奇説二天記

奇水

文字の大きさ
27 / 27
終ノ段

伊織、播磨を離れる夕を見送り、宮本家はまた常の如き日々が来る事。

しおりを挟む
 ……何刻か後、伊織の足が明石にさしかかった頃、街道で待ち受けるように一里塚の前でしゃがんでいた女性がいた。
「伊織さま」
 ゆうだった。
 伊織はゆうをなんと呼んでいいのか、迷った。
 父の娘であるというのなら姉上というべきだろうが、どうしてかそういいたくなかった。
 旅装束に野太刀を抱え、肱に風呂敷包みをぶら下げている。
 伊織は頷いた。
「明石をでられますか」
「はい」
 ゆうは微笑み、頷いた。
 最初に出会ったときと同じようでいて、違っていた。何か楽になった、そんな気分が伝わっているようだった。彼女の仕事は全て終わったのだから、気が楽になっていて当然だろうが。
 宮本家にこのまま逗留なされてもいいのですよ――という言葉を伊織は口に出せなかった。
 仇討ちとやってきた娘を、そのまま留めるというわけにはいかない。
 どのようにして、事情を語らねばならない日はくるだろう。だが、どういう説明をするべきか。武蔵の娘として、宮本家に改めて幼女として迎えるべきか、あるいは、あるいは、それとも。
 伊織は首を振った。
 どう考えても、無理だった。
 そして、ゆうはここにこうしている。
 その意志を翻すのは、もうできない。
 ただ。
「ゆう殿は、明石から去って何処へいかれるのですか?」
 とは、聞いた。
 聞くべきではないことだとも思ったが、ゆうは静かに頷き。
「とりあえず九州の養家の先に。夫の菩提を弔います」
「夫――」
「はい」
 どうしてか言葉を失ってしまった伊織に、またゆうは微笑んだ。
「その後は、私もまた修行を積みなおします」
「修行?」
「兵法修行を――今回は、いろいろと感得するところがありましたゆえに」
 伊織はどういっていいのか解らず、視線を下げた。
 このまま明石にとどまってほしいと素直に口にしたかったが、それは多分やんわりと拒否されると思った。では、他にどうすればいいのかまるで解らなかった。
 ゆうは黙り込んだ伊織へと歩み寄ると、風呂敷包みへと手を突っ込み、中身のひとつをとりだすと、伊織の手へと握らせた。
「――柿?」
「餞別にいただきました」
 ゆうはそのまま手を離し、後ろも見ずに歩き出し、やがて。

「それでは、またいつか」

 そう会釈して、立ち去った。
 伊織はその姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたが、やがて手の中の柿をおもむろに口元によせ、かぶりつく。
「渋い」
 そう言って、空を見上げた。
 嫌になるほど、空は青かった。



   ◆ ◆ ◆



 その後の彼らについて、知られている範囲のことだが述べる。

 宮本伊織はその後、小笠原家の筆頭家老となった。
 しかし、彼は兵法の類は学ばなかったらしい。
 宮本家由緒書によると「宮本伊織は武蔵に兵法を学ばなかった」とあり、武蔵の死後、自分の元に遺品を届けられた時も、「自分は兵法を継がなかった」と述べて、それらを送り返している。
 だが、『鵜の真似』によると、伊織は肥後にて腕の立つという篭り者に一人で向かい、平然とした態度でたちまちのうちに説得してしまったという。相当に肝が据わった大物のようだ。他にも伊織の先見の明、心配り、眼力の鋭さを示す逸話が多く伝わっている。
 それらは事実であるかはともかく、史実では伊織は島原の乱にも参戦し、部隊を率いて大活躍をした。最終的に四千五百石の筆頭家老となった。他の名門の同僚を差し押さえてのことである。彼がどれだけ寵愛されたかが解る。
 死ぬ前に二千五百石を小笠原家に返したが、宮本家は幕末まで家老職を務めて小笠原家に仕えた。

 宮本三木之助も本多家に仕えた。
 こちらは家老職などにはつかなかったが、堅実に働いていたらしい。
 その後、彼の子孫は本多家を出奔して子孫の行方はしれなくなるのだが、宮本家は少なくとも武蔵が死んだ頃までは二つあり、それなりに栄えていたこととなる。

