし出す。
このホテルは鶴木グループの持ち物で了承は得ているが、この騒ぎにホテルマンが駆け寄ってくる。
だが、ラウンジの入り口にいた、聡の付き人に制され頷くと戻って行った。

「構わないよ。汰久の好きにして」

聡の身体を汰久から遠ざけると、虎太郎は冷静にそう言った。
来栖はもう消えたと言っていたが、もしまだその映像があったとしても、あの囚われた生活には戻りたくなかった。

「なっ‥何言ってんだ?」

頬を押さえながら汰久が言葉を返す。

「だから、そんなものお前の好きにすればいい‥世間に知られても僕は構わない。これ以上、僕に関わらないでくれ」

堂々と言い放つ虎太郎の顔には、汰久には惑わされないと決意が溢れていた。

「ど‥どうして‥なぁ‥どうして俺を捨てるんだよ‥‥虎太郎‥お願いだ‥帰ってきて‥ねぇ、俺はお前が居ないと‥‥虎太郎‥」

絞り出すように声を出す汰久は、虎太郎の足に縋りつくようにしがみ付いた。

「虎太郎‥俺ら、身体の相性も良かったじゃないか‥お前もあんなに喜んで感じていただろ?‥なぁ、お前の身体は俺を忘れられっ‥‥」

バシッと音がして汰久は頬の痛みで言葉を止めた。
虎太郎が汰久の頬を平手で打ち、その終えた手が胸の前でブルブルと震えている。

「お前は卑怯だ。僕は今まで‥お前の何を見てきたんだ‥‥僕は‥お前が‥‥嫌いだ。二度と顔も見たくない!」

震えながらも言い放った虎太郎の身体を、聡はそっと支え、二人はラウンジを出て行く。
虎太郎に叩かれた汰久は呆然とその場を動くことはなかった。
振り返った聡は汰久を放置したままでいいのか少し悩んだが、虎太郎が決意した事だからと、それ以上は何も言わず出てきた。

「虎太郎‥大丈夫か?」

ホテルを出て車に乗り込むと、聡が優しく声を掛けた。

「うん‥大丈夫。‥僕は‥今までどうして‥‥」

騙されたと思った。
汰久に騙されていたと‥だけどそれは違うと思いたい。
あの4年間の楽しかった学生生活の全てが、偽りのモノだと思いたくなかった。
複雑な心の中は、答えを出すことが出来ず、虎太郎は泣きじゃくるしかなかった。

「‥お前はよくやった‥凄いよ‥」

自分の背に触れている聡の思いが優しくて、虎太郎は両手で顔を覆った。




汰久は頬に残る痛みに舌打ちをした。

「あいつ‥」

虎太郎と聡がホテルを出ると、ようやく自分も立ち上がる。
頬に触れるとズキンと痛みが出て、口の中が切れたのか、鉄の味が口内に広がった。

「クソッ!思いっきり殴りやがって‥」

ホテルを出ると、すぐ目の前に迎えの車が横付けされ、それに乗り込むと、運転席から汰久と同世代の男性が、ミラー越しに視線を送る。
汰久の腫れた頬に気付くと狼狽えたように口を開いた。

「だ‥大丈夫ですか?」
「‥ああ。なんでもない‥」

ぶっきらぼうにそう答えると、シートにグッタリと身体を沈め目を閉じた。
自分が間違っている事は、とうに気が付いていた。
この虎太郎に関する愛情は、どこか狂ってしまっていると、だがそうと知りながらも、自分を止める事が出来なかった。
誰かに触れられる事も、誰かと微笑み合っている事ですら、怒りで狂いそうになる自分を抑えきれない。
映像を元に脅したって、本当の愛は手に入れられないと分かっていたが‥‥そんな事をしてまでも、手に入れたかったのだ。

それでも‥手に入らなかったモノは遠くへ行ってしまう‥。

「‥‥映像が残ってなくて‥良かったのかもな‥」

初めからやり直せないかな‥‥。
小さく呟いた汰久の閉じた瞳から、涙が零れ落ちた。

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