 津田小次郎と、ゆうのその後については、よく解らない。
 小次郎は恐らく一介の剣客として終わっただろうし、ゆうに限らず、この時代の女性がどういう風に生きて死んだのかということについては記録がないのが当たり前である。
 巌流島の決闘は小倉碑文に書かれた記述があってこそ後世に残ったのだが、それがなければ忘れ去られていただろう。
 碑文を書き残した伊織も、その頃は漠然としてしまった記憶を元に書いたので、内容はかなりいい加減になものになってしまっていた。
 この記述を元に多くの伝承が生まれ、小次郎の名前がいつしか混じりこんだことからして、あるいは小次郎は九州あたりで武蔵にまた挑んだのかもしれない。筑前の二天一流の兵法大祖武州玄信公傳來に、小次郎の名前が最初に出てくる。
 さらに後年の二天記では巌流島の決闘が武蔵二十九歳の頃としてい、補項として小次郎は若者であったということを記している。

 そして、この二人に関係しているのかどうかはわからないが、奇妙な伝説が九州の尾谷にある。
 ここの円明寺というに、寛永年間に「佐々木小次郎」がやってきたというのだ。
 ここで修行をして、燕返しの秘剣を編み出したのちに去っていったという。
「佐々木」の姓名は後世の歌舞伎などの演劇から出たとされているが、当時の演劇は実在の人物を架空のものに変えていることから、「佐々木巌龍」「佐々木岩柳」として描かれることから考えても、その姓は少なくとも伝承されていた小次郎の名前とは違っていただろうことは間違いない。
 この「佐々木小次郎」は後に肥前の二天一流関係者の書いた二天記に混入されたことによって、後の資料に大きく影響を与えることになった。いずれ架空の「佐々木小次郎」であるのだから、何処でどういう伝説が生じていようともむしろ驚くべきことではないのかもしれない。
 だが、この伝説の奇妙なところは、小次郎のいた年代を寛永年間と特定していることにある。
 寛永年間というのは、幾つか説のある巌流島の決闘の日付の、どれにも合っていない。
 後に誰かが作ったにしても、巌流島の決闘の日付は武蔵が戦いをやめたという三十になる前と想定しただろう。
 あるいは、もしかしたら、この伝説にも幾許かの真実が混じっていたのかもしれない。元になる伝承があり、それに後世の物語が混じりこみ、今のような形になってしまったのかもしれない。いずれにせよ、この話が正確にいつ頃できたのかも今となっては解らないし、ここで修行していたと言う「佐々木小次郎」がどうなったのかということについても、やはり解らない。
 ただ、この尾谷には彼が植えていったという柿の木が、随分と後年まで残っていた。
 この柿は、小次郎が播磨から持ち帰ったものだという。


 そして、新免武蔵は……、



   ◆ ◆ ◆



「ただいま戻った」
 と伊織がいうと、たつぞうが出迎えた。
 足を洗うためのたらいが用意され、伊織は土間でわらじを解いていたが、やがて奥の方から声が聞こえた。
《熊野》を舞う彼の父、新免武蔵の謡う声である。
 顔をしかめた伊織は、たつぞうに聞いた。
「何かあったのか?」
「へえ」
 たつぞうは答える。
 伊織が留守の間、武蔵は楊弓を削るのを再開したという。
 そのときに尋ねてきたのが、日の下開山、天下無双を名乗る夢想何がしという棒術使いであったという。
「棒術?」
「棒術です。杖術と言ってましたかな? 四尺ほどの棒を持っておりましたか。何やら、もともとは神道流を学んだとかどうとかで、最近杖の工夫を重ねているとかで。ご隠居様が棒を持っているのは知られていますからな。その工夫について話てみたいとかで」
「ははあ……」
「それでまあ、話をしていたのですが」
 武蔵はある拍子に弓を削るのに夢中になってしまったのだという。
「……もういい。だいたい解った」
「それで、怒った夢想の、確かゴンベエでしたかね。それが怒って」
「もうよいといっているのだ!」
 伊織は溜息を吐き、手早く濡れた足をふくと立ち上がった。
 その顔と諦観にも似た呆れたような表情と、微かな笑みが浮かんでいた。
「まったく、父上は相変わらずか」
「へえ」
 たつぞうが呆れたように、面白がるように、そう言った。



 後に天下無双の剣豪、宮本武蔵と言われることになる。


しおりを挟む
感想 2

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(2件)

林走涼司(はばしり りょうじ)

天才剣豪の御隠居と、敵討ち、コレだけで主人公が苦労するのが目に見えて、抜群に興味をそそります。
絶対、主人公が、ややこしい事に巻き込まれる。構成の勝利。
面白いです。

2022.06.04 奇水

ありがとうございます。そういっていただけると嬉しいです。

解除
初風ねぴあ
2022.05.30 初風ねぴあ

早速読ませていただきました。応援しております。

2022.06.04 奇水

ありがとうございます。期待通りのものになっているかどうか…

解除

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。